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第八章 予期せぬ戦いと状況変化

第180話 敵の敵は味方

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「いいか、焦らず確実に前方へ兵を回せ! 周囲への警戒は怠るなよ! 血を撒いてきた敵がまた何か仕掛けてくるかもしれん!」

 突如現れた炎の壁に国王カドネを含む隊列前方と分断されながら、タジネット子爵は動揺の広がる兵士たちを必死に統率しようとしていた。

 血を撒かれただけならともかく、いきなり爆炎が巻き起こって目の前で何人もの兵が断末魔の叫びを上げながら焼け死に、さらに総指揮官のエヴァルド・ロットフェルト伯爵と分断されたのが悪かった。

 森の中の敵兵が何人いるのかも、その狙いが何なのかも分からない。不気味な状況に兵士たちは森へ入るのもおそるおそるといった様子で、炎の壁を迂回して前方に援軍を送るのに時間がかかってしまっている。

「……お前たち! 森の中を大きく迂回して、敵の本陣を攻めろ! 私の護衛はいい。大将首をとってこい!」

「「御意!」」

 タジネット子爵は自身の直衛の兵士たちにそう命じた。命令を受けた30人ほどの直衛は、一切のためらいなく森へ入っていく。タジネット子爵が子飼いにしている精鋭中の精鋭だ。覚悟も度胸も他の兵とは違う。

 彼らが森に入って前方に消えていくのを見届けたタジネット子爵は、周囲を見回す。

「落ち着け、少し混乱が広がっているだけだ。被害は大したことない、まだこちらの優勢は揺るがない……」

 自分自身に言い聞かせるために、小声で呟くタジネット子爵。その声を兵士たちの新たな絶叫がかき消した。

「ぎゃああオークだああ!」

「それも一匹や二匹じゃないぞ!」

「こっちからはグレートウルフだ!」

「ホブゴブリンの群れまで!」

「あれはブラックヴァイパーだ! どうなってやがる!」

 危険な魔物の代表格であるオーク。俊敏さと力を兼ね備えたグレートウルフ。ゴブリンとは比べ物にならない強さと知能を誇り、群れることで危険性が増すホブゴブリン。刃物を通さない硬い皮膚と、麻痺毒の牙を持つ蛇の魔物ブラックヴァイパー。

 ベゼル大森林の奥地に棲むとされる強力な魔物が大挙して押し寄せ、兵士たちを襲い始めたのだ。

 一匹だけでも厄介な魔物に数十匹も殺到されては、2500人の軍勢とはいえただでは済まない。細く伸びた隊列の中に飛び込んだ魔物たちが暴走し、次々に犠牲者が出る。

「ど、どうしてこんなに急に……血か。最初に血を撒いたのはこのためだったのか!」

 ただの嫌がらせかと思われた血のばら撒きと、いきなりの突風。あれは血の臭いを森の奥まで届け、魔物をおびき寄せるための策だったのだ。

 侵攻部隊がいるのは、まだ一応はベゼル大森林の奥地と呼ばれる場所だ。侵攻路の周辺は念入りに魔物狩りが行われているが、少し森の奥に入ればまだまだ魔物がひしめいている。

 おまけに魔物の多くは嗅覚が敏感ときた。これだけ濃厚な血の臭いを嗅いで、臭いのする方向に人間という大量の餌が並んでいたら――嬉々として飛び込んでくるのは当たり前だ。

「タジネット閣下! 我々はどうすればぎゃあああっ!」

「命令を! 命令をくださいぐああっ!」

 恐慌状態に陥った兵士たちが、指示を求めながら魔物に食い殺されていく。

「おのれ! おのれええっ!」

 叫びながら、タジネット子爵は水魔法『氷弾』を放つ。人間の腰回りほどの太さのある氷柱がオークの一体を襲い、その頭と首、肩口までをも抉り取った。

「魔導士たちは魔物を各個撃破しろ! 兵士は魔導士を死守しろ! 戦え! 戦うのだっ!」

 タジネット子爵の声を聞いた王宮魔導士たちが、それぞれの魔法で魔物を攻撃する。兵士たちは魔導士を守り、魔物を牽制しようとする。

 王宮魔導士の多くが隊列の後ろ側に配置されていたのが幸いした。魔物は強烈な魔法攻撃を受けて一匹また一匹と倒れていく。

 しかし、森の奥からはまだまだ魔物が現れる。

 タジネット子爵たち侵攻部隊の後方は、魔物の大群との泥沼の混戦に突入していった。

・・・・・

 後方の部隊は魔物の襲撃を受け、その対処で手一杯だという。最初に撒かれた血が魔物を集めるための餌だと今になってエヴァルドは気づいたが、だからといってもうどうしようもない。

 炎の壁を迂回して合流できた兵士は200人弱。こちら側にいた部隊と併せて700人ほど。

(いや、まだ十分に勝てる……!)

 敵の数は半分以下で、先ほどのクロスボウ兵の動きを見るに多くは農民兵だろう。精鋭ぞろいのこちらが負けるはずはない。

「突撃いぃ!」

「「おおおぉっ!」」

 エヴァルドが声を張ると、兵士たちは槍を構え、あるいは剣を構え、鬨の声を上げながら敵に向かって一斉に駆けた。

 それを見たためか、敵陣の前面に出ていたクロスボウ兵が側面に回って退いていき……例の奇妙な鉄板が前に進み出た。

「エヴァルド、あれはいったい何だ?」

「……大盾、でしょうか?」

 三角形の鉄板が二枚張り合わさったようなその様は、一見すると鏃のようにも見える。数は全部で七。よく見ると鉄板からさらに無数の鉄製の棘が生えているようだ。

 と、その鉄板が急加速して前進し始めた。

「なっ!?」

 エヴァルドは思わず声を漏らす。鉄板の動きがあまりにも速すぎる。あの裏に人間が入るとしても2人、せいぜい3人。たとえ大柄な獣人だろうと、それなりに重量のありそうな鉄板を持ち上げてあれほどの速さで走れるはずがない。

 しかし鉄板は人間の全速力ほどの勢いで突っ込んでくる。その異様な光景に突撃を敢行していた兵士たちの足も止まり、

「ぐふっ!」

「ぎゃああっ!」

「た、助け――」

 棘だらけの鉄板にズタズタに引き裂かれ、あるいは鉄板の尖った接合部に体を切り裂かれ、弾き飛ばされて宙に舞い、あるいは下敷きにされて圧し潰されていった。

・・・・・

「……ノエイン様、ラドレーより報告です。敵の後方に魔物をおびき寄せることに成功。後方は大混乱に陥ったそうです」

「それはよかった。狙い通りだね」

 ラドレーから『遠話』で報告を受けたユーリの言葉を聞き、ノエインは不敵な笑みを浮かべる。

 ここはベゼル大森林の只中だ。敵も侵攻路を作るからにはその周辺の魔物を念入りに狩ったのだろうが、わざわざ『風起こし』の魔道具まで使って大量の血の臭いを広げれば離れた魔物たちも気づいて集まってくる。

 本来は脅威となる魔物だが、それは敵とて同じ。こうして敵の方に向かうよう仕向けてしまえば、今回ばかりは頼もしい味方になる。

「それでラドレーたちですが、こちらに戻るのが遅れるそうです。敵兵がしつこく森の中まで追ってきて、そこに魔物の襲来があったため混乱の中に巻き込まれたそうで……目立った人的被害は出ていないそうですが、撤退に手間取っていると」

「そっか、まあ仕方ないね……僕たちだけで持ちこたえるさ」

 別動隊40人としばらく合流できないのは戦力的に少々痛いが、言ってもどうしようもない。

 ノエインは突撃を敢行してきた敵を見やる。

「クロスボウ隊は一旦退いて! 次はクレイモアの出番だ。グスタフ、頼むよ!」

 ノエインが自陣の前方に声をかけると、クレイモアの隊長であるグスタフが応える。

「お任せくださいノエイン様! いいか皆、訓練の成果を見せるぞ! ゴーレム使いの真の力を見せてやれ……突撃!」

 その合図で、破城盾を構えた七体のゴーレムが敵の突撃を迎え撃つ。今回の破城盾は白兵戦での突破力や殺傷力を高めるため、鉄板の表面に鉄製の棘を無数に付けていた。

 棘だらけの三角形の鉄板が突っ込んでくるという奇妙を通り越して不気味な光景を前に、敵の突撃の勢いが明らかに鈍る。七体のゴーレムは容赦なくそこへ突入し、兵士たちを吹き飛ばし、あるいは踏み潰しながら敵陣深くに入り込んだ。

 ゴーレムの走った後には、血と肉で赤く染まった道が出来上がる。

 ある程度まで切り込んだゴーレムたちは破城盾を投げ捨て、今度はその四肢を振り乱して暴れ始める。謎の鉄板の中から現れた七体ものゴーレムの暴走で、敵は大混乱に陥った。

・・・・・

「おい! あれはゴーレムか! だとしても何故あんな速さで動ける! ゴーレムはとろい動きしかできないものだろう!」

 カドネが怒鳴り散らす横で、エヴァルドは一昨年の大戦の報告を思い出していた。

 要塞地帯の攻城戦で、敵の砦のひとつを異様に素早いゴーレムが守っていたという。目の前のゴーレムがそれなのだろう。

 しかし、それにしても数が多すぎる。まるでオークのような強さで暴走するゴーレムが七体など、洒落にならない。

「エヴァルド! どうすればいい!」

「……親衛隊! 陛下の護衛に20人残し、他の者はゴーレムへの対処に回れ! 魔導士たちは親衛隊と連携してゴーレムを仕留めろ! あとの兵はゴーレムを無視して敵に突撃!」

 混乱した様子で叫ぶカドネを今ばかりは無視して、エヴァルドは命令を飛ばしていく。カドネの護衛のために少数だが隊列前方にいた王宮魔導士や、親衛隊の兵士まで投入して敵を倒しにかかる。

「状況に惑わされるな! 敵の傀儡魔法使いを倒せばゴーレムも止まる! 指揮官を倒せば敵は総崩れになる! 我々は勝てる! 行けええぇい!」

「「うおおおおぉぉ!」」

 カドネの親衛隊が小隊ごとにゴーレムを囲み、そこに魔導士が魔法を放とうとする。その他の兵士たちは怒号を上げながら尚も突撃を敢行した。
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