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第八章 予期せぬ戦いと状況変化

第178話 進軍①

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 ついにロードベルク王国北西部への侵攻を開始する朝。ランセル王国の第3代国王カドネ・ランセル1世は、総勢およそ3000の将兵と魔法使いを前にしていた。

 その全てがカドネへの忠誠が厚い精鋭の国軍兵士や王宮魔導士、あるいは国内紛争の鎮圧などに貢献してきた生え抜きの傭兵、すなわち実力者ばかりだ。

「諸君。ついに今日この日、我々の数年に及ぶ努力が報われる。我が国の勢力拡大を妨げてきた憎たらしいロードベルク王国が、我々の力を思い知り、恐怖するのだ」

 言いながら、カドネは酷薄な笑みを浮かべた。釣られたように兵士たちも口元を歪める。

「まずは景気づけに、ロードベルク王国の北西の端、ベゼル大森林に食い込むように作られたというアールクヴィスト領を攻め落とす。辺境で平和ボケした小領だ。我々の力があれば簡単にひねり潰せることだろう。その後は……お楽しみの時間が待っているぞ」

 ランセル王国で信仰されるアルバランの神々の中でも戦神は、強者が弱者を蹂躙することを良しとする。略奪、強姦、虐殺……その全てが戦神への捧げものとなる正統な行為なのだ。勝利の後の自由な暴走を約束された兵士たちの士気は高い。

「我々の侵攻に続いて、第二陣、第三陣も集結し次第駆けつける。つまり……戦果を独占して奪い犯し殺すなら今のうちというわけだ。今日は一番乗りの役得を思う存分楽しもうではないか!」

「「おおおっ!」」

 カドネが煽ると、兵士たちは目をぎらつかせて応える。

「これより進撃を開始する! 全軍、私に続け!」

 3000の侵攻部隊は、意気揚々と進軍を始めた。

・・・・・

「ああ、分かった……ノエイン様、ランセル王国の侵攻部隊が進軍を開始したそうです。予定地点に到達するまではおよそ15分。斥候が2班出ていたようですが、両方ともラドレーたち別動隊が始末しました」

 別動隊を率いるラドレーと『遠話』で連絡を取ったユーリが、ノエインに報告を伝える。

「それと、ジェレミーの言っていた通り、黄金の鎧を身に付けた若い将がいるそうです。鷹の意匠が施された兜を被り、他の兵とは違う白銀の鎧の部隊に囲まれているそうですが、それがカドネ国王と見て間違いないかとあらためて確認を求めています」

「ジェレミー、どう?」

「それがカドネ国王です、鷹の兜はランセル王家に伝わる国王の証だと言われているので、それを身に付けているなら間違いありません……白銀の鎧の部隊というのは、国王の親衛隊ですね」

 ノエインが尋ねると、傍らに置かれたジェレミーがそう答えた。

「だそうだよユーリ」

「了解……ラドレー、それがカドネ国王で間違いないそうだ。隊列の中でカドネの位置は……分かった」

 ラドレーと言葉を交わしたユーリが再びノエインの方を向く。

「ノエイン様、カドネ国王は隊列の先頭に300人ほどの兵を置き、そのすぐ後ろに位置しているそうです。隊列は一列に15人が並び、カドネ国王は先頭から30mほどの位置にいると」

「分かった……リック、そういうことらしいけど、どうかな?」

「想定の範囲内ですね。すぐに対応できます。今日はあまり風もないので狙いを大きく逸れることはないと思いますが……確実にカドネ国王を前方で孤立させるなら、先頭から50mのあたりを狙って撃ち込むのがいいかと」

「そっか、君の判断を信じるよ。頼むね」

「はっ。すぐに発射の用意をします」

 そう言って、リックはアールクヴィスト領軍の陣の最後方、バリスタが並べられた陣地に走っていった。

 バリスタ陣地を背にして、騎乗したノエインと護衛のマチルダ、同じく騎乗した参謀ユーリ、情報提供役のジェレミー、そしてペンス率いる直衛の精鋭部隊10人が本陣を構える。

 その前にはダント率いる歩兵部隊50人が、さらにその前には大盾持ちの兵士に守られたクレイモア隊が立ち、先頭は「破城盾」を装備した七体のゴーレムが並んでいた。

 さらに、歩兵部隊とクレイモア隊の両脇には領民の志願兵によるクロスボウ部隊およそ80人ずつが並び、前線を構築している。これが、ノエイン率いるアールクヴィスト領軍主力の陣営だった。

 また、もっと前方では、獣人兵を中心とした別動隊40人がラドレーに率いられて森の中に隠れている。彼らの役目は敵軍の監視と斥候の排除、そしてノエインの考えたとある策の実行だ。

 総勢でおよそ300人の奇襲部隊。この本隊が敵を迎撃できなかった場合に備えて、領都ノエイナの方には未成年や老人を中心とした志願兵が防衛のために控えている。さらに、ケーニッツ子爵領とその周辺から到着が間に合った援軍が100人ほど待機しており、ノエインたちが敗走することになったらその撤退を援護する手筈になっていた。

 もっとも、ノエインはそんな無様をさらすつもりは毛頭ない。本気で敵の侵攻を阻止し、可能ならカドネ国王の命を奪うつもりでいる。

「それじゃあ……隣国の国王陛下が、ベゼル大森林を越えてはるばるお越しになるんだ。土足で踏み入ってきた御一行を精いっぱい歓迎してあげようか」

 そう言ってノエインは凶悪な笑みを浮かべた。

 まずは敵が侵攻路の予定地点に到達したら、敵の前方を孤立させるために爆炎矢を曲射するバリスタ隊と、ラドレー率いる別動隊が行動を開始することになる。

・・・・・

「エヴァルド、この侵攻路はアールクヴィスト領の村までは続いていないのだったな?」

「はっ。あまり近くまで道を作ると敵に察知されるため、途中で途切れております。そこからは森の中を進むことになります」

「そうか、では途中で馬を降りねばならないわけか。この私が徒歩で進軍するなど業腹だが、仕方あるまい」

 野営地よりさらに東へと続く侵攻路を歩きながら、少々不満げに呟くカドネをエヴァルドは横目で見て、視線を正面に戻した。

 森の地面が平坦ではないため侵攻路は若干だが右に左に曲がっており、今も前方は緩やかなカーブになっていてあまり先までは見通せない。

 侵攻路の幅は30m弱。森を切り開いた道としてはそれなりの広さだが、3000の軍が進むにはやはり少々狭い。隊列はどうしても細く長くなる。

 カドネとエヴァルドの前には300の兵士が、二人の周囲と後方には親衛隊と護衛役の王宮魔導士が並び、後方には弓兵本隊、魔導士部隊の本隊、予備軍をはじめとした軍勢が続く。

(やけに遅いな……)

 隊を進めながら、エヴァルドは小さな違和感を覚えていた。先行させている斥候がまだ戻って来ないのだ。

 斥候は三人一組の班を2班送っている。足場の悪い森の中を偵察に向かわせたとはいえ、両方の班とも戻りが遅いのは少々気になる。

 念のため隊を一度停止させ、あらためて斥候を送るべきか……と考えていたところで、事態が急変した。

 それまで整然と行軍していた侵攻部隊だが、後方が突如としてざわつき始めたのだ。

「全軍停止! おい、騒がしいぞ! 何があった!」

 さすがにそのまま隊を進めるわけにはいかず、停止を命じてそう怒鳴るエヴァルド。

「そ、それが……敵襲、なのでしょうか? 森の中や木の上から血が投げ込まれました」

「何、血だと?」

 予想外の報告に、エヴァルドは目を細めて後方を見やる。そこでは確かに、何やら赤く塗られた兵士や馬が見えた。

・・・・・

 ランセル王国の軍閥貴族の一人であるタジネット子爵は、侵攻部隊の隊列の、中央に位置する部隊の指揮を務めていた。

 当代タジネット子爵は女性である。優れた水魔法使いであったため嫡男を押さえて爵位を継ぎ、王宮魔導士の位も得て、また将としての才もあったことから国内では女傑と評されている。

 ただしその評判は軍閥の権勢を高めるために多少の誇張も入っており、20代半ばという若さもあって経験にはまだ乏しい。

 とはいえ、将来有望な武人であることは間違いなく、その可能性や才能を認められて今回の親征では将の一人に選ばれたのだった。

 しかし今、タジネット子爵は困惑していた。侵攻路の左右に広がる森の中から、そして木の上から、いくつもの壺や革袋が投げ込まれたのだ。壺が割れ、革袋が破れ、中から飛び散ったのはおびただしい量の血だった。

「落ち着け、狼狽えるな! これはただの血だ!」

 よく通る声でそう怒鳴る彼女だが、投げ込まれた血で赤く塗れた兵士たちは、異様な状況と一面に漂う血の臭いにやや動揺していた。

「こけおどしだ! 動揺する必要はない! ただちに森に入って敵を探し、仕留めるのだ!」

 しかしそこへ、さらにいくつかの壺が投げ込まれる。兵士に当たり、あるいは地面に落ち、壺が割れ、

「うわっぷ! な、何だこれは!」

 侵攻部隊の只中を突風が貫いた。

・・・・・

「血が投げ込まれたのだな? 兵士が負傷したわけではないのだな?」

「は、はい。それは間違いありません」

 エヴァルドが問うと、報告の兵士は少し混乱した様子でそう答える。

「そうか、だがこれが敵襲であることに変わりはない。ただちに血を投げてきた敵を探し出し――」

 そこで、今まさに血で混乱している隊列後方で突風が巻き起こる。風は兵士たちの間を抜けて森の木々を揺らし、エヴァルドたちのいる前方まで届き、むせかえるような血の臭いを運んだ。

「うわっ、なんという臭いだ……おいエヴァルド、どうなっている?」

 カドネが不快そうに顔を顰め、そう尋ねてくる。

「すぐに調べさせます、陛下。御心配には及びま――」

 エヴァルドが言い終わる間もなく、次の瞬間。

 空気を焼く轟音が、カドネとエヴァルドの数十mほど後方で巻き起こる。

 振り返るとそこには炎の壁が生まれ、後方への退路が断たれていた。
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