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第七章 内政の日々と派閥争い

第157話 新たな魔法使い③

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「我が軍は丘陵地帯を北に向けて退却中。現在は本陣から南におよそ5kmの地点。敵軍に追撃されている。敵軍は総勢およそ1000。うち歩兵700、弓兵250、騎兵50。援軍を乞う……以上、閣下に報告せよ」

「ほ、報告します。友軍が南におよそ5kmの地点、丘陵地帯から本陣に向けて退却中。敵軍の追撃を受け、援軍を求めています。敵軍は総勢およそ1000。うち歩兵700、弓兵200、騎兵……100、でしたか?」

「間違えたな。弓兵250、騎兵50だ。ここで敵の兵科を間違えば適切な編成の援軍を送れなくなるぞ。特に騎兵の数を間違えるのは絶対に駄目だ」

 領軍詰所の一室で、コンラートは従士長ユーリから指導を受けていた。

 対話魔法使いは通信担当として従軍することもあり、戦闘の状況によってはメモをとる暇もなく友軍の報告を指揮官に正確かつ簡潔に伝えなければならない場面も多い。今はそのための訓練中だった。

「す、すみません!」

「ははは、惜しかったな。まだこの訓練を始めて間もないし、当面はお前が従軍するようなことはないからあまり気にするな。自分なりに報告の言葉を組み立て直したのはなかなかよかったぞ」

 ミスを厳しく咎めることもなく、笑ってそう返してくれるユーリ。彼の指導は今のところ穏やかなものだが、それも自分がまだ子どもで半人前扱いされているからだと思うとコンラートは少し情けなさを感じる。

「何度か言ったが、こういうときは『遠話』相手の言葉を丸ごと暗記はしなくていいからな。方角、距離、敵の数なんかの重要な情報に絞って正確に覚えていけ」

「り、了解しました!」

「よし、それじゃあまた何度かやってみるぞ……こちらは斥候部隊。本陣より西に3km地点にて敵軍別動隊を発見。編成は――」

・・・・・

 その日の昼過ぎ。従士長ユーリ直々の指導が終わり、コンラートは領主屋敷に設けられた自身の執務室に戻った。

「はあ~疲れた」

 椅子に座り、背もたれに体を預けて呟く。集中力を求められる訓練のあとはいつもこうして気疲れしてしまう。

「……さてと、始めるか」

 少しの休息を挟み、コンラートは一冊の本を取り出した。栞を挟んでいたページを開くと、そのページに書かれている文字をまずは目で追って、次に目を閉じて今読んだ一文を暗唱。それが合っていたかを確認し、今度はその一文を紙に書き写す。

 これも対話魔法使いとしての訓練の一環だった。昨年には領内の学校に通って一応は読み書きを覚えたコンラートだが、領主貴族の連絡役になるにはまだまだ勉強不足なので、こうして文字を読み、書くことに慣れるのだ。この教材用の本はノエインから貸し与えられていた。

 夕方に鉱山村キルデや領内各地の開拓村と「遠話」を繋いで定期報告を受けるまでは、この訓練を続けることになる。

 領主お抱えの対話魔法使いとなったコンラートの日々は、このように地味なものだった。

 最初はよかった。キルデや開拓村の責任者たちと顔を合わせ、さらには隣領の領都レトヴィクに連れて行かれて、そこの領主家の従士長やら大商会の幹部やらの重要人物とも顔を合わせ、彼らを「遠話」対象にしていった。そうしながら、自分も重要人物の一人になったのだと実感した。

 しかし、その後は訓練と待機の毎日で、仕事らしい仕事は領内の村々との定期連絡や、外務担当バートが領外の「遠話」範囲内にいるときの報告を受けるくらい。その報告もほとんど代わり映えしない内容ばかりだ。

 あとは、たまに御用商人フィリップのもとに呼ばれて、レトヴィクの商会へ「商品の納入予定を〇日後に変更したい」などの連絡をさせられる程度だった。

「……はあ」

 待遇に不満はない。領主ノエインからはひとまず名誉従士扱いで雇ってもらったし、給金は父リックの三倍以上だ。非常時の連絡のために屋敷に個室を与えられて暮らすようになったが、家族にはその気になればいつでも会わせてもらえる。

 しかし、正直なところコンラートは退屈していた。魔法使いの生活とはもっと派手で、もっと変化に富んだものだと思っていた。そんな想像と比べると、今の自分の仕事はあまりにも華がない。

 家族や近所の人たちは褒めてくれたし、幼馴染の女の子は「領主様に仕えてるなんて凄い」「大人になったらお嫁さんにして」と言ってくれた。屋敷のメイドたちは「まだ小さいのに偉いね」と可愛がってくれる。そういう役得はある。

 だが、「ちょっと思ってたのと違う」という感覚は拭えない。

・・・・・

「コンラート、いるか?」

 自主訓練にもいい加減飽きてきたとき、執務室の扉をノックする音とともに、従士長ユーリの声が聞こえた。

「じゅ、従士長! います! どうぞ!」

 言いながらコンラートは室内にもう一脚ある椅子を自分の机の前に運び、入室してきたユーリに座ってもらう。

「ちょっと屋敷の方に寄る用事があってな、様子を見に来たんだ。仕事はどうだ?」

 コンラートがまだ十歳の子どもで、同じ対話魔法使いということもあってか、ユーリはこうして何かと気にかけてくれる。

「た、楽しいです。やりがいを……感じてます」

 尋ねられたコンラートが少し迷いながら答えると、ユーリは苦笑した。

「ははは、そうか……今お前が思っていることを当ててやろうか。『思っていたよりも仕事が地味で、訓練と待機ばかりで毎日退屈だ』だろう」

「!? い、いえ、そんなことは……あんまり、思ってません」

「ということは、いくらかは思ってるんだな」

 コンラートの微妙な返答にまた笑うユーリ。

「俺も一応は対話魔法使いだからな。王宮魔導士や貴族お抱えの連絡役や、俺みたいな半端な才持ちで小貴族とか大商会に仕えてる奴らとは何度か会ったことがある。そいつらが口を揃えて言ってたのが、『退屈に耐えるのも対話魔法使いの仕事のうち』ってことだった」

「そ、そうなんですか?」

「ああ。伝令を出したら一日かかるような連絡を一瞬でこなすのが対話魔法使いの仕事だが、逆に言えば一瞬で仕事が終わっちまうってことだ。おまけにいつもいつも魔法を使うほど重要な連絡事項があるわけでもない。社交の招待状みたいに、あえて遣いを出して書簡を送るのが礼儀、みたいなものもあるしな」

 平時の対話魔法使いは、魔法を使うよりも待機する時間の方が長い。その時間もただ遊び惚けているわけではなく、いざというときに健康を損なわないように体を鍛えたり、連絡役としての能力を維持するために暗記や速記の訓練をしたりと、地味な努力を重ねる日々が続く。

 それでいて、戦闘系の魔法使いのように、目に見えて派手なことをするわけでもない。

 そのため、対話魔法使いの間では「待機するのも仕事」というのが共通認識なのだという。

「だから、特にまだ若いお前にとっては、ある意味で辛い日々が続くだろう。アールクヴィスト領はまだまだ発展途上だし、辺境にあって平穏だからな。対話魔法使いのお前が分かりやすく活躍する機会も少ない……だがな、」

 そこで一度言葉を切り、ユーリはそれまで笑っていた表情を引き締めてコンラートを見据えた。

「今は退屈だと思っていても、今後必ずお前の力がもっと役立つときが、お前がもっと活躍するときが来ると俺は思ってる」

 真剣な顔で言うユーリを前に、コンラートも無意識に背筋を正す。

「ノエイン様は凄まじい才覚を持った領主だ。あの方のもとでアールクヴィスト領はこれからもっと大きくなる。他領との関わりも増えるだろう。五年後か十年後か、必ずお前の力がもっと大きな価値を持つようになる。そのときのために今は能力を磨いて、小さな経験を積み重ねるべきだと俺は思う」

「五年後、十年後、ですか……」

「ああ。そのときもお前はまだ十五歳とか二十歳だろう? 大きな活躍をして目立つのはそれからでも遅くはない……というか、それでも十分すぎるほど早いと思うぞ」

 そう言って、ユーリはまた笑った。

「……そ、そうですね。分かりました。もっと先のために、今は修行の期間だと思って目の前のことを頑張ります!」

「ああ、ぜひそうしてくれ。頑張れよ」

 その後、次の仕事があるからと部屋を出ていったユーリを見送り、コンラートは再び机の上に開いた本に向き合う。

「……よし!」

 先ほどまでとは違った、気合の入った表情でコンラートは自主訓練を再開した。
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