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第七章 内政の日々と派閥争い

第153話 客人

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 短い雨期が明けた六月下旬、アールクヴィスト領はとある客人を迎えていた。

 ノエインは客人を出迎えるために領主屋敷の前に立ち、マチルダやクラーラ、他にもメイド数人が並んでいる。

 屋敷の前へ停まったのは、一目で貴人用のものだと分かる馬車。車体に描かれた家紋は麦と牛を模したデザインで、農業を主な産業とする領地持ちの貴族だと分かる。

 その扉が開かれ、馬車の持ち主が降りてきた。

「アールクヴィスト卿、久しぶりだなあ」

「オッゴレン閣下、ようこそアールクヴィスト領へお越しくださいました」

 王国北西部の中でも南寄りに領地を持ち、ノエインと非常に仲が良いトビアス・オッゴレン男爵である。

「前からこうして訪ねたいと思っていたんだが、すっかり遅くなってしまったよ。すまないねえ」

「いえ、今は南側は色々と混乱していると思いますから。こうしてお越しいただけるくらいには落ち着いたようでよかったです」

「ああ、私の領地は直接に南西部と接するわけじゃないが、少し南の貴族領はやっぱり小競り合いに巻き込まれていてな。マルツェル伯爵閣下のご助力もあって、それもひと段落したよ。食糧価格の高騰の問題はまだまだ続いてるが……」

 オッゴレン男爵を屋敷に招き入れつつ、ノエインは彼とそんな会話を交わす。

「先に領都内をご案内しましょうか? それとも、さっそく商談に入りますか?」

「そうだなあ……では、商談から。まずは仕事の話を済ませてしまおうか」

 オッゴレン男爵の希望に合わせてノエインは彼を応接室に案内し、テーブルを挟んで向かい合ってソファに腰を下ろす。

「それでは……始めましょうか」

「ああ、よろしく頼むよ」

 今回オッゴレン男爵はただ遊びに来たわけではない。アールクヴィスト領とオッゴレン男爵領で直接交易を始めるための話し合いが最大の目的だ。

 その裏には、国内の情勢悪化の影響を強く受けている男爵が、比較的余裕のあるノエインと交易を結ぶかたちで助けを求めたという事情があった。

 雰囲気は和やかなままではあるが、このときばかりは両者とも少し表情を引き締めて領主貴族の顔になる。

「まず、こちらからお売りするのは主にジャガイモ、ということでよろしいでしょうか?」

「そうだね、それが何より最重要だ。あとは鉄と銅に関しても、少しばかり買わせてもらえるとありがたい」

 発展著しく、また森の中に位置することもあって狩りや採集でも多くの食糧を得られるアールクヴィスト領では、ジャガイモの生産量には余裕がある。領地が南寄りにあって今まさに食糧不足に悩むオッゴレン男爵としては、その余剰のジャガイモを何としても得たかった。

 また、併せて高騰している鉄や銅についても、産出元であるアールクヴィスト領から直接買った方が現在の相場より安く手に入れられる。

「……我が領の名産のラピスラズリはご不要ですか?」

「ははは、もう少し余裕のあるときなら喜んで買うんだがねえ」

 冗談めかしてノエインが尋ねると、オッゴレン男爵も笑ってそう返す。

「そして、私の領からはお茶と、牛を売らせてもらいたい。どちらもアールクヴィスト卿にとっては絶対に必要というわけではないだろうが……」

「いえ、私はお茶が好きですし、うちの領の家畜は豚が中心で牛はまだまだ少ないですから。オッゴレン閣下のご領地はこれらの名産だと伺っていますから、買わせていただけるのはありがたいです」

 ノエインの好みは王国南部産の茶葉だが、北西部の中でも南寄りに領地を持つオッゴレン領ではその茶葉と同じ品種が栽培されているという。また、平原の多いオッゴレン領では牧畜もそれなりに盛んだ。

「そう言ってもらえて助かるよ。それで取引の方法については……」

「こちらとしては、お互いの御用商会を通じて取引させていただきたいと思っています」

「そうだね、それが一番話が早いだろう」

 アールクヴィスト家の御用商会であるスキナー商会は、商会長であるフィリップがまだ若いこともあって領外への伝手が少ない。

 そんなフィリップにオッゴレン領の商会と繋がりを作らせて、南側への流通ルートを開拓させ、商会を成長させるのも今回のノエインの狙いだった。

「あとは具体的な数や価格、納入の時期ですが……」

「ああ、とりあえずこちらの希望としては――」

 ノエインとオッゴレン男爵の仲の良さも助けとなって、その後も話し合いは穏やかに進んだ。

・・・・・

「ここが、現在開墾中の西の農地です」

「ほう……東側に既にあれほど豊かな農地があるのに、さらにこれだけの面積の開墾を続けているのか……凄いなあ」

 仕事の話が終われば、あとは個人的に友好を深める時間となる。

 領都ノエイナの市街地や公共施設、工房(新兵器はさすがに隠してある)、農地などをノエイン自らオッゴレン男爵に案内して回り、現在は新たに開発中の領都西側を見てもらっているところだった。

「我が領は難民が流れついて人口が増え続けているので、今後のことも考えて新規開墾や家の建設を続けています。王国西部の混乱を前提に考えているみたいで、不謹慎かもしれませんが……」

「そんなことはないさ。つまりアールクヴィスト卿は、行き場のない民の最後の受け皿になっているということだろう? 王国貴族として褒められるべきことじゃないか」

「そう仰っていただけるとありがたいです」

 オッゴレン男爵の言葉に、ノエインは微苦笑を浮かべながらそう返した。

「それにしても、よく五年でここまで開拓を進めたものだねえ。正直言って予想以上だったよ」

「お褒めに与り光栄です。もちろん領主としてできる限りの努力はしているつもりですが、運に恵まれたことも大きいですね……ジャガイモ栽培や鉱山開発の成功もそうですが、優秀な部下たちとの出会いを得たことが何よりの幸運でした」

「ははは、そうやって部下の優秀さや手柄を認められるからこそ、いい人材に慕われているんだろうね、アールクヴィスト卿は。それもまた領主の才能だよ」

 穏やかな声でノエインを褒めるオッゴレン男爵。

「それに、この領はただ人が増えて街や農地の面積が広がっているだけじゃない。何というか……そう、洗練されているように思える。ひとつの社会として、とても効率よく回っているように見えるよ」

「それは……教育の影響が大きいかもしれませんね」

「ああ、さっき見せてもらった学校か……読み書きと算術ができる者が増えるだけでこうも違うか」

 オッゴレン男爵は領都内の案内の一環として見せられた、小さな校舎を思い出す。

「読み書き算術それ自体というよりも、それを覚える過程で培われる論理的な思考力や物事の理解力こそが大切でしょうね。うちは学校だけでなく領軍でも知識教養を身に付けさせるよう努めていますので、領全体で見て、学のある領民の割合が多いんです」

 ノエインの話に、オッゴレン男爵は興味深そうに耳を傾ける。

「体系的な教育を受けた者は、農業でも工業でも商業でも軍事でも、仕事の理解が早くて深いんです。そういう者が増えればそれぞれの仕事の効率は上がりますし、組織は無駄なく回るようになります。それに、教養のある民が多いと社会の治安も良くなります」

「なるほどなあ、そうやってこの社会を実現しているのか」

「ええ、全て狙っていたわけではありませんが、結果的にそうなっています」

「凄いなあ。うちも真似したいところだが……庶民に無償で教育を受けさせると豪農や商人たちがうるさいだろうなあ。これはアールクヴィスト領のような新興の領地だからこそできることだね」

 羨ましそうに言うオッゴレン男爵に、ノエインは微笑んで見せた。

「ええ。そういうところも含めて、僕は運に恵まれたんだと思います」

・・・・・

 領内の案内を終えた後は屋敷に戻り、妻クラーラも交えて歓談し、夜には夕食を共にし、さらにその後は男同士で酒を飲み交わしながら語らう。

 その際にはオッゴレン男爵の希望でマチルダも同席し、「凛々しくて知的そうで美しい」「さすがはアールクヴィスト卿に愛されている獣人奴隷だ」などと褒められ、ノエインからも「僕の自慢の恋人です」などと言われ続けたことで、客人の前にもかかわらず彼女が照れて動揺するという珍しい一幕もあった。

 この日はオッゴレン男爵には屋敷の客室に泊まってもらい、翌日の午前には領地へと帰る彼を見送る。

「オッゴレン閣下、よろしければ土産としてこちらをお持ちください」

「これは……ラピスラズリの原石じゃないか。それもこんなに大きなものを。いいのかね?」

 ノエインが差し出した小さな箱の中身を見て、オッゴレン男爵は驚いた顔になる。そこに入っていたラピスラズリ原石は、宝石にさほど詳しくない男爵が見ても純度の高いものだと分かる鮮やかさを誇っていた。

「ええ、私からの友好の証です。今後とも閣下とは末永くお付き合いしたいと思っていますので……その大きさなら、加工しても装飾品二つ分以上になるはずです。奥方様とミーシャさんへの贈り物にされるといいかと」

 オッゴレン男爵は妻と同じくらい自身の猫人奴隷ミーシャを愛している。そんな彼の事情も考慮して、ノエインはあえて大きい原石を土産に渡していた。

「そうか、わざわざミーシャのことまで考えてくれたのか……感謝するよ。大切に使わせてもらおう」

 渡された土産を、オッゴレン男爵は使用人に預けるのではなく自分で持ったまま馬車に乗り込んだ。

「楽しかったよ。それに交易を結んでくれて助かった、ありがとう。こっちの情勢がもう少し落ち着いたら、アールクヴィスト卿も私の領に遊びに来てくれ」

「ええ、ぜひそうさせていただきます……お帰りもどうかお気をつけて」

 オッゴレン家の馬車が出発し、門を出て見えなくなるのを見届けてから、ノエインは屋敷の中に戻った。
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