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第六章 因縁の再会と出世
第142話 年の瀬①
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「やはり、先の戦争のせいで治安や経済が不安定になっているな……他の派閥盟主たちから聞いた話では、どこも程度の差はあれど影響が出ているそうだ。こうなることは、大戦争が起こると決まった時点で予想できていたが」
12月の後半。王国北西部の主要貴族が集まる恒例の派閥晩餐会の場で、ため息をつきながらそう語ったのは盟主であるジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵だ。
彼を囲むのは派閥のナンバー3であるアントン・シュヴァロフ伯爵、派閥ナンバー4のアルノルド・ケーニッツ子爵、そしてアルノルドにくっついて回っているうちに大貴族たちの歓談に巻き込まれていたノエインである。
「そうですか……王国北西の端の方にいるとあまり実感は湧きませんな」
「ははは、ケーニッツ卿の領地は、今回ばかりは立地に恵まれたな。アールクヴィスト準男爵もそうであろう?」
「ええ、まあ……正直に言って、いつもと変わらない日常を送っています。戦後の混乱を肌で感じるようなことはありませんね」
ベヒトルスハイム侯爵に話を振られて、ノエインはそう答えた。実際はいつもと変わらない日常どころか、元徴募兵たちを中心に人口が増えたことで働き手も増え、鉱山資源が高く売れるのもあってさらなる発展さえ遂げているのだが。
北西部でも南寄りでは先の戦争の悪影響が直撃しているような貴族領もあるらしいので、自慢げにそれを語るのは憚られた。
「だが、実際は未だ深刻な状況にある。大戦そのものは終わったが、散発的な紛争はまだなくなったわけではないしな……食糧不足の解消までには時間が要るから、食糧価格の高騰はしばらく収まるまい」
「ここ数年で、南西部の穀倉地帯が痛手を被りましたからなあ」
嘆きながら頷いたのは、シュヴァロフ伯爵だ。
王国北部と比べて温暖な南部は、大規模農業が盛んだ。南西部にも広大な穀倉地帯がいくつかあり、そこは王国の食糧供給の要所となっている。
しかし、長く続く戦いに男手が割かれた結果、南西部の農業生産力は低下していた。その影響はまず南西部そのものへ、そして隣接する北西部、南東部、さらには王国中央部に波及しているという。最も遠い北東部でさえも、国全体で食糧が不足気味なため無傷とはいかない。
戦争が終わって国境の小競り合いも収まりつつあるとはいえ、そうした状況の改善が農業生産力の回復に結びつくにはタイムラグがある。影響はもう少し続くだろう。
「その点、北西部はジャガイモがいち早く広まっているからまだマシだ。クロスボウの件に続いて、アールクヴィスト卿に感謝せねばな」
北西部閥の中にノエインがジャガイモを広めてまだ二年だが、さすがは荒地でも育ち、よく増える救国の作物だ。食糧事情の改善に関して、ジャガイモはすでに実感できる程度の効果を発揮し始めていた。
「恐縮です。私としても、北西部が平穏であることは喜ばしく思います」
北西部まで荒れてしまったら、その端にあるアールクヴィスト領にも確実に悪影響が出る。そうならないために前もってジャガイモを広めておいたことが功を奏したかたちだ。
「……しかしその分、シュヴァロフ閣下は苦労をされていらっしゃるのでは?」
アルノルドがそう尋ねる。
シュヴァロフ伯爵領は北西部と中央部が接するあたりに位置し、王国人口の実に三割を擁する中央部や、その先にある南東部との交易の要所となっている。
そのため、現在シュヴァロフ伯爵は北西部の食糧を手に入れんとする他派閥の貴族たちに対抗し、食糧の過度な流出を抑えようと奮闘しているのだ。
「そうですなあ……まあ、こうした経済的な駆け引きこそが派閥における当家の役目ですから、励むのは当然のことですが。それにしても少々骨は折れますな。特にジャガイモの密輸に走ろうとする商人の多いこと」
関税の調整、御用商人を通じた大商会への働きかけ、さらには王国中央部の経済大領との直接交渉など、手を尽くして食糧流出に歯止めをかけているシュヴァロフ伯爵。
しかし、他地域への輸出が禁じられているが故に密輸すれば大金を稼げるジャガイモを抱え、関所のある街道を外れて危険な森や山を越えようとする行商人が後を絶たないという。
「少しばかり強気な手を使ったりもしていますが、どこまで改善するやら。力不足の老いぼれで申し訳ない限りです」
しおらしい顔をして言うシュヴァロフ伯爵だが、傭兵に盗賊の格好をさせて密輸ルートに放ち、領境を越えようとした行商人を惨殺しているという噂もあった。「密輸に走れば盗賊に無残に殺される」という話が広まることを狙っているのだろう。
その噂をアルノルドから聞いていたノエインは、内心でシュヴァロフ伯爵の老獪さに感心したものだ。好々爺のような顔をしていても、さすがは百戦錬磨の老貴族だと。
「シュヴァロフ伯爵が力不足などということがあろうはずもない。経済や流通に関しては、あなた以上の知識と経験を持つ貴族など北西部にはいないのだからな」
盟主として立場は上であっても、シュヴァロフ伯爵の年齢や実績、果たす役割に敬意を表してベヒトルスハイム侯爵が言う。
「……先日、南西部のガルドウィン侯爵と連絡を取ったのだが。紛争は続いているとはいえランセル王国の嫌がらせは目に見えて小規模になっているし、今は王国軍も常に二個軍団が常駐しているから間もなく目立った混乱は収まるだろうとのことだ。状況が改善されるまで、来年いっぱいほど奮闘をお願いしたい」
「ほっほっほ。では老骨に鞭打って頑張りましょう」
ギリギリの駆け引きをあと一年引き延ばせとなかなか厳しいことを頼むベヒトルスハイム侯爵に、シュヴァロフ伯爵はむしろ楽しげに頷いた。これを笑えるあたりも、やはりただの優しげな老人ではない。
「……ただ、派閥の境界線での対立はガルドウィン侯爵との話し合いでも完全に解決はできなかった」
ベヒトルスハイム侯爵が悔しげに言葉を吐く。
現在、食糧高騰の影響を最も強く受けている南西部閥の一部の貴族たちが、余裕のある北西部の領地を侵犯して食物を奪うという問題が起きていた。
北西部貴族の領地で勝手に獣や魔物を狩る、農村に侵入して家畜や畑の作物を盗むという単純なものから、村を堂々と襲撃するという大胆なものまで。どれも散発的・一時的なものではあるが、これはこれでちょっとした紛争と呼べる様相を呈していた。
昔から領境に関して揉めていたり、曖昧なままになっていたりする微妙な位置の森や村がターゲットにされているので、下手をすると本格的な領土問題に発展して禍根を残す可能性もあり、余計に質が悪いという。
「領境の争いは基本的に当事者同士の問題ですからな。盟主だからといって簡単にどうにかできるものでもない。致し方ないでしょう」
アルノルドの言葉通り、これらはあくまでも当事者の貴族家同士で解決すべき揉め事である以上、いくら盟主とはいえ対処にも限界がある。こういう場面で気軽に盟主が出張っては、下手をすれば派閥同士の全面抗争まっしぐらだ。
なのでベヒトルスハイム侯爵は、南西部閥の盟主であるガルドウィン侯爵と半ば協力して、領境での争いが一線を越えて人死に沙汰などにならないよう互いに緊張緩和を図っていた。派閥トップともなれば何でも力づくで解決を目指せばいいというものでもない。繊細で微妙で面倒な問題である。
「……マルツェル卿がここにいないというのも、仕方のないこととはいえ少しばかり寂しいですな」
ぼそりとシュヴァロフ伯爵が呟く。
派閥の境界での揉め事は武力衝突を伴うものなので、北西部随一の武家当主であるマルツェル伯爵は、複数の貴族家から助力を乞われてこの小競り合いに参戦していた。
こういう時のためにマルツェル家は北西部南端の貴族たちと縁戚関係を作っているそうで、これも表向きには「親族の窮地に助太刀する」という建前で、ギリギリのラインで手出しをしているという。
今も南西部との境界あたりに駐留して、南西部貴族の領地侵犯に備えているのだろう。晩餐会には名代として、昨年ノエインの結婚式にも参列してくれた彼の嫡男が来ている。
ちなみに、領地が北西部の中でも南寄りにあって、こうした混乱に巻き込まれているオッゴレン男爵も晩餐会を欠席している。これはノエインにとって個人的に寂しいことだった。
12月の後半。王国北西部の主要貴族が集まる恒例の派閥晩餐会の場で、ため息をつきながらそう語ったのは盟主であるジークフリート・ベヒトルスハイム侯爵だ。
彼を囲むのは派閥のナンバー3であるアントン・シュヴァロフ伯爵、派閥ナンバー4のアルノルド・ケーニッツ子爵、そしてアルノルドにくっついて回っているうちに大貴族たちの歓談に巻き込まれていたノエインである。
「そうですか……王国北西の端の方にいるとあまり実感は湧きませんな」
「ははは、ケーニッツ卿の領地は、今回ばかりは立地に恵まれたな。アールクヴィスト準男爵もそうであろう?」
「ええ、まあ……正直に言って、いつもと変わらない日常を送っています。戦後の混乱を肌で感じるようなことはありませんね」
ベヒトルスハイム侯爵に話を振られて、ノエインはそう答えた。実際はいつもと変わらない日常どころか、元徴募兵たちを中心に人口が増えたことで働き手も増え、鉱山資源が高く売れるのもあってさらなる発展さえ遂げているのだが。
北西部でも南寄りでは先の戦争の悪影響が直撃しているような貴族領もあるらしいので、自慢げにそれを語るのは憚られた。
「だが、実際は未だ深刻な状況にある。大戦そのものは終わったが、散発的な紛争はまだなくなったわけではないしな……食糧不足の解消までには時間が要るから、食糧価格の高騰はしばらく収まるまい」
「ここ数年で、南西部の穀倉地帯が痛手を被りましたからなあ」
嘆きながら頷いたのは、シュヴァロフ伯爵だ。
王国北部と比べて温暖な南部は、大規模農業が盛んだ。南西部にも広大な穀倉地帯がいくつかあり、そこは王国の食糧供給の要所となっている。
しかし、長く続く戦いに男手が割かれた結果、南西部の農業生産力は低下していた。その影響はまず南西部そのものへ、そして隣接する北西部、南東部、さらには王国中央部に波及しているという。最も遠い北東部でさえも、国全体で食糧が不足気味なため無傷とはいかない。
戦争が終わって国境の小競り合いも収まりつつあるとはいえ、そうした状況の改善が農業生産力の回復に結びつくにはタイムラグがある。影響はもう少し続くだろう。
「その点、北西部はジャガイモがいち早く広まっているからまだマシだ。クロスボウの件に続いて、アールクヴィスト卿に感謝せねばな」
北西部閥の中にノエインがジャガイモを広めてまだ二年だが、さすがは荒地でも育ち、よく増える救国の作物だ。食糧事情の改善に関して、ジャガイモはすでに実感できる程度の効果を発揮し始めていた。
「恐縮です。私としても、北西部が平穏であることは喜ばしく思います」
北西部まで荒れてしまったら、その端にあるアールクヴィスト領にも確実に悪影響が出る。そうならないために前もってジャガイモを広めておいたことが功を奏したかたちだ。
「……しかしその分、シュヴァロフ閣下は苦労をされていらっしゃるのでは?」
アルノルドがそう尋ねる。
シュヴァロフ伯爵領は北西部と中央部が接するあたりに位置し、王国人口の実に三割を擁する中央部や、その先にある南東部との交易の要所となっている。
そのため、現在シュヴァロフ伯爵は北西部の食糧を手に入れんとする他派閥の貴族たちに対抗し、食糧の過度な流出を抑えようと奮闘しているのだ。
「そうですなあ……まあ、こうした経済的な駆け引きこそが派閥における当家の役目ですから、励むのは当然のことですが。それにしても少々骨は折れますな。特にジャガイモの密輸に走ろうとする商人の多いこと」
関税の調整、御用商人を通じた大商会への働きかけ、さらには王国中央部の経済大領との直接交渉など、手を尽くして食糧流出に歯止めをかけているシュヴァロフ伯爵。
しかし、他地域への輸出が禁じられているが故に密輸すれば大金を稼げるジャガイモを抱え、関所のある街道を外れて危険な森や山を越えようとする行商人が後を絶たないという。
「少しばかり強気な手を使ったりもしていますが、どこまで改善するやら。力不足の老いぼれで申し訳ない限りです」
しおらしい顔をして言うシュヴァロフ伯爵だが、傭兵に盗賊の格好をさせて密輸ルートに放ち、領境を越えようとした行商人を惨殺しているという噂もあった。「密輸に走れば盗賊に無残に殺される」という話が広まることを狙っているのだろう。
その噂をアルノルドから聞いていたノエインは、内心でシュヴァロフ伯爵の老獪さに感心したものだ。好々爺のような顔をしていても、さすがは百戦錬磨の老貴族だと。
「シュヴァロフ伯爵が力不足などということがあろうはずもない。経済や流通に関しては、あなた以上の知識と経験を持つ貴族など北西部にはいないのだからな」
盟主として立場は上であっても、シュヴァロフ伯爵の年齢や実績、果たす役割に敬意を表してベヒトルスハイム侯爵が言う。
「……先日、南西部のガルドウィン侯爵と連絡を取ったのだが。紛争は続いているとはいえランセル王国の嫌がらせは目に見えて小規模になっているし、今は王国軍も常に二個軍団が常駐しているから間もなく目立った混乱は収まるだろうとのことだ。状況が改善されるまで、来年いっぱいほど奮闘をお願いしたい」
「ほっほっほ。では老骨に鞭打って頑張りましょう」
ギリギリの駆け引きをあと一年引き延ばせとなかなか厳しいことを頼むベヒトルスハイム侯爵に、シュヴァロフ伯爵はむしろ楽しげに頷いた。これを笑えるあたりも、やはりただの優しげな老人ではない。
「……ただ、派閥の境界線での対立はガルドウィン侯爵との話し合いでも完全に解決はできなかった」
ベヒトルスハイム侯爵が悔しげに言葉を吐く。
現在、食糧高騰の影響を最も強く受けている南西部閥の一部の貴族たちが、余裕のある北西部の領地を侵犯して食物を奪うという問題が起きていた。
北西部貴族の領地で勝手に獣や魔物を狩る、農村に侵入して家畜や畑の作物を盗むという単純なものから、村を堂々と襲撃するという大胆なものまで。どれも散発的・一時的なものではあるが、これはこれでちょっとした紛争と呼べる様相を呈していた。
昔から領境に関して揉めていたり、曖昧なままになっていたりする微妙な位置の森や村がターゲットにされているので、下手をすると本格的な領土問題に発展して禍根を残す可能性もあり、余計に質が悪いという。
「領境の争いは基本的に当事者同士の問題ですからな。盟主だからといって簡単にどうにかできるものでもない。致し方ないでしょう」
アルノルドの言葉通り、これらはあくまでも当事者の貴族家同士で解決すべき揉め事である以上、いくら盟主とはいえ対処にも限界がある。こういう場面で気軽に盟主が出張っては、下手をすれば派閥同士の全面抗争まっしぐらだ。
なのでベヒトルスハイム侯爵は、南西部閥の盟主であるガルドウィン侯爵と半ば協力して、領境での争いが一線を越えて人死に沙汰などにならないよう互いに緊張緩和を図っていた。派閥トップともなれば何でも力づくで解決を目指せばいいというものでもない。繊細で微妙で面倒な問題である。
「……マルツェル卿がここにいないというのも、仕方のないこととはいえ少しばかり寂しいですな」
ぼそりとシュヴァロフ伯爵が呟く。
派閥の境界での揉め事は武力衝突を伴うものなので、北西部随一の武家当主であるマルツェル伯爵は、複数の貴族家から助力を乞われてこの小競り合いに参戦していた。
こういう時のためにマルツェル家は北西部南端の貴族たちと縁戚関係を作っているそうで、これも表向きには「親族の窮地に助太刀する」という建前で、ギリギリのラインで手出しをしているという。
今も南西部との境界あたりに駐留して、南西部貴族の領地侵犯に備えているのだろう。晩餐会には名代として、昨年ノエインの結婚式にも参列してくれた彼の嫡男が来ている。
ちなみに、領地が北西部の中でも南寄りにあって、こうした混乱に巻き込まれているオッゴレン男爵も晩餐会を欠席している。これはノエインにとって個人的に寂しいことだった。
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