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第五章 初めての大戦争

第116話 帰りを待つ①

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 ランセル王国との国境で大規模な戦争が起こっているとはいえ、国中が戦時の緊迫した空気に切り替わるわけではない。

 王国南西部でさえ国境から遠い場所では戦渦に巻き込まれるようなこともなく、ましてや他の地域では、物流や物価に多少の影響を感じる程度で、普段とさほど変わらない社会生活が営まれていた。

 王国北西部の端に位置するアールクヴィスト士爵領も、そんな日常を送る土地のひとつだ。

 領主とその側近たち、そして領軍の半分が出征しているものの、士爵夫人が領主代行をそつなく務めていることもあり、領民たちは特に不自由や不安を感じることもなく生活を送っている。戦争の影響を強く感じているのは、出征している者の家族・親族くらいだろう。

 領主ノエインの部下たちは、主が不在の間も領地の維持発展のために各々の仕事をこなす。

 ノエインの知識人奴隷であるクリスティも、自分の仕事のために街外れの鍛冶工房を訪れていた。

「ダミアンさん、いますか?」

 工房に入ったクリスティは、技術職の従士で筆頭鍛冶職人であるダミアンを探す。彼は作業場の端で何やら試作をしているようだった。

「んーこれだと耐久力が薄すぎるな……さすがにクロスボウの矢が簡単に貫通するようじゃあ駄目だ……」

「ダミアンさん、ちょっといいですか?」

「だけどゴーレムがどれくらいの重量に耐えられるか分からないもんなあ……ノエイン様に聞いておくんだった……」

「ダミアンさん!」

「おおっ!? なんだクリスティか……いきなり耳元で大声を出すなよ!」

「いくら作業に夢中でも、呼ばれたら返事をしないと駄目ですよ」

 ダミアンの抗議に呆れ顔で言い返すクリスティ。

「頼んでおいた新しい圧搾機の件で来たんです。ちゃんと作ってくれてますか?」

 大豆栽培の拡大に併せて、油作りの規模も拡大する予定なのだ。クリスティはそのために、ダミアンに圧搾機の増産を依頼していた。

「あっ……」

「まさか忘れてたんですか?」

「いや、大丈夫! ちゃんと言われてた期日までには作る! まだ十分間に合うから!」

「……ダミアンさんに仕事を頼んだときは、定期的に進捗を確認するようノエイン様が仰ってた理由が分かりました」

 冷や汗をかきながら言い張るダミアンを前にして、クリスティはため息をついた。

「ところでクリスティ! 新しい武器を開発中なんだけど、どうかな?」

「……私にはただの変なかたちの鉄板にしか見えませんけど」

「ノエイン様が『ウッドゴーレムは火が弱点だ』って悩んでたからさ、その弱点を補えるような装備を考えてたんだよ。本当はノエイン様の出征前に手をつけられたらよかったんだけど、クロスボウやバリスタの増産で忙しくてさ。この鉄板を組み合わせて――」

「私に武器の話をされてもよく分かりませんよ? ノエイン様がお帰りになったらお伝えしてください」

 クリスティはダミアンの仕事にアドバイスをしたこともあるが、武器に関しては完全に専門外だ。嬉々として話を振られても困る。

「ノエイン様が帰ってくるのはいつだったっけ?」

「そんなことも覚えてないんですか? 3月の上旬ごろ……のはずです。戦争が順調に終われば」

「今が2月の後半だから……まだ2週間は先じゃないか! ああ、早くノエイン様に見てもらいたいのになあ。実験にも協力してもらいたいし」

「……まず、ノエイン様の無事のお帰りを願いましょうね」

「それは大丈夫だよ。何せ、俺が作った兵器を山ほど持って行ってるんだからさ」

 自身の開発した兵器によほどの信頼があるのか、ダミアンは自慢げに胸を張る。それを見たクリスティは、また深いため息をついた。

・・・・・

「ノエイン様もマチルダさんも、今ごろ戦場にいるのよねっ、アールクヴィスト領は平和なままだから、国が戦争中なんて実感がないけどっ」

「そうね。戦争が順調に終われば、ご帰還まであと二週間くらいかしら。長いわね」

「……ペンスさんも、戦ってるんですよね~」

 主が不在のアールクヴィスト士爵家の屋敷。その厨房で、メアリー、キンバリー、ロゼッタのメイド三人娘は仕事の休憩がてらに茶飲み話をしていた。

 世話をするべき屋敷の住人が減っているので、三人も普段より暇になりがちだ。

 いつものように元気なメアリーと冷静なキンバリー。本来ならここにロゼッタがおっとりした笑顔を並べるはずが、彼女の表情はやや暗い。

「大丈夫よロゼッタ。ペンスさんだって強いわっ」

「そうよ。強いから従士副長を務めてるのよ」

「……でも、どんなに強くても死ぬときは死にます~」

 メアリーとキンバリーに励まされても、ロゼッタの顔は暗い。彼女の言う通り、戦場ではどれだけ強かろうと運が悪ければ死ぬのだ。

 ある意味で現実を容赦なく見据えたロゼッタの言葉に、メアリーは「うっ」と怯む。

 一方のキンバリーは、表情を変えず淡々と言葉を並べた。

「でもロゼッタ、あなたはペンスさんが好きなんでしょう? 結婚したいんでしょう?」

「も、もちろんです~」

「じゃあ信じて待つのよ。軍人の妻になるってそういうことじゃないの?」

 そう言われて、ロゼッタははっとした表情になる。

 キンバリーの言う通りなのだ。軍人は戦うのが仕事であり、ときには遠くの戦場に向かうこともある。それをじっと待ち、夫の帰る場所を守るのも妻の務めなのだ。

「ペンスさんはきっと疲れて帰ってくるわ。とても疲れてね。だからあなたがペンスさんの帰る場所になって、彼を癒すのよ……そして、結婚して早く子どもを作りなさい」

「こ、子どもですか!?」

「そうよ。子どもよ。ペンスさんとの愛の証をかたちとして残すの。それがあなたのためにも、ペンスさんのためにもなるわ」

「……キンバリーの言う通りです。分かりました、ペンスさんが帰ってきたらすぐに結婚して押し倒します~!」

「その意気よ、ロゼッタ」

 やや話の方向性がずれながらも、ひとまず元気が出た様子のロゼッタにキンバリーも頷く。

「……ときどき、キンバリーがあたしたちと同い年とは思えなくなりますっ」

 メアリーの呟きは、キンバリーから華麗に無視された。

・・・・・

「――というわけで、開戦の影響で食糧価格は上がっていますが、輸出が多いうちにとってはむしろ利点になっています。鉱山開発による収益も、鉄や銅の価格が上がっているため増加しています。御用商人のフィリップによれば、この傾向はしばらく続くと思っていいそうです」

「そう、分かりました。ありがとう」

 単なる輸送隊長から、今ではアールクヴィスト領の外務担当へと出世したバートの報告を受けて、クラーラはそう返した。

 領主ノエインや副官のマチルダ、従士長ユーリや従士副長ペンスが不在でも、アールクヴィスト領の幹部陣による定例会議は行われる。

 外務担当バートや防衛・治安維持担当ラドレー、工業担当ダミアン、農業担当エドガー、財務担当アンナ、そして婦人会を運営するマイの報告を聞いて、領主代行のクラーラはそつなく会議を進める。自身も学校運営について報告をする。

「今月もアールクヴィスト領の運営は順調のようですね。皆さん本当にありがとう」

「クラーラ様が領主代行としてお力を発揮されているからこそです」

「そうですよ。私たちをまとめていただき、ありがとうございます」

 クラーラが従士たちを見回して礼を言うと、彼女を励ますようにアンナが言った。そこへバートが嫌味のない笑顔で言葉を続ける。

「そんなことは……私はまだまだ未熟で実力も不足していますが、今後も精いっぱい務めさせていただきますわ」

 微苦笑を浮かべながらクラーラは答える。

 実際のところ、従士たちから見ても彼女は領主代行としての役目を十分以上にこなしてアールクヴィスト領の安定に貢献しているのだが、本人はまだあまり自信がないらしい。

 会議が終わり、従士たちがそれぞれ次の仕事のために退室していく。最後まで残ったアンナは、すぐに退室せずにクラーラに声をかけた。

「クラーラ様、大丈夫ですか?」

「アンナさん……ええ、私は大丈夫ですよ。ありがとう」

 アンナの問いかけに、クラーラはそう答える。しかしその声には力がない。

「……ノエイン様がご心配ですよね」

「……そうですね。正直に言うと心配で、とても不安です。戦争では予定外のことが起こるものだと理解しているつもりではありますが」

 既に2月も末。本来の予定ならとっくに戦争は終結しているはずだ。しかし、終戦の報せはまだ届かない。

 大まかな戦況は魔法使いによってベヒトルスハイム侯爵領に届けられ、そこから各領へと伝えられている。それによるとロードベルク王国が勝つ見込みではあるものの、敵の予想外の戦略で長引いているらしい。

 さらに、ノエインが無事かどうかも分からない。

 ケーニッツ子爵――すなわちクラーラの父が自領へと個人的に送った連絡から、ノエインがフレデリックとともに前線の砦に配置されたことは知っていた。戦いが長引いているのなら、砦に籠る彼らも危機に陥っているのではないかと思ってしまうのだ。

 ラドレーやバート、マイなどは「戦場では不測の事態が付き物だからあまり思いつめない方がいい」と言ってくれたが、どうしても悪い想像がクラーラの頭をよぎる。

「……でも、私がこんな顔をしていては駄目ですね。従士の皆さんや、領民たちにまで不安が伝わってしまいます。ノエイン様のご無事を信じてアールクヴィスト領を守らないといけませんね」

 気丈に振る舞うクラーラに、アンナも微笑みかける。

「一従士の私がこんなことを言うのは出過ぎた真似かもしれませんけど……お話し相手が必要なときは、私でよろしければいつでも喜んでお付き合いしますね」

「出過ぎた真似なんて、そんなことありません。アンナさん、ありがとう」

・・・・・

 一日の仕事を終え、クラーラは寝室のベッドに倒れ込んだ。

「……ノエイン様」

 ベッドの上で、クラーラは思わず呟く。本来ならノエインとマチルダと三人で眠れるほど広いベッドが、今はかえって孤独を感じさせる。

 昼間はまだいい。領主代行としての仕事と、学校運営の仕事を忙しくこなしていれば、気持ちは紛れる。

 しかし、こうして一人になると、どうしても不安がこみ上げてくることがあった、

 今この瞬間も、ノエインは戦場にいる。マチルダもだ。さらに言えば、自身の長兄フレデリックもノエインと同じ砦におり、また父アルノルドも主戦場で戦っているという。

 最愛の夫と、無二の親友かつ同志である女性、そして兄と父。彼らを全て同時に失ってしまうのではないかという最悪の想像が浮かぶこともある。

 不安のあまり、涙が一滴零れた。

 それでもクラーラは、努めて静かな呼吸をして、意識を落ち着かせようとする。明日も朝早くから仕事をしなければならないのだ。そのためにも、早く眠らなければならないのだ。

 マチルダは今ごろ、戦場でノエインを支え、彼を守り続けている。だから自分はノエインの領地を、彼が帰ってくる場所を守り続けるのだ。

 これが自分の戦いだ。マチルダがノエインの命を脅かす敵と戦っているように、自分はこの孤独と戦わなければならない。

 ノエインはきっと、いや必ず帰ってくる。妻である自分が誰よりもそう信じなければならない。

 クラーラは今日も、たった一人で眠りにつく。
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