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第五章 初めての大戦争

第109話 夜襲

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 ノエインが獣人たちに移住を持ちかけた日の翌日も、ランセル王国軍が攻めてくる気配はなかった。

 しかし、フレデリックやノエイン、そして士官たちの表情は険しい。

「……敵が増え過ぎだ」

「明らかに1,000を超えてますな。いくら防御側が戦いでは有利とはいえ、数の差がありすぎる」

 司令室に幹部陣が集まる中で、フレデリックと彼の副官が深刻そうに言った。

「バレル砦ひとつに敵がこれだけの戦力を集中させるということは……前線の砦が他にも落ちているかもしれませんな」

「他の砦にはこれだけの数のクロスボウも、バリスタもありませんからね。敵が予想より多いなら、持ちこたえられないところもありそうでさあ」

 二人に頷きながら、ユーリとペンスも発言する。

「そうだな……敵はバリスタへの備えも進めているようだし、次はさらに厳しくなるだろう。ノエイン殿、奥の手のゴーレムを使うか?」

 ゴーレムを白兵戦に投入すれば、敵に大きな損害と衝撃を与えることができる。しかし、一度ノエインのゴーレムの脅威を知ったら、敵はまた何かしらの対策を考えてくるだろう。

 フレデリックの言う通り、ゴーレムは奥の手だ。このカードを切ればもう、敵の度肝を抜かすような奇策はない。

「そうですね。出し惜しみして負けたら本末転倒ですし、使いましょう……ただ、1,000以上の敵となると僕のゴーレム2体で全て押さえるのは難しいです。さすがに手数が足りません」

「そうだろうな……そうなると今のままでは不安が残る。もう一つ何か策が欲しい。さらに敵の動揺を生むような……誰かいい案はないか?」

 フレデリックに尋ねられて一同は考え込む。

「……敵の指揮官を仕留められれば、大きな混乱を引き起こせるんですがね」

「口で言うのは簡単だが、どうやって仕留めるかが問題だろう。指揮官はいつも敵陣の後方にいるぞ」

 ふと言葉を零したペンスに、ユーリがため息をつきながら答える。

「……あの、ひとつ思いついたんですけど」

 すると、ノエインがおずおずと手を挙げながら皆の方を見た。

・・・・・

 その日の夜。既に日が沈み、辺りが暗くなってから、バレル砦を出発しようとする一団があった。

「ジノッゼ、ボレアス、他の皆も……本当にいいの? 発案した僕が言うのもなんだけど、この役目はとてつもなく危険だよ? 死んでもおかしくない」

 彼らはノエインの考えた策を実行するために、今から砦を出て行動するのだ。死の危険もある作戦に、全員が自ら志願していた。

 夜目が利く獣人たちは、ボレアスが率いる徒歩の隊とジノッゼが率いる騎乗した隊に分かれている。騎乗した隊にはジノッゼの息子ケノーゼもいた。

「お言葉ですが閣下、私にもボレアスにも、同じ集落出身の仲間を救う義務があります。それを成すだけの決意もあるつもりです。他の者たちも友人や兄弟、そして避難している親や子どものために進んでこの任に就いたのです。覚悟はできています」

「もし自分が死んだとしても、家族や仲間が生き残って士爵様の領地で幸せに暮らせるんだと分かってれば後悔はありやせん」

 ノエインの問いかけに、ジノッゼもボレアスも力強い声でそう答えた。

「……分かった、ありがとう。徴募兵の皆とその家族は誓って僕の領地に全員受け入れるから、安心してほしい。君たちも無事に帰って来てね」

「指揮官として私もお前たちの決意に感謝する。武運を願っているぞ」

「「はっ」」

 フレデリックに、そしてノエインにも敬礼を示したジノッゼとボレアス、そして志願者たちは、砦の裏手、東門の方から出発した。

 それを見送り、フレデリックがノエインの方を向く。

「さあ、我々も行動を開始しよう。あまり時間の余裕はないからな」

「はい」

・・・・・

 ボレアスが率いるのは、獅子人や虎人、猫人など夜目の利く獣人たち十数人だ。そのうち数人の手にはクロスボウが握られている。

 普人であれば、松明の灯りがなければ数m先を見るのにも苦労する闇夜。敵陣には無数の松明が灯され、真っ暗な平原の中で明るい一帯を確保している。

 そこへ、姿勢を低くして草むらに身を隠したボレアスたちがそろそろと近づく。

 先頭を行くボレアスは、敵陣の端から周囲を見張る二人の兵を見つけた。

 敵はどちらも猫系の獣人で夜目が利くはずだが、連日の戦いで疲れているのか、ランセル王国軍での扱いが酷いのか、とてもやる気があるようには見えない。ボレアスたちに気づく気配もない。

「……見張りだ。二人いる。同時に仕留めろ、外すなよ」

 ボレアスが声を潜めて指示を出す。それに応えて、猫人の男二人が前に出ると、クロスボウを構えた。

「三……二……一……撃てっ」

 ひゅんっとクロスボウの弦が鳴り、次の瞬間にはランセル王国軍の見張りは音もなく倒れた。一人は頭に、もう一人は首に矢が突き立っており、どちらも声を出す間もなく死んでいる。

「よし、近づくぞ。散れ……役目を果たしたら、それぞれ自分の判断で砦に戻れ」

 ボレアスの小声の指示に獣人たちは無言でうなずくと、数人ずつに分かれてランセル王国軍の陣に潜り込んだ。

 それから数分後。陣の中で、何か陶器が割れるような音が響いた。

 その音に気づいた一人のランセル王国軍兵士が、音の聞こえた方に歩く。

 そこで、燃え上がる天幕と、その前に立つ数人の不審な獣人と出くわした。

「っ! て、敵が」

 兵士が叫ぶ前に、不審な獣人――ボレアスが肉薄して片手でその口を塞ぎ、もう片方の手で首に剣を突き立てる。兵士の全身から力が抜け、崩れる。

「よし、次だ」

 ボレアスはぼそりと言うと、数人の部下を連れて移動する。

 そして食糧を集積している場所を見つけると――そこへ陶器製の魔道具を投げつけた。

 爆炎矢の魔道具は、油を詰めた壺の口を布で塞ぎ、そこに火を点けて敵に投げつけるという兵器をもとにノエインが発案したものだ。

 バリスタでの投擲を前提に作られてはいるが、発案のもととなった兵器のように、手で投げるかたちでも使うことができる。ボレアスたちは今回それを実践していた。

 敵が眠っている天幕や、食糧などの重要物資に、合計3つの魔道具を投げつけて火事を起こす。他にも、陣の中に立ててある松明を倒して小火を引き起こす。他の場所でも、別の班が同じような破壊工作を行っているだろう。

 そうこうするうちに敵も異常事態に気づき、「火事だ!」「火を消せ!」と騒ぎ始めた。

「そろそろ終いだ……仕上げをするぞ」

 部下たちに言うと、ボレアスは息を吸い……腹の底から叫んだ。

「敵襲ー! 敵が陣に紛れ込んでるぞおー!」

「敵だー! ぎゃあああっ!」

「そこら中敵だらけだあー!」

 ボレアスに倣って部下たちも叫ぶ。その言葉はランセル王国軍の兵士たちを恐怖に陥れた。

 そこら中に敵がいる。陣の中に入り込まれている。そう考えた兵士たちは寝起きの混乱も合わさってパニック状態で剣を手に取り、陣の中を逃げ惑い、出会い頭に他の人間に切りつける。

 攻撃を受けた兵士も、応戦しようと剣を振る。相手を切り伏せてからよく見ると、それは味方だった……そんな混乱が陣の至るところで起こった。

 さらに、寝ていた天幕を焼かれて火だるまになった兵士が断末魔の叫びを上げながら走り回り、他の天幕に倒れ込んだことで火が燃え移る。別の場所では、食糧が燃えて塵と化していくのを兵士たちがなんとか止めようとする。

 士官は恐慌状態の兵たちを落ち着かせ、陣に入り込んだ敵を探し出そうと奔走する。

 しかし、その頃にはボレアスたちはもう陣の中にはいない。とっくにその場を去り、バレル砦に戻っていた。そのためランセル王国軍は、どこにもいない敵に怯え続ける。

 一方、陣の中心では指揮官の男が怒号を飛ばしていた。彼の周りには幾人もの護衛兵が集まっている。

「落ち着け! 皆落ち着くのだ! 何が起こっている! 報告せよ!」

 先の戦いで頼れる側近を失った男は、増援も加わって膨れ上がった軍を何とか統率しようと懸命に声を張る。その甲斐あって、士官たちからちらほらと報告が集まり出した。

「あちこちに火が放たれております! 食糧にまで!」

「食糧は分散して保管しているから大丈夫だ! 慌てず消火に務めろ! 水魔法が使える者も集めろ!」

「敵襲です! そこら中が敵だらけです!」

「そんな馬鹿な! 敵を見た者はいるのか? ……一人もいない? ならそれは同士討ちを引き起こすための罠だ! 止めさせろ!」

 ランセル王国軍の混乱が収まったのは、一時間ほど経ってからだった。
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