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第五章 初めての大戦争
第98話 出立
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ロードベルク王国北西部の貴族たちは、年末に派閥の絆を確かめ合い、情報を交換し合う晩餐会を開くのが通例となっている。
この年もそんな穏やかな晩餐会を迎えるはずだったが、盟主であるベヒトルスハイム侯爵が派閥の各貴族に伝令を送ったことで事情は一変した。
北西部閥の貴族たちは、社交の場で着るための豪奢な儀礼服ではなく、装飾を排した軍服を身にまとって侯爵家の屋敷に集い、大きなテーブルを囲む。本来ならパーティーなどに使われるはずの大広間は、今や軍議のための会議場と化していた。
ノエインも黒を基調としたローブを身にまとい、集まりの端の方に立つ。いくら新興の有力貴族とはいえ一士爵でしかないノエインは、この軍議では脇役だ。
「諸君、まずは礼を言わせてもらいたい。晩餐会がいきなり軍議に代わったにも関わらず、諸君がこうして集ってくれたことに感謝する……一人くらい間違って儀礼服のまま来る者がいるかと思っていたが、いらぬ心配だったな」
ベヒトルスハイム侯爵の言葉に、一同がどっと笑った。
貴族は集まる場によって服装を変える。晩餐会では儀礼服を着るし、軍事的な集まりや式典ではより落ち着いた軍服を身に纏う。
ベヒトルスハイム侯爵が軍議の前に各領に伝令を送ったのは、できるだけ早く出兵の準備を始めさせるためだけではなく、軍服を着て集まらせる目的もあった。話し合い自体は何を着ていてもできるが、派閥の一体感のためにはこうした形式的なことも馬鹿にできないのだ。
「おおよそのことは既に遣いから話を聞いているはずだが、あらためて確認しよう。マルツェル伯爵、頼むぞ」
「はっ」
ベヒトルスハイム侯爵に促されて、その横にいたマルツェル伯爵が一歩前に進み出た。生粋の武人である彼は、軍議での仕切り役には最適だ。
「皆も聞いている通り、西のランセル王国軍がロードベルク王国へ侵攻の準備を進めているとの報せがあった。それに対抗するため、我ら王国北西部の貴族からも軍を送り、ランセル王国との戦に備えよと国王陛下より御命令を賜った」
その場にいる貴族たちは表情を引き締め、黙ってマルツェル伯爵の話を聞く。
「敵の数はおよそ1万5000。それに対して南西部貴族は領軍と傭兵、徴募兵の計1万4000を揃え、また王家直属の王国軍も三個軍団が出る。そこへさらに、我ら北西部貴族が領軍5000で戦いに加わることとなった」
「南西部の奴らは貿易にかまけ過ぎて骨なしの商売人になってしまったと思っていたが、それなりの兵力を集める気概は残っていたということだ」
マルツェル伯爵の事務的な説明に、ベヒトルスハイム侯爵はそう付け加える。
王国の各貴族閥の仲は、控えめに言ってもあまり良くない。南西部閥を揶揄するような侯爵の言い草に、またもや会議場では笑いが起こった。
「閣下の仰る通り、南西部貴族どもも数だけは立派な軍勢を揃えている。だが実体は、半分以上が傭兵と領民からの徴募兵だ。だからこそ正規軍5000で助太刀する我らが重要になる」
伯爵の言葉を聞いて、貴族たちは目をぎらつかせて頷く。大抵の貴族は戦いを好むものだ。
「ベヒトルスハイム閣下は騎兵100を含む領軍500を、私とシュヴァロフ伯爵は領軍300を出すことが決まっている。子爵家や男爵家の者も、準男爵以下の下級貴族の者たちも、それぞれの領地の規模に見合う兵数を出してくれることを期待する」
「そして、各々クロスボウを忘れんようにな。もう陛下にもお伝えしてしまったことだし、この新兵器で戦果を上げて北西部閥の新たな力を見せよう。なあ、アールクヴィスト士爵!」
会議場の端まで届く大声でベヒトルスハイム侯爵が言い、一同の視線がノエインに集まった。
「……はい。私も微力ながら王国のため、そして北西部閥の名誉のために奮戦いたします」
自分が発言することはないと思って油断していたノエインは、いきなり話を振られて何とかそれだけ言う。小柄で子どもっぽいノエインから一丁前の軍人らしい言葉が出たからか、貴族たちがまた笑った。
内心で冷や汗をかきながら自分も笑みを浮かべるノエイン。派閥の重鎮としてベヒトルスハイム侯爵の傍に控えるアルノルドと目が合うと、彼は「上出来だ」とでも言うように頷いて見せた。
「では、各領の細かい兵数や兵科の配分などを決めていこう」
マルツェル伯爵がそう呼びかけ、その後は淡々と軍議が進んでいった。
・・・・・
北西部閥の軍議の後、アールクヴィスト領へ帰ったノエインは、出兵の準備に追われた。
全体の軍議の後でベヒトルスハイム侯爵と個別に話したノエインは、「格別の活躍」を成すために士爵家としては多めの兵数と、南西部の徴募兵に使わせるためのクロスボウ200挺、そして2台のバリスタと爆炎矢を持っていくことになった。
年末年始は戦争への準備を中心に過ぎていき、あっという間に南西部の国境付近へ向けて発つ日がやって来る。
戦争に参加するアールクヴィスト領軍は領主ノエインを指揮官に、その直属の護衛としてマチルダ、士官として従士長ユーリと副長ペンス、そして領軍から兵士26人の計30人で成り立つ。
武家の従士を全員連れていくと領の防備が手薄になり過ぎるので、ラドレーとバートは留守番だ。
「こうして見ると、戦闘部隊というより何だか輜重隊みたいだね」
「人数のわりに荷馬車がこれだけ多いとな」
出発の準備を進める兵士たちを見ながら、ノエインとユーリがそう言葉を交わす。
大荷物のアールクヴィスト領軍は、いくつもの荷馬車を兵士たちが囲んで守るような隊列を組むことになる。まるで隊商のようで見栄えはやや悪いが、兵士の数より武器の数が多いという特殊な参戦の仕方をするのでやむを得ないことだ。
「ノエイン様、そろそろ出発の準備が終わります」
兵士たちを監督していたペンスが、ノエインとユーリのもとに近づいて来てそう言う。
「分かった、お疲れ様……じゃあ、各々家族との挨拶を済ませておこう。ユーリもマイとヤコフのところに言ってくるといいよ」
「おう、すぐに戻る」
ユーリはそう言うと、妻と息子のもとへ歩いていった。
「それと、ペンスも言うべきことを言うべき相手に伝えてきた方がいいんじゃない?」
「げっ、ノエイン様まで知ってるんですか?」
「メイドたちがキャッキャウフフしながら話してると嫌でも聞こえてくるよ……あと、僕もキンバリーの言い分に賛成かな。ペンスはロゼッタに幸せにしてもらうべきだと思う」
「普通は逆でしょう、俺がロゼッタを幸せにしてやるのが道理でさあ」
「あ、自分でもそう思ってるんだ? じゃあ話は早いじゃない。そう伝えてきなよ」
「いや、そういう意味じゃ……ああもう、分かりましたよ!」
観念したように声を上げたペンスは、メアリーとキンバリーに寄り添われて遠巻きに自分を見ているロゼッタの方へと歩いていった。
「なあロゼッタ」
「……」
ペンスが声をかけても、ロゼッタは目をウルウルとさせて何も言わない。
「その、なんだ……こないだは悪かったよ。別にお前の、その、気持ちを馬鹿にしたわけじゃねえんだ」
「……私も、この前はごめんなさい」
素直に謝ったペンスに、ロゼッタもようやくぼそりと返した。
「それでよ……あれから考えたんだが、俺はお前にそれだけ好いてもらって、自分が幸せ者だと思ったよ。で、これからもお前に幸せに……いや、もちろん俺もお前をだな」
要領を得ない物言いではあるが、ペンスの言わんとするところが分かったロゼッタの顔がぱあっと明るくなる。
「ああ面倒くせえ。つまりだな、俺もお前のことが好きになった。だから戦争から帰ってきたら結婚してくれ」
「ペンスさん……ありがとうございます~! 私、嬉しいです~!」
ようやく男らしさを見せたペンスに、ロゼッタも即答した。さらに公衆の面前であるにも関わらず抱きつく。
それを見ていたメアリーは「うおお大胆っ!」と歓声を上げ、キンバリーは何故か感心したように腕を組んで頷き、周囲で見ていた人々も野次馬根性を発揮してニヤけた顔で見ている。
「ペンスおめえ……」
「大丈夫なんですか……? 戦争に行く前に結婚の約束なんて」
明るいムードの中で、心配するように言ったのは居残り組のラドレーとバートだ。元傭兵である彼らの中では、戦争に行く前に「帰ったら結婚」などとフラグを立てるのは非常に縁起が悪いとされている。
「ああ、しまった……だけどまあ、大丈夫だろ」
一瞬だけ不安げな表情を見せたペンスだが、自分にしがみついて嬉しそうな顔をするロゼッタを見ると苦笑しながらそう言った。
・・・・・
部下たちが家族や親しい者と出発前の挨拶を交わす傍らで、ノエインもマチルダとともにクラーラのもとに近づいた。
「あなた……」
「大丈夫だよクラーラ。僕はこれっぽっちも死ぬつもりはない」
夫が戦場に赴くのに不安を感じない妻はいない。クラーラもやはり心配そうな顔を見せたので、ノエインは優しく微笑みながらそう言葉をかけた。
「だけどひとつ、約束してほしい。もしも……もしも万が一のことがあったときは、君がこの領を守ってほしい。それが分かっていれば僕は不安も後悔も抱えずに済むから」
死ぬつもりがなくても死ぬ可能性があるのが戦場だ。ノエインは領主貴族の務めとして、クラーラにあえて言う。
クラーラはノエインの言葉を噛みしめるように短く目を瞑ると、真っすぐにノエインを見て笑顔を作った。
「はい。もしものときは私がこの領を、あなたが作り上げた領を守るとお約束します。だからどうか安心してください」
「ありがとう……強くなったね、クラーラ」
「ええ、私は貴族の妻ですから」
ノエインは正直クラーラが泣くのではないかと思ったが、彼女は少なくとも夫の前では涙の一滴も零さなかった。それだけの覚悟を決めているのだろう。
優しく、お互いの愛を確かめるようにノエインとクラーラはキスを交わす。
その後にはマチルダがクラーラと向き合い、お互いの手を取った。
「マチルダさん、どうか約束してください……何があっても、最後までノエイン様のお傍にいて差し上げて」
「もちろんです。私は必ずノエイン様に付き従います……クラーラ様もどうかお約束を。何があっても、この領とともに生きてください」
「ええ、神に誓って約束します」
例え死んでもノエインに付き従うと決意するマチルダと、ノエインのためにアールクヴィスト領とともに生きると決意するクラーラ。二人はそれぞれのかたちでノエインと共にある覚悟を決め、お互いの役目を確かめ合った。
「それじゃあ行ってくるよ」
「行ってまいります、クラーラ様」
「ノエイン様、マチルダさん、どうかご無事で」
その日、領主の妻であるクラーラに、残って領を守る従士たちに、そして領民たちに見送られて、アールクヴィスト領軍は領都ノエイナを出発した。
この年もそんな穏やかな晩餐会を迎えるはずだったが、盟主であるベヒトルスハイム侯爵が派閥の各貴族に伝令を送ったことで事情は一変した。
北西部閥の貴族たちは、社交の場で着るための豪奢な儀礼服ではなく、装飾を排した軍服を身にまとって侯爵家の屋敷に集い、大きなテーブルを囲む。本来ならパーティーなどに使われるはずの大広間は、今や軍議のための会議場と化していた。
ノエインも黒を基調としたローブを身にまとい、集まりの端の方に立つ。いくら新興の有力貴族とはいえ一士爵でしかないノエインは、この軍議では脇役だ。
「諸君、まずは礼を言わせてもらいたい。晩餐会がいきなり軍議に代わったにも関わらず、諸君がこうして集ってくれたことに感謝する……一人くらい間違って儀礼服のまま来る者がいるかと思っていたが、いらぬ心配だったな」
ベヒトルスハイム侯爵の言葉に、一同がどっと笑った。
貴族は集まる場によって服装を変える。晩餐会では儀礼服を着るし、軍事的な集まりや式典ではより落ち着いた軍服を身に纏う。
ベヒトルスハイム侯爵が軍議の前に各領に伝令を送ったのは、できるだけ早く出兵の準備を始めさせるためだけではなく、軍服を着て集まらせる目的もあった。話し合い自体は何を着ていてもできるが、派閥の一体感のためにはこうした形式的なことも馬鹿にできないのだ。
「おおよそのことは既に遣いから話を聞いているはずだが、あらためて確認しよう。マルツェル伯爵、頼むぞ」
「はっ」
ベヒトルスハイム侯爵に促されて、その横にいたマルツェル伯爵が一歩前に進み出た。生粋の武人である彼は、軍議での仕切り役には最適だ。
「皆も聞いている通り、西のランセル王国軍がロードベルク王国へ侵攻の準備を進めているとの報せがあった。それに対抗するため、我ら王国北西部の貴族からも軍を送り、ランセル王国との戦に備えよと国王陛下より御命令を賜った」
その場にいる貴族たちは表情を引き締め、黙ってマルツェル伯爵の話を聞く。
「敵の数はおよそ1万5000。それに対して南西部貴族は領軍と傭兵、徴募兵の計1万4000を揃え、また王家直属の王国軍も三個軍団が出る。そこへさらに、我ら北西部貴族が領軍5000で戦いに加わることとなった」
「南西部の奴らは貿易にかまけ過ぎて骨なしの商売人になってしまったと思っていたが、それなりの兵力を集める気概は残っていたということだ」
マルツェル伯爵の事務的な説明に、ベヒトルスハイム侯爵はそう付け加える。
王国の各貴族閥の仲は、控えめに言ってもあまり良くない。南西部閥を揶揄するような侯爵の言い草に、またもや会議場では笑いが起こった。
「閣下の仰る通り、南西部貴族どもも数だけは立派な軍勢を揃えている。だが実体は、半分以上が傭兵と領民からの徴募兵だ。だからこそ正規軍5000で助太刀する我らが重要になる」
伯爵の言葉を聞いて、貴族たちは目をぎらつかせて頷く。大抵の貴族は戦いを好むものだ。
「ベヒトルスハイム閣下は騎兵100を含む領軍500を、私とシュヴァロフ伯爵は領軍300を出すことが決まっている。子爵家や男爵家の者も、準男爵以下の下級貴族の者たちも、それぞれの領地の規模に見合う兵数を出してくれることを期待する」
「そして、各々クロスボウを忘れんようにな。もう陛下にもお伝えしてしまったことだし、この新兵器で戦果を上げて北西部閥の新たな力を見せよう。なあ、アールクヴィスト士爵!」
会議場の端まで届く大声でベヒトルスハイム侯爵が言い、一同の視線がノエインに集まった。
「……はい。私も微力ながら王国のため、そして北西部閥の名誉のために奮戦いたします」
自分が発言することはないと思って油断していたノエインは、いきなり話を振られて何とかそれだけ言う。小柄で子どもっぽいノエインから一丁前の軍人らしい言葉が出たからか、貴族たちがまた笑った。
内心で冷や汗をかきながら自分も笑みを浮かべるノエイン。派閥の重鎮としてベヒトルスハイム侯爵の傍に控えるアルノルドと目が合うと、彼は「上出来だ」とでも言うように頷いて見せた。
「では、各領の細かい兵数や兵科の配分などを決めていこう」
マルツェル伯爵がそう呼びかけ、その後は淡々と軍議が進んでいった。
・・・・・
北西部閥の軍議の後、アールクヴィスト領へ帰ったノエインは、出兵の準備に追われた。
全体の軍議の後でベヒトルスハイム侯爵と個別に話したノエインは、「格別の活躍」を成すために士爵家としては多めの兵数と、南西部の徴募兵に使わせるためのクロスボウ200挺、そして2台のバリスタと爆炎矢を持っていくことになった。
年末年始は戦争への準備を中心に過ぎていき、あっという間に南西部の国境付近へ向けて発つ日がやって来る。
戦争に参加するアールクヴィスト領軍は領主ノエインを指揮官に、その直属の護衛としてマチルダ、士官として従士長ユーリと副長ペンス、そして領軍から兵士26人の計30人で成り立つ。
武家の従士を全員連れていくと領の防備が手薄になり過ぎるので、ラドレーとバートは留守番だ。
「こうして見ると、戦闘部隊というより何だか輜重隊みたいだね」
「人数のわりに荷馬車がこれだけ多いとな」
出発の準備を進める兵士たちを見ながら、ノエインとユーリがそう言葉を交わす。
大荷物のアールクヴィスト領軍は、いくつもの荷馬車を兵士たちが囲んで守るような隊列を組むことになる。まるで隊商のようで見栄えはやや悪いが、兵士の数より武器の数が多いという特殊な参戦の仕方をするのでやむを得ないことだ。
「ノエイン様、そろそろ出発の準備が終わります」
兵士たちを監督していたペンスが、ノエインとユーリのもとに近づいて来てそう言う。
「分かった、お疲れ様……じゃあ、各々家族との挨拶を済ませておこう。ユーリもマイとヤコフのところに言ってくるといいよ」
「おう、すぐに戻る」
ユーリはそう言うと、妻と息子のもとへ歩いていった。
「それと、ペンスも言うべきことを言うべき相手に伝えてきた方がいいんじゃない?」
「げっ、ノエイン様まで知ってるんですか?」
「メイドたちがキャッキャウフフしながら話してると嫌でも聞こえてくるよ……あと、僕もキンバリーの言い分に賛成かな。ペンスはロゼッタに幸せにしてもらうべきだと思う」
「普通は逆でしょう、俺がロゼッタを幸せにしてやるのが道理でさあ」
「あ、自分でもそう思ってるんだ? じゃあ話は早いじゃない。そう伝えてきなよ」
「いや、そういう意味じゃ……ああもう、分かりましたよ!」
観念したように声を上げたペンスは、メアリーとキンバリーに寄り添われて遠巻きに自分を見ているロゼッタの方へと歩いていった。
「なあロゼッタ」
「……」
ペンスが声をかけても、ロゼッタは目をウルウルとさせて何も言わない。
「その、なんだ……こないだは悪かったよ。別にお前の、その、気持ちを馬鹿にしたわけじゃねえんだ」
「……私も、この前はごめんなさい」
素直に謝ったペンスに、ロゼッタもようやくぼそりと返した。
「それでよ……あれから考えたんだが、俺はお前にそれだけ好いてもらって、自分が幸せ者だと思ったよ。で、これからもお前に幸せに……いや、もちろん俺もお前をだな」
要領を得ない物言いではあるが、ペンスの言わんとするところが分かったロゼッタの顔がぱあっと明るくなる。
「ああ面倒くせえ。つまりだな、俺もお前のことが好きになった。だから戦争から帰ってきたら結婚してくれ」
「ペンスさん……ありがとうございます~! 私、嬉しいです~!」
ようやく男らしさを見せたペンスに、ロゼッタも即答した。さらに公衆の面前であるにも関わらず抱きつく。
それを見ていたメアリーは「うおお大胆っ!」と歓声を上げ、キンバリーは何故か感心したように腕を組んで頷き、周囲で見ていた人々も野次馬根性を発揮してニヤけた顔で見ている。
「ペンスおめえ……」
「大丈夫なんですか……? 戦争に行く前に結婚の約束なんて」
明るいムードの中で、心配するように言ったのは居残り組のラドレーとバートだ。元傭兵である彼らの中では、戦争に行く前に「帰ったら結婚」などとフラグを立てるのは非常に縁起が悪いとされている。
「ああ、しまった……だけどまあ、大丈夫だろ」
一瞬だけ不安げな表情を見せたペンスだが、自分にしがみついて嬉しそうな顔をするロゼッタを見ると苦笑しながらそう言った。
・・・・・
部下たちが家族や親しい者と出発前の挨拶を交わす傍らで、ノエインもマチルダとともにクラーラのもとに近づいた。
「あなた……」
「大丈夫だよクラーラ。僕はこれっぽっちも死ぬつもりはない」
夫が戦場に赴くのに不安を感じない妻はいない。クラーラもやはり心配そうな顔を見せたので、ノエインは優しく微笑みながらそう言葉をかけた。
「だけどひとつ、約束してほしい。もしも……もしも万が一のことがあったときは、君がこの領を守ってほしい。それが分かっていれば僕は不安も後悔も抱えずに済むから」
死ぬつもりがなくても死ぬ可能性があるのが戦場だ。ノエインは領主貴族の務めとして、クラーラにあえて言う。
クラーラはノエインの言葉を噛みしめるように短く目を瞑ると、真っすぐにノエインを見て笑顔を作った。
「はい。もしものときは私がこの領を、あなたが作り上げた領を守るとお約束します。だからどうか安心してください」
「ありがとう……強くなったね、クラーラ」
「ええ、私は貴族の妻ですから」
ノエインは正直クラーラが泣くのではないかと思ったが、彼女は少なくとも夫の前では涙の一滴も零さなかった。それだけの覚悟を決めているのだろう。
優しく、お互いの愛を確かめるようにノエインとクラーラはキスを交わす。
その後にはマチルダがクラーラと向き合い、お互いの手を取った。
「マチルダさん、どうか約束してください……何があっても、最後までノエイン様のお傍にいて差し上げて」
「もちろんです。私は必ずノエイン様に付き従います……クラーラ様もどうかお約束を。何があっても、この領とともに生きてください」
「ええ、神に誓って約束します」
例え死んでもノエインに付き従うと決意するマチルダと、ノエインのためにアールクヴィスト領とともに生きると決意するクラーラ。二人はそれぞれのかたちでノエインと共にある覚悟を決め、お互いの役目を確かめ合った。
「それじゃあ行ってくるよ」
「行ってまいります、クラーラ様」
「ノエイン様、マチルダさん、どうかご無事で」
その日、領主の妻であるクラーラに、残って領を守る従士たちに、そして領民たちに見送られて、アールクヴィスト領軍は領都ノエイナを出発した。
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