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第三章 社交と結婚

第79話 娘さんを僕に?②

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 婚約を前向きに考えると言ってしまった手前、その相手との顔合わせを拒否するのもおかしな話だ。

 なので、ノエインはそのまま話の流れで、アルノルドの末の娘と会うことになってしまった。

 アルノルドは一度退室し、すぐに2人の女性を伴って戻ってくる。

「アールクヴィスト卿、妻のエレオノールとは一度会ったことがあったな」

「はい。エレオノール様におかれましては、ますますのご清祥をお慶び申し上げます」

「お久しぶりですね、アールクヴィスト士爵閣下。ご機嫌麗しゅうございます」

 まずはアルノルドの妻であるエレオノール・ケーニッツ子爵夫人と挨拶を交わすノエイン。夫人は既に40歳を超えているはずだが、実年齢から10歳ほど若く歳を言われても違和感を感じないであろう美貌を持っている。

 彼女とは2年前、ノエインが初めてケーニッツ子爵家へと挨拶に訪れた際に会っていた。以降は仕事上の面会で当主のアルノルドとしか顔を合わせることがなかったので、こうして言葉を交わすのは久々だ。

「そして、こっちが私とエレオノールの四女、クラーラだ」

 そう言ってアルノルドが紹介したのは、ノエインよりやや背は高いものの、まだどこか少女のようなあどけなさも残した女性。

 穏やかで優しげな空気を纏ったその顔立ちは、父であるアルノルドの言葉通り、確かに美人と言って差し支えないほど整っていた。

 しかし、その表情はどこか不安げで頼りない。よく言えば奥ゆかしくおしとやかな雰囲気を纏っているともいえるが、そのおとなしさはどちらかというと、本人の自信のなさの表れにも見える。

「初めまして、クラーラ様。国王陛下よりケーニッツ子爵領の西に領地を賜っております、ノエイン・アールクヴィストと申します。本日こうしてお目にかかれましたこと、心より嬉しく存じます」

「……初めまして、クラーラ・ケーニッツと申します。アールクヴィスト閣下のご活躍は父アルノルドより日ごろから聞き及んでおります。お会いできて光栄です」

 そう口上を述べながら、クラーラはノエインを見て、その後ろに立つマチルダに目をやり――表情が少し暗くなった。一応は微笑みこそ保っているものの、どう見ても楽しそうには見えない。

 クラーラがノエインとマチルダを見て何を思ったかは一目瞭然だ。全然納得させてないじゃんか、と内心でアルノルドに毒づきつつも、ノエインもまた笑みを浮かべたままクラーラに向き合う。

「あらまあ、クラーラは緊張しているのかしら。きっとアールクヴィスト閣下の素敵な佇まいを見て照れてしまったのね」

「そんな、私などまだまだ貴族家当主としての貫禄も足りない若輩者です。クラーラ様をがっかりさせてしまったのかもしれません」

 空気の重さを察したのかエレオノール・ケーニッツ夫人が助け舟を出し、ノエインもそれに乗ることで、ようやく場の雰囲気は多少和やかになるのだった。

・・・・・

 その後、ケーニッツ子爵夫妻を交えたクラーラとの茶会は、特に盛り上がることもなく終わった。

 もともと予定していたことでもなく、ひとまずノエインとクラーラが顔を合わせることが目的の挨拶程度の茶会であったので、殊更に楽しげなものにならずとも問題はない。

 しかし、既にマチルダという恋人を持つノエインとの婚約をクラーラがあまり喜んでいないことは、お茶一杯を飲むわずかな時間でも容易に分かってしまった。

 先行きを思って気が沈みつつも、ノエインはクラーラとまた近いうちに交流の席を持つことを約束してケーニッツ子爵家の屋敷を出る。

「お待たせ、ヘンリク。予定より時間がかかってごめんね」

「んや、貴族様はきっと色んな話があって大変なんだで。おらに謝ることなんてねえですだよ」

 屋敷の前に停められたアールクヴィスト士爵家の専用馬車に近づきながら、ノエインは御者を務める青年ヘンリクに声をかけた。

 従士のバートにいつまでも馬車の御者をさせるわけにはいかないと、この春からノエインが新たに雇い入れたのがこのヘンリクだ。アールクヴィスト領への移住者の一人で、もとは自作農の次男坊で馬の扱いに長けていた彼は、ノエインが保有する馬の世話や馬車の御者を務めている。

「ありがとう。今日はもうレトヴィクへの用事はないから、まっすぐ領都ノエイナに向かって」

「分かりましただ」

 ヘンリクに伝え、馬車の中にマチルダと共に乗り込んだノエインは、ようやく一息つく。

「はあ……あのクラーラって子、分かりやすくこの婚約に乗り気じゃないね」

「そうですね。クラーラ様はやはり私のことを気にしておられるようでした……敵意を向けられている感覚はありませんでしたが」

「そうだね、彼女は……僕とマチルダのことが気にくわないというよりは、この婚約を結ばされる自分の境遇を諦めてるような感じだったね。政略結婚に身を捧げることを悪い意味で受け入れきってるというか」

 クラーラは、獣人奴隷であるマチルダの存在そのものには嫌悪感を抱いていない様子だった。

 ということは、ノエインやマチルダがクラーラとそれぞれ適度な距離感を見つければ、今後もお互いを嫌うことなく、それなりに仲良く過ごすことは十分に可能だということだ。

 とはいえ、あれほどネガティブな空気を纏われてしまうと、接するこちらも気が重くなってしまう。どのように打ち解けて、明るい顔をしてもらえるようにするかが今後の課題だろう。

「……それにしても、いきなり僕の婚約なんて、マチルダには嫌な話を聞かせてしまったね、ごめん」

「ノエイン様が謝られることはありません。いつかはこうした話がノエイン様に舞い込むと、私も理解していましたから」

 表情を崩して微笑みを向けてくるマチルダを見て、ノエインの罪悪感はむしろ大きくなった。

 ノエインは領主貴族だ。身分に見合う相手を妻として迎え、世継ぎを持たなければならない。それは領地の安寧を保ち、領民たちの幸せを守るためのノエインの義務だ。

 社会的に根強い差別感情を持たれ、そもそも普人のノエインと子を成せない獣人のマチルダは、ノエインのそんな義務を果たす公のパートナーにはなれない。

 それでも、ノエインが妻を迎えるという話が、長年ノエインの寵愛を独占してきたマチルダにとって面白いはずがない。

「……僕がクソ父上から爵位なんて押し付けられなければ」

「どうかそのようなことを仰らないでください。ノエイン様は領主として多くの民を救い、幸福にしているのですから。それに、私はノエイン様のお傍に置いていただけるだけでこれ以上ないほど満たされています」

「……ごめんね。これからもそう言ってもらえるように頑張るからね」

 マチルダが精いっぱいの言葉をかけても、ノエインの表情は暗い。

 そこでマチルダは気づいた。ノエインが婚約の件をこれほど気に病んでいるのは、他ならぬノエインが結婚を、結婚によって生じる変化を恐れているからだと。

 妻としてクラーラがノエインの隣に立つようになり、そのせいでマチルダとの関係が変わってしまうのではないかと思うとノエインは怖いのだ。

 そのせいでいつかマチルダの心がノエインから離れて、奴隷としての義務感だけでノエインに従うようになるのではないかと不安なのだ。

 だからこそ、「これからもそう言ってもらえるように頑張る」などとノエインは口にするのだ。これほど心細そうな顔で。

「……ではノエイン様。畏れながら、私の希望を申し上げてもよろしいでしょうか?」

「希望……うん、聞かせてほしいな」

 マチルダはノエインの正面から隣へと移動して、彼に体を寄せる。

「この先、ノエイン様がクラーラ様を妻に迎えられた後も、どうか私を特別な奴隷としてお傍に置いてください。身も心も全てをノエイン様に捧げる唯一無二の存在として受け入れるとお約束ください。他の誰とも違う、生涯変わらない、私だけの立ち位置が欲しいのです。それがあれば、私は永遠にノエイン様を愛することができます」

 今ノエインが欲しいのは「こうすればマチルダは生涯ノエインを愛し続ける」という条件付きの約束だ。

 何もしなくても無条件にマチルダに愛される……という受動的な関係ではなく、「自分がこの約束を守り続ければマチルダに愛し続けてもらえる」という安心をノエインは求めているのだ。

 何があろうとマチルダがノエインに全てを捧げることに変わりはないし、それをノエインも頭では理解しているはずだが、それでもノエインは、今だけは、マチルダの愛に掴みどころを欲している。

 だからマチルダは、自分から条件を求めるようなことを言った。それがたとえ本来必要のないことでも、ノエインがそれで安心できるのならと。

「……分かった。マチルダは妻とも部下とも領民とも違う、僕にとって唯一無二の特別な存在だ。それは一生変わらない。僕はマチルダを永遠に愛するよ。だから僕の傍にずっといて、僕のことを好きでいて……お願いだよ」

「もちろんですノエイン様。これは何があっても変わらない、私たち2人だけの誓いです」

 不安そうな顔で縋るように言うノエインを強く抱き締めながら、マチルダは言った。
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