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第三章 社交と結婚

第71話 晩餐会④

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 明日にも各貴族と契約を交わして代金を受け取り、アールクヴィスト領に帰り次第、各領に数挺ずつクロスボウを送る……と約束し、ようやく貴族たちの質問攻めから解放されたノエインは言った。

「皆様、実は本日私が持ち込んだ手土産はクロスボウだけではありません。もうひとつ紹介させていただきたいものがあります」

 これもクロスボウの件と同じくあらかじめ話を通していたことなので、ベヒトルスハイム侯爵もアルノルドも驚かない。

 しかし、ノエインの周りに集まっていた貴族たちは、次はどんなものを見られるのかと色めき立った。

「ご覧に入れましょう。こちらはクロスボウと比べるとささやかなものになりますが……我が領で栽培している珍しい作物を使った料理です」

 そう言いながらノエインが合図し、それを受けてロゼッタが大きなトレーを抱えて入室してきた。

 トレーの中に入っているのは、ジャガイモを薄く切り、油で揚げて塩をまぶした料理だ。

 これを手土産として披露するために、メイドの中で最も料理上手のロゼッタが今回の旅に同行し、調理も手がけていた。

「これは南方大陸で広く知られているジャガイモと呼ばれる作物を、油で揚げたものです。ジャガイモは調理方法によっては主食にもなる作物ですが、この食べ方はワインのつまみなどに向いているでしょう」

 ジャガイモを見た貴族たちのリアクションは、クロスボウのときよりは小さい。

 しかし、既にノエインのことを派閥の一員として受け入れていた彼らは、ノエインが振る舞う珍しい一品を口に入れ、「ほう、面白い食感だ」「確かに酒と合うな」と好意的な反応を示した。

「味や珍しさはもちろんですが、ジャガイモの利点は他にあります。これはとある国では『救国の作物』と呼ばれていて、食料供給の面で大きな利点を持っているのです」

 ノエインは貴族たちに、ジャガイモのメリットを説く。

 麦よりも簡単に育て増やすことができ、農地面積に対して収穫できる量も多く、食べるまでの加工の手間も少なく、日持ちして、栄養価も高い。それらの情報を、具体的な数字とともに麦と比較しながら解説する。

 それは食糧事情の安定に日ごろから苦心している領主貴族たちにとって、非常に都合のいい話だった。

 ジャガイモは有用な作物ではあるが、それまで知られていなかったものを社会に普及させるのは難しい。それが口に入れるものなら尚更だ。

 なのでノエインは、クロスボウによって貴族たちの好印象を得たこの機会を利用し、彼らにジャガイモという存在を一気に認知させようと試みたのだった。

「麦とは別にこれを栽培させれば、飢饉への備えになるか……」

「貧民に食わせる作物としても丁度いいのではないか?」

 ノエインからジャガイモの利点を聞いた貴族たちは、ボソボソと活用方法を話し始める。

 そんな中で、貴族たちをかき分けてノエインのもとに近づいてきたのは意外な人物だった。

「……アールクヴィスト卿、このジャガイモとやらはすぐに買わせてもらえるのかね? それと、詳しい栽培方法も確立されているのなら是非聞きたい」

「喜んでお売りさせていただきます、マルツェル閣下。栽培方法もある程度は研究していますので、効率のいい育て方もお教えできるかと」

「そうか……感謝する。後ほど具体的な話をさせてもらいたい」

 ノエインを気に食わない様子で見ていたマルツェル伯爵が、やや無愛想ではあるが「感謝する」などと口にしたことに周囲の貴族たちが驚いている中で、マルツェル伯爵は再びベヒトルスハイム侯爵たちの傍に戻る。

「お前が食いつくとは意外だったな、エドムント。そんなにあの料理の味が気に入ったか?」

「ご冗談を。閣下もジャガイモの特徴を聞いて、その価値にお気づきになっているでしょうに……あれは軍需物資としてとてつもない価値を持っていますよ」

 からかうような口調のベヒトルスハイム侯爵に、マルツェル伯爵は面白くなさそうな顔で返す。ノエインの持ち込んだジャガイモの有用性を、渋々ではあるが全面的に認めたかたちだ。

「確かに、あの作物があれば食糧事情は現在と比較にならないほど安定するでしょうな……あれが普及すれば最終的に、北西部閥は軍事的にも経済的にも飛躍を遂げるでしょう」

「その通りだ。あのジャガイモがあれば農業人口を減らし、人口あたりの職業軍人の数を増やすことができる。一見地味だが、あれはクロスボウにも匹敵する手土産だぞ」

 シュヴァロフ伯爵がまた会話に加わって自身の考えを述べると、マルツェル伯爵も首肯する。

 食料の安定は社会の安定に直結し、安定した社会は強固な軍事力の基盤となる。それを理解しているからこそ、マルツェル伯爵はノエインへの個人的な感情を無視してでもジャガイモに食いついたのだった。

 一方のノエインも、マルツェル伯爵がおそらくそこまで考えた上で先ほどの質問をしてきたのだろうと考えていた。

(ただの頑固おじさんってわけじゃないみたいだな……)

 一見すると典型的な保守派に見えたマルツェル伯爵の柔軟な考え方を垣間見て、心の中で彼への評価を大幅に上方修正する。

 マルツェル伯爵の反応を見て、他の貴族たちもこのジャガイモが思っていたより大きな価値を持つものだと考えたらしく、再びノエインを囲んで交渉に入る。

 ノエインは迷うことなく、クロスボウとともにジャガイモとその栽培マニュアルを届ける約束を交わした。

 北西部の、延いては王国全体の食糧生産を安定させれば、治安が改善し、社会が発展し、それは巡り巡ってアールクヴィスト領の安寧に繋がる。

 そこまでを考えたノエインの改革計画は、こうして第一歩を踏み出した。

・・・・・

 晩餐会を終えて宿に戻ったノエインは、同じく宿に戻ったアルノルドと反省会がてらに軽く飲み交わしていた。

「貴殿なら初めての社交の場でも失敗することはないだろうと思っていたが……無難に乗り切るどころか、簡単に北西部閥の貴族たちの心を掴んでしまったな」

 アルノルドはため息をつきながら、もはや驚くこと自体を放棄したように言う。

 ノエインは士爵という最下級の爵位持ちでありながら、大きな貴族閥の中で、たった一回の晩餐会で確固たる立ち位置を獲得してしまったのだ。

 アルノルドからすれば、貴族家当主として一定の評価を得るために地道に努力してきた自分の苦労が馬鹿らしく思える。「お前はそんな簡単に評価されてずるい」と言いたくなる話だ。

「2つの手土産が思いのほか上手く効きましたね……ですが、私が高い評価を得たということは、私を紹介したケーニッツ閣下の評価も大きく高まったのでは? 両者得をした結果じゃないですか」

「それは確かにそうだが……ただ貴殿が偶然に隣人となったことを自分の成果として誇るようになっては私は終わりだよ」

 アルノルドにも領主としてのプライドがあるので、「俺の知り合いは凄い奴だ」と自分のことのように自慢するほど図々しくはなれなかった。

「ところで、明日にはまた北西部閥の貴族たちと会ってクロスボウとジャガイモの売買契約を交わすのだろう? せっかく北西部でも随一の大都会を訪れたのに、仕事ばかりで大変だな」

「ええ、一日でいくつ署名をするのかと思うと今から少し気が滅入りますが……これも北西部の発展のためですから」

「ふっ、献身的なことだな」

 ノエインの言葉に、アルノルドは皮肉を返した。

 ノエインがこの王国北西部の発展や、派閥の強靭化を願っているのは間違いないが、それは義務感でも使命感でもなく「その方がアールクヴィスト領も得をするから」という極めて自分本位の理由からだ。

 ノエインが領地を賜ったのが王国北西部で本当によかったと、アルノルドは内心で安堵した。
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