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第二章 急発展と防衛戦
第42話 恩の回収
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「アールクヴィスト士爵閣下、本日はようこそお越しくださいました」
「商会長自らお出迎えいただきありがとうございます、ベネディクトさん」
「当商会はアールクヴィスト閣下から大きな取引のご契約をいただいておりますれば、できる限りの歓待をさせていただくのは当然のことでございます」
ベネディクトの言う「できる限りの歓待」は、ノエインの前に出されたお茶にも表れている。これはおそらく王国内でも最高級の茶葉を使っている、とノエインは一口飲んで思う。
出されるお茶のランクが変わったとノエインが気づいたのは、ラピスラズリ原石の卸売り契約を結んでからだ。
それまで出されていたお茶も十分な高級品であったが、あの契約を交わしてからはそれよりもさらに高いものになっているのがお茶好きのノエインには分かった。これはマイルズ商会がノエインを最上級のもてなしで迎えるべき相手だと考えている証左だろう。
それだけ歓待されれば、当然悪い気はしない。ノエインは内心でそう考えながら今日の訪問の理由を切り出した。
「取り寄せをお願いしていた品が届いたとご連絡をいただいたので、受け取りに参りました。とても楽しみだったもので、つい待ちきれず先触れもお送りせずに来てしまって……子どもじみた理由での急なご訪問をお許しください」
新たな試みのために、ノエインは冬が明けてすぐに、ある品の取り寄せをマイルズ商会に依頼していた。
ロードベルク王国ではほとんど知られていない珍品だけに時間も金もかかったが、依頼からおよそ2か月を経てようやく手に入ったと知らせが届いたのだ。
貴族であり上客であるノエインが来るとなれば、マイルズ商会の側にも出迎えの心構えが要る。そのため本来は訪問の少し前に先触れを送るべきところを、待ちに待った知らせを受けてアポなしで来店してしまったのだった。
「いえいえ。私どもこそ、ご依頼いただいた品物の取り寄せにお時間をいただき申し訳なく存じます」
好青年ぶった笑顔で謝罪したノエインに、ベネディクトもへりくだってそう返す。
「それにしても、いつもの従士の方ではなく閣下自らこうしてお越しいただけるとは殊更に光栄に思います」
「今回の依頼でベネディクトさんには大きなご負担をおかけしたかと思いますので、私から直接お礼を伝えさせていただこうかと」
「いえ、そんなことは……まあ、確かに商人として大変やりがいを感じる仕事ではありましたが」
少し苦笑して、遠まわしに難しい依頼だったと語るベネディクト。ノエインも彼に苦労をかけたのは承知の上なので「あらためて感謝申し上げます」と礼を重ねる。
「早速ですが、品の方を見せていただいても?」
「はい。ご案内しましょう」
そう言ったベネディクトに案内され、ノエインは応接室から商会の倉庫へと場所を移す。
そこにあったのは、ちょっとした浴槽ほどもある巨大な桶に敷き詰められた、大量の土だった。土からは植物が生え、豆らしきものが実っている。
「これがそうですか」
「はい。大陸の東方より取り寄せた『大豆』でございます」
「わざわざ生きた状態で、土ごと輸送するのはさぞ大変だったでしょう……本当に苦労をおかけしました」
「いえいえ、これも閣下からいただいているご恩にお応えするためですので」
今年、ノエインが新たに取り組むと決めた実験のひとつが、この大豆をアールクヴィスト士爵領の新たな商品作物として栽培することだった。
大豆はその名の通りマメ科の作物であるが、ロードベルク王国をはじめとした大陸南部ではほぼ知られていない。本来は大陸の東部が原産のものだ。
ノエインが子ども時代に読んだ書物の中には大陸東方について記した資料や冒険記などもあり、その情報をもとに、大豆を新たな試みのもとにすると決めたのだった。
「さて、無事に大豆を取り寄せていただいたら、これを何に使うのかお教えする約束でしたね」
「はい、もし差し支えなければ、私のような無学な商売人にも閣下のお考えをご教示いただけますと幸いです」
「もちろん約束は守ります……実はですね、この大豆から油を作ろうと考えていまして」
「油……でございますか? 作れるのですか?」
「はい。私が過去に読んだ書物では、大豆を砕いて絞ることで油が抽出できるとありました」
ロードベルク王国の南部ではオリーブなどから油が作られているが、王国北部では気候の関係でオリーブの栽培が難しい。
必然的に動物や魔物の獣脂を利用することになるが、こうした油は腐敗しやすいし、獣脂から作った蝋燭は臭いがきつい。
そんな中で、寒さや乾燥に強い大豆を栽培して植物性の油を作れるようになれば、それはアールクヴィスト領の特産品になるだろう。
「もし大豆油の商品化に成功したら、その多くはマイルズ商会に卸させていただきたいと考えています。あなた方にとってもいい商売になるかと思いますよ」
領内で油を生産して輸出できるようになれば、その広域的な販売・流通はどうせマイルズ商会を頼ることになる。だからこそノエインはベネディクトに大豆を取り寄せた理由をばらし、「黙って待っていれば大豆油の流通で儲けさせてやる」と暗に伝えたのだ。
「それはそれは……私どもとしては喜ばしいお話でございます。ますます閣下には頭が上がらなくなります」
「ははは、そのときはまた是非こちらのお願いを聞いてもらえると嬉しいです」
「当商会でよろしければ、他ならぬアールクヴィスト閣下のためにも微力を尽くさせていただきます」
・・・・・
品を確認した後は、応接室に戻って支払いの手続きだ。
「取り寄せた大豆の販売額ですが、品物自体の額は事前の契約通り、大豆と土を合わせて1万レブロになります。そして輸送費ですが……諸々併せて7万6000レブロとなりました」
ベネディクトの提示した金額に、ノエインは驚いた風でもなく「分かりました。どうぞご確認を」とあらかじめ用意しておいた貨幣を出す。
今回の大豆の取り寄せには、相当な手間がかかっている。
せいぜい王国北部の東端までしか手が届かないマイルズ商会から国外の輸送網を持つ他の大商会に仲介してもらい、紛争によって商人の行き来も不自由な東のパラス皇国を超え、さらにその東隣の国から大豆を届けさせたのだ。
おまけに大豆はそれ自体だけでなく、大豆が根を張った土ごと持ってきて栽培しなければならないという。なのでわざわざ大豆が生きた状態で運ばせたのだった。
いわば小さな畑を丸ごと輸送させたようなものだ。これほどまでに費用がかさんだのも無理のないことである。
「……確かに、確認いたしました」
商品価格と輸送費を合わせて金貨8枚、大銀貨6枚という大金の確認が終わり、取引は無事に終了する。
「それでベネディクトさん、早速なんですが、次のお願いをさせていただいても?」
「は、はい……閣下のご依頼とあらば、喜んでお聞きいたします」
そう言いつつも、若干引きつった笑顔を浮かべるベネディクト。
マイルズ商会はラピスラズリ原石の契約で相当に儲けさせてもらっている。ノエインには多大な恩があるし、その恩は現在進行形で毎月膨らんでいるのだ。
なので、ノエインの依頼とあらば簡単には断れない。しかしそれでも大変なものは大変だ。事実、ベネディクトが自身の伝手をフル活用して行った大豆の取り寄せは、相当な苦労があった。
次は一体どんな厄介な頼みごとを言われるのだろうかと身構えずにはいられない。
「実は、信頼できる奴隷商会を紹介していただけないかと思いまして……うちの領では労働力が不足気味なので、奴隷のまとまった購入を考えているんです」
思っていたよりも遥かに軽い「お願い」の内容を聞いて、内心でホッと一息つくベネディクト。
「かしこまりました。ケーニッツ子爵領でも最も大手で、確かな実績のある奴隷商会をご紹介させていただきます」
「ありがとうございます。助かります」
公衆浴場や水車小屋などの管理すべき施設が増え、人口増加によって経済規模も大きくなったアールクヴィスト領は、再び人材不足に陥っていた。
また、忙しくてなかなか農地管理まで手が回らない従士たちや、増え続ける移民のために家屋建設を続ける大工のドミトリなども、新たな労働力を求めている。
そのため、ノエインは奴隷のまとまった購入を決断したのである。マイルズ商会に仲介してもらえると決まって一安心だった。
「商会長自らお出迎えいただきありがとうございます、ベネディクトさん」
「当商会はアールクヴィスト閣下から大きな取引のご契約をいただいておりますれば、できる限りの歓待をさせていただくのは当然のことでございます」
ベネディクトの言う「できる限りの歓待」は、ノエインの前に出されたお茶にも表れている。これはおそらく王国内でも最高級の茶葉を使っている、とノエインは一口飲んで思う。
出されるお茶のランクが変わったとノエインが気づいたのは、ラピスラズリ原石の卸売り契約を結んでからだ。
それまで出されていたお茶も十分な高級品であったが、あの契約を交わしてからはそれよりもさらに高いものになっているのがお茶好きのノエインには分かった。これはマイルズ商会がノエインを最上級のもてなしで迎えるべき相手だと考えている証左だろう。
それだけ歓待されれば、当然悪い気はしない。ノエインは内心でそう考えながら今日の訪問の理由を切り出した。
「取り寄せをお願いしていた品が届いたとご連絡をいただいたので、受け取りに参りました。とても楽しみだったもので、つい待ちきれず先触れもお送りせずに来てしまって……子どもじみた理由での急なご訪問をお許しください」
新たな試みのために、ノエインは冬が明けてすぐに、ある品の取り寄せをマイルズ商会に依頼していた。
ロードベルク王国ではほとんど知られていない珍品だけに時間も金もかかったが、依頼からおよそ2か月を経てようやく手に入ったと知らせが届いたのだ。
貴族であり上客であるノエインが来るとなれば、マイルズ商会の側にも出迎えの心構えが要る。そのため本来は訪問の少し前に先触れを送るべきところを、待ちに待った知らせを受けてアポなしで来店してしまったのだった。
「いえいえ。私どもこそ、ご依頼いただいた品物の取り寄せにお時間をいただき申し訳なく存じます」
好青年ぶった笑顔で謝罪したノエインに、ベネディクトもへりくだってそう返す。
「それにしても、いつもの従士の方ではなく閣下自らこうしてお越しいただけるとは殊更に光栄に思います」
「今回の依頼でベネディクトさんには大きなご負担をおかけしたかと思いますので、私から直接お礼を伝えさせていただこうかと」
「いえ、そんなことは……まあ、確かに商人として大変やりがいを感じる仕事ではありましたが」
少し苦笑して、遠まわしに難しい依頼だったと語るベネディクト。ノエインも彼に苦労をかけたのは承知の上なので「あらためて感謝申し上げます」と礼を重ねる。
「早速ですが、品の方を見せていただいても?」
「はい。ご案内しましょう」
そう言ったベネディクトに案内され、ノエインは応接室から商会の倉庫へと場所を移す。
そこにあったのは、ちょっとした浴槽ほどもある巨大な桶に敷き詰められた、大量の土だった。土からは植物が生え、豆らしきものが実っている。
「これがそうですか」
「はい。大陸の東方より取り寄せた『大豆』でございます」
「わざわざ生きた状態で、土ごと輸送するのはさぞ大変だったでしょう……本当に苦労をおかけしました」
「いえいえ、これも閣下からいただいているご恩にお応えするためですので」
今年、ノエインが新たに取り組むと決めた実験のひとつが、この大豆をアールクヴィスト士爵領の新たな商品作物として栽培することだった。
大豆はその名の通りマメ科の作物であるが、ロードベルク王国をはじめとした大陸南部ではほぼ知られていない。本来は大陸の東部が原産のものだ。
ノエインが子ども時代に読んだ書物の中には大陸東方について記した資料や冒険記などもあり、その情報をもとに、大豆を新たな試みのもとにすると決めたのだった。
「さて、無事に大豆を取り寄せていただいたら、これを何に使うのかお教えする約束でしたね」
「はい、もし差し支えなければ、私のような無学な商売人にも閣下のお考えをご教示いただけますと幸いです」
「もちろん約束は守ります……実はですね、この大豆から油を作ろうと考えていまして」
「油……でございますか? 作れるのですか?」
「はい。私が過去に読んだ書物では、大豆を砕いて絞ることで油が抽出できるとありました」
ロードベルク王国の南部ではオリーブなどから油が作られているが、王国北部では気候の関係でオリーブの栽培が難しい。
必然的に動物や魔物の獣脂を利用することになるが、こうした油は腐敗しやすいし、獣脂から作った蝋燭は臭いがきつい。
そんな中で、寒さや乾燥に強い大豆を栽培して植物性の油を作れるようになれば、それはアールクヴィスト領の特産品になるだろう。
「もし大豆油の商品化に成功したら、その多くはマイルズ商会に卸させていただきたいと考えています。あなた方にとってもいい商売になるかと思いますよ」
領内で油を生産して輸出できるようになれば、その広域的な販売・流通はどうせマイルズ商会を頼ることになる。だからこそノエインはベネディクトに大豆を取り寄せた理由をばらし、「黙って待っていれば大豆油の流通で儲けさせてやる」と暗に伝えたのだ。
「それはそれは……私どもとしては喜ばしいお話でございます。ますます閣下には頭が上がらなくなります」
「ははは、そのときはまた是非こちらのお願いを聞いてもらえると嬉しいです」
「当商会でよろしければ、他ならぬアールクヴィスト閣下のためにも微力を尽くさせていただきます」
・・・・・
品を確認した後は、応接室に戻って支払いの手続きだ。
「取り寄せた大豆の販売額ですが、品物自体の額は事前の契約通り、大豆と土を合わせて1万レブロになります。そして輸送費ですが……諸々併せて7万6000レブロとなりました」
ベネディクトの提示した金額に、ノエインは驚いた風でもなく「分かりました。どうぞご確認を」とあらかじめ用意しておいた貨幣を出す。
今回の大豆の取り寄せには、相当な手間がかかっている。
せいぜい王国北部の東端までしか手が届かないマイルズ商会から国外の輸送網を持つ他の大商会に仲介してもらい、紛争によって商人の行き来も不自由な東のパラス皇国を超え、さらにその東隣の国から大豆を届けさせたのだ。
おまけに大豆はそれ自体だけでなく、大豆が根を張った土ごと持ってきて栽培しなければならないという。なのでわざわざ大豆が生きた状態で運ばせたのだった。
いわば小さな畑を丸ごと輸送させたようなものだ。これほどまでに費用がかさんだのも無理のないことである。
「……確かに、確認いたしました」
商品価格と輸送費を合わせて金貨8枚、大銀貨6枚という大金の確認が終わり、取引は無事に終了する。
「それでベネディクトさん、早速なんですが、次のお願いをさせていただいても?」
「は、はい……閣下のご依頼とあらば、喜んでお聞きいたします」
そう言いつつも、若干引きつった笑顔を浮かべるベネディクト。
マイルズ商会はラピスラズリ原石の契約で相当に儲けさせてもらっている。ノエインには多大な恩があるし、その恩は現在進行形で毎月膨らんでいるのだ。
なので、ノエインの依頼とあらば簡単には断れない。しかしそれでも大変なものは大変だ。事実、ベネディクトが自身の伝手をフル活用して行った大豆の取り寄せは、相当な苦労があった。
次は一体どんな厄介な頼みごとを言われるのだろうかと身構えずにはいられない。
「実は、信頼できる奴隷商会を紹介していただけないかと思いまして……うちの領では労働力が不足気味なので、奴隷のまとまった購入を考えているんです」
思っていたよりも遥かに軽い「お願い」の内容を聞いて、内心でホッと一息つくベネディクト。
「かしこまりました。ケーニッツ子爵領でも最も大手で、確かな実績のある奴隷商会をご紹介させていただきます」
「ありがとうございます。助かります」
公衆浴場や水車小屋などの管理すべき施設が増え、人口増加によって経済規模も大きくなったアールクヴィスト領は、再び人材不足に陥っていた。
また、忙しくてなかなか農地管理まで手が回らない従士たちや、増え続ける移民のために家屋建設を続ける大工のドミトリなども、新たな労働力を求めている。
そのため、ノエインは奴隷のまとまった購入を決断したのである。マイルズ商会に仲介してもらえると決まって一安心だった。
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