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第二章 急発展と防衛戦
第39話 領民と逆賊②
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「……今回ばかりは言い逃れできないと分かっているね、ベンデラ」
「ちっ。誰にも見られてねえと思ったのによお」
ペンスの案内を受けて、事件現場――ベンデラの家を訪れたノエインは、この期に及んでもふて腐れた表情を崩さない彼を冷たい目で見下ろす。
時刻は昼下がり。ほとんどの領民が農地に出ていて、市街地に人の少なくなる時間帯だ。
そんな時間にベンデラは、家事のために井戸で水を汲んで家に帰ろうとしていた少女を農具の鎌で脅し、自分の家に引きずり込んだらしい。
まだベンデラを警戒して見張っていたペンスがまさにその瞬間を目撃し、ただちに家に踏み込んでベンデラを捕らえたそうだ。幸い被害者の少女には何事もなかった。
「だけど今回も未遂ですぜ? 今度は鞭打ちですかい? いや指の切断ってところかい?」
罰を恐れるでもなく軽薄な笑みを浮かべるベンデラに、ノエインは静かに言い放った。
「いや、君は追放刑だ。領都ノエイナから、アールクヴィスト領から出ていってもらう」
「……ちっ。そうですかい」
こうなったらノエインも、ベンデラの存在自体を排除したい。しかし婦女暴行の未遂でいきなり極刑を課してしまえば、やはり領主の独断で王国の一般法から大きく逸脱した裁きを下す前例を作ることになる。
なので、身体刑を下すのではなく、領主なら誰もが持つ権利――領内に著しい害をもたらす者を追放する権利を行使することにしたのだ。
この刑もよほどのことがなければ下されるものではないが、今回はその「よほどのこと」に該当するだろう。
・・・・・
「これより、領民ベンデラの追放を行う。今からアールクヴィスト士爵領の外までベンデラを連行し、追放する。以降ベンデラがアールクヴィスト士爵領に入った場合、領主である僕の名のもとに……殺すことを許可する」
翌日の朝、ノエインは再び広場に領民たちを集めてそう宣言した。
領民たちのベンデラを見る目は厳しい。憎しみに満ちていると言ってもいい。領内の大切な仲間を傷つけようとしたのだから当然だった。
「けっ」
縄で腕を縛られたベンデラが地面に唾を吐き捨てた。その振る舞いを見て、被害者少女の父親が掴みかからんばかりの怒りを表す。それを周囲の領民たちが宥め抑えた。
ベンデラを縛る縄をゴーレムに握らせたノエインは、そのままベンデラを引っ立てる。この領で初めての追放刑ということもあり、領主自ら執行することにしたのだ。
ゴーレムにベンデラを引っ張らせ、護衛としてペンスを連れて、ノエインはアールクヴィスト領の外へと続く街道を進んでいく。マチルダはベンデラに会わせることさえ嫌だったので「ペンスとゴーレムがいれば護衛は十分だから」と半ば強引に留守番させた。
「男も女も独身が余ってんだからよお、いつ誰に手を出そうが自由じゃねえか」
「せっかく楽に暮らせる場所を見つけたのによお、獣人奴隷好きの変態領主の機嫌を損ねたせいでまた放浪生活かよ」
道中のベンデラの言動は、聞くに堪えないものだった。どうせ追放されるからと言いたい放題だ。
しかし、ノエインは心を無にしてそれを聞き流す。追放刑と自分で決めたのだから、最後まで執行するべきだ。それに早くこいつを追い出して平和な日常に戻りたい。
「けっ。こんだけ言われて怒りもしねえのかよ気持ち悪ぃ。いいよ、追放されたらこの領のことを外にし~っかり伝えてやるよ。変態領主が独裁やってるクソみてえな領だとよ」
ベンデラがそう言うと、ノエインの表情が初めて動いた。しかしゴーレムに引っ張られながら前を歩くベンデラは、それに気づかないまま喋り続ける。
「いい奴ぶった領主が、実は裏で領民たちを虐めてるって言いふらしてやるよ。それに従士も男の領民もクズばっかりで、女の領民はみんな家畜みてえな扱いを受けてます~ってな」
「……ちょっと止まろう」
ノエインはペンスにそう言い、自身もゴーレムとともに立ち止まる。
「おっ? ついに怒ったか?」
ベンデラは振り返り、そこで初めてノエインの表情を見てゾッとしたような顔になった。
ノエインの後ろにいるペンスは、あえてノエインの表情を見ないようにして問う。
「どうしますか?」
「処分だ。仕方ない」
「……了解でさあ」
・・・・・
ノエインは街道から外れて森の中に入る。ベンデラを引っ張るゴーレムと、護衛のペンスも彼に続く。
街道から見えないところまで来ると、ゴーレムがベンデラを引き倒し、その身柄を押さえつけた。
「お、おい待てよ。追放刑だろ? 処刑じゃねえんだろ?」
「そうだよ、追放刑だ。『ベンデラはちゃんと追放した』と僕が言えば、君がその後どうなったかはどうせ領民たちには分からないよね?」
焦った表情のベンデラに、ノエインは冷たい声でそう返す。
「……僕は本当に君を追放で済ませるつもりだったんだよ。だけど領外で嘘をばら撒いて、追放後も僕や領民たちに害を与えるなら別だ。僕は領地を、領民たちを守らないといけないんだよ。物理的な敵だけじゃなく、悪質な風評からもね」
「わ、分かった。さっきのは冗談だよ。外で悪口なんて言わねえよ」
「なんでそれを信用してもらえると思うの? これまでの君の言動に信用できる要素が少しでもあったかな? ねえペンス?」
「いえ、こいつは一片たりとも信用できませんね」
ノエインが振り返ると、ペンスはそう同意を示した。怖いのでノエインの顔はあまり見ないようにして。
「おい、おいおい、待ってくれよ。あんた領主様だろ?自分で決めた刑罰を捻じ曲げていいのかよ?」
「領民を守るためなら、ちょっと自分の手を汚すくらい何てことないよ」
そうノエインが言うと同時に、ゴーレムの1体がその大きな両手でベンデラの頭を包むように持つ。
「いや待てって。じゃねえ、待ってください。お願いです、俺が悪かったです!」
「じゃあね、逆賊さん」
「死にたくねえ! 許してください! 許しゴギャアッ」
・・・・・
頭のない死体を横目に、ノエインは盛大に胃の中のものを吐き出していた。
「うげええ……はあ、やっと収まった」
「大丈夫ですか? わざわざノエイン様がやらなくても、俺がこいつを処分してもよかったんですよ?」
ペンスがそう声をかけると、ノエインは顔を上げてやや疲れた笑顔を見せた。
「そういうわけにもいかないよ。自分の裁きを捻じ曲げてでも口封じの暗殺まがいのことをするって決めたんだ。こういうことをするなら、汚すのは自分の手であるべきだよ。少なくとも最初の一回くらいはね」
そう思っての行為だったが、いざ実行した後のショックは凄まじいものがあった。ベンデラを処分した数分後、ノエインは「人を殺した」という実感に急に襲われて嘔吐してしまったのだ。
「さすがに初めて人間の命を奪うのは堪えたね。しかもこんなかたちで。とんだ童貞卒業になったよ」
「ははは、違いねえ。誰でも最初はそうやって衝撃を受けるもんでさあ」
おどけたようなノエインの言い方にペンスも笑う。人生初の殺しを「童貞を捨てる」と例えるのは、傭兵の間でも知られたジョークだったのを思い出した。
「……僕は領民たちに十分以上の愛を示してきたつもりなのにな。どうしてこんなことになったんだろう」
「どんな時代でもこういう救いようのない奴はいるもんです。ノエイン様は何も悪くありませんよ」
一瞬だけ悲しげな表情を見せて、ノエインはふうっと息を吐いた。
「そう思って割り切るしかないか……この死体は埋めなくていいかな?」
「ほっといても魔物や動物がきれいに片づけてくれますよ。むしろ下手に埋めて、いつかここまで開拓の手を広げたときに掘り返しでもしたら面倒でさあ」
「それもそうだね。じゃあ帰ろうか」
「はい、帰りましょう」
血で汚れたゴーレムの手を土で拭い、水筒の水で洗うと、ノエインはペンスとともに領都ノエイナへと帰った。
・・・・・
領民たちには「ベンデラは無事に追放した」と伝え、屋敷へ帰宅した後。メイドたちに聞かれないようにとマチルダを寝室に呼んだノエインは、本当のことを彼女に話した。
「……ノエイン様だけにそのような負担を強いて申し訳ございません。できることなら私がその役目を変わって差し上げたかったです」
ノエインの話を聞いたマチルダは、そう言って彼を全身で包むように抱きしめる。
「ありがとうマチルダ。だけどこれは領主としての僕の決断だ。一線を越えると決めたなら、その最初の一歩くらいは自分で踏み出さないと領主失格だよ」
仮にも領主貴族なら、いつまでも綺麗なままではいられない。領地が大きくなっていけば清濁併せ吞む度量も必要になるだろう。従士に今回のような汚れ仕事を命じることもあるかもしれない。
それならせめて、この領で最初に手を汚すのは自分であるべきだ。ノエインはそう考えていた。だからこそ自らベンデラの頭を潰したのだ。あの時血で染まったゴーレムの手は、ノエイン自身の手でもある。
「……これからも僕は手を汚すことがあると思う。それでもマチルダは僕の傍にずっといてくれる?」
「もちろんですノエイン様。たとえ何があろうと私はノエイン様のお傍におります。私のノエイン様への愛が揺らぐことなど万に一つもあり得ません」
「……ありがとう。マチルダ、こっちに来て」
「はい、ノエイン様」
2人でベッドに倒れ込み、マチルダは全身全霊でノエインを癒し慰めた。
「ちっ。誰にも見られてねえと思ったのによお」
ペンスの案内を受けて、事件現場――ベンデラの家を訪れたノエインは、この期に及んでもふて腐れた表情を崩さない彼を冷たい目で見下ろす。
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そんな時間にベンデラは、家事のために井戸で水を汲んで家に帰ろうとしていた少女を農具の鎌で脅し、自分の家に引きずり込んだらしい。
まだベンデラを警戒して見張っていたペンスがまさにその瞬間を目撃し、ただちに家に踏み込んでベンデラを捕らえたそうだ。幸い被害者の少女には何事もなかった。
「だけど今回も未遂ですぜ? 今度は鞭打ちですかい? いや指の切断ってところかい?」
罰を恐れるでもなく軽薄な笑みを浮かべるベンデラに、ノエインは静かに言い放った。
「いや、君は追放刑だ。領都ノエイナから、アールクヴィスト領から出ていってもらう」
「……ちっ。そうですかい」
こうなったらノエインも、ベンデラの存在自体を排除したい。しかし婦女暴行の未遂でいきなり極刑を課してしまえば、やはり領主の独断で王国の一般法から大きく逸脱した裁きを下す前例を作ることになる。
なので、身体刑を下すのではなく、領主なら誰もが持つ権利――領内に著しい害をもたらす者を追放する権利を行使することにしたのだ。
この刑もよほどのことがなければ下されるものではないが、今回はその「よほどのこと」に該当するだろう。
・・・・・
「これより、領民ベンデラの追放を行う。今からアールクヴィスト士爵領の外までベンデラを連行し、追放する。以降ベンデラがアールクヴィスト士爵領に入った場合、領主である僕の名のもとに……殺すことを許可する」
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「けっ」
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「せっかく楽に暮らせる場所を見つけたのによお、獣人奴隷好きの変態領主の機嫌を損ねたせいでまた放浪生活かよ」
道中のベンデラの言動は、聞くに堪えないものだった。どうせ追放されるからと言いたい放題だ。
しかし、ノエインは心を無にしてそれを聞き流す。追放刑と自分で決めたのだから、最後まで執行するべきだ。それに早くこいつを追い出して平和な日常に戻りたい。
「けっ。こんだけ言われて怒りもしねえのかよ気持ち悪ぃ。いいよ、追放されたらこの領のことを外にし~っかり伝えてやるよ。変態領主が独裁やってるクソみてえな領だとよ」
ベンデラがそう言うと、ノエインの表情が初めて動いた。しかしゴーレムに引っ張られながら前を歩くベンデラは、それに気づかないまま喋り続ける。
「いい奴ぶった領主が、実は裏で領民たちを虐めてるって言いふらしてやるよ。それに従士も男の領民もクズばっかりで、女の領民はみんな家畜みてえな扱いを受けてます~ってな」
「……ちょっと止まろう」
ノエインはペンスにそう言い、自身もゴーレムとともに立ち止まる。
「おっ? ついに怒ったか?」
ベンデラは振り返り、そこで初めてノエインの表情を見てゾッとしたような顔になった。
ノエインの後ろにいるペンスは、あえてノエインの表情を見ないようにして問う。
「どうしますか?」
「処分だ。仕方ない」
「……了解でさあ」
・・・・・
ノエインは街道から外れて森の中に入る。ベンデラを引っ張るゴーレムと、護衛のペンスも彼に続く。
街道から見えないところまで来ると、ゴーレムがベンデラを引き倒し、その身柄を押さえつけた。
「お、おい待てよ。追放刑だろ? 処刑じゃねえんだろ?」
「そうだよ、追放刑だ。『ベンデラはちゃんと追放した』と僕が言えば、君がその後どうなったかはどうせ領民たちには分からないよね?」
焦った表情のベンデラに、ノエインは冷たい声でそう返す。
「……僕は本当に君を追放で済ませるつもりだったんだよ。だけど領外で嘘をばら撒いて、追放後も僕や領民たちに害を与えるなら別だ。僕は領地を、領民たちを守らないといけないんだよ。物理的な敵だけじゃなく、悪質な風評からもね」
「わ、分かった。さっきのは冗談だよ。外で悪口なんて言わねえよ」
「なんでそれを信用してもらえると思うの? これまでの君の言動に信用できる要素が少しでもあったかな? ねえペンス?」
「いえ、こいつは一片たりとも信用できませんね」
ノエインが振り返ると、ペンスはそう同意を示した。怖いのでノエインの顔はあまり見ないようにして。
「おい、おいおい、待ってくれよ。あんた領主様だろ?自分で決めた刑罰を捻じ曲げていいのかよ?」
「領民を守るためなら、ちょっと自分の手を汚すくらい何てことないよ」
そうノエインが言うと同時に、ゴーレムの1体がその大きな両手でベンデラの頭を包むように持つ。
「いや待てって。じゃねえ、待ってください。お願いです、俺が悪かったです!」
「じゃあね、逆賊さん」
「死にたくねえ! 許してください! 許しゴギャアッ」
・・・・・
頭のない死体を横目に、ノエインは盛大に胃の中のものを吐き出していた。
「うげええ……はあ、やっと収まった」
「大丈夫ですか? わざわざノエイン様がやらなくても、俺がこいつを処分してもよかったんですよ?」
ペンスがそう声をかけると、ノエインは顔を上げてやや疲れた笑顔を見せた。
「そういうわけにもいかないよ。自分の裁きを捻じ曲げてでも口封じの暗殺まがいのことをするって決めたんだ。こういうことをするなら、汚すのは自分の手であるべきだよ。少なくとも最初の一回くらいはね」
そう思っての行為だったが、いざ実行した後のショックは凄まじいものがあった。ベンデラを処分した数分後、ノエインは「人を殺した」という実感に急に襲われて嘔吐してしまったのだ。
「さすがに初めて人間の命を奪うのは堪えたね。しかもこんなかたちで。とんだ童貞卒業になったよ」
「ははは、違いねえ。誰でも最初はそうやって衝撃を受けるもんでさあ」
おどけたようなノエインの言い方にペンスも笑う。人生初の殺しを「童貞を捨てる」と例えるのは、傭兵の間でも知られたジョークだったのを思い出した。
「……僕は領民たちに十分以上の愛を示してきたつもりなのにな。どうしてこんなことになったんだろう」
「どんな時代でもこういう救いようのない奴はいるもんです。ノエイン様は何も悪くありませんよ」
一瞬だけ悲しげな表情を見せて、ノエインはふうっと息を吐いた。
「そう思って割り切るしかないか……この死体は埋めなくていいかな?」
「ほっといても魔物や動物がきれいに片づけてくれますよ。むしろ下手に埋めて、いつかここまで開拓の手を広げたときに掘り返しでもしたら面倒でさあ」
「それもそうだね。じゃあ帰ろうか」
「はい、帰りましょう」
血で汚れたゴーレムの手を土で拭い、水筒の水で洗うと、ノエインはペンスとともに領都ノエイナへと帰った。
・・・・・
領民たちには「ベンデラは無事に追放した」と伝え、屋敷へ帰宅した後。メイドたちに聞かれないようにとマチルダを寝室に呼んだノエインは、本当のことを彼女に話した。
「……ノエイン様だけにそのような負担を強いて申し訳ございません。できることなら私がその役目を変わって差し上げたかったです」
ノエインの話を聞いたマチルダは、そう言って彼を全身で包むように抱きしめる。
「ありがとうマチルダ。だけどこれは領主としての僕の決断だ。一線を越えると決めたなら、その最初の一歩くらいは自分で踏み出さないと領主失格だよ」
仮にも領主貴族なら、いつまでも綺麗なままではいられない。領地が大きくなっていけば清濁併せ吞む度量も必要になるだろう。従士に今回のような汚れ仕事を命じることもあるかもしれない。
それならせめて、この領で最初に手を汚すのは自分であるべきだ。ノエインはそう考えていた。だからこそ自らベンデラの頭を潰したのだ。あの時血で染まったゴーレムの手は、ノエイン自身の手でもある。
「……これからも僕は手を汚すことがあると思う。それでもマチルダは僕の傍にずっといてくれる?」
「もちろんですノエイン様。たとえ何があろうと私はノエイン様のお傍におります。私のノエイン様への愛が揺らぐことなど万に一つもあり得ません」
「……ありがとう。マチルダ、こっちに来て」
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