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第二章 急発展と防衛戦

第38話 領民と逆賊①

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 アールクヴィスト士爵領における領主ノエインの統治は、現在のロードベルク王国の全領主の中でもずば抜けて善政と評されるだろう。

 ラピスラズリ鉱脈のおかげで人口のわりに領主の収入が多い、という幸運な状況にも基づくものではあるが、その収入を領民たちの暮らしと領地の安定のために惜しみなく投資する姿勢はノエイン個人の資質によるものだ。

 当然、その手厚い庇護を享受する領民たちのノエインへの忠誠心はとてつもなく高い。治安も良く、皆いい子ばかりである。

 しかし、どんな時代、どんな場所にも例外はあるものだ。

「ノエイン様、執務中に失礼します」

 そう断ってノエインの執務室に入室してきたのはペンス。普段の彼は、領都ノエイナ内の治安維持や領民たちによる開拓作業の監督、非常時に備えた男の領民たちの訓練指導などを手広く務めている。

 その表情が妙に硬い。何か報告しづらいことを言いに来たようだ、とノエインも身構える。

「どうしたの、ペンス?」

「実は……大きな問題を起こした領民がいまして。内容的にもノエイン様に裁いていただかないといけないほどで」

「それはもしかして、こないだの会議で報告してた新しい移住者かな?」

「そうです。俺も何度もきつく注意はしてたんですが、今回ばかりはさすがに……」

 先日の定例会議で、ペンスから「新しい移住者の中でやたらと問題を起こす奴がいる」という報告は受けていた。半月ほど前に移民としてやってきた、確かベンデラという若い男だったはずだ。

 起こす問題の内容は、若い女性に絡む、井戸を使う順番待ちに割り込む、他人の農地を横切ろうと勝手に畑に入り込むなど、まだ厳罰を下すほどではないが不和の火種となるようなものばかり。

 数日に一度の頻度でトラブルを引き起こすので、ペンスも「次は領主様に裁いていただくことになる」と厳重に警告していたそうだ。

「それで、そのベンデラはどんな問題を起こしたの?」

「……落ち着いて聞いてください。まず、マチルダは無事です」

「っ!」

 ペンスの言葉を聞いて、ノエインの表情が一気に険しいものになる。報告するペンスも思わず怯むほどだ。

 マチルダには、今後の農業計画について話し合うためにエドガーを呼んできてもらうよう頼んでいた。マチルダを伝言に出してまだ10分と経っていないが、ペンスの口ぶりから察するに、彼女がこのトラブルに巻き込まれたのは明らかだ。

「ベンデラがマチルダを襲おうとして、触りもしないうちに返り討ちにされたそうです。だからマチルダは全くの無傷です。今は現場の近くにいた男数人でベンデラを取り押さえて拘束してます。『奴隷身分の女を襲っても大した罪じゃないはず』と抗弁してるとか」

「……そうか。分かった」

「現場に来てもらっても?」

「もちろん。すぐに行くよ」

・・・・・

 事件の起こった現場は、市街地の中心部となっている広場から北側の農地へと抜ける道、独身世帯の家が並ぶ通りの裏に入ったところだった。

 現場へ向かいながらペンスに話を聞くと、エドガーへ言伝を届けに歩いていたマチルダが、何やら困った表情のベンデラから「すまんが助けてくれ」と声をかけられて手助けのために彼についていったそうだ。彼が問題の多い領民ということまでは知らなかったという。

 そして、通りの裏でいきなり襲いかかられるも、指一本触れさせずに回し蹴りで文字通り一蹴したらしい。

 領都ノエイナはまだ市街地も狭いし、建物も多くない。いくら家の裏とはいえ周囲からは丸見えで、その現場を見ていた領民が3人もいたという。証人としては十分な人数だ。

「マチルダ! 大丈夫だった!?」

 現場に着いたノエインは、領民たちがベンデラを拘束している場所から少し離れた位置に一人で立っていたマチルダに駆け寄る。

「ノエイン様……私の不注意でご迷惑をおかけして申し訳ありません」

「そんなことはいいんだ。君が無事だったならそれでいいんだよ」

「……ありがとうございます、ノエイン様」

 人目もはばからずマチルダを抱き締めたノエインに、彼女も珍しく表情をほころばせてそう答えた。

 マチルダの無事を確認したノエインは、次にベンデラの方へ歩み寄る。その目は氷のように冷たい。

「けっ。そんなに俺が悪いですかい」

 しかし、そんなノエインを前にしてもベンデラは不貞腐れた様子でそう答えた。

 どれほど神経が太ければこの状況でそんな顔ができるんだ、と、彼を取り押さえる領民たちやノエインの後ろに控えるペンスは半ば感心してしまう。

「……自分が何をしたかは分かってるのかな?」

「へいへい。分かってますとも。『他人の奴隷の軽微な損壊未遂』ですよね。初犯でしかも未遂なら、棒打ち10回ってとこですかね?」

「……っ」

 ベンデラの言い草に、しかしノエインは黙り込んでしまった。

 確かに彼の言う通りなのだ。おまけに女の奴隷への強姦は既遂でも「目に見える怪我を与えていなければ軽微な器物損壊」でしかなく、その量刑は軽い。もちろん恥ずべき行いとされてはいるが。

 被害者が貴族所有の奴隷であることを鑑みても、ベンデラの言う棒打ち刑がせいぜいだ。

 領主は領内の司法においてほぼ絶対的な裁量権を持つが、王国の一般的な法常識から大きく逸脱する独自の規律を定めるなら、それはあらかじめ広く布告するべきだとノエインは考えている。

 ノエイン個人としてはベンデラが憎くて仕方がないが、だからといって「この領では奴隷への暴行でも重く罰する」と新しいルールを後出しで作って領民を裁けば、それは独裁になってしまう。

 一般的な法の理解から大きく逸脱するルールを定めるとしても、それを遡及適用するべきではない。

「……領主ノエイン・アールクヴィストの名のもとに、このベンデラを棒打ち10回の刑に処す。執行は明朝に中央広場で。他の領民たちにも周知するように」

 苦虫を嚙み潰したような表情で、ノエインはその場にいる者たちにそう伝えた。

・・・・・

 翌日の早朝、中央広場で領内の全員が見守る中、ベンデラへの刑罰は滞りなく執行された。

 とはいえ、その刑は木棒で背中を打つだけ。執行役はペンスだが、彼もただの棒打ち系で罪人を殺してしまうほど強く殴るわけにもいかない。

 執行後のベンデラは背中にいくつも傷が残り、相当に痛そうにはしていたが、その顔にはまだ不満げな反抗心が残っているように見える。卑劣な暴行を行おうとした不届き者として他の領民たちからも睨みつけられているのに、大した神経だ、とノエインも思わずにはいられなかった。

 今日のノエインの仕事は刑の執行を見守るだけではない。その場に集った領民たちに向かって、新たなルールを宣言する。

「今この時から、アールクヴィスト士爵領に暮らす全員に新しい規律を布告する。この領では、奴隷身分の者に対する暴行・傷害・殺人などのあらゆる犯罪について、平民に対するものと同じ量刑で罰する。これは領主の権限で決めたことだ。今後はこのことを胸に留めて生活するように」

 このことについては、レスティオ山地の採掘キャンプに滞在するユーリたちにも『遠話』の定期報告の際に布告してある。今この時から新法の適用開始だ。

 もっと早くこうするべきだった、とノエインは思う。

 ノエインがマチルダを重用し、寵愛しているのは誰が見ても明らかだったし、従士たちも領民たちも当然そのことを理解した上で、彼女には相応の礼を以て接してくれていた。

 だからこそこれまで問題は起きていなかったが、「領主所有だろうと奴隷なのだから軽んじていい」と考える輩がいればこういう事態は起こり得たのだ。

「……僕が甘かったせいでごめんね、マチルダ」

 布告を終えて、横に控えるマチルダにノエインがそうこぼすと、

「ノエイン様に非などあるはずもございません。どうか暗い顔をなさらないでください」

 と言いながらマチルダはそっとノエインの手に触れた。

・・・・・

 マチルダを法的にも守る布告を行い、ベンデラもこれに凝りて少しは大人しくするだろうと思われた数日後。

 ノエインは自分の甘さを、そして愚か者はとことん愚かであることを思い知ることになる。

「ノエイン様。またベンデラです。今度は農民の娘を襲おうと……」

 怒りと呆れを含んだ表情を浮かべてそう報告してきたペンスに、ノエインもため息で答えた。
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