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第二章 急発展と防衛戦

第35話 戦いの気配

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 ラドレーは、その日もいつものようにリックとダントを連れて領都ノエイナの周辺の森を見回っていた。

 人里に危険な魔物が近づいている場合は、森の中に必ずその気配が残っているものだ。動物や弱い魔物の食い荒らされた死体が落ちていたり、森の中を巨体が通った跡があったり、縄張りを示すために木々を破壊した跡があったり。

 傭兵団の一員として魔物駆除などの依頼を受けたことも多いラドレーなら、そうした明らかな異変を見逃すはずもない。幸いにも、ベゼル大森林の浅瀬にある領都ノエイナ周辺では、今までそうした異変はなかった。

 そう、今までは。

「……臭うな」

 森に入って少し進んだところで、ラドレーは異変に気づく。

「え、そうですか?」

「おお、血の臭いだ。お前ら、周りをよく見張ってろ。そんで俺が『逃げろ』と言ったらすぐノエイナまで逃げて他の従士を呼べ」

 リックとダントにそう言うと、2人が後ろで体を強張らせたのが気配で分かる。ラドレーがこんな指示を出すのは初めてなのだから無理もない。

 血の臭いを感じた方向へラドレーは歩く。後ろからはおそるおそる付いて来るリックとダント。

 やがてすぐに、ラドレーたちは臭いのもとへたどり着いた。

 そこにあったのは、数匹のゴブリンの死体。どのパーツがどの個体のものだったのか分からないほどに散乱し、顔が潰れていない個体は、恐怖で目を見開いたまま絶命していた。

「うわ……」

 ダントが思わずそう言葉を漏らしたのが聞こえる。それも仕方のないことだろう。

 ラドレーたちが見回りで魔物の駆除を行うことはあっても、わざわざこれほど残虐な殺し方をすることなどない。だがこのゴブリンたちは体が原型を留めないほどバラバラにされているのだ。

 しかし、ラドレーが目を留めたのはそこではない。

 足りない、とラドレーは思った。

 飛び散っているゴブリンの四肢の数や、ゴブリンの破れた胴体の中身が明らかに少ないのだ。つまり、何かがゴブリンを捕食するために襲ったということだ。

 仮にも武器を扱えて群れを成しているゴブリンを数匹まとめて捕食し、これほど恐怖の表情を浮かべさせて絶命させる魔物はこのあたりには普通はいない。

 惨劇の場の周囲をラドレーは見回す。地面についた足跡を確認する。縄張りを示すために体をこすりつけたのであろう木の皮のめくれを見つけ、そこに付いた毛を確認する。

「……よくないな。すぐに報告しねえといけねえ。お前ら戻るぞ」

 静かにそう言うと、ラドレーは2人を引き連れて急いでノエイナへと戻った。

・・・・・

 見回りから戻ってきたラドレーの報告を受け、ノエインは従士たちに緊急招集をかけた。

 その後すぐに従士全員がノエインの屋敷に集まり、話し合いの場を設けている。

「オークで間違いないんだな?」

「へい、木の幹に毛がこびりついてやした。足跡も確かにオークのもんでした」

 ユーリの問いかけに、ラドレーは強く頷く。

「オークってベゼル大森林の奥深くにしかいないはずだよね? それがこんなところに、それも真冬に出るなんて……」

 このような緊急事態に慣れていないノエインは、やや硬い表情でそう呟いた。

 ノエインはオークを直接見たことはないが、知識の上では危険な魔物だと知っている。

 猪が2足歩行になったような見た目で、2mを超えることもある巨体と強靭な腕力を持つというオーク。まともに対抗するには戦闘訓練を受けた魔法使いや、肉体強化の魔法が使える魔法戦士、もしくは10人以上の訓練された兵士が必要だと言われている。

 それが領都ノエイナのほど近い場所に出たというのだ。領主としては平常心ではいられない。

「……冬眠に失敗した個体だろうな。冬は獣系の魔物のほとんどは食料を蓄えて冬眠するはずだが、たまに失敗して餌を探して歩き回る奴が出る。そういう個体は寒さと空腹で気が立ってるから特に危険なんだ」

「イラつきながら食い物を探すうちに、大森林の浅い部分まで出てきちまったんでしょうね」

 ユーリが説明し、ペンスがそう補足を挟んだ。

「このノエイナまで来るかな?」

「ほぼ確実に来るだろうな。ベゼル大森林のオークなら、人間を見たこともないはずだ。人間の文明力も組織力も知らない。ゴブリンと同類の弱い餌だと判断して襲ってくるだろう」

「ゴブリンの死体はまだ血の臭いがしてやした。今日やられたもんです。あんだけ食ったなら今日明日くらいは大丈夫でしょうが、その後はいつここを見つけて襲ってきてもおかしくありやせん」

「そっか……勝てる?」

 ノエインが聞くと、ユーリは少し顔をしかめる。ペンスやラドレー、バート、マイといった元傭兵組も厳しそうな表情を浮かべた。

「……俺たち元傭兵だけだと危ないな。兵力が足りない。だが他の領民はほとんどがただの農民だからな。多少は非常時の訓練を積ませていても、さすがにオークの相手をさせるのは無理だろう」

「私は元村長家の人間としてそれなりに剣術や槍術の心得もありますが……他の農民たちだと、恐怖でまともに動けなくなるでしょうね」

 ユーリが言うと、農民たちのまとめ役であるエドガーもそう同意した。普通の人間にとってオークとはそれほど恐ろしい脅威なのだ。

「僕のゴーレムも加えれば戦力は足りるかな?」

「自分で森の中まで出てくる気か? ノエイン様のゴーレムは相当強いんだろうが、冬の森でオークが相手となると絶対に安全とは言えんぞ? もちろん俺たちは全力でノエイン様を守るが、運が悪ければ不意打ちを受けることだってあり得る」

 ノエインはユーリにそう言われて怯むどころか、ニヤリと笑みを浮かべた。平和な冬の間は久しく見せていなかった、邪悪さを含んだ例の笑みである。

「多少の危険は承知の上さ。むしろ領主なのにオーク1匹程度に怯えてたら駄目でしょ? 僕の領地を荒らして大事な領民を食おうなんて豚野郎は、領主様が直々にぶっ殺してあげるよ」

 領民の前では優しいノエインらしからぬ下品な物言いに、ユーリも他の従士たちも苦笑する。この凶悪さが自分たちに向けられることはないと分かっているからこその笑いだ。

「分かった。領主様がそう言うなら、ゴーレムを戦力の軸に据えて作戦を考えよう」

 こうして、領主ノエイン自らオークを狩る方向で話がまとまった。これまでの弱い魔物の狩りを除けば、ノエインにとって初陣と言っていい戦いだ。
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