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第二章 急発展と防衛戦

第33話 冬の日常①

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「うーん……」

 年が明けてもまだまだ冬は深く、一日の大半を家に籠って過ごす時期が続く中、ノエインは居間で大量の紙に埋もれながらそれらを読み込んでいた。

 これら紙に書いてあるのは、ノエインがこれまでの半生で得た知識の集積……つまりこれは、彼がキヴィレフト伯爵家の離れで暮らしていた頃に本で読んだ知識のメモだ。

 いずれ自分が伯爵家から追い出されるだろうと予想していたノエインは、その後の生き方をあらかじめ考えていた。

 おそらく手切れ金を渡されて縁を切られるだろうから、その後は商人にでもなるか、はたまた土地を開墾して農業でもするか……とにかく自分の力で生きていかなければならないだろうと思っていた。

 キヴィレフト伯爵家がベゼル大森林の端を飛び地として所有しているのは一応知っていたので、そこを押しつけられることも可能性のひとつとして頭に入れていた。

 なのでノエインは伯爵家屋敷にあったあらゆる書籍を読み、その知識を覚え、覚えきれない詳細部分は紙に記してまとめていたのだ。これも父マクシミリアンが大貴族の見栄として、自分ではろくに読みもしない書物を豊富に揃えていたおかげである。

 そして今、ノエインはそれらの紙を読んでいる。

「ノエイン様、大丈夫ですか?」

 居間の大きなテーブルの端で書類仕事を行っていたアンナが、少し呆れたような声でそう尋ねる。彼女も冬は極寒になる従士用の執務室ではなく、この居間で暖を取りながら仕事をしている。

「大丈夫……じゃないかも。ちょっと頭を使いすぎて疲れたみたい、休憩するよ」

「それがいいですよ」

「ではお茶をお淹れしましょう。アンナもいかがですか?」

「はい。ありがとうございます、マチルダさん」

 アンナの事務仕事を手伝っていたマチルダが立ち上がり、お茶を淹れるために居間を出ていく。

「それで、冬明けからの開拓の案はまとまりましたか?」

「いくつかやってみたいことの候補はあるけど、時間がかかりそうだったり必要なものの手配が大変そうだったり、一長一短なんだよね」

 大量のメモを見返しながら、ノエインは冬が明けてからの領地発展計画を考えていたのだ。

 ラピスラズリ原石の鉱脈はまだまだ尽きる気配はない。当分は毎月120万レブロの収入が生まれ、潤沢な資金を開拓に使える。なのでノエインは自分が蓄えた知識の束の中から、アールクヴィスト領の新しい産業の種になりそうなものを探していた。

 いくつかヒントになるものは見つけたものの、どれもそれなりに手間がかかりそうだった。

「あまり手間を考えずに、気になったものからじっくりやってみてもいいんじゃないですか? 時間もお金もあるんですから」

「……そうだね。無理に焦る必要はないか」

 アンナの言う通りだ、とノエインは思う。

 何しろ、冬が明けてもまだ開拓2年目だし、ノエインもまだ今年で16歳なのだ。焦る理由も必要もない。部屋に籠って頭ばかり使っていたせいで、少し思考が凝り固まっていたらしい。

 そんな話をしているうちにマチルダがお茶を運んできたので、ノエインたちは休憩に入った。

・・・・・

 真冬は多くの人間が家に籠って過ごすようになるが、ときには外に出て仕事をしなければならない者もいる。

 アールクヴィスト士爵家に仕える従士ラドレーもその一人だ。彼は冬の間も、領都ノエイナの周辺の見回りを担当している。

 冬でも冬眠せずに活動を続ける魔物もいる。他の季節ほどのペースではないにしても、定期的に見回って魔物出没の気配がないか確認したり、魔物を見つけたら狩ったりしなければならなかった。

「うう~、相変わらず馬鹿みたいに寒いですね」

「そうかあ? このくれえならまだ大丈夫だろうよ」

「ラドレーさんは別格に体が丈夫ですからね、普通はもっと辛く感じるんですよ」

 領民の中でも特に体力があり、レスティオ山地の調査隊として働いた経験もあるリックとダントを手伝いとして引き連れ、そんな話をしながらラドレーは領都ノエイナの敷地の外に出た。

 ノエイナ周辺の見回りは、ラドレーにほぼ一任されていた。それも彼の丈夫さを見込まれてのことだ。

 ラドレーは生まれつき体が丈夫だ。幼いときから病気知らずで、喧嘩で殴られても大して痛みも感じずにすぐに傷が塞がり、おまけに暑さにも寒さにも強かった。個性的な顔立ちも相まって「オークの血でも継いでるんじゃないのか」とからかわれたこともある。

 農家の四男という恵まれない生まれもあり、丈夫さを活かして大成するためには戦いの道に進むのがいいだろうと傭兵になった。それからも、普通なら死んでもおかしくない状況でも自身の丈夫な体に命を救われてきた。

「まあ、この体のおかげで従士にまで出世したようなもんだからなあ」

 体が丈夫だからこそ、アールクヴィスト領の従士の中でもこうした体力仕事の担い手として力を発揮できているのだ。大して学もなく、あまり頭も良くない自分が。

 自分は運がいい。この幸運をくれた領主ノエイン様には自分の能力を以て恩を返さなければならない。そう思いながら、ラドレーは今日も冬の森の見回りという過酷な仕事に臨む。

・・・・・

「ああもう、寒いなあ」

 そう愚痴をこぼしながら、従士バートは分厚い毛皮を着込んでレトヴィクへの道のりを歩いていた。彼の後ろにはラピスラズリ原石を積んだ荷馬車を引く馬と、バートの手伝いのために同行する領民の男2人が続いている。

 ラドレーと同じく、バートもまた真冬の外仕事をしなければならない一人である。とはいえ彼のこの仕事は、冬の間は月に一度だけだが。

 都市部の工房は、冬でも稼働を停止することはない。なのでこのラピスラズリ原石だけは毎月の納品ペースを守って運ばなければならなかった。

 冬の前にまとめて納品していないのは、取引物の額が大きいだけにトラブルを防止するためと、月に一度程度はアールクヴィスト領の人間がレトヴィクを訪れて生存を証明した方がいいとノエインが判断したためである。

 その代わりといっては何だが、レトヴィクに向かうバートたちにはノエインから少なくない額の特別手当が出ている。

 王国北部は南部と比べて寒いが、それでも長く雪で道が閉ざされるようなことはない。雪が積もっておらず、空が晴れている日なら、領都ノエイナとレトヴィクの行き来も可能だった。決して進んでやりたい仕事ではないが。

「さすがに冬ばかりは物資輸送係なんてやりたくなくなるな……」

「誰かがやらないといけないから仕方ないですよ、それにレトヴィクにはバート様を待ってる女の子もいるんでしょう?」

「ははは。まあ、それはそうなんだけどね」

 独り言にわざわざ答えてくれた若い領民に、バートは苦笑してそう返す。

 バートがレトヴィクと行き来する物資輸送係の責任者になったのは、彼の整った容姿と人当たりの良さ、そして元傭兵で物資の護衛もこなせるという能力を総合的に買われたからだ。

 アールクヴィスト領と付き合いの深いいくつかの商店の従業員や、バートがレトヴィクでいつも利用する料理屋の店員などの中には、優男の彼が来ることを楽しみにしている若い娘も多い。

 そうした女性はもちろん、老若男女問わず好印象を持たれやすいバートだからこそ、この役割を与えられているのだ。

 なのでバートは、こうして冬もレトヴィクへと続く道を歩いている。
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