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第一章 大森林の開拓地

第28話 安定と発展

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「ノエイン様、先月の帳簿を私なりにまとめ直してみたのでご確認をお願いします。それと、こっちは領民たちの賦役の順番を割り振った表です。問題がないか見ていただきたいです」

「ありがとう、アンナ。早速確認してみるね」

 アンナがアールクヴィスト領へと移住してきておよそ1週間。彼女は領内の財務管理や領民の仕事の管理において、ノエインの予想以上の能力を発揮していた。

 ものの数日で自分の業務内容を把握し、今月の収入や支出の記録をまとめ上げ、さらに今はノエインが素人仕事でまとめていた過去の記録についてもあらためて分かりやすくまとめる作業に入っている。

 おまけに、主だった領民たちの顔と名前もすぐに覚え、彼らの賦役のシフト管理までマスターしてしまった。

「……うん、どっちも問題ないよ。特に帳簿に関しては僕よりもアンナの方がずっと有能だね」

「そんな、私なんて」

「いや、これは君が誇るべきことだよ。君をこの領に迎え入れてよかった」

 ノエインも素人なりに多少は工夫して上手くやっていたつもりだが、やはりプロの商人を親に持ち、何年も実務をこなしていたアンナには敵わない。

「少し早いけど、君がよければ正式にアールクヴィスト家の従士として任命したいと思ってる。この領の一員として、これからの開拓を支えてほしい。どうかな?」

「ノエイン様……ありがとうございます。これからもノエイン様とこの領のお役に立てるように一生懸命頑張ります!」

「よかった。これからもよろしくね」

 感極まった様子のアンナに微笑みながら、内心でホッとするノエイン。

 まだ開拓し始めの頃、アンナが事務や経理の仕事をこなせることを知り、さらに彼女がアールクヴィスト領に興味を持っている様子だと気づいたときから、イライザの店に行ったときはなるべく彼女と言葉を交わすようにしていた。

 そうして、開拓がどんなに楽しいか、アールクヴィスト領がどんなに素晴らしいところかを(若干の誇張も交えながら)何度も話して聞かせ、もともと開拓に興味のあった彼女が本当に移住を決意するほどまで誘導していったのだ。

 内気な性格の彼女を少しずつ誘導して、移住という一大決心までたどり着かせる。その結果としてようやく優秀な人材をゲットすることができたのだ。ここで「やっぱり辞めます」と言われたらこれまでの努力が全て水の泡になる。

 十中八九このまま留まってくれるだろうとは思っていたが、それでも最終的に彼女が従士になると明言するまでは絶対ではない。今のアンナの言葉を聞いて、ノエインはようやく完全に安心することができた。

 これでノエインは机仕事に関しては、責任者として最終確認をしたり、領主として判断すべき事項に取り組んだりするだけでよくなった。これまでと比べて負担は圧倒的に小さくなることだろう。

 ようやくオーバーワークから解放されて、アンナの存在に心から感謝するノエインだった。

・・・・・

 これまでノエインがレトヴィクに行くたびに住民たちとできるだけ会話を交わしていたのは、隣領での自分の評判を良くするというだけでなく、「アールクヴィスト領では領民を募集している」という話を周知させるという目的もあった。

 そのためにイライザやベネディクトといった交流のある商人たちには特に念入りにこの話をして、噂が広まるようにしていたのだ。

 そのおかげもあって、冬を控えた10月の後半から、移住を希望する難民が少しずつアールクヴィスト領へとやって来るようになった。

 そのほとんどは王国の南西部、ランセル王国との国境に近い村などから流れてきた農民だ。

 ランセル王国との紛争に巻き込まれて故郷を失った者、ロードベルク王国の軍から食料などを徴収されて生活が破綻した者、紛争に伴う重税に耐えられず逃亡した者。

 難民が増えていることはロードベルク王国西部の治安が徐々に乱れていることを表しているが、ノエインにとっては自身の領地でただ待っているだけで領民を増やせるまたとないチャンスだった。

 こうした移民のために家屋の建設も多めに発注しているので、彼らの住む場所に関しても問題はない。

「えーっと、君の名前は……ラッセルか。それと奥さんがアドミア、娘さんがリリスで間違いない?」

「は、はい。アールクヴィスト士爵様」

 今もノエインは、新たに移住を希望してやってきた家族と対面していた。場所は居住地を囲む木柵が途切れて出入口となっている場所の脇、仮設の詰所として使われているテントの中だ。

 気楽な様子で移住希望者に向き合うノエインとは違い、ラッセルをはじめとした難民の一家は緊張した面持ちだ。

 目の前にこの地の領主がおり、さらにその後ろでは護衛として冷たい目をした兎人の女――マチルダと、こちらも鋭い目の男――ペンスが睨みを利かせているのだから無理もないだろう。

「元々の出身地は王国南西部のガルドウィン侯爵領か。難民になった理由はランセル王国軍の襲撃を受けたためとあるけど……侯爵領の内部にまで侵入されるほど紛争地の戦況は悪いの?」

 事前にペンスがラッセルたちへ質問をして情報をまとめた紙を見ながら、ノエインは尋ねる。

 すると、ラッセルは目を泳がせ、額に脂汗を流し始めた。

「そ、それは……その」

「受け入れた後で情報に嘘があると、最悪の場合は追放も考えないといけなくなるからね。正直に教えてほしい」

「……も、申し訳ございません! 本当は私たちは、紛争のために物資が要るからと侯爵様から重税をかけられて、耐えかねて逃げてまいりました。あの領に残っていては飢え死にしてしまいます。どうか送還はご勘弁を……」

「そうか、正直に言ってくれてありがとう。その話に嘘はないね? 奥さんと娘に誓える?」

「は、はい。家族と自分の命にかけて誓います。これが嘘偽りのない事実でございます……」

 これが自分の本心だと示すために、ラッセルは震えながらも真っすぐにノエインへと目を向ける。ノエインもそれを見返す。

「分かった。君の言うことを信じよう。移住も許可する。これからアールクヴィスト領の一員として仕事に励んでほしい」

「は、はえ? よろしいのですか?」

「もちろん構わないよ。だけど自分たちが逃亡民だということは領内でもあまり大っぴらには話さないようにね。ここに他領からの逃亡民が多いと領外に話が漏れると面倒だから」

「は……はい! かしこまりました! ありがとうございます、ありがとうございます!」

 逃亡民だからとガルドウィン侯爵領に送り返されることを危惧していたラッセルたち一家は、あっさりと自分たちを受け入れてくれたノエインの慈悲深さに涙を流さんばかりに感謝する。

 一方のノエインは、

(逃亡民の数人程度、ガルドウィン侯爵領ほどの大領ならわざわざ探そうともしないだろうな。そんなところに馬鹿親切に報告して彼らを送還しても、侯爵がこちらに恩を感じてくれるとも思えない。あんな遠方の貴族相手にそんな骨折り損をするくらいなら、こっちの領民として彼らを迎え入れてしまった方がよっぽどいい)

 と計算を巡らせていたわけだが、もちろん口には出さないのでラッセルたち一家がノエインの本心を知る術はない。

 領民となった者には愛を向けるが、相手がそうなる瞬間までは自身と自領の損得のみを考えて物事を動かす。それがノエインのやり方だった。

 一家に空いている家屋と農地を割り当ててやるようペンスに指示を出し、彼に連れられてラッセルたち一家がテントを出ていったところで、ノエインは「ふうっ」と一息つく。

「お疲れ様でした、ノエイン様」

「ありがとうマチルダ。これでまた領民が増えたね」

「はい。これでアールクヴィスト領の人口は49人になりました。次に移民が来れば50人を超えます」

「そうだね……もう村と呼んでいい規模だ。開拓一年目でここまでいけると幸先がいいね」

「これもノエイン様の素晴らしい手腕があってこそのものです」

 いつもの如くノエインを褒め称えるマチルダ。

 つい最近までは屋敷の管理をするマチルダと領主としてさまざまな仕事に立ち回るノエインが別行動をとることも多くなってしまっていたが、領内の人手に余裕が生まれ、領民の中から若い娘を2人ほどメイドとして雇って以来、家事から解放されたマチルダは再びノエインの秘書官のようなポジションを務めていた。

 一通りの読み書き計算からノエインの護衛までこなせるマチルダを屋敷のメイド代わりにしておくのはもったいなかったし、彼女がくれる全肯定の言葉は心地がいい。そして何より、愛しいマチルダには常に傍にいてほしい。

 マチルダがいつも隣でサポートをしてくれる状態に戻り、ノエインは現状に満足していた。
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