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第二章 開拓者たちは進展と出会いを得る。

第33話 叙爵式を迎える。

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 叙爵式の当日。


 ケレンの広場には僕たちの上がる壇が組まれていて、その周りには柵とそれを警備する領軍兵士たちが配置されていた。

 さらにその周りには、叙爵式を見物するためにケレンの民衆たちが集まっている。広場の隅では料理屋の屋台まで出ていて、さながら祭りの会場と化していた。


 普段も年に数回あるという罪人の処罰や、年に一度ある領軍騎士の叙任、家督を継いだ従士家当主の任命式などがある際には、こうして広場が祭りのようになるらしい。


「だが、ここまで人が集まることは今までなかったな。亜竜被害から69年経つが、それ以来新たに領主貴族が任命されるのはこれが初めてだ。おまけに、たった一人でキュクロプスを倒すという凄まじい成果を上げた英雄もいる。民衆が盛り上がるのも無理はないだろう」


 広場の壇の裏側、僕たちが控えているテント内で、ラングレー士爵がそう話してくれた。彼は貴族になる僕たちの「警護隊長」というかたちで式典中も傍に控えてくれるらしい。


 大きな式典の主役となると、警護の人員まで格を求められるそうだ。


 広場ではもう式典が始まっている。ルフェーブル子爵が今回の叙爵式について自身の言葉を民衆に語る声が、広場からほど近いここまで聞こえてきていた。

 それからさほど待たずに、行政府の文官が僕たちを呼びに来た。いよいよ出番らしい。


「では行こうか、ティナ」

「はい、ヨアキム様」


 貴族としての正装に身を包んだヨアキムさんが先頭に立ち、その後ろにこちらも魔法使いとしての正装にあたるきらびやかなローブ姿のティナが続く。


 彼らがテントを出たら、次は僕たちの番だ。


「行こう、カノン」


 そう言ってカノンを振り返る。


 僕もカノンも、あの日注文した通りに仕上がった正装に身を包んでいる。

 仕立て屋には少々無理を言って奴隷のカノンの服まで作らせたけど、そこは高級服を扱うプロ。一切の手を抜かずに仕上げてくれたらしい。


「はい、ご主人様」


 そう言って微笑むカノンは、これまで見た中で一番綺麗だった。


 僕もカノンも、服の色はほぼ黒に近いグレーで、装飾も控え目。僕が貴族の中でも一番下の名誉士爵ということを考えても、かなり落ち着いたデザインだ。

 だけど、深い黒にシンプルな装飾とアサカ士爵家の家紋が刻まれた揃いの正装は、間違いなく大きな存在感があるはず。そこに黒く塗装されたルークが付き従えば、文句なしにかっこいいと思う。


 既にヨアキムさんとティナが立ち、大きな拍手に包まれている壇上に僕も上がる、そしてその後ろにカノンも続く。


「あれ、来訪者様に婚約者なんていたか?」「いや、あれは前に連れてあった終身奴隷だろ」「奴隷? この壇上に上げていいのか?」「終身奴隷でも着飾りゃあ綺麗なもんだな」


 多少戸惑うようなざわつきも聞こえてくるけど、壇上への拍手が鳴りやむことはない。


 横目でカノンを見ると、緊張したり怯えたりする様子もなく、堂々と前を見て立っている。

 その佇まいは、首に刻まれた終身奴隷の紋様がなければ奴隷だと気づかれないほどだと思う。

 貴族の叙爵式の壇上に奴隷がいるなんて異例中の異例だとは分かっているけど、少なくとも見た目の華やかさや品の良さに関しては、誰にも文句を言わせない自信があった。


 壇上の後ろ側には、ルフェーブル領内の貴族たちも全員がこの日のためにケレンに集まって並んでいる。来訪者として準貴族的な扱いを受けているマイカもそこにいる。

 さらに、ルフェーブル子爵の後方には、モニカ夫人やアリソン様、先代当主のセドリック様も並んでいた。


 拍手が静まると、ルフェーブル子爵が自身の名のもとに僕たちを貴族に任命する儀式が始まる。


 まずはヨアキムさんからだ。


 壇の中心まで進み出て、ルフェーブル子爵の前に膝をついた彼に、子爵が言う。


「ヨアキム・バルテよ。汝はこのルフェーブル子爵領にて領地を預かる下級領主貴族バルテ士爵家当主となり、その責務を全うし、子爵家に忠節を尽くすと誓うか?」

「はっ。私ヨアキム・バルテはルフェーブル子爵家の忠実なる臣として、また領地と民を預かる下級領主貴族として、責務を果たすためにこの身命を捧げることをここに誓います」


 ヨアキムさんはそう答えて、頭を伏せたまま両手を前に広げるように伸ばす。

 そこへ、子爵家当主のみが持つことを許されるという儀礼用の剣をルフェーブル子爵が掲げて、刃がヨアキムさんの髪に触れる程度まで近づける。

 それを受けて、ヨアキムさんがここで初めて顔を上げた。ルフェーブル子爵はそのまま剣を彼の体まで近づけて、胸のあたりに剣先で軽く触れる。


 この「主家の象徴である剣を、自身の脳と心臓のある位置に触れさせることで、主君に命をささげて忠誠を誓うと証明する」というのがこの国の叙爵の儀式らしい。


「ルフェーブル子爵家、第24代当主フィリップ・ルフェーブルの名のもとに、ヨアキム・バルテを士爵に任ずる」


 こうして、この瞬間からヨアキムさんは正式にバルテ士爵になった。


 次は僕の番だ。


 ヨアキムさんが下がった後に、今度は僕が壇の中央に進み出て膝をつく。


「リオ・アサカよ。汝はこのルフェーブル子爵領にて子爵家の下に身を置く名誉士爵となり、その力を以て責務を果たし、子爵家に忠節を尽くすと誓うか?」

「はっ。私リオ・アサカはルフェーブル子爵家の忠実なる臣として、また自身の持つ力を以てこの地と民を守る下級貴族として、責務を果たすためにこの身命を捧げることをここに誓います」


 堂々とそう文言を述べながら、両手を前に広げる。

 この動作や文言については、儀礼を専門に扱うという子爵領行政府の文官が、わざわざ開拓地まで出張してきて僕たちに嫌というほど叩き込んでくれた。

 なので、僕もしっかり様になるように動けているはずだ。


 さっきのヨアキムさんと同じように、ルフェーブル子爵から頭を胸に剣の切っ先をそっと当てられた。


「ルフェーブル子爵家、第24代当主フィリップ・ルフェーブルの名のもとに、リオ・アサカを名誉士爵に任ずる」


 この日、僕はこのルフェーブル子爵領の貴族になった。

――――――――――――――――――――

 式典が終わった夜は、子爵家の屋敷で晩餐会が行われる。


 新たに貴族となったヨアキムさんと僕を中心に、ルフェーブル子爵領の貴族やその家族たちが親睦を深める場だ。


 バルテ士爵家夫人になることが確定しているティナもいるし、ルフェーブル子爵があっさりと認めてくれたことで、特例中の特例として終身奴隷であるカノンまで出席していた。

 もっとも、さすがに緊張しているのか、彼女は飲み物のグラスだけ持って終始僕の後ろにくっついて黙っていたけど。


 僕と挨拶を交わす他の貴族やその伴侶たちの中には、複雑そうな顔で僕の後ろに立つカノンを見ている人もいたけど、ルフェーブル子爵が許可したのだから面と向かって嫌味を言うような人はいない。


 晩餐会が進むと、しだいにヨアキムさんは他の領主貴族たちに囲まれて領地持ちならではの話に興じて、逆に僕は領地を持たない貴族のラングレー士爵とエルバ士爵と話し込んでいた。


「終身奴隷を立たせるとなると民から少しは反発もあるかと思いましたが、意外と静かなものでしたな」


 そう語るエルバ士爵。

 行政の実務上のトップということで気真面目そうな雰囲気があるけど、ルフェーブル子爵の身分差に寛容な気風に彼も染まっているのか、カノンがこの場にいることに不満そうな様子はない。


「まあ、アサカ卿は紛れもなくこの領の英雄だからな。キュクロプスを仕留めたこともそうだが、開拓が成功して領内で魔石や魔物素材の特需が起きているのもアサカ卿のおかげだと知れ渡っている。多少常識を外れた行動をしたところで文句も出まい」


 エルバ士爵にそう返すラングレー士爵も、式典や晩餐会で僕が奴隷を連れていることについて気にもしていない様子だ。


「ルフェーブル閣下には私の勝手をお許しいただいて、領内の貴族の皆様からもこの状況を受け入れていただき感謝しています。少しお叱りも受けるのかと思っていましたが……」


 正直、ちょっと小言くらいは誰かからもらうと思っていた。いくら王国西部が東部と比べて身分に寛容な気風とはいえ、奴隷を連れて貴族の晩餐会に参加なんて普通はあり得ないだろう。


「ルフェーブル領は長く混乱の時代が続いていたからな。領の立て直しの中で、家柄や身分よりも能力を見られる傾向が強かった。働きによって奴隷から従士へと取り立てられた者もいたし、逆に従士の任を解かれてただの平民にされた者も多い」


 ラングレー士爵が教えてくれたこの話は初耳だった。


「王国西部で身分に寛容なのも、隣国アルドワンとの紛争が続いて優秀な人材が出自を問わず求められてきたからです。逆に東部が身分に厳しいのは、平和が続いて厳しい秩序が守られてきたからだと言えます」


 エルバ士爵がそう補足してくれた。


「にしても、領地持ちでない貴族家は長らくエルバ士爵家とうちの2家だけだったからな。こうして仲間ができるのはめでたいことだ」

「領主貴族の方々とは共通の話題が少なくて、こうした場では退屈することも多いですからなあ」


 下級貴族も、領地持ちとそうでない者とでは仕事内容や生活がまったく異なる。職能系の貴族が少ないルフェーブル領の集まりでは、そういう悩みもあるらしい。


「私とエルバ卿とでは、立場上いつも仲良くしてばかりもいられんからな」

「予算の配分などで揉めることもありますからね。そしてこれからはその戦いに特務省長官のアサカ卿も加わるという……」


 そう不敵な笑みを浮かべるエルバ士爵。


「いえ僕は、ああ失礼、私はあまりそういった面での知識がまだ浅く……」

「冗談ですよ。今のところ特務省は名前だけの機関ですからね。この先まとまった予算が要るとしても、その頃にはルフェーブル領自体の財政も大きく上向いていることでしょう。私とラングレー卿が予算で揉めることも減るはずですよ」


 こうして、貴族ならではの領運営の事情を教えられながら、僕の貴族として最初の夜は過ぎていった。

――――――――――――――――――――

 夜も更けて晩餐会も終わり、僕とカノンはようやく自分たちに与えられた客室に帰る。


 儀礼服を脱いで楽な格好になると、ベッドに倒れ込んだ。

 カノンを手招きして近くに寄らせて、そのまま彼女もベッドに引き倒す。


「……疲れた」


 そう言って、カノンに甘えるように抱きついた。


「ご主人様……お疲れになりましたね。お立場が変わられて、新しくご苦労も感じられているのでしょう。奴隷の私には想像もつきませんが……」

「叙爵されて光栄だとは思うし、嬉しいけどね。やっぱり『貴族として振る舞わなきゃ』って思って動くのはまだ慣れないなぁ」

「……私には、いつでもどのようにでも甘えてくださいね。お立場や責務からも離れて、望むままに振る舞われてください」

「うん……ありがとうカノン、好きだよ。大好き」

「私も、だ、大好です……ご主人様」


 式典から晩餐会まで気を張り続けていた反動もあって、この夜はいつも以上にカノンに甘えた。
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