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第二章 開拓者たちは進展と出会いを得る。

第24話 冬を過ごす。

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 この世界は春に新年が始まるので、季節がもとの世界の感覚とは2か月ほどずれている。

 10月も後半になると、気温は池の表面が凍るほどにまで下がることもある。雪がちらつく日も多い。


 いくら外套や毛皮を着こんでも寒いものは寒い。外で満足に活動できるのは、最近では晴れた日の正午から数時間ほどに限られていた。


「このまま進めば、春に新しい開拓民が来ても土地は十分足りるだろうな」


 ゴーレムを使って開拓地周辺の土地を整備して、住居を建てるための平地や開墾のための農地を広げている僕の横で、ヨアキムさんはそう言った。

 気温が気温なので、その口からは白い吐息が漏れている。


「魔物退治から土地整備まで、リオ殿に頼り過ぎかもしれんな、我々は」

「いえ、これが僕の役目ですから。それに、働いているのは僕じゃなくてゴーレムですし」


 僕はもう口癖のようになっている言葉を返しながら、もの凄いペースで整地を進めるゴーレムたちを見た。


 寒さを感じることのないゴーレムだけは、この気温の中でもいつもと変わらない働きができる。

 本来なら開拓がストップするはずの真冬でも作業を進められるのは大きなメリットだ。

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「そうそう。で、ここは主語が女性だから、この単語の語尾がこう変わってるんだ」

「なるほど……さすがはご主人様の教えです。私のような奴隷生まれの者でも、字がどんどん読めるようになっていきます!」

「そんなことないよ。カノンは頭がいい。覚えが早いのはカノン自身の力だよ、偉い偉い」


 そう言ってカノンの頭を撫でてあげると、幸せそうな顔ですり寄ってきた。可愛い。


 冬は1日の大半を屋内で過ごすことになる。

 つまり、毎日カノンとたくさんの時間を一緒に過ごせるということだ。


 なので僕は秋に約束したように、彼女に読み書きを教える時間を毎日とっていた。

 もともと聡明で、奴隷として主人への敬語も上手く使いこなしていたカノンだ。まったくのゼロから読み書きを勉強していることを考えれば、かなり飲み込みが早い。


「あーもう、ほら、隣でいちゃつかない。勉強中でしょ」


 勉強スペースは住居の共用部分にあるテーブルだ。隣ではマイカがミリィに読み書きを教えている。

 ミリィは今学んでいるところを覚えるのになかなか苦戦しているようで、カノンの勉強の進みぶりを見て自分と比べたのか、ちょっと半べそになり始めた。


「ミリィは、ミリィは馬鹿なのです……全然覚えられないのです……うええぇぇん……」


 この勉強会をするようになって分かったけど、ミリィは極端に自信をなくしたら泣いてしまうタイプらしい。

 別にミリィも十分覚えがいいんだけど、隣のカノンがずば抜けて優秀なので、どうしても比較してしまうようだった。

 こうなったら勉強は一旦中断だ。椅子にちょこんと座ったまま泣き出したミリィを囲んで皆で励ます。


「そんなことないですよミリィ。ミリィだって頑張ってます。泣かないで」

「ミリィだって十分すぎるくらい覚えるのが早いよ。優秀だよ。大丈夫だよ」

「そうよ、何も気にしないでいいのよミリィ!ほらこっち見て笑って?はい、ぎゅーってしよう」


 そう言いながらマイカがミリィを抱きしめてあやすうちに、ようやくミリィも落ち着く。

 見た目は小さくてもミリィも一応15歳で成人しているはずだけど、マイカが妹のように可愛がり続けるうちに、だんだんちびっ子化が増している気がする。

 本人たちがいいのならそれでいいんだろうけど。

――――――――――――――――――――

 勉強の時間が終われば、後は各々の好きなことをしてゆっくり過ごす。


 カノンとミリィは今、僕やマイカが教えた手遊びやオセロなどの簡単なゲームにハマっている。

 開拓民の子どもたちや若者たちと遊んでいることも多いみたいで、今日も神殿に集まってオセロ大会をすると言いながら出かけて行った。


 家に残った僕とマイカはその間、読書にふける。シエールに行くたびに買い集めていた本は、冬までに20冊ほどになっていた。


「……ちょっとリオ、絶対にその本にお茶こぼさないでよ。あたしまだそれ読んでないんだから」


 テーブルの上に物語本を広げて、その横にお茶の入ったカップを置く僕に、マイカがそう言った。


「分かってるよ」

「ほんとに大丈夫?もとの世界とは本一冊の価値が桁違いなのよ?」

「大丈夫だって。こないだ子爵領の歴史の本にお茶ひっくり返したマイカとは違うんだから」

「あ、あれは謝ったし、ちゃんと弁償したんだからもう言わないでよ。あとルフェーブル子爵にも言わないでね……?」

「言わないよ。ていうか子爵領の歴史が書いてあるだけの市販本だし、別に子爵に言ったとしても怒られたりしないだろ……」


 そんな他愛もない話をしながら本のページを進める。


 静かな時間が過ぎる。


「……平和ね」

「だね」


 思い返せば、この世界に召喚されてから忙しい日々がずっと続いていた。


 こんなにのんびりした時間を毎日とれるなら、冬も意外と悪くないかもしれない。

――――――――――――――――――――

「おお!あれカプレの実じゃねえか!」


 よく晴れた日の昼過ぎ、シエールまでの街道作りを進めていたときのこと。

 いつものように僕とマイカの護衛についてくれている冒険者パーティー『荒ぶる熊』の古参メンバーであるエッカートさんが、土を固めて作ったばかりの道のはずれを指差した。


 他の場所と比べてやや背の低い木が並んでいるそこを見ると、枝から果実がいくつも成っているのが見える。


「カプレの実?食べられるんですか?」

「食えるぞ。冬のこの時期に、少し森の中まで入らないと手に入らないから結構貴重なもんだ。買うとかなり高いな」


 マイカが尋ねると、ヴォイテクさんがそう教えてくれた。


 高いのか、あれ。その割にはかなり豊富に実っているけど。


 せっかくなので採れるだけ採って帰ろうという話になり、持っていた革袋に大量に詰め込む。

 近くで見てみると、皮はピンク色だけど見た目はオレンジに似ていた。

 あまりにも数が多くてとてもすべては採りきれず、採ったものも人が運ぶには厳しいほどの重量になったので、ゴーレムに持たせて帰った。


 開拓地に帰還してカプレの実を広げると、それを見た開拓民の皆から歓声が上がる。


「そんなに嬉しいものなんですね、これ」

「ああ。美味いし珍しいからな。そのまま食ってもいいし、ジャムにしてもいける。ドライフルーツにも向いてるし、冬の野外にさらして凍らせたのを皮ごと砕いて齧るのも美味い」


 僕の呟いにそう答えたのは、意外にも『荒ぶる熊』で一番寡黙なヴィクトルさんだ。彼がこんなに長く喋るところを初めて聞いた。

 驚いている僕に、タマラさんが苦笑しながら教えてくれる。


「ヴィクトルは実は甘いもんが好きで、特にカプレの実に目がないからね。つい饒舌になっちまったんだよ。な、ヴィクトル?」

「……うっせえ」


 少し照れた様子のヴィクトルさんに、『荒ぶる熊』で一番の新人イヴァンくんが追い打ちをかけた。


「去年なんか市場でカプレの実が珍しく4つも並んでるのを見て、ヴィクトルさん持ち合わせが足りねえからって俺に借りてまで買い占めてたんスよ。カプレの実好きすぎっス。ねえヴィクトルさん!」

「イヴァンてめえ、黙らねえとぶん殴るぞ」


 後輩にからかわれてしまったヴィクトルさん。こうなると普段のクールなキャラも形無しだ。


 にしてもこのカプレの実、市場に4つ並んでたら珍しいほどの高級果実なのか。それが山のように採れたとなれば、皆が喜ぶのも無理はない。

 これが街道沿いの森に少し入るだけでいくらでも採れるとなれば、甘味に乏しい開拓地の食糧事情もかなり潤いが増しそうだ。


 その日の夕食時、僕たちに割り当てられたカプレの実のひとつをカノンとミリィが剥いてくれたので、デザートとして食べてみることになった。


「うわあっ甘っ!ジューシー!久しぶりの甘いものだわ……」と言いながら恍惚とした表情を浮かべるマイカに倣って、僕も一切れ口に入れる。


(うわっ美味しい……)


 果肉の見た目はグレープフルーツのような感じで少し酸味があるかと思ったけど、まったく酸っぱくない。たっぷりの果汁と一緒に、桃に似た風味と甘さが広がる。

 これは文句なしに美味しい。マイカのリアクションがオーバーなわけではなかったと分かる。


 この世界の果物はもとの世界のものと比べると甘さが控えめで、ドライフルーツなどにして食べることが多いけど、このカプレの実はそのまま高給フルーツとして日本で売れるレベルだ。


「はあぁっ凄いっ……幸せ……」「わああっ美味しいのです!甘いのです!」と、カノンとミリィの反応も劇的だった。

 ただでさえ甘いものが貴重な世界だ。これだけ甘くてみずみずしい高価なフルーツなんて、きっと彼女たちは初めて食べただろう。


 昼間にヴィクトルさんが解説してくれたけど、カプレの実は10月の後半から11月の前半まで、ごく限られた期間にしか熟しないものらしい。

 冬の森にわざわざ入らないと採れず、人里の近くに実るものはすぐに採り尽くされてしまって、あまり市場に出回らない。だからこそ高級品だという。


 それがこれだけ豊富に手に入るのは、人の手が入っていない開拓地ならではだ。

 そろそろ冬もピークに達してますます寒さが厳しくなる時期だけど、こんな自然の恵みを得られるのなら外へ出るのも少し楽しくなる。
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