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第一章 来訪者たちは異世界に迎えられる。

第13話 開拓の準備は進む。

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「大丈夫、相手はゴブリンだし、持たせているのもただの木の棍棒だ」

「は、はい」

「それに、危険だと判断したら私がすぐ助けに入る。心配することはない」

「は、はい……」


 僕は今、訓練の一環としてゴブリンと対峙している。ゴーレムなしで、自ら剣を持って。


 事の発端は2週間ほど前、子爵と家臣たちとの話し合いがひと段落したときのことだ。


「今後もまだ物資集めなどの準備があるが、その間リオ殿とマイカ殿は領軍のもとで訓練を受けてほしい」

「訓練……ですか?」

「ああ。君たちは開拓団の要だ。君たちが死にでもすれば、その時点で開拓の希望は絶える。開拓団には君たちの安全を最優先に動いてもらうが、魔物狩りのときなどは万が一の事態が起こらないとも限らんからな」


 これは開拓に関する会議でも説明されたことだけど、開拓地での当面の金策として「魔物の魔石を加工・販売する」ことが予定されている。


 まずは北西部の中に開拓団の拠点を作り、その周辺にいる魔物を狩って安全地帯を作らないといけない。その際に狩った魔物の魔石は、開拓地にとって大きな現金収入になる。

 普段ならあまり見かけない強力な魔物が多くいて、僕のゴーレムがあればそれらを十分狩ることができるんだ。上質な魔石がごろごろ手に入るだろう。

 だけど、そうした魔物狩りは、主に森の中で行われることになる。細心の注意を払っていても、仲間とはぐれるような事態が起こるかもしれない。


 というわけで、僕とマイカは領軍のもとで最低限の護身術やサバイバル術を身に着けることになった。

 指導してくれたのは、領軍の隊長を務めるセザール・ラングレー士爵。領地を持たず、子爵家に直接仕える武官だ。

 彼の教えのもとで、僕とマイカは身の守り方を学んだ。来訪者の傍付きの奴隷であるカノンとミリィも、いざというときに僕とマイカを庇うための訓練を一緒に受けている。


 不意打ちで戦闘が発生したときに、どうやって周囲の状況を見るべきか。

 立っているとき、座っているとき、横になっているときそれぞれの場面で、顔や胴体といった急所を咄嗟に守るにはどう動くべきか。

 もしも重要な血管を怪我したとき、どこをどう止血すればいいか。

 森の中で仲間とはぐれたらどう動けばいいか、火を起こしたり雨をしのいだりするにはどうすればいいか。

 ポピュラーな魔物の特徴や弱点、対処法。

 ときには座学も交えながら、そうした知識や技術を身に着けていった。


 その最終段階となるのが、この「実戦訓練」。

 いくら練習を積んでいても一度も自分の手で魔物と戦った経験がないのはまずいだろうということで、ケレンの近くの森で捕まえてきたゴブリンを相手にすることになった。


「グゴ!グゴゲエエ!グゲエッ!」


 領軍の訓練場、木柵で囲われたエリアの中で、数日飢えさせられて凶暴になったゴブリンを前にする。

 体長は1m30cmくらいで、肌は緑がかった土色。

 いくら魔物の中では最弱クラスで、1匹相手なら農民でも力押しで勝てる程度の存在とはいえ、殺意むき出しで吠えてくるのはさすがに怖い。


 ラングレー士爵がすぐ後ろで控えてくれている中で、僕は人生初の命の奪い合いに臨むことになった。


「グゲゲエッ!」

「う、うわっ」


 拘束用のロープを切られて解き放たれたゴブリンが、棍棒を振り回しながら突っ込んできた。


「ゴガアッ!」


 僕の頭を目がけて振り下ろされる棍棒を、訓練で習った通りに左手の木盾で防ぐ。と同時に、右手に持っていた剣を、ゴブリンのがら空きの胴体に突き出した。


「グエエッ!」


 体のど真ん中をもろに剣で貫かれたゴブリンは、そのまま後ろに倒れ込む。


「よし、そのまま止めをさすんだ」


 ラングレー士爵に言われながら、僕は瀕死のゴブリンに近づく。

 魔物とはいえ、ゴブリンは群れを成して簡単な集落を作って暮らす程度には知能がある。

 死への恐怖からか、こちらを見て命乞いのような仕草をしてくる。


「……っ!」


 分かっている。可哀想だなんて思って見逃したら駄目だ。相手は魔物だ。

 その目を直接見ないようにしながら、ゴブリンの頭に剣を振り下ろした。

――――――――――――――――――――

「よくやったリオ殿。貴殿は荒事が不得手なようなので怖気づくのではないかと正直思っていたが、評価を改めないとな」

「いえ、そんな……やっぱり少し腰が引けてしまいましたが」

「それでも『一度魔物と戦って生き残った』という経験は大きい。今後、貴殿自身の命を守るために役立つはずだ」


 ラングレー士爵にそう労われて、休憩を言い渡された。訓練場の隅にいるカノンたちのもとに戻る。


「ご主人様っ!ああっ、ご無事でよかったです!」


 そう言って駆け寄ってきたカノンは、僕に抱きつこうとして、思い出したように踏みとどまる。仕事中や訓練中はそういうスキンシップを控えるように主人として言い渡していたからだ。


「ありがとう、カノン。さすがに怖かったけど、カノンのためにも死ねないからね」


 そう笑いかけて頭を撫でてやる。カノンも泣きそうな顔になりながら笑い返してくれた。

 僕がゴブリンと戦わされる、と聞いたときから気が気じゃない様子だったけど、何事もなく終わってやっと安心できたみたいだ。


 ちなみに、カノンとミリィはゴブリンとの実戦までは経験していない。ゴブリンを生け捕りにするのも簡単ではないので、さすがに奴隷相手に貴重な訓練用ゴブリンを消費する余裕はないらしかった。


「リオ、お疲れさま。けっこう思い切りよくやれてたじゃない」

「ありがとう。マイカもだいぶ顔色が戻ったみたいでよかった」


 マイカは僕より先にゴブリンとの実戦を済ませていた。


 戦う前に「もとの世界では私の方が年上なんだから、リオにお手本見せてあげなきゃね」と笑っていたけど、どうやら一応人生の先輩として僕を気遣ってくれたらしい。


 けど、それも無理に気を張っていたのか、ゴブリンを自分の手で殺した後は嘔吐してしまっていた。今は心配そうな表情のミリィに介抱されながら落ち着いているみたいだけど、まだ顔が青い。


「そういうリオも血の気が引いてるわよ」

「まあ、思ってたより精神的に来たかな……」

「そうね。いくらゴブリンって言っても、人型でちゃんと表情もあるような生き物を殺すのは堪えたわ……」


 僕もマイカも、もとの世界では生きた魚を捌いたこともない現代っ子だった。

 それがいきなり、人のかたちをした生き物の命を奪ったんだ。ショックを受けないわけがない。


「これでやっと訓練も終わりね。ちゃんと強くなれたのかな?あたしたち」

「一応、不意打ちを受けても一撃くらいは身を守れるようになってるはずだけど……できればこのまま実践する機会がないといいな」

「あくまで最低限の護身術だもんね」


 もちろん訓練は真剣に受けたけど、それでも2週間弱だ。まったくの素人よりはマシになったと思いたいけど、とても自分の実力に自信があるとまでは言えない。


 開拓団として出発する日はどんどん近づいてくる。後は主なメンバーとの顔合わせや、開拓の成功を願う晩餐会といったイベントを残すのみになっていた。

――――――――――――――――――――

「では、それぞれ見知っている者もいると思うが、あらためて顔合わせをしていこう」


 子爵家の屋敷の隣、行政府となっている建物の一室に、開拓団の中でも中心的な役割を果たす者が集まっていた。もちろん僕とマイカもいる。


「まず私だが、ルフェーブル子爵家に仕える従士、ヨアキム・バルテだ。バルテ従士家の現当主で、団長としてこの開拓団を指揮することになっている」


 ヨアキムさんは現在28歳で、若手従士の中でも中心的な人物だと聞いている。


 バルテ家はかつては士爵位を持ち、北西部にあったクレーベルという村を治めていたらしい。

 68年前の亜竜被害のとき、当時の当主は村人たちを連れて避難したので死は免れたものの、領地と爵位を失い、今は一従士家になっているそうだ。


 彼にとってはこの開拓は、いわば一族の故郷を取り戻すための戦い。覚悟の強さは僕たちの非じゃないだろう。

 開拓が成功した暁には、彼が再びバルテ士爵となって、開拓地で最初の村を治めることになっている。


 ヨアキムさんの次に、開拓団で最重要の人材として来訪者の僕とマイカが挨拶し、そのまま他の者の自己紹介が続く。


「えっと、ティナ・リッツァーニといいます。光魔法が使える魔法使いです。私も従士として子爵家にお仕えしています。よろしくお願いします」

「ケレンの神殿より開拓団に派遣されます、シーラ・スカーシュゴードと申します。皆様に偉大なる神のご加護が与えられますよう、神官としてお勤めさせていただきます」

「……マルク・フォーゲリーンと申します。魔石職人をやっております」

「あー、俺は、デニス・ボスマンです。開拓についていく大工の代表です。よろしく頼みます」

「鍛冶師のドミトリといいやす。よろしく」

「冒険者パーティー『荒ぶる熊』の頭領ヴォイテク・シュヴァイガーだ。一応俺が冒険者全体の代表ってことになる。よろしく頼む」


 以上が開拓団の中心メンバーだ。ちなみに、マルクさんはエルフ、ドミトリさんは狼人で、それ以外は人間。


 ここにいる他に、農民やその家族、職人たちの家族や弟子、護衛に雇われた冒険者、肉体労働で雇われた冒険者など、総勢60人ほどが最初の開拓団として北西部に入ることになる。

 この世界の冒険者はフリーランスの何でも屋のような扱いで、単純労働で日銭を稼ぐ人から、ここにいるヴォイテクさんのようにパーティーを組んで傭兵稼業をしている人まで様々だ。


 全員が名乗り終わったところで、ヨアキムさんが続ける。


「では、次に今後の開拓工程の最終確認だ。本日は6月1日だが、我々がここケレンを発つのは1週間後の6月7日。その翌日の夜には北西部に最も近い都市シエールに着くだろう」


 この世界の新年は春、もとの世界で言うと3月ごろに始まる。なので、6月はもとの世界だと8月くらいの感覚だ。今は夏真っただ中だけど、気候的に日本のような蒸し暑さはない。


「シエールを発って北西に半日ほど進むと、魔物が巣食っている危険地帯に入る。そのまま順調に進めば夜までにはクレーベル……正確にはクレーベル跡だな、そこに着けるだろう」


 クレーベルの名前を出すとき、ヨアキムさんの表情が少し苦くなる。


「ただ、危険地帯は強力な魔物が至るところにいるはずだ。移動中も頻繁に魔物と遭遇するだろう。そう都合よくはいくまい。最悪、途中で野営することになるかもしれん」


 下手をすると森のど真ん中での野営になるかもしれない。そのときが一番注意が必要になる。


「クレーベルは亜竜や魔物の襲撃を受けて滅びたわけではなく、我がバルテ家の当時の当主たちと村民たちが避難し、そのまま廃村になった。魔物にどれほど荒らされたかは分からんが、石造りの建物などは、修繕すれば今でも使えるものがあるはずだ。なので、このクレーベル跡を拠点に開拓を行うことになる」


 これは今回の開拓の有利な点。


 何もない自然の中で一から開拓を進めようとすると途方もない労力が必要になるけど、今回の開拓地は68年前まで村や街があった地域なので、利用できるものも残っている。

 少なくとも、過酷な野宿やテント生活をずっと送るような心配はないだろう。


「まずは住居を修繕し、確保する。それと同時に農地跡も再び開墾し、できれば秋播きの小麦を植えるところまで初年で進めたい。さらにそれと並行して、リオ殿やマイカ殿を中心に開拓拠点の周辺の魔物を狩ってもらう。魔物が減れば安全も確保できるし、得られる魔石は開拓地の当面の収入源だ。これが増えるほどに私のルフェーブル閣下からの借金も減るからな。ぜひ奮闘してもらいたい」


 そうヨアキムさんが冗談めかして言うと、それまで緊張感のあった場の雰囲気が少し和らぐ。


 開拓を成功させれば領地持ちの貴族となるヨアキムさんだけど、開拓にかかる費用は子爵家から彼に「貸す」ことになっている。開拓団の食料や人件費、建築資材の費用まで、その金額は100万ローク単位だ。


 一方で、開拓地の収穫物は3年間は無税が約束されている。開拓地が早く自活できるようになるほど彼の借金は減り、いずれは黒字に転じていく。

 4年目以降は開拓地から税収も発生し、子爵家も投資を回収していけることになる。それを待たなくても、開拓地で生まれる収穫物や雇用は、1年目からルフェーブル領全体を活性化させていくことになるだろう。


 もし開拓が失敗すればヨアキムさんは奴隷落ちを免れない借金を負い、子爵家も投資を回収できず領地発展の希望まで失う。どちらにとってもハイリスク・ハイリターンだ。

 そこに名乗りを上げたのは、「バルテ士爵家の復活」という悲願を抱えるヨアキムさんだからこそだろう。


 来訪者の僕とマイカも、食客として迎えられて多額の年給までもらった身として、ルフェーブル子爵に利益を返さないと示しがつかない。


 ついに僕たちの能力・価値が試されることになる。
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