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第一章 来訪者たちは異世界に迎えられる。

第3話 この世界で生きる。

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 アレス村の領主さんも貴族で、リーンハッグ士爵というらしい。


 僕も名乗ろうとしたけど、ここでも「今は貴族がが来訪者と個人的な友好関係を築くことは禁じられている」と言われて止められた。

 なぜそこまで来訪者との関わり方に慎重なのかノーフッド士爵に聞くと、「王宮で王族や貴族による勧誘が解禁される前に来訪者と友好を結んだり、来訪者を引き込もうとしたりした者は厳罰に処す」という命令が出ていると言われた。


 今から約900年前、ジーリング王国にとっては建国後初の来訪者召喚のときに、王家が来訪者を独占しようとして貴族たちから反発されたり、貴族同士が来訪者を巡って武力衝突を起こしたりして、内戦の一歩手前まで揉めたらしい。

 それ以来、来訪者が召喚されたらまず王宮に集められて、王族や貴族は平等な条件で同時に勧誘を始める、というルールになったそうだ。

 なので僕は、ノーフッド士爵やリーンハッグ士爵とあまりお喋りしてはいけないらしい。


 屋敷に入ると奥の客室に通されて、出歩かないようにとお願いされる。食事や飲み水、身体を拭くためのお湯と布を後から運んでくれるそうだ。

 客室はベッドと机、椅子があるだけだけど、清潔に保たれているように見える。

 窓には外から板が張られていた。僕が部屋を抜け出したりしないようにしてあるんだろう。

 天上からはランプが吊るされているので、部屋の明るさは少し薄暗い程度で問題なく周りが見える。

 ランプは火が点いてるわけではなく、金属の棒のようなものから直接光が出ている。これが魔法ってやつなのかな。


 と、そこへ扉をノックする音が響いた。

「失礼します」という声の後に、使用人らしい女性が入ってくる。足首まで隠れる長いエプロンドレスを着て、頭にはホワイトブリムを着けている。コスプレじゃない本物のメイドさんだ。

 メイドさんは視線を低く落としたまま僕と目を合わせることもなく、机の上に食事の載ったお盆と水差しを置く。

「後ほど食器を下げに参ります」とだけ言って、一礼して部屋を出ていった。


 机の上に置かれた食事を見る。温かそうなスープと皿に盛られた肉、そしてパン。

 その匂いが漂ってきて、自分が空腹だと自覚する。

 ここまで怒涛の展開についていくのに必死だったけど、いきなり異世界に飛ばされて、自然の中を歩いたり慣れない馬に揺られたりして、さらに人生で初めて本格的な命の危険まで感じたんだ。
 疲れていないわけがないし、お腹が減っていないわけがない。


 椅子に座ってさっそく食事に手をつける。日本人としての癖で「いただきます」と言ってしまった。

 まず、木製のスプーンでスープを掬って一口飲む。野菜の欠片が入っていて、塩だけの味つけみたいだけど、空腹なのもあって十分美味しく感じられた。

 皿に盛られた肉は……豚かな?塩気が効いていて、胡椒のような香辛料もかかっていた。ちょっと硬くて大味だけど、食べ応えはしっかりある。

 パンは茶色で少し硬いけど、味は現代日本で食べていたパンと比べても遜色ない。中世ファンタジーって「硬い黒パンをガリガリ齧る」みたいなイメージだったけど、こういうパンが普通なんだろうか。それともこれはお客様用なのか。

 国や時代が変わって一番不安なのはやっぱり食事だけど、少なくともこの食事はふつうに美味しく食べられる。よかった。


 食べ終わって少し経った頃にさっきのメイドさんがまた入ってきて、お盆が下げられる。

 そのときにお湯の入った桶ときれいな布が部屋に運び入れられた。寝る前にお湯で体を拭くのがこの世界のお風呂代わりらしい。

――――――――――――――――――――

 お湯で体を拭いたら、もうやることもない。

 ベッドの上に寝転ぶ。中世のベッドだから藁かと思ったけど、羽毛らしい。思いのほか寝心地はよさそうだった。これもお客様用だからだろうか。


 ようやくゆっくり落ち着ける状況になったので、最初に棚上げしていた疑問についてまた考える。


 多分だけど、「転移するときに思考をいじられて、異世界に順応しやすくされた」ような気がする。そう考えたら全ての疑問が解決してしまう。

 僕を転移させたのが神様のような存在なのかは分からないけど、あの精神世界は「ここが神の世界だ」と言われたら信じてしまうくらい不思議な場所ではあった。

 脳内に直接イメージを注がれるようなことが起こるんだから、「もとの世界への未練を感じないように意識を操られる」ということだってあり得そうだ。


 ノーフッド士爵に聞いたけど、彼の知る限り「来訪者たちが元の世界に帰っていった」という話は過去の文献にはなく、どの来訪者もこの世界で生涯を終えていたらしい。

 だから、きっと僕はもう現代日本には帰れない。

 両親にも妹にも二度と会えない。そう頭では分かるけど、なぜか寂しさや悲しさがない。帰れなくて当たり前なんだと受け入れることができてしまう。

 もとの世界に別れを告げて、僕はこれからこの世界で生涯を送るんだ、という事実を受け入れて納得できてしまう。


 そして、これからこの世界で生きていくことを少し楽しみにしている自分がいる。

 これも意識を操作されたからなのか、それとも僕自身の本当の気持ちなのかは分からないけど。


 もとの世界では、僕は腐っていた。自分の人生に希望は見えなかった。

 ニートになったのは自業自得だったけど、あのまま生き続けても輝かしい人生が続いているとはとても思えなかった。

 両親や妹は僕が消えたことを最初は悲しむだろうけど、それも時間が解決してくれるだろう。自分で養っている家族がいたわけでもないし、あの世界で僕がいなくても生活に困るような人はいない。


 それに、僕はこの世界では、特別な力を持った希少な存在らしい。その力を使ってこっちでもう一度真面目に生きれば、出世して貴族にだってなれるかもしれない。歴史に名前が残るかもしれない。

 神様が新世界で人生をやり直すチャンスをくれたと思えば、こんなにラッキーなことはない。


 人が腐るのは早い。本当にあっという間だ。だけど、人は腐ってもまた立ち直ることができる。


 この世界で前を向いて生きていこう。もとの世界の家族にも胸を張って話せるような人生を送ろう。

――――――――――――――――――――

 昨日は食事と考えごとが終わったらやることもなく寝てしまったので、翌朝はまだ明け方くらいの時間に目が覚めた。

 昨日と同じメイドさんによって、顔を洗うための水が入った桶、そして朝食が部屋に運ばれる。

 朝食は昨日と同じパンとスープ、それと何か柑橘系の果汁を水で割ったものだった。


 食べ終わって一息ついた頃、ドアがノックされて、リーンハッグ士爵が部屋に入ってきた。

「来訪者殿、ノーフッド士爵が出発の用意を整えられたそうだが、もう出られるかな?」


 リーンハッグ士爵に連れられて、屋敷を出る。


 屋敷の前では、ノーフッド士爵が馬の準備を終えていた。


「おはよう。昨日はよく眠れたかな?」

「はい、しっかり眠れました。今日もよろしくお願いします」

――――――――――――――――――――

 今日の移動は馬を急がせるわけでもなく、のんびりしたものだった。


 お昼前には、次の目的地であるサンスタッドという都市から向かってきていたノーフッド士爵の部下たちと合流する。

 4人いた騎兵のうち1人は「来訪者を無事保護」という報告を部隊に届けるために都市へと先行していき、残りの3人が僕とノーフッド士爵を囲むような隊列になった。


 道中では「個人的に親しくならない」という点に注意しながらノーフッド士爵と言葉を交わして、この世界についての一般常識を色々と教えてもらう。


 それによると、


 暦は6日で1週、5週で1月、12月で1年。つまり1年は360日らしい。毎年春に新年がスタートして、今日は2月の13日だそうだ。


 また、1日の長さが24時間であることや、距離の単位、重さの単位は地球と同じだった。過去の来訪者によってこうした基準が持ち込まれたらしい。


 通貨単位は「ローク」。金貨1枚が1万ロークで、そこから大銀貨が1000ローク、銀貨が100ローク、大銅貨が10ローク、銅貨が1ロークと価値が1桁ずつ下がっていく。

 銅貨の下には10シク大銭貨と1シク銭貨(100シクで1ローク)まであるという。

 1ロークの価値が分からないけど、「平民で持ち家があるなら、だいたい1万ロークあれば大人1人が慎ましく1年暮らせる」らしい。

 1ローク=100円、くらいの感覚か?こればっかりは自分でお金を使うようにならないと分からない。


 この世界の通貨はすべて「神殿」で特殊な魔法を使って、供給が過剰にならないよう調整されながら、一定の品質に作られているらしい。

 だから、(貨幣価値が不安定だった地球の中世ヨーロッパとは違って)通貨の価値が急に大きく変動することはないそうだ。


 そして、この世界には魔法がある。魔物もいる。

 この世界の全ての生き物には、大小の差はあれど「魔力」と呼ばれる力が流れていて、どれくらいの魔力を持っているかは個人や種族によって差が大きいそうだ。

 多くの魔力を持ち、その魔力で世界に干渉してさまざまな現象を引き起こせる者は「魔法使い」と呼ばれるし、体内に魔力の塊である魔石を持つ生き物は「魔物」と呼ばれて他の動物と区別されているらしい。

 人の種族も様々で、エルフもいればドワーフもいて、獣人もいるという。


 それと、昨日も少し聞いたけど、この世界には奴隷制度がある。

 現代日本で生きてきた身としては「奴隷」という言葉の強烈さに身構えてしまうけど、この世界には「基本的人権」なんて概念もないみたいだから仕方ない。

 とはいえ、主人にとって奴隷は高価で貴重な財産だから、「無闇に酷使して死んだらポイ捨て」のようなことはあまりないらしい。

 ノーフッド士爵も家事奴隷や農奴を何人も持っているらしいけど、「奴隷とて生きているし感情もある。長年使っていれば愛着も沸く」という感覚だそうだ。

 犯罪奴隷や戦争奴隷でもない限り、過酷な扱いをされることは少ない、と言われて少し安心する。


 この国の貴族制度や貴族社会についても聞きたかったけど、そのあたりはノーフッド士爵の口からは一切話してはいけないらしい。私見を挟んだ説明をして、それが貴族による来訪者勧誘に影響を与えないための措置だそうだ。


 一通り話を聞いたら、後はやることもない。馬の背に揺られながら景色を眺めるだけだ。


 どこを見ても穏やかな草原が広がっていて、遠くには森や山が見える。

 ときどき兎や鹿のような野生動物を見かけるし、青い毛並みの狼や、一角獣のような角の生えた羊も遠くに見える。空には羽根の生えたビーバーみたいな生き物まで飛んでいた。

 ノーフッド士爵に聞いたら、あれが魔物らしい。

 この辺りの魔物はかなり弱いそうで「こちらが騎兵4人もいるならまず襲ってくることはないだろう」と言われた。確かに、どの魔物も遠巻きにこちらを眺めているだけだ。


 本当に僕は異世界にいるんだな。

 実際に生きて動いている魔物を見ると、あらためて実感してしまう。


 その日の夜に泊まったサンスタッドは、人口2万人ほどの都市らしい。

 最初に泊まったのが人口数百人の村だったので、その落差もあってかなり賑やかな都会に思える。大通りは石畳が張られていて、宿屋や商店、酒場が並んでいる。人通りも多い。

 普通の人間だけじゃなくて、獣人らしい人たちもいた。狼のような耳が生えた女性や、トラのような耳と牙のある男の人が歩いている。コスプレの飾りではない、本物の感覚器官としての耳が人の頭から生えているのはやっぱり衝撃的な光景だった。


 今日も泊まるのは領主のところらしい。

 サンスタッドを治めているという男爵の住居は、なんと小さなお城だった。ここは王都の防衛拠点としての機能もあるので、領主は城に住むことになっているそうだ。

 その男爵本人とはまともに言葉を交わすこともなく、使用人に案内されてまっすぐに客人用の部屋に通される。

 食事は肉にソースがかかっていたりデザートにドライフルーツのようなものがついていたりして、アレス村で出されたものよりも少し豪華だった。

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 次の日からの移動は、退屈を極めた。

 ノーフッド士爵はこの世界の基礎知識くらいしか僕に教える権限がないし、かといってお互いの身の上話をベラベラ喋るなんてもちろんできない。

 ノーフッド士爵の部下たちは緊急時以外は僕と会話する許可すら出ていないらしく、一言も話さない。

 代り映えのしない景色を眺めるか「自分のギフトはどんなものだろう」とか「もし貴族になれたらどんな生活なんだろう」と妄想にふけって過ごすしかなかった。


 その日泊まったのは、丸太の柵に囲まれた小規模な砦だ。

 防衛拠点として、また連絡や補給の中継地点として、さらには王都へと向かう貴人の宿泊施設として、こういう砦が王領のところどころにあるらしい。


 そしてその翌日、異世界に来て4日目の正午、「そろそろ王都が見えてくるぞ」とノーフッド士爵に声をかけられた。
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