魔物の森のハイジ

カイエ

文字の大きさ
上 下
85 / 135
#5

しおりを挟む
 ハーゲンベック・リヒテンベルク連合軍が降伏を宣言したのは、戦いが始まって一週間ほど経った頃だった。
 大まかな予想としては一ヶ月は続くはずだったのだが、敵の主たる将が討ち取られたことで、敵の軍は瓦解。絶対に勝てると豪語していたハーゲンベックを、資金援助していたリヒテンベルクが見捨て、あっさり白旗を上げた。リヒテンベルクにとっては、ハーゲンベックはあくまで金づるであり、このまま続けるよりは、早いうちに降伏してハーゲンベックに賠償金を出させるほうがマシだと判断したようだ。
 対して、ハーゲンベックは降伏するつもりなどなかったようだが、リヒテンベルクが手を引けば、戦争を続けるだけの体力はなく、降伏か滅亡かの二択ならば降伏を選ぶしかなかったようだ。

 さらにライヒは追い打ちのように、ハーゲンベックとリヒテンベルク双方に、向こう二十年間は防衛以外の理由でライヒに宣戦布告をしないこと、さらにリヒテンベルクに対してはライヒ領に敵対する領に対し、一切の援助をしないことを宣言させた。

 リヒテンベルクは賠償金を補填するためにイチャモンをつけてハーゲンベックに慰謝料を吹っかけるだろう。もともとそちらが狙いだった節まである。これにより、ハーゲンベックはライヒ、オルヴィネリ、リヒテンベルクの三国から慰謝料を請求されるというわけだ。もはやハーゲンベックがライヒ領とオルヴィネリ領に喧嘩を吹っかけるところはないだろう。

 * * *

 敵の主将を討ち取ったことが終戦の決定打になったのは間違いなかったが、そうなると当然「討ち取ったのは誰か」という話になる。
 ハイジが「俺ではない」とはっきりと否定したことで「これはもうに違いない」などと囁かれるようになったが、あたしは

「覚えてないわ」

 と答えた。

 覚えていないというのは本当だった。
 理由として、敵に感情移入したくなかったことが一つ。それに戦っていた時間の半分は遊撃、残りはハイジとのタッグを組んでの戦闘だったため、どちらがどんな将を斃したのか、あたしには観察するだけの余裕がなかったのだ。
 対して、はっきりと「自分ではない」と言えてしまうハイジは、つまりあの混戦の中でも相手を観察する余裕があったわけだ。
 実力を認められたとはいえ、まだまだハイジとの差は大きいようだ。

 この戦であたしが殺した精兵は三十人ほど。無力化した弱卒なら百人は下らないはずだ。その中に、敵の主将が含まれていたかはわからない。
 ハイジはおそらく精兵だけでも五十人は殺したはずだ。弱卒を入れると数はわからない。もはやライヒ軍に戦争を続ける余裕はないはずだ。

 当然ながら、この戦の英雄はハイジである。
 が、対外的に、ライヒ領に英雄クラスの精兵がハイジしかいないと思われるのはあまり宜しくない……というわけで、あたしも引っ張り出されることになった。

(勘弁して)
 
 正直、そういうのは苦手である。あたしは必死に抵抗した。
 しかし、いつの間にやら外堀が埋められていた––––オルヴィネリ伯爵領のサーヤ姫から直々に勲章が届いていたのだ。
 ミッラ曰く、同じ『はぐれ』の女性が戦功を上げたことを、オルヴィネリの次期伯爵夫人は大いに喜んだそうだ。
 
「マジですか」
「マジよ」
 
 あたしはがっくりと項垂れた。
 これでは諦めざるを得ない。

(くそぅ、サーヤのやつ……!)
(一体どうしてくれようか……!)

 サーヤから勲章をもらうと知ったらどんな顔をするかとハイジに報告してみたが、特に思うところがなかったのか、いつもどおりに「そうか」とそっけない返事が返ってきた。
 命がけで姫を守る騎士を気取ってるくせに、ドライなことだ。


 * * *


 ライヒ伯爵からの招聘で、あたしは初めてエイヒムの奥に聳えるお城を訪れることが決まった。
 
 戦争が終わり、お祭りムードのエイヒムで、あたしはさっさと身支度をして森へ帰る準備を進めていたが、ミッラから「絶対に帰るな」との厳命が下った。

「あのね、リンちゃん。あなた、ハイジさんが戦争が終わって森に帰っちゃった時に、あんなに怒ってたくせに、もう忘れちゃったの?」
「……ありましたね、そんなこと」
「ハイジさんもこれまで何度も受勲を放り出して帰っちゃって……いくら言っても言うことを聞いてくれないし、これでリンちゃんにまで逃げられたら、ギルドの立場がないわ」
「そこは、ほら、弟子は師匠に似るってことで一つ」

 あたしが言うと、ミッラにガシッと腕を掴まれた。
 
「……逃さないわよ」

 ニヤリと挑戦的に笑うミッラだった。
  
「逃げるならあたしを倒してから逃げなさい!」
「は、はぁっ?!」

 実際のところ振りほどくのは簡単だ。しかしあたしはミッラには一度とんでもないことをしでかしてるわけで、あたしがそれを負い目に感じていることを、ミッラはよくわかっているのだろう。それを利用して––––というよりは、その負い目を忘れさせてくれようとしているのだろう。
 人の親切を無下にするのは苦手だ。
 あたしは降参した。

「ミッラには敵わないわね。わかった。大人しく言うことをききます。逃げません。伯爵からの招聘に応じます。––––これでいい?」
「よろしい。では、明日の正午から受勲式だから、朝のうちにギルドに来て頂戴ね」
「……了解」

 うんざりとため息を吐きつつ、あたしはミッラの言う通りにすることにした。


 * * *
 
 
 しかし、ハイジは頑として付いてこようとしなかった。
 ギルドの酒場で、珍しく二人で食事中、あたしはハイジに「一緒に行こう」と強く誘った。
 このままではあたし一人がお城まで行くことになる。何としてもハイジも引っ張り出して巻き添えにしたい。
 一蓮托生である。

 ハイジは匙を口に運ぶ手を止めもせずに「一人で行け」と冷たく言い放った。
 あたしは憮然とした。
 
「いやいやいや、ハイジも勲章が届いてるでしょうに」
「いらん。犬にでも食わせておけ」
「どういう言い草!?」

 なにやらハイジ的には、勲章そのものが好ましいものではないらしい。理由はわからないが、これまでも一度もきちんと受け取ったことはないという。
 でも、ギルド内でその発言はあまりよろしくないんじゃないだろうか。
 それに、ハイジに会いたがっていたサーヤのことを考えると、やはり引っ張り出してやりたいところだ。これは何もあたしのわがままだけではない。
 
「もー……ハイジはわがままなんだから。お城に行けば、もしかすると姫さまに会えるかもしれないわよ?」
「いらん」
「いらん、って……そんな言い方ないでしょうが」
「前から気になっていたんだが……リン、お前何か誤解をしていないか?」

 ハイジが不機嫌そうにあたしを睨む。

(何が誤解よ、未だに姫さまのことが忘れられずにぐずぐずしてるくせに)
(こういうところ、結構女々しいやつだからな、バカハイジめ)

 ちょっとイラッとしたあたしは、立ち上がってハイジを相手に魔力をぶつけて威圧した。
 
「……あたしにはいつも言うことをきけと命令するくせに、あんたは惚れた女が怖くて逃げ出すの?」

 あたしが言うと、ハイジもゆっくりと立ち上がり、眉間の皺を深くして、あたしを睨んで威圧してきた。
 
「なんだ、その惚れた女ってのは」

 ハイジから濃密な殺気が立ち上る。
 グニャリ、とハイジの周りの空間が歪んだ。
 おそらくあたしの周りも同じように見えていることだろう。

「前々から言いたかったんだけど、この際だから言わせてもらうわ。ハイジ、姫さまが絡むとちょっと女々しいわよ」
「何を言ってるかわからんな。誰から聞いたか知らんが、くだらん噂を真に受けるな」

 お互い睨み合いながら、殺気をぶつけ合った。
 髪が逆立つ。周りの空気がチリ、チリと弾け始める。
 机の上の食器がビリビリと振動し始める。
 辺りの床やテーブルがパキ、パキ、と音を立て始める。
 近くで「バタン」と何かが倒れる音がした。

 ––––殺気に当てられたミッラが白目を剥いて気絶していた。

「あわわわわわわ」

 あたしは慌てて駆け寄って、ミッラを介抱した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

処理中です...