魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

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 冬が訪れ、懐かしき寂しの森へ戻り、ハイジとの鍛錬が再開された。

 ハイジのしごきはますます苛烈さを増した。
 すでに手加減はなし。ハイジは殺す気であたしに対峙するようになった。
 即死さえしなければ、ヴィヒタが治癒できる。そして死なないからと手を抜くあたしではない。その覚悟はようやくハイジに伝わりつつある。

 つまり、ということだ。

 訓練に使う獲物も、木剣ではなく使い慣れた剣になった。
 ハイジの大剣グレートソードは特注品だ。常人では振り回すことが困難なほど重たく、掠っただけで骨を持っていかれる。斬るのではなく壊す剣––––対峙すれば、その威圧感は尋常ではない。しかしあたしも負けじ刺突剣レイピアを構えた。
 剣を向ければ全力の殺気が容赦なく降り注ぐ。その中で自由に動けるようになるにはとてつもない精神力が必要だ。気を抜けば意識を持っていかれるし、そうでなくとも視界が持っていかれることもしばしばだった。

 剣戟のスピードはますます上がった。
 恐るべきことにハイジの大剣のスピードは、加速を重ねがけしたあたしの剣よりもまだ速かった。
 そもそも筋力の差が話にならないのだ。普通に打ち合うのでは勝てるわけがない。
 あたしは早々に鍔迫り合いでハイジを追うことを諦め、トリッキーな動きで翻弄することを重点的に鍛えることにした。

(ハイジに一度でも触れることができれば、きっと認めてくれる)

 あたしはそう信じて、全てを賭けて挑み続けた。

 あたしはますます自分の能力を洗練させ、そのうちに加速から伸長に切り替わる瞬間に気配を消すと、ハイジがごくごく僅かな時間だが、あたしを見失うことに気づいた。

 剣戟の一瞬の隙間を縫って、あたしは殺気をばらまきつつ加速し、背後へ回る、ハイジの動きを気配察知で捉え、攻撃をくぐり抜けつつ伸長、その瞬間を狙い、気配を消して頭上へ––––一瞬あたしを見失ったハイジに渾身の力で剣を振り下ろす!

 ハイジは「うっ」とうめいて強引に体を傾けてそれを避け、反撃であたしの体をぶっ飛ばした。アタックの瞬間に超加速をかけ、ダメージを殺すが、全く殺しきれなかった。

 届かない。
 届かない。
 すぐ目の前に立つ男までが、こんなにも遠い––––!

 宙を舞いながら、あたしは臍を噛む。だが、無様に転がるのは避けたい。
 そして着地。重ねがけした伸長ですら勢いを殺しきれなくて一回転、そしてすぐに剣を構えて対峙する。

「ちぇ……これでも駄目かぁ」
「今のは惜しかったぞ」

 ハイジが首をコキコキと動かしながら言った。

「そう?」
「ああ」
「なら、こういうときは褒めるものよ」

 あたしが言うと、ハイジは獰猛な獣のように笑ってみせた。

「……よくやった」
「ふふん」

 そして一気に加速、剣戟。
 戦いに慣れない者が見れば、剣はおろか、もはやあたしたちの姿を目視することすら困難だろう。
 極限の速度で交わされる剣戟の応酬の中ですら、ハイジは常に一歩上からあたしを引き上げようとする。
 傷らだけ、痣だらけ。骨折なんて日常茶飯事だったが、一秒が十秒、十秒が百秒に引き伸ばされた永遠とも思える剣戟という名の逢瀬は、あたしにとって至上の幸福だった。

 誰もあたしたちを目視できない。
 誰もあたしたちを邪魔できない。
 あたしはハイジだけを見て、ハイジもあたしだけを見て、全身全霊お互いのことだけを想っている。
 男と女の関係ではないかもしれないが、あたしは誰よりもこの男の近くに立てている。

 ああ。
 ハイジ。
 ハイジ。
 楽しいね。
 ずっとずっとこうしていられるなら、どんなにか幸福だろうね。

 そしてようやく、ほんの一瞬––––ハイジの肌にあたしの剣先が触れた。
 限界の限界、さらにそのなかの限界の中で、あたしの剣先がハイジの腕に触れたのだ。

(やった…………!!!)

 あたしはニヤリと笑い、そして意識を手放した。
 意識を集中しすぎて、魔力も体力も精神力も尽きた。
 体中の毛穴から歓喜の感情が溢れ出るのがわかった。

 意識が遠のく中、あたしはハイジの悔しそうな笑顔を見た。


 * * *


 目を覚ますと、素っ裸でサウナに転がされて、ハイジにヴィヒタで叩かれていた。
 一応体には布が掛けられていたが、どうやら意識を取り戻さなかったため、怪我の治療のために服を引っ剥がしたらしい。
 薄く目を開けると、ハイジがあたしの顔をじっと見ながら、ヴィヒタでバシバシやっている。

(ナンダコレ)

 あまりにシュールな状況に、思わず笑ってしまった。

「目を覚ましたか」
「おかげさまで。……どのくらい寝てた?」
「一時間ほどだ」
「どういう状況?」

 女の服を脱がせたことに一応は思うところがあるらしく、ハイジは少し困った顔になった。

「すまないが、怪我は早めに治したほうがいいと思ってな」
「いいよ、ありがと」

 はぁ、と深呼吸。
 熱いなぁと思ったら、ハイジがバケツの水をあたしにぶっかけた。

「……冷たい」
「我慢しろ」
「そういえば、水をぶっかけられるのも久しぶりね。昔は気絶するたびにやられたものだけど」
「……強くなったな、リン」
「本当に?」
「ああ」

 初めてハイジがあたしを認めてくれた!
 嬉しい––––!

 感動するあたしを、ハイジは変わらずバシバシし続ける。
 感動的なシーンのはずなのだが、絵面が酷い。
 それでも、なかなかに心地よかったりするので、あたしは目をつぶってなすがままになっていた。

 しばらく沈黙が続き、そしてハイジは言った。

「リン。一緒に依頼を受けてみるか?」
「?!」

 驚いて目を見開く。

「おれも長く傭兵の仕事を休んでいる。そろそろ復帰したい。だが、お前を一人で置いて行くのは抵抗がある」
「やる!」

 あたしは飛び起きた。

「あたしはハイジに着いていく! この領を守る! 街の皆を守る!」
「…………そうか」

 ハイジは目をそらす。
 その顔はまだどこか気まずげだった。
 もしかすると、本当はまだ心の底では納得行っていないのだろうか?

「なぜ、目を逸らすの、ハイジ」
「……いや……」
「まだ罪悪感があるの? でも、あたしは戦うわ! ハイジが何と言おうと、どこまでも付いていく!」

 そう高らかに宣言すると、ハイジは目をそらしたまま、気まずげにそれを口にした。

「リン……、その前に服を着ろ」

 あたしはハイジの顔がいつもより赤い事に気づいた。
 それから素っ裸で仁王立ちしている自分に気づいて、あたしは「ギャア」と色気のない悲鳴を上げて、布を拾い上げて体を隠した。


 * * *


 女として意識してもらいたかったわけじゃない。
 あたしとハイジには、甘ったるいロマンチックは似合わない。
 それでも、いつまで経っても子供扱いでは辛いではないか。

 ――初めて意識してもらえた。

 その日の晩、あたしは悶々としてなかなか寝付けなかった。

==========

 #4(四章)はこれで終わりとなります。
 幕間としてハイジの過去話を挟んで、#5(五章)となります。
 よろしければお付き合いください。
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