魔物の森のハイジ

カイエ

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 いつもの馬車と落ち合う噴水近くに到着する。
 辺りを見回してみると、特徴的な轍がまだしっかり残っていた。
 ギャレコの馬車はソリを兼ねている。この轍を見誤ることは絶対ない。
 チラチラと雪が降っているが、これなら追いかければ追いつくかもしれない––––いや、絶対に追いついてみせる。

「………無駄なことを」

 あたしは憎々しげにつぶやいた。
 夜の森を馬車で走るのは自殺行為とはいえ、あたし一人ならばどうにでもなる。
 何なら、丸一日走れば、自力で森へ帰ることだってできるのだ。
 バカにしている。こんなことであたしが諦めるとでも思っているのだろうか。

(On Your Mark……!)

 グググ、と体に魔力を込め、姿勢を低くする。

(Set……!)

 足に、肺に魔力を分配する。
 これで、疲労に負けずに最高速度を維持できるはずだ。

「Bangッツ!!!」

 あたしは弾丸のように走り出す。
 陸上で鍛え上げた理論と、魔物の森で培った身体能力、そのすべてを速度に注ぎ込む。
 姿勢は魔獣のように低く、しかし背筋は伸ばし、地面を蹴り続ける。
 視界は狭くなり、風景は風のように後ろに流れていく。

 あたしの能力はこういう時には何の役にも立たない。残念だ。加速したところで同じだけ伸長されるので、トータルの時間を短縮することはできない。自分の力の使い勝手の悪さに舌打ちをする。

(余計なことを考えるな)
(今は、彼に追いつくことだけを考えろ)

 関所は門番に金貨を一枚放り投げて通り過ぎる。
 門番が何やら叫んでいたが、数秒で声の届かない距離まで離れてしまい、何を言っていたのかまではわからなかった。

 轍が消える前に追いつかなければ、森まで自力で走ることになる。そうなると、あたしだけでは勝てないような魔獣に遭遇する恐れだってある。

(何が何でも追いついてやる!)

 さらに加速する。自分がこんな速度で走れることを、あたしは今日の今日まで知らなかった。
 幸い、それでなくとも雪の日の馬車は人が走るより遅い。
 ミッラは小一時間前に発ったと言った。これなら何とかなるはずだ。

 何度か躓いたが、加速と伸長を駆使し、速度を落とさずに体勢を整える。
 ハイジによる地獄の特訓のおかげもあって、全力疾走を続けてもまったく息が切れる気配がない。
 一気に追いついて、一発ぶん殴ってやる!

 小一時間ほどそうして走っていただろうか。
 しかし、あたしは違和感を覚え、警戒しながら速度を落とした。

(……戦いの気配?)

 耳を澄ます。
 ガキン、と金属音。

(剣戟ッ!?)

 あたしは気配を消して、魔力探知を広げながら音の発生元へと近づいて行った。
 空気はピンと張り詰め、肌はヒリついている––––わかる。これは闘争の気配だ。

 森の木々の隙間から、戦いの舞台が見えた。横転している馬車と、倒れているトナカイ。そして––––

(ハイジ!)

 ハイジが、六人の敵と戦っていた。
 辺りには死体が三人ほど転がっている。どうやら苦戦中のようだ。

(ギャレコを守りながら戦っているからか)

 この程度の敵、ハイジなら一瞬で無力化できるはずだ。しかし、守るべきものがあると、動きは制限される。
 ギャレコも剣を持って構えてはいるが、彼はもう年寄りだ。すでに戦うのは無理だろう。自分の身を守ることすらおぼつかないはずだ。

 敵はまだこちらには気付いていない。気配察知––––すぐ近くにもう一人! 弓でハイジを狙っている!

(やらせない!)

 たとえ矢で射ったところで、決してハイジには届くまい。それでも、少しでもハイジを傷つける可能性があるのなら容赦はしない!

 あたしは気配を消したまま走り出し、魔獣のように男に迫る。凪いだはずの空気が突風となって頬を撫でる。足元の草がザザザザザ……! と足音らしからぬ音を立てる。

「なっ……!」

 その音で、男があたしに気づく。迫る音にすわ魔獣の襲撃かと振り返れば、襲い来るのが人であることに驚愕している。慌ててこちらに弓を向けようとするが、

(遅いッ!)

 あたしはすれ違いざまにレイピアでその男の首を切り落とした。男の手から力が抜け、握っていた弓から矢が放たれた。射線は外れている。視界の邪魔になる降りかかる血の雫をすべてレイピアで弾き飛ばし、次の獲物を見据えた。

「リンっ……!!」

 ハイジが叫んだ。
 彼があたしの名前を呼んだのはこれが初めてだった。
 敵達はようやくあたしの存在に気づいたようだ。

「居たぞ!」
「ターゲットの『はぐれ』だ!」
「確保ォーーーッツ!!!」

 男たちの意識が一斉にこちらに向いた。
 ハイジが酷く狼狽するのを感じた。
 どうやら––––あたしはハイジにとって随分な弱点になっているらしかった。

「やらせんッ!」

 ハイジが吠え、同時に豹のように飛び出した。巨大な体躯からは想像もつかない嵐のような速度だ。しかし敵もバカではない。「さッ、散開……ッッ!!」と号令がかかると、全員が一斉に別方向に別れた。一網打尽にされるのを避ける作戦のようだ。あたしを目標に三方向から敵が迫る!
 あたしは歯をむき出して嗤った。

(かかって来いッ!)

 あたしはし、三人を観察する。

(––––いや、か)

 うち一人にはすでにハイジが照準をあわせている。ならば居ないものとして無視して良い。残り二人のうち一人はなかなかの技量だ。先日の……確かピエタリとかいう名の盗賊のリーダーと同じくらいの腕はありそうだ。

(それなら……ッツ!)

 ––––加速! あえて真正面から迎え撃つ!

「な……ッ?!」

 人は人を殺す時、普通は躊躇する。ましてや、あたしのような小娘ならなおさらだ。
 そうしたをぶった切り、あたしは躊躇なく相手の首をフルスイングで刈り取る。斬った瞬間にはすでに次の敵に照準を合わせている。首が転がる。加速する思考の中、スローモーションみたいに降り注ぐ血の雨が落下するより速く、弾かれたように飛び出し、地面スレスレまで姿勢を低くして次の獲物に迫る!

「嘘だろ……ッ!?」

 残された一人は、自分より強者があっさりと殺されたのを見て恐慌状態に陥る。しかし、あたしが辿り着く前に、逃げようとした男の額に、ガスン! と短剣が突き刺さる。もちろん即死――ハイジの仕業だ。

 あたしはあたりを見回した。腰を抜かしたギャレコが無事であることを目視。周りにあたしを含めて生きた人間が三人しか居ないことを確認した。

 十秒ほどの出来事だったが、敵は完全に無力化されていた。
 辺りは死体だらけだった。

「リン……!」

 立ちすくむあたしに、ハイジが駆け寄ってくる。

「うわぁああああああああ!!!!!」

 あたしは泣いた。
 泣き叫んで、ハイジに殴りかかった。

「ふざけるなぁああっ!!!!!」

 ボグンッ、とあたしの拳がハイジの頬に突き刺さった。

「グッ……」

 ハイジがそれを受けて小さく呻いた。その口から血の雫が弾け飛ぶ。

「何故置いていく!」

 あたしはメチャクチャに泣き叫けんだ。
 泣き叫びながら、ハイジの胸に何度も拳を振るった。

「……リン……」
「ふざけるな! それであたしのためのつもりか!」

 ハイジは避けもせずに素直に殴られながら、静かな静かな声で答えた。

「違う、お前のためじゃない」
「じゃあ、なぜ置いていくッ!」
「俺のためだ」
「あたしが邪魔なのか!?」
「そうだ。お前が邪魔だ。おまえがいると、俺は戦えない」
「何故だッ!」
「足手まといだからだ」
「なめるな!!!」

 あたしは何度も何度もハイジをぶん殴る。
 ハイジの体はタイヤのようにびくともせず、力いっぱい殴ったあたしの手首のほうがダメージを負ったが、あたしは構わず殴り続けた。

「なめるな! あたしも戦える! 戦えるようにしたのはハイジでしょう!!」
「……無理だ。お前はまだまだ弱い」
「じゃあ、ちゃんと責任を取れ! 途中で投げ出すな!!!」
「人を殺すことに慣れてほしくない」
「もう三人も殺した! 殺したことに後悔なんて一つもない! それよりも!!!」

 あたしは殴るのをあきらめて、ハイジにすがりつき、ワッと泣いた。

「それよりも……あたしを、置いていくな。一緒に戦わせろ!」

 ハイジは何もせず、黙ってなすがままになっている。
 ヒック、ヒックと泣きながら、あたしはハイジに言った。

「……置いていくつもりなら、あたしにも考えがあるぞ」
「……言ってみろ」
「お前があたしを置いていくなら……あたしは一人でも、傭兵になる」
「……お前では無理だ」
「なら、人間との戦い方を教えろ。一人で戦って死ぬか、ハイジと二人で戦って死ぬか、道は二つに一つだ」

 あたしはハイジを睨んで宣言する。

「あたしは今日から傭兵だ。あたしを死なせたくなければ、あたしを鍛えてみせろ」
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