魔物の森のハイジ

カイエ

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#4

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 結局あたしたちは、ニコが屋根裏部屋の外でもじもじしていることに気づくまで話し込んでしまった。
 ニコは仕事が終わって自室に戻ろうとしたが、あたしたちに気を使って声をかけそびれていたらしい。

「ご、ごめんなさい……」
「えっ! いいですいいです! 気にしないで!」

 サーヤが慌てて頭を下げている。腰の低いお姫様もあったものだ。
 とはいえ、ニコをほったらかしにしていたのはあたしも同罪である。

「あたしからもごめん、ニコ……。仕事も任せっきりにしちゃったね」
「それについては、ちょっと大変だったよ……お客さんたちが盛り上がっちゃって……」

 恰好の酒の肴を手に入れたお客たちは大盛り上がりだったようだ。
 護衛さんたちもさぞ困っただろう。

「ごめんね、今度絶対埋め合わせするから!」
「うん、期待してるね!」

 ぱし、と手を合わせて謝ると、ニコはニヘラ、と笑ってくれた。
 そういえば、この手を合わせるジェスチャーってこの世界でも通用するのだろうか。

「あ、そうだ、ペトラが話が終わったら下で待ってるから降りてこいって」
「ペトラが? わかった。サーヤ、行こう?」
「ええ。ニコさん、ご迷惑をおかけしてすみませんでした」
「いえ! どうぞお気になさらず!」
「ニコも一緒に行こう?」
「えっ!? いいよ、あたしは……!」
「いいからいいから」

 半ば無理矢理ニコの手を引いて、サーヤと階下へ降りる。

 * * *

 店まで降りると、ペトラが男たちと酒を飲み交わしていた。

「来たね」

 ペトラがグイとカップを煽る。

「これは、姫さま! お話はお済みで?」
「いやぁ、この店は良い店ですなぁ!」
「酒も旨いし、料理も最高! ライヒ領とは良き領ですな!」
「さささ、姫も一杯」
「……この状況は一体……?」

 出来上がった男たちを前に、サーヤが呆然としているが、これはアレだ。
 ペトラに誘われて、断りきれずに飲み比べになったのだろう。
 
「アンタたちが長話してる間、暇そうにしてたからね。ちょっと付き合ってやったんだよ」
「……ペトラ、お貴族様相手に失礼はだめだって言ってたくせに……」
「いやいや! リン殿! ペトラ殿といえばオルヴィネリまでその名が聞こえる女傑ですぞ!」
「『重騎兵』殿と飲み比べをしたとなると、地元に帰って自慢できます!」
「だから二つ名で呼ぶなつってんだろ! 罰としてもう一杯行きな!」
「おお、これは失礼! ではもう一杯……」

 なんだこれ。
 
 ニコが困った顔をしている。この状況の中、自室に戻ることもできずにオロオロしていたのだろう。
 申し訳ないことをした。ニコにしてみれば疎外感が半端なかっただろう。
 ならば、こっち側に引きずり込んでしまうまでだ。
 
「サーヤ。こちらがニコ。サーヤの後輩で、あたしの先輩」

 紹介を始めると、サーヤがサッとよそ行きの顔に戻って、にっこりとニコに笑いかける。

「あら、可愛らしい後輩ね。よろしく、サーヤです」
「に、ニコですっ!」
「ニコ、こちらがサーヤ。えーと、お隣のオルヴィネリ……」
「わっ! わーっ! リンちゃん、シーッ!」

 あたしが言いかけると、サーヤが酷く慌てたようにあたしを止めた。

(えっ? あれっ!? もしかして内緒?)
(実はそうなの。……きっと今頃、地元じゃ大騒ぎになってるわ……)
(まさか、黙って出てきたんじゃないでしょうね?)
(……えへへ)
(……なんてことを……)

 思わず頭を抱えた。
 護衛たちから話を聞いてすぐに出立したのだろうとは思っていたが、まさか何も言わずに出てきたとは……。

(大丈夫、抜け出したのは何も今回が初めてじゃないし、護衛たちも一緒に居なくなってるのだから、本気で心配はしてないでしょ。……後で絶対メチャクチャ叱られるけど……)
(うん、そこはこってり絞られたほうがいいんじゃないかな)

 あたしが言うと、サーヤはプッと膨れて、それから朗らかに笑った。

 * * *

 はじめこそ話に入って行けずにオロオロしていたニコだったが、サーヤの話術によりあっという間に打ち解けた。
 しまいには、昔からの友達のように笑い合っている。

「そうなんですよぅ、リンちゃんったら厳しいったらなくて、付いていくのも必死なんですよ」
「いいなぁ、あたしも剣術とかやってみたいけど、体が弱いからなぁ……ニコさんは元気だから、いっぱい体動かせますね。きっと強くなりますよ」
「そ、そうかな、えへへへ」

 二人の会話を眺めながら、あたしもちょっとお酒を頂く。
 こう見えて二人は先輩後輩の仲なのである。それを言ったらあたしが一番後輩なわけだが、末っ子感はニコのほうが強いだろう。
 サーヤはニコが可愛くて仕方ないらしく、ずっと嬉しそうにしている。

 サーヤはサーヤで古巣が懐かしくてたまらないらしく、ニコのエプロンを借りて護衛に水を配ったりして給仕のものまねをしている。
 さすがは先輩、なかなか様になっている。久しぶりの給仕で少し危なっかしいところはあるが。
 多分サーヤは貴族のような生活よりも、こうした街の生活のほうが好きなのだろう。
 自分の身を自分で守れない『はぐれ』でさえなければ、ずっとここでこうして生きて行けただろうに、人生とはままならないものである。
 
(サーヤがお姫様だと知ったら、ニコひっくり返るわね)
(護衛の皆が「姫さま」なんて呼んでるけど、まさか本物だとは思うまい)
 
 不思議な空間だった。
 店じまい後の薄暗いカウンターで、ライヒ、オルヴィネリ、そして日本という異国の人間が一緒に飲み交わしている。
 サーヤにとっては懐かしい、あたしとニコにとっては嬉しい甘味も用意されていて、女子三人で盛り上がった。女子にペトラが含まれないのは、彼女が甘味よりは酒の人だからである。
 この世界ではアルコールに年齢制限がないので、まだ未成年のニコもお酒を果汁で割って飲んだりする。
 サーヤもお酒が入ると、妙に子供っぽくなって、ペトラにベタベタと甘えている。
 どうやらよほど寂しかったらしい。ニコも対抗意識を燃やしてペトラに甘えている。
 ペトラは引き剥がすわけにもいかずに困り果てていたが、あたしだけはそれを肴にお茶を楽しんだ。
 
 ペトラも含めた女四人のおしゃべりは、夜遅くまで続いたが、あまり遅くなりすぎると、明日までにオルヴィネリ入りは難しくなる。それに、ライヒ領にはサーヤのことを知っている人間がいくらでもいる。もし見つかれば大騒ぎになってしまう。
 暗いうちにライヒを離れる必要があるため、サーヤはベロベロに酔っ払った護衛たちと一緒に帰路につくこととなった。
 
 ……こんなに酔っ払って、護衛たちは役に立つのだろうか。
 
「きっとまた会いましょう。どうか怪我などに気をつけて」
「サーヤも、どうかお幸せに。伝言はたしかに受け取ったわ」
「ええ。きっと伝えてね。次に会えるのを楽しみにしてるわ。ペトラ、ニコさんも、きっとまた会いましょう?」
 
 サーヤはそう言うが、現実は厳しい。
 あたしとサーヤでは、身分が違いすぎるのだ––––実際は、きっともう彼女と会うことは二度とないのだろう。
 
 でも、サーヤからハイジへの想いは受け取った。
 これでいいのだ。

 そう思った。
 

 * * *

 
 珍客たちが帰ると、店に物寂しい空気が残された。
 三人で片付けを終わらせ、ペトラにお礼を言ってから、ニコと屋根裏部屋に戻る。
 ベッドに入ると、ニコが話しかけてきた。
 
「リンちゃん、サーヤさんって、リンちゃんと同じところから来た人、なのかな」
「何でそう思うの?」
「だって、リンちゃんと同じ、黒目に黒髪なんだもん、わかるよ」
「……うん、正解。彼女もあたしと同じ『はぐれ』なんだ」
「そう……やっぱり……」

 ニコの歯切れが悪い。
 なんとなくわかる。
 きっとニコは寂しかったのだ。
 
「ニコ。心配しないで。あたしはずっとニコの一番の友だちでいるよ」
「えっ! そんなつもりじゃ……!」

 ニコは慌て始めるが、あたしはそれを止めた。

「ニコ……良いこと教えてあげる」
「……何? リンちゃん」
「サーヤってね、オルヴィネリ……ってわかる? 隣の領主様」
「え? うん、名前は知ってる。この領地のお友達なんだよね」
「正解。でね、サーヤって実は、オルヴィネリのお姫様なんだよ」
「? ……どういう意味?」
「そのままの意味。サーヤはオルヴィネリ伯爵の息子のお嫁さん。来年にはお妃になるんだって」
「……うそだぁ……冗談だよね?」
「本当の本当。あたしと同じようにハイジに拾われて、ライヒ伯爵の養女になって、今はオルヴィネリのお姫様なんだよ」
「……本物の?」
「そう」
「えええーーーっ!」

 ガバっと起きる気配がした。
 
「うそーっ! じゃあ、そんな人がどうしてリンちゃんに会いに来るの?!」
「今日あたしに会いに来たのは、ハイジに伝言があったからよ」
「えええ……そ、そうなんだ……! どういう人なのかなーって思ってたけど……護衛の人も「姫さま」って言ってたけど……まさか本当にお姫さまだなんて……」
「ニコ、これ、本当は内緒なんだからね? あたしとペトラ以外には、ニコしか知らない、二人だけの秘密」
「リンちゃん……」
「だから、心配しないで。あたしはどこにも行かないよ」
「……冬になったら森に行っちゃうくせに……」
「うっ、そ、それ以外の話だよ! これからも夏になれば、この店で働くよ。……それより、早く寝ないと、明日も訓練があるよ」
「えっ! 明日も訓練あるの?! う、う~ん……起きられるかな、あたし……」
「そこは頑張ってもらうしかないね」
「そんなぁ……」
「じゃあ、そろそろおやすみ、ニコ」
「うん……おやすみ、リンちゃん」
 
 こうして、ハイジにまつわる記念すべき一日が終わった。
 翌日は、仲良く二人で寝坊をした。
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