魔物の森のハイジ

カイエ

文字の大きさ
上 下
12 / 135
#1

12

しおりを挟む
 裏の食在庫で、芋をいくつか見繕う。
 肉は、先日男が仕留めてきたイノシシの肉の端っこを失敬する。
 キッチンに向かい、玉ねぎを刻み、芋の皮を剥く。
 この芋は小ぶりだが、皮が分厚くて紫色をしているだけで、中身は日本のじゃがいもと大差ないことは確認済みだ。
 肉を薄くカットしたら、玉ねぎと一緒にラードで炒めて、芋を投入。
 芋を軽く炒めたら水を加えて、芋が煮えるまで蓋をしておく。
 肉が煮えたら、砂糖をゴリゴリ削って加え、醤油もどきを加える。

(驚くなよ、先日のリベンジだ)
(醤油と砂糖と酒があるなら、まずくはならないでしょ)

 そう思っていたのに。

(あれっ?!)

 醤油もどきを加えたら、予想していたものと違う香りがぱぁっと広がる。
 それは醤油というよりは、お酢っぽい匂いだった。

(えっ、なんでなんで!?)

 慌てて味見するも、とてもじゃないが肉じゃがの味とは言えない味だ。
 美味しいかマズいかでいうと……。

(マズくて食べられないってほどではないけど……)

 とても微妙な味の料理ができてしまった。
 あの醤油もどきは、火を通すとこんな匂いになるのか……。
 そのままなめたら醤油っぽいと思ったのに。

(この味なら、酢豚でも作ればよかった)

 いや、酢豚は砂糖を大量に使う。
 扱いを見るに、どうやら砂糖は貴重品らしいし、酢豚は無理だろう。

(失敗した……)

 気がついたら、自分でも意外なくらいに凹んでいた。

 一言も口を利いてくれない、恐ろしげな雰囲気の男。
 その男の世話になりながら、何もできない自分。
 しかも、自分の得意料理を披露するつもりで男に色々要求したのに、こんな妙な料理を作る始末。
 男に対する苦手意識と、そんな男の世話になりつつ、何も返せない自分への嫌悪感。

 どよんと落ち込んで、トボトボと自分の部屋(これだって男に貸し与えられたものだ)に引っ込む。
 生来の強気な性格のおかげで、泣いたりはせずにすんだが、なんだか消えてしまいたい気持ちだった。

(もうちょっとくらいは、何かできると思ったんだけど)

 本当に、なんの役にも立たない。
 炊事や洗濯だって、男は苦もなく自分で全部上手くやるし、そもそもそれを手伝ったところで、男は暇な時間が増えるだけで、何もありがたくないのではないか。
 自分だって、もし何も手伝うなと言われたら、本を読むくらいのことしかできずに暇を持て余すだろう。

(ひょっとして)
(あたしがやろうとしてきたことって、手伝うどころか、ただの迷惑なおせっかいだったりするのかな)
(……料理もマズイし……)

 もしそうだったとしたら、あの男はなぜあたしをここに置いてくれているのだろう。
 あの男が自分に対して好意を持っていないことは、あの態度でわかる。

 そして自分も、あの男の雰囲気が苦手だ。どうしても好きになれない。
 見た目の問題ではない(それも恐ろしいが)。
 何が苦手かというと……男からは「暴力の雰囲気」」を感じるのだ。

 東京にいた頃、たまに街で見かける不良っぽい人たちは、身の危険を感じさせる暴力的な雰囲気を持っていた。
 あたしはそういう人たちにはできる限り近づかないように避けて通っていた。

 そしてあの男からは、それとは比べ物にならない、本物の暴力の雰囲気を感じるのだ。
 街の不良たちなど、男の持つ危険な雰囲気と比べれば、子供みたいなものだ。

(と言っても、勝手にあたしが感じてるだけなんだけどさ)
(でも、怖いものは怖いし、仕方ないんだよ)

 まぁ、女の自分の感覚では狩りだって暴力の一種だ。自給自足の生活では仕方ないとはいえ、躊躇なく動物を殺し、死骸から皮を剥ぐところを目撃しているのだ。
 日本育ちのあたしの感覚とは相容れないし、それは向こうにしてもお互い様だろう。

(それだって、最初はあたしを助けるためだったんだよな)

 それでも男に生かされている自分。
 役に立とうとしても、何もできない自分。

(ああ……自己嫌悪だ)

 いっそ、この家を出ていこうか。
 そうだ、天気が良い日の朝早くに出ていけばいい。
 あの男だって、面倒な女が居なくなって清々するだろう。
「駅」とやらへの地図だって覚えている。

(といっても、結局お金がないと意味がないんだよな)

 そこでも男の力を借りることになる。
 それは、なんだかとても嫌なことに思えた。

 さらに言えば、こんな小屋でできる仕事なんてたかが知れているはずだ。
 そんなことすらできない自分に、他の場所で仕事なんてあるのだろうか。

 自分ができること。
 得意なつもりだった料理は野人以下だと判明した。
 洗濯や掃除くらいはできるだろうけど、職業にできるほどではないだろう。
 そもそもこの世界の常識がないわけで。

(ぶっちゃけ、女のあたしにできる、残された仕事って、娼婦くらいしかないんじゃないか)

 恐ろしい考えが脳裏を過ったので、ブルッと震えて慌てて打ち消す。
 でも。

(正直、この世界で一人で生きていく自信はない)
(それこそ本当に、体を売るくらいしかできることがないんじゃないか)

 いけない、考えがどんどん悪い方へ暴走している。
 しかし、本箱に並んでいた民話集らしき本には、元奴隷の少年が悪魔を倒すといった物語が載っていた。
 つまり、この世界には奴隷が存在するということだ。

 ブルリと震える。

 こんな自分がこの小屋を出て、生きていけるのか。
 身売りするようなことになるか、あるいは奴隷にでも落とされたらどうしよう。

 そう考えると、男の態度はとてつもなく紳士的な気がしてくるから不思議だった。
 こちらを怖がらせないように、男なりに気を使ってくれているらしいし、女のあたしに変な視線を向けたりもしない。ただし、逆に一切目を合わせてくれないのだが。
 風呂に入っている時にはすっぽんぽんで遭遇したが(未だに思い出すと胃のあたりが痛くなる)、こちらに視線を向けないようにしてくれていたし、そもそもあれはあたしが風邪を引かないように、風呂に薪をくべようとしてくれていたわけで。

(もし、出て行けと言われたらどうしよう)
(もしそうなったら、この小屋より居心地の良い状態にはならないだろう)

 ここに置いてもらおう。
 頭を下げて、ちゃんとお願いしよう。
 一切の言葉のやり取りもないまま、いつの間にか流されるようにこの状況になっているが、きちんとお願いしなければいけないだろう。
 今はなんの役に立たないが、男の仕事をよく見て、少しでも手助けできるようになろう。

 あたしはこの時やっと、この小屋で生きていく決心をした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

淫らに、咲き乱れる

あるまん
恋愛
軽蔑してた、筈なのに。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。

海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。 ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。 「案外、本当に君以外いないかも」 「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」 「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」 そのドクターの甘さは手加減を知らない。 【登場人物】 末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。   恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる? 田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い? 【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】

アイドルグループの裏の顔 新人アイドルの洗礼

甲乙夫
恋愛
清純な新人アイドルが、先輩アイドルから、強引に性的な責めを受ける話です。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

隠れドS上司をうっかり襲ったら、独占愛で縛られました

加地アヤメ
恋愛
商品企画部で働く三十歳の春陽は、周囲の怒涛の結婚ラッシュに財布と心を痛める日々。結婚相手どころか何年も恋人すらいない自分は、このまま一生独り身かも――と盛大に凹んでいたある日、酔った勢いでクールな上司・千木良を押し倒してしまった!? 幸か不幸か何も覚えていない春陽に、全てなかったことにしてくれた千木良。だけど、不意打ちのように甘やかしてくる彼の思わせぶりな言動に、どうしようもなく心と体が疼いてしまい……。「どうやら私は、かなり独占欲が強い、嫉妬深い男のようだよ」クールな隠れドS上司をうっかりその気にさせてしまったアラサー女子の、甘すぎる受難!

処理中です...