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Guest1 笑わない小さなお客様 ③
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――翌朝、わたしと陸さんは手分けして早番のスタッフさんたちに、去年まで田崎さん親子にお泊まり頂いた時のことで何か憶えていることはないか訊いて回った。というか陸さんはもう遅番の勤務時間を過ぎていたのに、今日もまた残業をしている。でもまあ、今日はオーナーであるわたしも公認の残業なのでよしとしよう。
「コンシェルジュの高良さんが言うには、美優ちゃんはテディベアを抱えてたらしいんですけど。志穂さん、憶えてませんか?」
「大森さん、田崎様のお嬢さんって去年いらっしゃった時、確かテディベアをお持ちじゃありませんでした?」
――三十分ほど聞き込みをした結果、みんながこう答えてくれた。美優ちゃんは確かに去年まで、可愛いテディベアを持っていたと。
「美優様が抱えておいででしたテディベアは、一歳のお誕生日にお父さまからプレゼントされたものだそうでございますよ。美優様の宝物なのだとお母さまがおっしゃっておりました」
とは大森さんの証言。そんな宝物だったテディベアを、美優ちゃんは今年どうして持っていなかったのか。ご両親の離婚も無関係ではなかったのかな。
――と、コンシェルジュデスクの電話が鳴った。早番の本橋さんは他のお客様の対応をしているので、陸さんが受話器を取る。
「はい、コンシェルジュの高良が承ります。――はい、かしこまりました。ただちにお部屋まで伺いま……えっ? オーナーも一緒にでございますか?」
彼はたまたますぐ側にいたわたしと目を見合わせる。オーナーのわたしまで呼ばれるとは、よほどの事態が起きたのだろう。わたしは彼に「うん」と頷いて見せた。
「はい、すぐ近くにおりますので今すぐ参ります」
「――陸さん、どのお部屋?」
「三一二号室の田崎様だ。行くぞ」
「うん」
わたしは陸さんについて、エレベーターで三階へ上がっていった(小さなホテルだけれど、一応エレベーターも設置されているのだ)。陸さんが田崎様のお部屋のドアチャイムを押しながら室内に呼びかける。
「田崎様、高良でございます。失礼いたします」
ドアがロックされていないことをわたしが確認し、ドアを開ける。すると、中では美優ちゃんがこの部屋に置かれていた焦げ茶色のテディベアを抱きしめて泣きじゃくっていた。
「イヤだぁ! このクマちゃん、みゆがおうちにつれてかえるの~っ! このこはみゆのだもん!」
「このクマちゃんは美優のじゃないでしょう!? 美優のクマちゃんはもう、よそのお家に……、あ」
ヒステリックに叫んでいた京香さんが、わたしたちの存在に気づいたのか、それとも言ってはいけないことを口走ってしまったからなのか、「しまった」というように口元を押さえた。
「……田崎様、今おっしゃったのはどういう……?」
「オーナーさん……。高良さんも。ごめんなさい、お見苦しいところを見せてしまって」
困り果てたように引きつった笑いを浮かべるお母さんと、テディベアを抱きかかえたまま火がついたように大泣きする美優ちゃん。この親子がテディベアを巡ってケンカしていたことは明白だった。
「美優が、ここの部屋にあったテディベアを家に連れて帰るんだって言って聞かなくて。この子が大事にしていたぬいぐるみにそっくりだったもので」
「……高良さんはお母様のフォローをお願いします。――美優ちゃん、ちょっといいかな? お姉さんとおハナシしよう?」
わたしは陸さんに対応を指示して、小さなお客様に目線を合わせようと彼女の前にしゃがみ込む。大泣きしているとはいえ、六歳なら話せばわかってもらえると思う。
「…………うん」
やっと泣き止んでくれた美優ちゃんは、わたしの話を聞く態勢になってくれた。
「ねえ美優ちゃん、この子はね、このホテルのクマちゃんなの。ここにはこの子のお友だちとか兄弟がいーっぱいいるんだ。だからね、この子が美優ちゃんのお家に行っちゃったらみんな淋しがると思うの。美優ちゃんは、このお部屋にいる間だけ、この子のお友だちでいてあげてくれるかな?」
「……うん、わかった」
テディベアの頭を撫でながら、幼い美優ちゃんにも分かってもらえるように話すと、美優ちゃんは納得してくれた。ようにわたしには見えた。
「よかった、分かってもらえて。美優ちゃん、ありがとう。――高良さん、しばらくこのお客様を他のテディベアのところへ案内して差し上げて下さい。確かこの隣のお部屋は空いているはずなので。わたしはお母様とお話があります」
「かしこまりました。――お客様、隣のクマさんのところへご案内します。どうぞ、ついてきて下さい」
美優ちゃんが陸さんと一緒に部屋を出るのを見届けたわたしは、今度は京香さんに向き直った。
「お母さま、先ほどおっしゃりかけたことなんですけど。美優ちゃんの宝物だったテディベアをどうされたんですか?」
「……あのクマは、あの子が知らないうちに処分してしまいました。フリマアプリに出品して、もう売れてしまって。発送も済んでしまっってからあの子に訊かれたんです。『お母さん、美優のクマちゃん知らない?』って。大事にしていたテディベアがなくなってからです、あの子が笑わなくなってしまったのは。……全部、私のせいなんです!」
京香さんはご自分が取り返しのつかないことをしてしまったと、血を吐くように叫ぶ。その今にも泣きだしそうな表情に、わたしの良心がチクリと痛んだ。
「申し訳ありません、京香さん。お客様のプライバシーに土足で踏み込むようなことをしてしまって。……ですが、美優ちゃんの笑顔を取り戻す方法はきっとまだあるはずです。ですから、そんなにご自分を責めないで下さい。まだ望みは捨てないで下さい」
「はい……、はい。そう……ですよね」
彼女の目に光が戻ったことを、わたしは確信した。
改めて、美優ちゃんがこの部屋に置いていったテディベアを手に取り、隅々までじっくり観察する。そして、ふとある可能性に行きついた。
「――京香さん、美優ちゃんが大事になさっていたテディベアの写真、スマホに残されていたりしませんか? もしあれば拝見したいんですが」
「あ、はい。確か、フリマアプリに出した時の写真が……あ、ありました! これです」
わたしは京香さんからお借りしたスマホのテディベアの写真を拡大してみた。注目したのはお尻の部分についているタグだ。
「……やっぱり。この写真のクマと、今ここにあるテディベアはどうやら同じ工房で作られたものみたいです。使われているボア生地の色や材質は違うみたいですけど、完全オーダーメイドの一点もの。違いますか?」
「ああ、そういえば……。夫が高円寺にあるテディベアの工房に注文して作ってもらったと言っていたような気がします」
「そうですか。でしたら、何とかなるかもしれません。この件、わたしに預からせて頂いても構いませんか?」
テディベアというのは、作られた工房やメーカーによって個性が出るものだ。使われる材質や、丸みを帯びているかスレンダーかなどのフォルムの違い、ぬいぐるみの中に詰まっている綿の柔らかさなどでそういった個性が生まれるらしい。
そしてそれがオーダーメイドされたものなら、工房にパターンなどが書かれた顧客台帳が残っているはずなのだ。
「はい。オーナーさん、よろしくお願いします」
「あと、別れたご主人の連絡先も教えて頂けますか? これもお客様のプライバシーに踏み込みすぎなのは重々承知のうえですが、美優ちゃんの笑顔のためです。どうかご協力頂けませんか?」
「……分りました。紙に書いておけばいいですか?」
本当は許されることではないだろうけれど、京香さんは元ご主人の連絡先を備え付けのレターパッドに書いてわたしに預けて下さった。……でもこれ、きっと陸さんに怒られるだろうな。
「コンシェルジュの高良さんが言うには、美優ちゃんはテディベアを抱えてたらしいんですけど。志穂さん、憶えてませんか?」
「大森さん、田崎様のお嬢さんって去年いらっしゃった時、確かテディベアをお持ちじゃありませんでした?」
――三十分ほど聞き込みをした結果、みんながこう答えてくれた。美優ちゃんは確かに去年まで、可愛いテディベアを持っていたと。
「美優様が抱えておいででしたテディベアは、一歳のお誕生日にお父さまからプレゼントされたものだそうでございますよ。美優様の宝物なのだとお母さまがおっしゃっておりました」
とは大森さんの証言。そんな宝物だったテディベアを、美優ちゃんは今年どうして持っていなかったのか。ご両親の離婚も無関係ではなかったのかな。
――と、コンシェルジュデスクの電話が鳴った。早番の本橋さんは他のお客様の対応をしているので、陸さんが受話器を取る。
「はい、コンシェルジュの高良が承ります。――はい、かしこまりました。ただちにお部屋まで伺いま……えっ? オーナーも一緒にでございますか?」
彼はたまたますぐ側にいたわたしと目を見合わせる。オーナーのわたしまで呼ばれるとは、よほどの事態が起きたのだろう。わたしは彼に「うん」と頷いて見せた。
「はい、すぐ近くにおりますので今すぐ参ります」
「――陸さん、どのお部屋?」
「三一二号室の田崎様だ。行くぞ」
「うん」
わたしは陸さんについて、エレベーターで三階へ上がっていった(小さなホテルだけれど、一応エレベーターも設置されているのだ)。陸さんが田崎様のお部屋のドアチャイムを押しながら室内に呼びかける。
「田崎様、高良でございます。失礼いたします」
ドアがロックされていないことをわたしが確認し、ドアを開ける。すると、中では美優ちゃんがこの部屋に置かれていた焦げ茶色のテディベアを抱きしめて泣きじゃくっていた。
「イヤだぁ! このクマちゃん、みゆがおうちにつれてかえるの~っ! このこはみゆのだもん!」
「このクマちゃんは美優のじゃないでしょう!? 美優のクマちゃんはもう、よそのお家に……、あ」
ヒステリックに叫んでいた京香さんが、わたしたちの存在に気づいたのか、それとも言ってはいけないことを口走ってしまったからなのか、「しまった」というように口元を押さえた。
「……田崎様、今おっしゃったのはどういう……?」
「オーナーさん……。高良さんも。ごめんなさい、お見苦しいところを見せてしまって」
困り果てたように引きつった笑いを浮かべるお母さんと、テディベアを抱きかかえたまま火がついたように大泣きする美優ちゃん。この親子がテディベアを巡ってケンカしていたことは明白だった。
「美優が、ここの部屋にあったテディベアを家に連れて帰るんだって言って聞かなくて。この子が大事にしていたぬいぐるみにそっくりだったもので」
「……高良さんはお母様のフォローをお願いします。――美優ちゃん、ちょっといいかな? お姉さんとおハナシしよう?」
わたしは陸さんに対応を指示して、小さなお客様に目線を合わせようと彼女の前にしゃがみ込む。大泣きしているとはいえ、六歳なら話せばわかってもらえると思う。
「…………うん」
やっと泣き止んでくれた美優ちゃんは、わたしの話を聞く態勢になってくれた。
「ねえ美優ちゃん、この子はね、このホテルのクマちゃんなの。ここにはこの子のお友だちとか兄弟がいーっぱいいるんだ。だからね、この子が美優ちゃんのお家に行っちゃったらみんな淋しがると思うの。美優ちゃんは、このお部屋にいる間だけ、この子のお友だちでいてあげてくれるかな?」
「……うん、わかった」
テディベアの頭を撫でながら、幼い美優ちゃんにも分かってもらえるように話すと、美優ちゃんは納得してくれた。ようにわたしには見えた。
「よかった、分かってもらえて。美優ちゃん、ありがとう。――高良さん、しばらくこのお客様を他のテディベアのところへ案内して差し上げて下さい。確かこの隣のお部屋は空いているはずなので。わたしはお母様とお話があります」
「かしこまりました。――お客様、隣のクマさんのところへご案内します。どうぞ、ついてきて下さい」
美優ちゃんが陸さんと一緒に部屋を出るのを見届けたわたしは、今度は京香さんに向き直った。
「お母さま、先ほどおっしゃりかけたことなんですけど。美優ちゃんの宝物だったテディベアをどうされたんですか?」
「……あのクマは、あの子が知らないうちに処分してしまいました。フリマアプリに出品して、もう売れてしまって。発送も済んでしまっってからあの子に訊かれたんです。『お母さん、美優のクマちゃん知らない?』って。大事にしていたテディベアがなくなってからです、あの子が笑わなくなってしまったのは。……全部、私のせいなんです!」
京香さんはご自分が取り返しのつかないことをしてしまったと、血を吐くように叫ぶ。その今にも泣きだしそうな表情に、わたしの良心がチクリと痛んだ。
「申し訳ありません、京香さん。お客様のプライバシーに土足で踏み込むようなことをしてしまって。……ですが、美優ちゃんの笑顔を取り戻す方法はきっとまだあるはずです。ですから、そんなにご自分を責めないで下さい。まだ望みは捨てないで下さい」
「はい……、はい。そう……ですよね」
彼女の目に光が戻ったことを、わたしは確信した。
改めて、美優ちゃんがこの部屋に置いていったテディベアを手に取り、隅々までじっくり観察する。そして、ふとある可能性に行きついた。
「――京香さん、美優ちゃんが大事になさっていたテディベアの写真、スマホに残されていたりしませんか? もしあれば拝見したいんですが」
「あ、はい。確か、フリマアプリに出した時の写真が……あ、ありました! これです」
わたしは京香さんからお借りしたスマホのテディベアの写真を拡大してみた。注目したのはお尻の部分についているタグだ。
「……やっぱり。この写真のクマと、今ここにあるテディベアはどうやら同じ工房で作られたものみたいです。使われているボア生地の色や材質は違うみたいですけど、完全オーダーメイドの一点もの。違いますか?」
「ああ、そういえば……。夫が高円寺にあるテディベアの工房に注文して作ってもらったと言っていたような気がします」
「そうですか。でしたら、何とかなるかもしれません。この件、わたしに預からせて頂いても構いませんか?」
テディベアというのは、作られた工房やメーカーによって個性が出るものだ。使われる材質や、丸みを帯びているかスレンダーかなどのフォルムの違い、ぬいぐるみの中に詰まっている綿の柔らかさなどでそういった個性が生まれるらしい。
そしてそれがオーダーメイドされたものなら、工房にパターンなどが書かれた顧客台帳が残っているはずなのだ。
「はい。オーナーさん、よろしくお願いします」
「あと、別れたご主人の連絡先も教えて頂けますか? これもお客様のプライバシーに踏み込みすぎなのは重々承知のうえですが、美優ちゃんの笑顔のためです。どうかご協力頂けませんか?」
「……分りました。紙に書いておけばいいですか?」
本当は許されることではないだろうけれど、京香さんは元ご主人の連絡先を備え付けのレターパッドに書いてわたしに預けて下さった。……でもこれ、きっと陸さんに怒られるだろうな。
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