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秘密の恋愛と過去との決別 ①
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――僕と絢乃さんが晴れて恋愛関係となった翌週、絢乃さんの学年末テストの結果が返ってきた。
「へぇ、学年トップですか……。絢乃さん、本当にスゴいですね」
オフィスへ向かう途中なので本当は「会長」とお呼びしなければならなかったのだが、ここではあえてお名前で呼ばせて頂いた。学校の話題だったし、ここは彼氏として彼女と向き合うべきではないかと思ったのだ。
「ありがと! でも体育の実技テストがあったら、わたし間違いなく学年トップから陥落してたわ」
「…………はぁ。その点についてのコメントは差し控えさせて頂きます」
恥ずかしそうに暴露された彼女に、僕はそれだけ述べた。やっぱり運動神経はよろしくないようで、学校でも体育の成績だけははかばかしくなかったらしい。
「――あ、ところで桐島さん」
「何でしょうか」
「わたし、プライベートでは貴方の呼び方を変えようと思ってるんだけど。だって、プライベートでも『桐島さん』っていうのは……ちょっと違和感あって。で、どう呼んでほしいか希望ある?」
訊ねられた僕は、しばし考えた。……恋人からの呼ばれ方か、そんなの気にしたことなかったな。
思えばそれまでの恋人は同い年がほとんどで、年下――それもここまで歳の離れた女性と交際したことはなかった。
過去の恋人たち(まぁ、そりゃそれなりの人数はいるわさ)からは当たり前のように「貢」とか「桐島くん」と呼ばれていたが、絢乃さんは年下といっても立場は彼女の方が上なのだ。どう呼ばれるのがしっくりくるだろう? いくら考えても答えは浮かんでこなかった。
「…………特にこれと言っては。絢乃さんは何と呼びたいんですか?」
「じゃあ…………、『貢』で。……ダメかな?」
まさかの呼び捨てに、僕は目を見開いた。が、不思議とイヤではなかったし、むしろしっくりきた。
「わたしもね、最初は『貢さん』って呼ぼうかと思ったの。でも、プライベートでも〝さん〟付けってなんか他人行儀だし違うなぁって。……やっぱり、呼び捨てはダメだよね? ゴメン!」
「……いえ、ダメじゃないですよ。どうぞ遠慮なく『貢』と呼んで下さい」
しどろもどろになりながら弁解する絢乃さんがあまりにも可愛くて愛おしいて、僕はあっさりと呼び捨てを受け入れた。
「うん。ありがと、貢! ねえねえ、じゃあ貢もわたしのこと呼び捨てにしてみて?」
……なんと、ここへ来て無茶振りとは。でも一応挑戦してみた。
「あ……ああ絢乃、…………さん」
見事に玉砕。ダメじゃん、俺。でも、彼女が笑ってくれたからいいか。
* * * *
――僕たちはオフィスではあくまでも会長と秘書という距離感を保ちつつ、仕事から離れればカップルとして一緒に過ごす時間が増えた。
たとえば退社後。交際を始める前には、僕は絢乃さんをまっすぐお家まで送り届けるだけだったが、交際スタート後には一緒に夕食を摂ってからお家までお送りするようになった。支払いは毎回、絢乃さんがして下さっていた。僕から割り勘を提案したことも何度かあったのだが、「まぁ、いいからいいから」と断られていた。
絢乃さんにしてみれば、一般的なサラリーマンで懐事情もよく知っている僕にたとえ半額でも支払わせるのは忍びなく、ご自身が全額支払う方がいいとお思いだったのだろう。彼女は現金もかなりまとまった額が毎日おサイフに入っていたようだし、加奈子さん名義のクレジットカードの家族カードもお持ちだったので、ちっとも懐が痛むことはなかっただろうが、毎回ごちそうしてもらうのも男の沽券に関わるので正直心苦しくもあった。いつか、僕がごちそうする側になれたら……と密かに思っていた。
そして週末には、土日のどちらかで二人の都合が合えばドライブデートにも行くようになった。
行き先はお台場など東京都内がほとんどだったが、時々は埼玉や横浜方面まで足を延ばすこともあり、それらの行き先はすべて絢乃さんのリクエストだった。
* * * *
――兄には、絢乃さんと交際を始めたことをその日の夜に報告した。
「ただいま。遅くなってゴメ…………、兄貴!?」
実家の玄関ドアを開けると、母が出迎えてくれるのかと思いきや、そこに立っていたのは兄だった。
「おかえりー、貢♪ 遅かったじゃん。晩メシ済ませてきたのか?」
「あー……、うん。絢乃さんのお家でごちそうになってきた」
「ほうほう、絢乃ちゃん家でか。ってぇと、つまり?」
兄が何を訊きたがっているのか、僕にはすぐにピンときた。絢乃さんとどうなったのか、キューピッド役を買って出た身として知りたかったのだろうと。
「……俺、今日から絢乃さんと付き合うことになったから」
「おー、そっかそっか! よかったじゃん! おめでとう、貢!」
僕の報告を聞いた兄は、してやったりという顔でそう言った。何だかんだで、可愛い弟にやっと彼女ができたことが嬉しかったようだ。
「うん、ありがとな、兄貴。……なぁ、絢乃さんに何言ったの?」
「…………別に、何も? オレが何かしなくても、お前と絢乃ちゃんは最初っから両想いだったんだよ」
お前はそんなことにも気づかなかったのか、と兄は続けた。何か「超がつく鈍感」と言われたような気がしてムッとしたが、鈍感……なのだろうか。
「……まぁ、とにかく家ん中入れよ。親父とお袋、リビングにいるから」
「うん……」
いつまでも玄関でグダグダやっているわけにもいかないので、スリッパに履き替えて家に上がった。
「…………そういえば兄貴、彼女いるって何で言ってくんなかったんだよ? そのせいで俺、兄貴に妬いちまったじゃん」
廊下を歩きながら、僕は兄に不満を漏らした。もっと早くにその情報を聞いていたら、あんなにヤキモキする必要もなかったのに。
「妬いた、って……。彼女のことは、そのうち話すつもりでいたんだよ。それに、絢乃ちゃんはお前のことしか眼中にないって分かったしさ。そこが一途で可愛いなってオレ思ったんだ」
「…………あっそ」
どうやら兄は本当に絢乃さんを口説くつもりがなかったらしいと分かり、とりあえず安心した。
「ところで、彼女のことはどのタイミングで話すつもりだったんだ? まさか孕ませ婚の報告するつもりじゃないだろうな?」
「〝孕ませ婚〟ってお前、勝手に言葉作ってんじゃねぇよ」
兄はこの時呆れていたが、実際にこの約一年後、その彼女と授かり婚をした。僕はある意味、予言者なのかもしれない。
* * * *
「――おはよ、桐島くん。最近、会長がなんかすごくキラキラしてるねーって社内でウワサになってるよ。彼氏でもできたんじゃないか、って」
三月に入ったある日の朝。僕が出社すると、秘書室で小川先輩が何だかはしゃいでいた。
「おはようございます、先輩。――室長も、おはようございます」
以前、室長に挨拶するのを忘れたことがあったので、ついでで申し訳ないと思いつつ挨拶をしてから先輩の話に乗った。
「……そりゃ、まぁそうでしょうけど。まさか先輩、その彼氏が俺だって言いふらしたりしてないでしょうね!?」
僕は小声で先輩に詰め寄った。当時、僕と絢乃会長の関係を知っているのは彼女だけだと僕は思っていたのだ。
「そんなことするわけないじゃない。……ああでも、社長と専務と室長はどうもご存じみたいよ」
「えっ、なんでですか!?」
先輩の爆弾発言に、僕は目を剥いた。我が社のトップ3がどうして知っているんだ!?
「社長と室長はどうも、山崎専務から聞いたらしいのよ。ほら、先月、会長が専務に何かお願いされたでしょ? それで、専務はピンとこられたらしいの。『これはもしかして、会長が桐島くんのこと好きだからなんじゃないか』って」
「へぇ、学年トップですか……。絢乃さん、本当にスゴいですね」
オフィスへ向かう途中なので本当は「会長」とお呼びしなければならなかったのだが、ここではあえてお名前で呼ばせて頂いた。学校の話題だったし、ここは彼氏として彼女と向き合うべきではないかと思ったのだ。
「ありがと! でも体育の実技テストがあったら、わたし間違いなく学年トップから陥落してたわ」
「…………はぁ。その点についてのコメントは差し控えさせて頂きます」
恥ずかしそうに暴露された彼女に、僕はそれだけ述べた。やっぱり運動神経はよろしくないようで、学校でも体育の成績だけははかばかしくなかったらしい。
「――あ、ところで桐島さん」
「何でしょうか」
「わたし、プライベートでは貴方の呼び方を変えようと思ってるんだけど。だって、プライベートでも『桐島さん』っていうのは……ちょっと違和感あって。で、どう呼んでほしいか希望ある?」
訊ねられた僕は、しばし考えた。……恋人からの呼ばれ方か、そんなの気にしたことなかったな。
思えばそれまでの恋人は同い年がほとんどで、年下――それもここまで歳の離れた女性と交際したことはなかった。
過去の恋人たち(まぁ、そりゃそれなりの人数はいるわさ)からは当たり前のように「貢」とか「桐島くん」と呼ばれていたが、絢乃さんは年下といっても立場は彼女の方が上なのだ。どう呼ばれるのがしっくりくるだろう? いくら考えても答えは浮かんでこなかった。
「…………特にこれと言っては。絢乃さんは何と呼びたいんですか?」
「じゃあ…………、『貢』で。……ダメかな?」
まさかの呼び捨てに、僕は目を見開いた。が、不思議とイヤではなかったし、むしろしっくりきた。
「わたしもね、最初は『貢さん』って呼ぼうかと思ったの。でも、プライベートでも〝さん〟付けってなんか他人行儀だし違うなぁって。……やっぱり、呼び捨てはダメだよね? ゴメン!」
「……いえ、ダメじゃないですよ。どうぞ遠慮なく『貢』と呼んで下さい」
しどろもどろになりながら弁解する絢乃さんがあまりにも可愛くて愛おしいて、僕はあっさりと呼び捨てを受け入れた。
「うん。ありがと、貢! ねえねえ、じゃあ貢もわたしのこと呼び捨てにしてみて?」
……なんと、ここへ来て無茶振りとは。でも一応挑戦してみた。
「あ……ああ絢乃、…………さん」
見事に玉砕。ダメじゃん、俺。でも、彼女が笑ってくれたからいいか。
* * * *
――僕たちはオフィスではあくまでも会長と秘書という距離感を保ちつつ、仕事から離れればカップルとして一緒に過ごす時間が増えた。
たとえば退社後。交際を始める前には、僕は絢乃さんをまっすぐお家まで送り届けるだけだったが、交際スタート後には一緒に夕食を摂ってからお家までお送りするようになった。支払いは毎回、絢乃さんがして下さっていた。僕から割り勘を提案したことも何度かあったのだが、「まぁ、いいからいいから」と断られていた。
絢乃さんにしてみれば、一般的なサラリーマンで懐事情もよく知っている僕にたとえ半額でも支払わせるのは忍びなく、ご自身が全額支払う方がいいとお思いだったのだろう。彼女は現金もかなりまとまった額が毎日おサイフに入っていたようだし、加奈子さん名義のクレジットカードの家族カードもお持ちだったので、ちっとも懐が痛むことはなかっただろうが、毎回ごちそうしてもらうのも男の沽券に関わるので正直心苦しくもあった。いつか、僕がごちそうする側になれたら……と密かに思っていた。
そして週末には、土日のどちらかで二人の都合が合えばドライブデートにも行くようになった。
行き先はお台場など東京都内がほとんどだったが、時々は埼玉や横浜方面まで足を延ばすこともあり、それらの行き先はすべて絢乃さんのリクエストだった。
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――兄には、絢乃さんと交際を始めたことをその日の夜に報告した。
「ただいま。遅くなってゴメ…………、兄貴!?」
実家の玄関ドアを開けると、母が出迎えてくれるのかと思いきや、そこに立っていたのは兄だった。
「おかえりー、貢♪ 遅かったじゃん。晩メシ済ませてきたのか?」
「あー……、うん。絢乃さんのお家でごちそうになってきた」
「ほうほう、絢乃ちゃん家でか。ってぇと、つまり?」
兄が何を訊きたがっているのか、僕にはすぐにピンときた。絢乃さんとどうなったのか、キューピッド役を買って出た身として知りたかったのだろうと。
「……俺、今日から絢乃さんと付き合うことになったから」
「おー、そっかそっか! よかったじゃん! おめでとう、貢!」
僕の報告を聞いた兄は、してやったりという顔でそう言った。何だかんだで、可愛い弟にやっと彼女ができたことが嬉しかったようだ。
「うん、ありがとな、兄貴。……なぁ、絢乃さんに何言ったの?」
「…………別に、何も? オレが何かしなくても、お前と絢乃ちゃんは最初っから両想いだったんだよ」
お前はそんなことにも気づかなかったのか、と兄は続けた。何か「超がつく鈍感」と言われたような気がしてムッとしたが、鈍感……なのだろうか。
「……まぁ、とにかく家ん中入れよ。親父とお袋、リビングにいるから」
「うん……」
いつまでも玄関でグダグダやっているわけにもいかないので、スリッパに履き替えて家に上がった。
「…………そういえば兄貴、彼女いるって何で言ってくんなかったんだよ? そのせいで俺、兄貴に妬いちまったじゃん」
廊下を歩きながら、僕は兄に不満を漏らした。もっと早くにその情報を聞いていたら、あんなにヤキモキする必要もなかったのに。
「妬いた、って……。彼女のことは、そのうち話すつもりでいたんだよ。それに、絢乃ちゃんはお前のことしか眼中にないって分かったしさ。そこが一途で可愛いなってオレ思ったんだ」
「…………あっそ」
どうやら兄は本当に絢乃さんを口説くつもりがなかったらしいと分かり、とりあえず安心した。
「ところで、彼女のことはどのタイミングで話すつもりだったんだ? まさか孕ませ婚の報告するつもりじゃないだろうな?」
「〝孕ませ婚〟ってお前、勝手に言葉作ってんじゃねぇよ」
兄はこの時呆れていたが、実際にこの約一年後、その彼女と授かり婚をした。僕はある意味、予言者なのかもしれない。
* * * *
「――おはよ、桐島くん。最近、会長がなんかすごくキラキラしてるねーって社内でウワサになってるよ。彼氏でもできたんじゃないか、って」
三月に入ったある日の朝。僕が出社すると、秘書室で小川先輩が何だかはしゃいでいた。
「おはようございます、先輩。――室長も、おはようございます」
以前、室長に挨拶するのを忘れたことがあったので、ついでで申し訳ないと思いつつ挨拶をしてから先輩の話に乗った。
「……そりゃ、まぁそうでしょうけど。まさか先輩、その彼氏が俺だって言いふらしたりしてないでしょうね!?」
僕は小声で先輩に詰め寄った。当時、僕と絢乃会長の関係を知っているのは彼女だけだと僕は思っていたのだ。
「そんなことするわけないじゃない。……ああでも、社長と専務と室長はどうもご存じみたいよ」
「えっ、なんでですか!?」
先輩の爆弾発言に、僕は目を剥いた。我が社のトップ3がどうして知っているんだ!?
「社長と室長はどうも、山崎専務から聞いたらしいのよ。ほら、先月、会長が専務に何かお願いされたでしょ? それで、専務はピンとこられたらしいの。『これはもしかして、会長が桐島くんのこと好きだからなんじゃないか』って」
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