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抑えきれない想い ④
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――バレンタインデーの前に、また絢乃さんに惚れ直すような出来事があり、僕の彼女への抑えきれない恋心はますます深まった。僕もひどい目に遭わされた総務課のパワハラ問題解決のために、彼女自ら動き出されたのだ。
彼女はどうしてご自身のためではなく、僕やほかの人のためにここまでできるのだろう? それも自己犠牲なんかじゃなく、前向きな理由から。彼女のそういうところに、僕は一人の異性としてだけでなく一人の人間としても惹かれていたんだと思う。
――そして迎えたバレンタインデー。その日、絢乃会長は学年末テストの最終日ということで、僕は午前十一時半ごろに学校までお迎えに上がった。
クリスマスイブと同じく粉雪が舞うほど寒い中待っていると、彼女は黒いピーコートの肩から提げている通学用バッグの他に、何やら大きめの紙袋を手にして出てこられた。――紙袋の中身はもしかして、彼女がもらった大量のチョコだろうか。
スカートの裾から覗く、剥き出しの膝のあたりが赤くなっていて寒そうに見えた。
「会長、学年末テストは今日まででしたよね。お疲れさまでした。――で、その紙袋は何ですか?」
助手席に乗り込まれた彼女に訊ねてみると、案の定後輩たちや里歩さんから頂いたチョコだというお答え。お一人では食べきれないので、会社の給湯室で保管しておいてほしい、とのことだった。
世間に「女子校バレンタイン」なるものがあるということは僕も知っていたが、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだった。まるでどこかの某有名歌劇団のようだ。
里歩さんは絢乃さん以上の数のチョコをもらっていて、「女の子にモテまくるのも困る」と笑っておられたらしい。彼氏持ちらしいが。
「でも安心して。もらうばっかりじゃなくて、わたしもちゃんとチョコ用意してあるからね」
「えっ? もしかして僕の分は……」
もしや本当に手作りだろうかと、僕は期待を膨らませた。絢乃さんは有言実行の人だから、「手作りする」と言っておきながら「やっぱりやーめた」なんてことはないはずだ。
そして、彼女に対しては何の疑いもなく期待を抱くようになった自分に少し驚いていた。
「それはナイショ♪ じゃあクルマ出して下さ~い」
「はい!」
僕はワクワクする気持ちを抑えられず、鼻唄でも歌いそうになりながらクルマを発進させたのだった。
――この数時間後、僕はとんでもない大失態をやらかしてしまうのだが、この時にはそんなことを夢にも思わなかった。
* * * *
――オフィスに到着してすぐ、僕は絢乃会長から紙袋にたんまり入ったチョコの保管をお願いされた。ちなみに手作りだった分もあったらしく、それらは別に分けられていた。さすがに手作りチョコまでお裾分けするのは、作って下さった方々に申し訳ないと思われたのだろう。
一人では食べきれないから、秘書室のみんなで分けてもらってもいいと言われたので、僕はそのご厚意に甘えさせて頂くことにした。
そしてその時、僕は彼女からチョコを受け取った。明らかに手作りだと分かる、小ぶりなギフトボックスに入ったそれを受け取り、僕はすっかり舞い上がってしまっていた。
バレンタインデーがこんなに幸せな日だなんて、この時初めて思った。僕にとって、それ以前のバレンタインデーは一体何だったんだろう?
「――では、僕はちょっと給湯室へ行って参ります」
絢乃さんから頂いたチョコをビジネスバッグにそっとしまい、大量のチョコを保管するために給湯室へ向おうとしていると、会長が「わたしもちょっと出てくる」とおっしゃった。社長や常務、小川先輩などにチョコを配りに行くのだそうだ。が、それらのチョコは市販品の大袋チョコを小分けしただけのものだった。
僕が不思議に思って訊ねてみると、「細かいことはいちいち気にしないの」とごまかされたが、これはつまり、僕の分だけ彼女にとって特別だったのだと解釈してもいいのだろうか……?
実は給湯室で、僕にひと騒動起きていた。例の「義理チョコこれでもか攻撃」を受けたのである。両手でも抱えきれないくらいの義理チョコを押し付けられ(秘書室の人の分だけでなく、その人たちが他の部署の友人から預かったものもあったと思われる)、どうしたものかと頭を抱えながら秘書席に戻ると、少し後に戻ってこられた会長がデスクの上に積まれた大量のチョコに顔を曇らせた。
「へー……。桐島さん、人気あるんだね。それだけもらえるなら、わたしからのチョコはいらなかったかもなぁ」
彼女がふてくされたようにそうおっしゃったので顔を上げると、彼女は「ごめん、何でもない」と小さくかぶりを振った。
「会長が下さったチョコって、もしかして……」と訊ねた僕に、「あなたはどっちだと思う?」と質問返しをされた彼女は、僕から見れば少し傷付いているように見えた。初めて好きになった相手(もちろん僕のことだ)が女性にモテるのだと知ったらショックだったろうし、嫉妬だってしたくもなるだろう。
* * * *
――その日の退社後、ついに僕は暴走してしまった。絢乃さんへの気持ちが抑えきれなくなってしまったのだ。
彼女が無邪気に、久保の分のチョコを用意し忘れたなんて言うものだから、思わずイラっとなってしまったらしい。この人も他の女と同じなのか、男なんてみんな同じだと思っているのかと。
そりゃ、絢乃さんは恋愛初心者だし、男心をよくご存じないのも仕方ないと僕も分かっているが、ここまで鈍感だとは思っていなかったからイラっときたんだろうと今は思う。
「……絢乃さんって、まだお気づきになっていないんですか? だとしたらかなり鈍感ですよね」
「…………えっ?」
戸惑う彼女の唇を、僕は衝動的に、そして強引に奪ってしまった。それが彼女のファーストキスだと分かっていながら、だ。彼女が本当に僕のことを好きなら怒られはしないだろう、という計算も働いていたかどうか。
「……これでも、まだお分かりになりませんか? 僕の気持ちが」
僕の苛立ち紛れの問いに、彼女はすぐに理解が追いつかない様子だった。……というか、何やってんだ俺! こんな告白の仕方、違うだろ! そりゃ、彼女だって困って当然だ。
彼女が戸惑いながら、「これがわたしのファーストキスだって、あなたも知ってるよね?」と訊ねてきたが、ただ戸惑っているだけなのか怒りの感情も混ざっているのか僕には判断がつかなかった。
「はい、知っています。それから、絢乃さん。あなたが僕のことをどう思われているのかも」
「……………………ええっ!?」
僕だけのために手作りされたチョコと、義理チョコをたくさんもらった僕に対する傷付かれた様子から、すでに僕は確信を持っていた。小川先輩も言っていたとおり、彼女は僕のことが好きなのだと。
「…………あああの、ゴメン! わたし今、頭混乱しちゃっててどう言っていいか分かんない。……えっと、ちょうど週末だし、明日と明後日で頭冷やすから、今日はこれでっ! また来週ね! おっ、お疲れさま!」
「…………はぁ、お疲れさまでした」
彼女は混乱からかお怒りからか、あちこちに視線をさまよわせ、結局僕の顔をまともに見ようとしないままバタバタとクルマを降りて行ってしまわれた。
「――……………………はぁ~~~っ、ホントに何やってんだよ俺は……」
僕は自分が情けなくて、その場で運転席に突っ伏した。
こんな展開、僕自身も望んでなんかいなかった。せっかく彼女と両想いになれるチャンスを、みすみす自分の手で潰してしまうなんて僕はバカだ。
「終わった…………」
頭の中で、チーンと仏具のお鈴が鳴った気がした。
彼女はどうしてご自身のためではなく、僕やほかの人のためにここまでできるのだろう? それも自己犠牲なんかじゃなく、前向きな理由から。彼女のそういうところに、僕は一人の異性としてだけでなく一人の人間としても惹かれていたんだと思う。
――そして迎えたバレンタインデー。その日、絢乃会長は学年末テストの最終日ということで、僕は午前十一時半ごろに学校までお迎えに上がった。
クリスマスイブと同じく粉雪が舞うほど寒い中待っていると、彼女は黒いピーコートの肩から提げている通学用バッグの他に、何やら大きめの紙袋を手にして出てこられた。――紙袋の中身はもしかして、彼女がもらった大量のチョコだろうか。
スカートの裾から覗く、剥き出しの膝のあたりが赤くなっていて寒そうに見えた。
「会長、学年末テストは今日まででしたよね。お疲れさまでした。――で、その紙袋は何ですか?」
助手席に乗り込まれた彼女に訊ねてみると、案の定後輩たちや里歩さんから頂いたチョコだというお答え。お一人では食べきれないので、会社の給湯室で保管しておいてほしい、とのことだった。
世間に「女子校バレンタイン」なるものがあるということは僕も知っていたが、実際に目の当たりにするのはこれが初めてだった。まるでどこかの某有名歌劇団のようだ。
里歩さんは絢乃さん以上の数のチョコをもらっていて、「女の子にモテまくるのも困る」と笑っておられたらしい。彼氏持ちらしいが。
「でも安心して。もらうばっかりじゃなくて、わたしもちゃんとチョコ用意してあるからね」
「えっ? もしかして僕の分は……」
もしや本当に手作りだろうかと、僕は期待を膨らませた。絢乃さんは有言実行の人だから、「手作りする」と言っておきながら「やっぱりやーめた」なんてことはないはずだ。
そして、彼女に対しては何の疑いもなく期待を抱くようになった自分に少し驚いていた。
「それはナイショ♪ じゃあクルマ出して下さ~い」
「はい!」
僕はワクワクする気持ちを抑えられず、鼻唄でも歌いそうになりながらクルマを発進させたのだった。
――この数時間後、僕はとんでもない大失態をやらかしてしまうのだが、この時にはそんなことを夢にも思わなかった。
* * * *
――オフィスに到着してすぐ、僕は絢乃会長から紙袋にたんまり入ったチョコの保管をお願いされた。ちなみに手作りだった分もあったらしく、それらは別に分けられていた。さすがに手作りチョコまでお裾分けするのは、作って下さった方々に申し訳ないと思われたのだろう。
一人では食べきれないから、秘書室のみんなで分けてもらってもいいと言われたので、僕はそのご厚意に甘えさせて頂くことにした。
そしてその時、僕は彼女からチョコを受け取った。明らかに手作りだと分かる、小ぶりなギフトボックスに入ったそれを受け取り、僕はすっかり舞い上がってしまっていた。
バレンタインデーがこんなに幸せな日だなんて、この時初めて思った。僕にとって、それ以前のバレンタインデーは一体何だったんだろう?
「――では、僕はちょっと給湯室へ行って参ります」
絢乃さんから頂いたチョコをビジネスバッグにそっとしまい、大量のチョコを保管するために給湯室へ向おうとしていると、会長が「わたしもちょっと出てくる」とおっしゃった。社長や常務、小川先輩などにチョコを配りに行くのだそうだ。が、それらのチョコは市販品の大袋チョコを小分けしただけのものだった。
僕が不思議に思って訊ねてみると、「細かいことはいちいち気にしないの」とごまかされたが、これはつまり、僕の分だけ彼女にとって特別だったのだと解釈してもいいのだろうか……?
実は給湯室で、僕にひと騒動起きていた。例の「義理チョコこれでもか攻撃」を受けたのである。両手でも抱えきれないくらいの義理チョコを押し付けられ(秘書室の人の分だけでなく、その人たちが他の部署の友人から預かったものもあったと思われる)、どうしたものかと頭を抱えながら秘書席に戻ると、少し後に戻ってこられた会長がデスクの上に積まれた大量のチョコに顔を曇らせた。
「へー……。桐島さん、人気あるんだね。それだけもらえるなら、わたしからのチョコはいらなかったかもなぁ」
彼女がふてくされたようにそうおっしゃったので顔を上げると、彼女は「ごめん、何でもない」と小さくかぶりを振った。
「会長が下さったチョコって、もしかして……」と訊ねた僕に、「あなたはどっちだと思う?」と質問返しをされた彼女は、僕から見れば少し傷付いているように見えた。初めて好きになった相手(もちろん僕のことだ)が女性にモテるのだと知ったらショックだったろうし、嫉妬だってしたくもなるだろう。
* * * *
――その日の退社後、ついに僕は暴走してしまった。絢乃さんへの気持ちが抑えきれなくなってしまったのだ。
彼女が無邪気に、久保の分のチョコを用意し忘れたなんて言うものだから、思わずイラっとなってしまったらしい。この人も他の女と同じなのか、男なんてみんな同じだと思っているのかと。
そりゃ、絢乃さんは恋愛初心者だし、男心をよくご存じないのも仕方ないと僕も分かっているが、ここまで鈍感だとは思っていなかったからイラっときたんだろうと今は思う。
「……絢乃さんって、まだお気づきになっていないんですか? だとしたらかなり鈍感ですよね」
「…………えっ?」
戸惑う彼女の唇を、僕は衝動的に、そして強引に奪ってしまった。それが彼女のファーストキスだと分かっていながら、だ。彼女が本当に僕のことを好きなら怒られはしないだろう、という計算も働いていたかどうか。
「……これでも、まだお分かりになりませんか? 僕の気持ちが」
僕の苛立ち紛れの問いに、彼女はすぐに理解が追いつかない様子だった。……というか、何やってんだ俺! こんな告白の仕方、違うだろ! そりゃ、彼女だって困って当然だ。
彼女が戸惑いながら、「これがわたしのファーストキスだって、あなたも知ってるよね?」と訊ねてきたが、ただ戸惑っているだけなのか怒りの感情も混ざっているのか僕には判断がつかなかった。
「はい、知っています。それから、絢乃さん。あなたが僕のことをどう思われているのかも」
「……………………ええっ!?」
僕だけのために手作りされたチョコと、義理チョコをたくさんもらった僕に対する傷付かれた様子から、すでに僕は確信を持っていた。小川先輩も言っていたとおり、彼女は僕のことが好きなのだと。
「…………あああの、ゴメン! わたし今、頭混乱しちゃっててどう言っていいか分かんない。……えっと、ちょうど週末だし、明日と明後日で頭冷やすから、今日はこれでっ! また来週ね! おっ、お疲れさま!」
「…………はぁ、お疲れさまでした」
彼女は混乱からかお怒りからか、あちこちに視線をさまよわせ、結局僕の顔をまともに見ようとしないままバタバタとクルマを降りて行ってしまわれた。
「――……………………はぁ~~~っ、ホントに何やってんだよ俺は……」
僕は自分が情けなくて、その場で運転席に突っ伏した。
こんな展開、僕自身も望んでなんかいなかった。せっかく彼女と両想いになれるチャンスを、みすみす自分の手で潰してしまうなんて僕はバカだ。
「終わった…………」
頭の中で、チーンと仏具のお鈴が鳴った気がした。
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