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新しい日々の始まり ③

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 そして、翌日の昼過ぎ。僕がアパートの部屋で、昼食のカップうどんを作ろうとキッチンでお湯を沸かしていた時に、スマホに絢乃さんから電話があった。

「――はい。絢乃さん、今日は株主総会、お疲れさまでした」

『うん、無事に終わったよ。――でね、桐島さん! わたし、新会長に決まったよ』

「本当ですか? おめでとうございます! では、僕の会長秘書拝命も無事に決まったということですね」

 興奮ぎみに会長就任が決まったことを告げた絢乃さんに、僕はその一点を再確認した。これで僕の肩書きは絢乃さんの個人秘書兼、篠沢グループ会長秘書となったわけである。

『うん。明後日にも人事部から正式な辞令が下りると思う。というわけで改めて、これからよろしくお願いします』

 僕は「はい」と頷いた後、総会の内容そのものについてお訊ねしてみた。すると、彼女はまだ興奮冷めやらない様子で語って下さった。
 絢乃さんは会長の就任するうえでの心構えや高校生活との二刀流に挑むこと、お父さまのような会長を目指されることをスピーチで語られたそうだ。もちろん加奈子さんや、本部の執行役員も務めていらっしゃる村上社長も援護に入って下さったらしい。特に社長の応援演説が圧巻で、株主の皆さんの心を打ったのだろうと。
 一方、絢乃さんの大叔父にあたるという方のスピーチでは、自身はご子息に頼み込まれて仕方なく会長候補に立ったが、本当は引き受けたくなかったのだと打ち明けたそうで、年功序列だけを理由にして擁立されたことを心から迷惑がっている様子だったと絢乃さんはおっしゃった。
 当然、決選投票の結果も火を見るよりも明らかで、絢乃さんが大差をつけて勝利されたのは言うまでもない。

 そして、彼女は本社幹部の人事にも言及されていて、村上社長の留任・広田室長の常務就任および兼任・山崎おさむ人事部長の専務就任および兼任が決まったそうだ。
 普通なら(何が普通なのか、と訊かれても返事に困るのだが)、常務と専務の人選は逆になるのではと言われそうだが、あえて女性である広田室長の方を上役に選ばれたところが何とも絢乃さんらしい。それが女性ならではの発想なのか、はたまたまったく別の考えからなのかは僕にも分からないが。

「そうですか、社長が味方について下さったのは大きかったですね。村上社長は確か、お父さまの同期組でしたよね。営業部でいいライバルだったとか」

 これは社内でもけっこうな語り草になっていて、源一氏が村上氏を社長に就任させたのは、恋に破れた彼への罪滅ぼしだったとか何とか。

『そうなの。彼を社長に任命したのもパパだったんだって。若い頃はどっちがママのハートを射止められるか争ってたらしいよ』

 僕はその逸話をすでに知っていたが、初耳だったふりをして「へぇ……、そんなことが」と相槌を打っていると、電話の向こうから「その話はもう時効だから続けないでほしい」という加奈子さんの声が聞こえてきた。

「――それはともかく、明後日は朝十時から就任会見が開かれるんですね。スピーチの原稿は用意しておいた方がよろしいですか?」

 僕は気を取り直し、これが秘書としての初仕事だと考えて絢乃さんボスにお訊ねした。
 篠沢グループほどの大企業グループで新会長就任の記者発表が行われるとなれば、当然TVやネットなどで生中継されるはずである。それだけ世間の注目を集めるトピックスなのだ。そんなおおやけの場で、絢乃さんに恥をかかせるわけにはいかなかった。
 だって、彼女の会長デビューイコール僕の秘書としての初陣だったのだから。

『そうだなぁ、わたしとしてはあった方が気持ち的に助かるけど。大まかな内容で作っておいてくれたら、あとは自分で考えて話すから』

 それはいかにも彼女らしい答えだった。僕もこれまで何度も彼女のスピーチや記者会見などを側で拝見してきたから分かるのだが、絢乃さんは自分のお言葉を大切にされる方だ。誰かが書いた原稿どおりに話しても、ご自身が本当に伝えたいことは伝わらないから、きちんとご自分の言葉で伝えたいのだと。お父さまも生前そうされてきたように。――それが彼女の信条モットーなのだという。

「かしこまりました。では、簡単な内容の原稿だけ、僕の方で作成しておきます」

 とはいえ、すべて彼女に丸投げでは僕の仕事がなくなってしまうし、彼女も負担が重いだろうと思ったので、僕はそう答えた。すると、「ありがと。じゃあよろしく」という感謝の言葉が返ってきた。
 
 電話を終えると、ちょうどケトルのお湯が沸騰していた。僕は昼食のうどんをすすり終えるとすぐ、座卓の上でノートPCを開いた。さっそく絢乃さんのためのスピーチ原稿を作成しようと思い立ったからだ。「善は急げ」というヤツである。
 彼女がどんなお気持ちで会長就任を決められたのか、またどういう覚悟を持って高校生活との二刀流に挑まれるのかを僕はすでによく理解していたので、それを文字に落とし込めばいいだけだった。あとは、それを彼女らしい誠実な内容にどうまとめるか――。
 悩んだ末に書き上げた原稿は、どうにかA4サイズの用紙二枚分にまとまった。


   * * * *


 ――その翌日の朝、珍しい人物から連絡があった。同期入社の久保である。僕が異動してからも同じ社内にはいるのだが、こうして連絡を取り合うことはなくなっていたのだ。

『――よう、桐島! 久しぶり!』

「久しぶり、ってなぁ。先代の社葬の時にも会ったじゃん」

 僕は呆れてツッコんだ。三日前に会ったばかりなら「久しぶり」とは言わないだろう。

『ん……、まぁそうなんだけどさぁ。あん時はゆっくりしゃべるヒマなかったじゃん? お前忙しそうだったし。おたくの小川先輩から聞いたよ、お前が会長秘書になったって』

 小川先輩と久保は入社当時から顔見知りだったので、ヤツが彼女から聞いたことも僕は不思議に思わなかった。

「うん、そうなんだよ。で、明日が俺と絢乃会長の初陣』

『らしいな。でさ、その就任会見の司会進行、オレがやることになったからよろしく』

「……………………はぁっ!? なんでお前が?」

 僕は自分の耳を疑った。記者会見の司会は普通、広報課の仕事のはずなのに。なぜ総務課所属の久保が!? まさか、が仕事を横取りしたのか!?

『うんまぁ、こっちにも色々と事情があんのよ。こまけぇことは気にすんな?』

「……………………あっそ」

 ところが、久保には答えをのらりくらりとはぐらかされたので、僕には何だかそれ以上追及する気が失せた。

『――とにかくそういうことだからさ、明日はよろしく。新会長さんにもよろしく言っといてくれよ』

「へいへい、伝えとく。じゃあな」

 僕は一方的に電話を切ったが、久保からの折り返しはなかった。

 この時、僕は出かけようとしていたのだった。クリスマスプレゼントに絢乃さんから頂いたネクタイに合う色のスーツを新調しに、紳士服店まで。
 僕が持っていたグレー系のスーツに、あのネクタイは合わない。せっかく正式に秘書就任が決まったので、新しいスーツ姿でビシッと決めて初陣にのぞもうと決めていたのだ。
 愛する人の側で、カッコいい僕でいるために――。
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