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新しい日々の始まり ①
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――篠沢一族の後継者争いの決着は、二日後に行われる臨時の株主総会まで持ち越されることになったそうだ。泣き止んだ絢乃さんと二人で缶コーヒー(彼女はカフェオレで、僕は微糖だった)をすすっていた時、ロビーへ戻られた加奈子さんからそう聞かされた。
絢乃さんはお母さまにも泣きながら訴えていた。「わたしだって悲しかったのに、ママが先に泣いちゃうから泣けなくなったんだ」と。
僕は彼女の言うに任せていた。親子の間で遠慮は無用、言いたいことはちゃんとおっしゃった方がお二人のためだと思ったからだ。加奈子さんは加奈子さんで、絢乃さんの泣く権利を奪ってしまったことを申し訳ないと思われていたようだった。
そのうえで、絢乃さんは涙ながらに宣言された。「わたしはありのままで、お父さまを超える篠沢のリーダーになっていくんだ」と。だから、僕とお母さまにも力を貸してほしい、と。もちろん、僕にも加奈子さんにも異存はなかった。母親と秘書という立場の違いはあれど、彼女を支えたいという気持ちは同じだったから。
「――ところでママ、話し合いはどうなったの?」
そんなことがあっての、絢乃さんのこの問いかけである。その答えとして、加奈子さんがおっしゃった結論が冒頭の一文だった。
何でも、絢乃さんが後継者として指名されたことがどうしても気に入らない親族がいて――その人は加奈子さんのいとこにあたるらしいが――、経営に関してはド素人の自分の父親を対立候補に立てたらしいのだ。
何故わざわざそんなことをしたのかといえば、その人――名前は宏司さんとおっしゃるらしい――が男尊女卑・年功序列という古臭い考え方に固執しているからで、女性の絢乃さんよりも男性で六十代後半の父親の方が会長としてふさわしいと考えたから、らしいのだが。
「……ふーん? 何考えてるんだろ、あの人」
絢乃さんはワケが分からない、という顔で首を傾げられた。そして、僕もまったく同感だった。
「今の時代、そんな考え方ナンセンスよね。というわけで、今日の話し合いは見事に決裂。あの人たちはみんな先に帰っちゃいました」
「…………なるほど」
加奈子さんもやれやれ、と呆れたように肩をすくめ、この話を締め括られた。どうりで、加奈子さんお一人でロビーまでお戻りになったわけである。座敷から駐車場までは直接出られるため、ロビーを通らずに帰ってしまったということらしい。
あの人たちに絢乃さんをこれ以上傷付けられてはたまったもんじゃなかったので、早くお帰り下さって僕もせいせいした。
「――桐島くん、ありがとね。あなたの機転のおかげで、絢乃があれ以上傷付かずに済んだわ」
加奈子さんも僕と同じ気持ちだったようだ。本当はご自身がそうしたかったが当主というお立場上そうもいかなかったので、代わりに僕が行動を起こしたことを評価して下さった。……僕はただ、絢乃さんのヒーローになりたくてああしただけだったのだが。
「いえいえ。秘書として、あの状況ではああするのが最善だと思いましたので」
とはいえ、秘書としてボスを守ろうと起こすアクションは誰でもそう変わらないだろう。たとえ僕ではなくても、ああいう行動に出るのが最も無難ではないかと思ったまでだ。
「うん、ホントにありがと。わたし自身、あれ以上あそこにいたら自分がどうなっちゃうか分かんなくて怖かったもん。連れ出してもらえてよかった」
絢乃さんにも感謝されたが、こちらは僕が思っていた理由とは少し違っていたようだ。これ以上傷付きたくなかった、というよりはむしろ、怒り狂うと何をしでかすか分からなかったというニュアンスに聞こえたのは、女性が怖いと思っている僕の考えすぎだったろうか?
* * * *
――それから一時間ほど経ち、係員の人が「火葬が終了した」と呼びに来られたので、絢乃さんと加奈子さんは収骨室へ行かれることになった。
「桐島さんはどうするの? 一緒に来る?」
絢乃さんが僕のことを気にして声をかけて下さったが、他人の僕がご一緒するわけにはいかなかった。
「いえ、僕は表のロビーで待っています。お骨上げはお母さまとお二人でどうぞ」
「…………分かった。じゃあ行ってくるね」
「お帰りの際も、僕のクルマでお宅までお送りしますから」
絢乃さんは「ありがとう」と僕にお礼を言って、お母さまと一緒にお骨上げへ向われた。この日も寒かったので、僕はそんな彼女と加奈子さんのために車内の暖房を効かせておこうと考えた。
――その帰り、僕は斎場へ向かう時と同じく絢乃さんと加奈子さんの親子を愛車の後部座席にお乗せした。
加奈子さんは源一会長のお骨が入った小さな骨壺を(大きな骨壺だと重くなるので持って帰れない、という理由で小さい方を選ばれたらしい)、絢乃さんはお父さまの遺影を大事そうに抱えられていた。
「――井上の伯父さまも、今日のお葬式に来たかっただろうなぁ。お悔やみのメールはもらったけど」
絢乃さんが唐突に、僕がそれまで耳にしたことがなかったお名前を口にした。そういえば、亡くなった源一会長の旧姓は確か井上っていったよな……。ということは、源一会長のお兄さまのことかと僕には理解できた。
何でも絢乃さんの伯父さま・井上聡一さんはご家族でアメリカにお住まいらしく、絢乃さんはお父さまの訃報をメールでお知らせしたらしい。聡一氏も帰国したかったのだが航空チケットの手配が間に合わず、葬儀に参列することが叶わなかったのだそうだ。絢乃さんはお悔やみのメールだけ受け取られたそうだが。
僕もまだお会いしたことがなかったが、今日の結婚式には出席して下さっているそうだ。どんな方なのか、実際にお会いできるのが楽しみである。――それはさておき、当時のことに話を戻そう。
「――ねえママ、これからのことで、ちょっと相談があるの。桐島さんにも聞いてもらいたいんだけど」
しばらく俯いていらっしゃった絢乃さんが唐突に顔を上げ、決意に満ちた表情で口を開いた。
「なぁに?」
「僕は運転中ですけど、ちゃんと耳だけは傾けているので大丈夫ですよ。おっしゃって下さい」
加奈子さんはお嬢さんに向き直り、僕も後ろを向けば事故を起こしてしまうので耳だけ傾けた。
絢乃さんが語られた決意はこうだった。彼女は高校生と会長兼CEOの二刀流でいこうと思っているので、お母さまには学校へ行かれている間の会長の仕事を代行してほしい、そして僕にはご自身と加奈子さんと二人の秘書として働いてほしい、と。
加奈子さんは、先ほど偉そうにしていた宏司さんも当主である彼女には偉そうに言えないだろうからとそれを快諾。僕もそれをお受けした。二人分の仕事をこなすことになるけれど大丈夫なのか、と絢乃さんは心配されていたが。
「大丈夫です。お任せください。総務でこき使われていたことを思えば、それくらい何でもないですよ」
総務課の島谷課長は人使いは荒いわ、そのくせ労いの言葉もかけてくれないわで、僕は「やってらんねーよ!」と正直思っていた。それを思えば、これくらいどうということはなかった。少なくとも絢乃さんと加奈子さんはお優しいし、遠慮というものをきちんと心得ていらっしゃるので、頑張った分はキチンと労っても頂けるはずだと思ったのだ(そして実際にそうだった)。
ついでに絢乃さんが学校からオフィス、オフィスからご自宅へお帰りになる際の送迎も加奈子さんから依頼されたが、それも僕はあっさりお受けした。むしろ僕の方から申し出たいくらいだったので、願ったり叶ったりだったのだ。
絢乃さんはお母さまにも泣きながら訴えていた。「わたしだって悲しかったのに、ママが先に泣いちゃうから泣けなくなったんだ」と。
僕は彼女の言うに任せていた。親子の間で遠慮は無用、言いたいことはちゃんとおっしゃった方がお二人のためだと思ったからだ。加奈子さんは加奈子さんで、絢乃さんの泣く権利を奪ってしまったことを申し訳ないと思われていたようだった。
そのうえで、絢乃さんは涙ながらに宣言された。「わたしはありのままで、お父さまを超える篠沢のリーダーになっていくんだ」と。だから、僕とお母さまにも力を貸してほしい、と。もちろん、僕にも加奈子さんにも異存はなかった。母親と秘書という立場の違いはあれど、彼女を支えたいという気持ちは同じだったから。
「――ところでママ、話し合いはどうなったの?」
そんなことがあっての、絢乃さんのこの問いかけである。その答えとして、加奈子さんがおっしゃった結論が冒頭の一文だった。
何でも、絢乃さんが後継者として指名されたことがどうしても気に入らない親族がいて――その人は加奈子さんのいとこにあたるらしいが――、経営に関してはド素人の自分の父親を対立候補に立てたらしいのだ。
何故わざわざそんなことをしたのかといえば、その人――名前は宏司さんとおっしゃるらしい――が男尊女卑・年功序列という古臭い考え方に固執しているからで、女性の絢乃さんよりも男性で六十代後半の父親の方が会長としてふさわしいと考えたから、らしいのだが。
「……ふーん? 何考えてるんだろ、あの人」
絢乃さんはワケが分からない、という顔で首を傾げられた。そして、僕もまったく同感だった。
「今の時代、そんな考え方ナンセンスよね。というわけで、今日の話し合いは見事に決裂。あの人たちはみんな先に帰っちゃいました」
「…………なるほど」
加奈子さんもやれやれ、と呆れたように肩をすくめ、この話を締め括られた。どうりで、加奈子さんお一人でロビーまでお戻りになったわけである。座敷から駐車場までは直接出られるため、ロビーを通らずに帰ってしまったということらしい。
あの人たちに絢乃さんをこれ以上傷付けられてはたまったもんじゃなかったので、早くお帰り下さって僕もせいせいした。
「――桐島くん、ありがとね。あなたの機転のおかげで、絢乃があれ以上傷付かずに済んだわ」
加奈子さんも僕と同じ気持ちだったようだ。本当はご自身がそうしたかったが当主というお立場上そうもいかなかったので、代わりに僕が行動を起こしたことを評価して下さった。……僕はただ、絢乃さんのヒーローになりたくてああしただけだったのだが。
「いえいえ。秘書として、あの状況ではああするのが最善だと思いましたので」
とはいえ、秘書としてボスを守ろうと起こすアクションは誰でもそう変わらないだろう。たとえ僕ではなくても、ああいう行動に出るのが最も無難ではないかと思ったまでだ。
「うん、ホントにありがと。わたし自身、あれ以上あそこにいたら自分がどうなっちゃうか分かんなくて怖かったもん。連れ出してもらえてよかった」
絢乃さんにも感謝されたが、こちらは僕が思っていた理由とは少し違っていたようだ。これ以上傷付きたくなかった、というよりはむしろ、怒り狂うと何をしでかすか分からなかったというニュアンスに聞こえたのは、女性が怖いと思っている僕の考えすぎだったろうか?
* * * *
――それから一時間ほど経ち、係員の人が「火葬が終了した」と呼びに来られたので、絢乃さんと加奈子さんは収骨室へ行かれることになった。
「桐島さんはどうするの? 一緒に来る?」
絢乃さんが僕のことを気にして声をかけて下さったが、他人の僕がご一緒するわけにはいかなかった。
「いえ、僕は表のロビーで待っています。お骨上げはお母さまとお二人でどうぞ」
「…………分かった。じゃあ行ってくるね」
「お帰りの際も、僕のクルマでお宅までお送りしますから」
絢乃さんは「ありがとう」と僕にお礼を言って、お母さまと一緒にお骨上げへ向われた。この日も寒かったので、僕はそんな彼女と加奈子さんのために車内の暖房を効かせておこうと考えた。
――その帰り、僕は斎場へ向かう時と同じく絢乃さんと加奈子さんの親子を愛車の後部座席にお乗せした。
加奈子さんは源一会長のお骨が入った小さな骨壺を(大きな骨壺だと重くなるので持って帰れない、という理由で小さい方を選ばれたらしい)、絢乃さんはお父さまの遺影を大事そうに抱えられていた。
「――井上の伯父さまも、今日のお葬式に来たかっただろうなぁ。お悔やみのメールはもらったけど」
絢乃さんが唐突に、僕がそれまで耳にしたことがなかったお名前を口にした。そういえば、亡くなった源一会長の旧姓は確か井上っていったよな……。ということは、源一会長のお兄さまのことかと僕には理解できた。
何でも絢乃さんの伯父さま・井上聡一さんはご家族でアメリカにお住まいらしく、絢乃さんはお父さまの訃報をメールでお知らせしたらしい。聡一氏も帰国したかったのだが航空チケットの手配が間に合わず、葬儀に参列することが叶わなかったのだそうだ。絢乃さんはお悔やみのメールだけ受け取られたそうだが。
僕もまだお会いしたことがなかったが、今日の結婚式には出席して下さっているそうだ。どんな方なのか、実際にお会いできるのが楽しみである。――それはさておき、当時のことに話を戻そう。
「――ねえママ、これからのことで、ちょっと相談があるの。桐島さんにも聞いてもらいたいんだけど」
しばらく俯いていらっしゃった絢乃さんが唐突に顔を上げ、決意に満ちた表情で口を開いた。
「なぁに?」
「僕は運転中ですけど、ちゃんと耳だけは傾けているので大丈夫ですよ。おっしゃって下さい」
加奈子さんはお嬢さんに向き直り、僕も後ろを向けば事故を起こしてしまうので耳だけ傾けた。
絢乃さんが語られた決意はこうだった。彼女は高校生と会長兼CEOの二刀流でいこうと思っているので、お母さまには学校へ行かれている間の会長の仕事を代行してほしい、そして僕にはご自身と加奈子さんと二人の秘書として働いてほしい、と。
加奈子さんは、先ほど偉そうにしていた宏司さんも当主である彼女には偉そうに言えないだろうからとそれを快諾。僕もそれをお受けした。二人分の仕事をこなすことになるけれど大丈夫なのか、と絢乃さんは心配されていたが。
「大丈夫です。お任せください。総務でこき使われていたことを思えば、それくらい何でもないですよ」
総務課の島谷課長は人使いは荒いわ、そのくせ労いの言葉もかけてくれないわで、僕は「やってらんねーよ!」と正直思っていた。それを思えば、これくらいどうということはなかった。少なくとも絢乃さんと加奈子さんはお優しいし、遠慮というものをきちんと心得ていらっしゃるので、頑張った分はキチンと労っても頂けるはずだと思ったのだ(そして実際にそうだった)。
ついでに絢乃さんが学校からオフィス、オフィスからご自宅へお帰りになる際の送迎も加奈子さんから依頼されたが、それも僕はあっさりお受けした。むしろ僕の方から申し出たいくらいだったので、願ったり叶ったりだったのだ。
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