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第1章・高校一年生

恋の予感…… ②

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 愛美は一旦部屋に戻ると、私服――ソフトデニムのワンピース――に着替え、寮の管理室の隣にある応接室のドアをノックした。

「失礼しまーす……」

 中に入ると、そこにいたのは寮監の晴美さんと、スラリとした長身らしい三十歳前後の男性だった。
 整った顔立ちをしていて、落ち着いた雰囲気の持ち主だ。高級そうなベージュのスーツをキッチリと着こなしている。彼が珠莉の叔父という人だろうと愛美には分かった。

「あら、相川さん。いらっしゃい」

「晴美さん、こんにちは。――あの、珠莉ちゃんの叔父さま……ですよね? わたし、珠莉ちゃんの友人で相川愛美といいます」

「ああ、君が珠莉の代わりか。ぼくは辺唐院純也じゅんやです。珠莉の父親の末の弟で、珠莉とは十三歳しか歳が離れてないんだ」

 彼の爽やかな笑顔からは、とてもイヤなセレブ感は感じ取れない。

(なんかステキな人だなあ……。珠莉ちゃんとは似てないかも)

「愛美ちゃん……だったね? 早速だけど、学校内の案内をお願いできるかな?」

「相川さん、お願いね」

 晴美さんにまで頭を下げられ、愛美は快く頷いた。

「はいっ! じゃあ行きましょう、純也さん」

(あ……、しまった! いきなりコレはれ馴れしすぎたかな) 

 愛美は初対面の彼を〝純也さん〟と呼んでしまい、ちょっと反省してしまった。今までこの年代の男性とはほとんど接点がなかったため、距離感がうまくつかめないのだ。

 ……けれど。

「ありがとう、愛美ちゃん。行こうか」

 純也に不快そうな様子はなく、彼の笑顔が崩れることもなかったので、愛美はホッとした。

 純也と二人、応接室を出た愛美は彼を案内して歩きながら、彼と話をしていた。

「――あれが体育館で、あの建物が図書館です。で、あの大きな建物は大学の付属病院で、その先は大学の敷地になります」

「へえ、大学はまた別の敷地なんだね。じゃあ、学生寮も高校とは別?」

「はい。だから、進学したら寮も引っ越すことになるそうです」

 もう入学して一ヶ月以上が経過しているので、愛美も学園内の建物の配置はほぼ頭に入っている。

「――ところで、純也さんってすごく背がお高いんですね。何センチくらいあるんですか?」

 まず彼女が訊ねたのは、彼の身長のこと。
 応接室のソファーに腰かけていた時の座高も高かったけれど、こうして並んで歩いていると四十センチはありそうな彼との身長差に愛美は驚いたのだ。

「百九十センチかな。ウチの家系はみんな背が高くなる血筋みたいでね」

「ああ、分かります。珠莉ちゃんも背が高いですもんね」

 ちなみに、珠莉の身長は百六十三センチらしい。

「わたしは百五十しかなくて。だから珠莉ちゃんが羨ましいです」

 愛美はよく、「小さくて可愛い」と言われるけれど。本人はあまり嬉しくない。「せめてあと五センチはほしい」と思っているのだ。

「まだ成長途上とじょうだろう? これからまだ伸びるんじゃないかな。だから気にすることないと思うけどな、僕は」

「はい……。そうですよね」

「ご両親も小柄な人だったの?」

「さあ……。わたし、施設で育ったんです。両親はわたしがまだ物心つく前に亡くなったらしくて」  

「そっか……。何だか悪いこと聞いちゃったみたいだね。申し訳ない」

「いえ! そんなことないです。わたしが育った施設はいいところでしたから」

 純也に謝られ、その口調から同情が感じられなかったので、愛美は笑顔でそうフォローした。
 そしてこう続ける。

「その施設を援助して下さってる理事のお一人が、わたしが中学の文芸部で書いた小説を気に入って下さって。その方のおかげでこの学校に入れたんです、わたし」

「小説? 書くの好きなの?」

「はい。幼い頃から、小説家になるのがわたしの夢なんです。わたしが書いた小説を一人でも多くの人に読んでもらって、『面白い』って感じてもらえたら、と思って。――あ、すみません! つまらないですよね、こんな話」

 つい熱く自分の夢を語ってしまった愛美は、ハッと我に返った。

(からかわれるかな、コレは……)

 もしくはあきれられるだろうか? 「そんな夢みたいなこと言ってないで、現実を見た方がいい」とか。

 ――ところが。彼の反応は愛美のどちらの予想とも違っていた。

「いや、ステキな夢だね。僕も読書が好きだから、君の夢が叶う日が楽しみだよ」

(え……?)

 いかにも現実的そうな珠莉の叔父なのに、純也も自分の夢を応援してくれるらしい。――愛美の胸が温かくなった。

「はい! ありがとうございます!」

(やっぱりこの人、珠莉ちゃんと似てないな)

「純也さん、次はどこがご覧になりたいですか?」

 愛美は彼と一緒にいられるこの時間を、もっと楽しもうと思った。

****

 ――学校内の広い敷地を歩き回ること、三十分。

「愛美ちゃん、この学校は広いねえ。ちょっと疲れたね。どこか休憩できる場所はないかな?」

 純也が愛美を気づかい、そう言ってくれた。
 実は愛美も、少し休みたいと思っていたところだったのだ。

「はい。じゃあ……、あそこの松並木の向こうにカフェがあるんで、そこでお茶にしませんか? 行きましょう」

「うん」

 純也が頷き、二人は歩いて三分ほどのところにあるカフェに入った。

「――なんか、今日はいてるね。いつもこんな感じなの、ここは?」

 月なかばのせいか、店内はガラガラに空いていた。

「いえ。多分、月半ばだからみんな金欠なんじゃないですか。お家から仕送りがあるの、大体二十五日以降ですから」

「ああ、なるほど」

(そういうわたしのお財布サイフの中身も、そろそろピンチなんだけど)

 愛美は自分の財布を開け、こっそりため息をつく。
 〝あしながおじさん〟から今月分のお小遣いが現金書留で送られてくるのも、それくらいの頃なのだ。

「愛美ちゃん、支払いのことなら心配しなくていいよ。ここは僕が払うから」

「えっ? ……はい」

 またも表情を曇らせていた愛美を気遣い、純也はそう言ってくれたけれど。全額彼に払ってもらうのは愛美も気が引けた。
 金額次第では、自分の分くらいは自分で……と思っていたのだけれど。

「すみません。ここのオススメは何ですか?」

 純也はテーブルにつくなり、女性店員に声をかけた。

「そうですね……。季節のフルーツタルト、シフォンケーキ、あと焼き菓子やアイスクリームなんかも人気ですね」

「いいね、それ。じゃ、イチゴタルトとシフォンケーキと、マドレーヌとチョコアイスを二人分。あと紅茶も。ストレート……でいいのかな?」

「あ……、はい」

 愛美は訊かれるまま返事をしたけれど、メニューも見ないでドッサリ注文した純也に肝が冷えた。
 店員さんはオーダーを伝票に書き取り、さっさと引き上げていく。

(えーっと、コレ全部でいくらかかんの?)

 彼女はメニューに書かれた価格とにらめっこしながら、頭の中で電卓を叩いてみた。

(イチゴタルトが六百五十円、シフォンケーキが四百円、マドレーヌが百五十円、チョコアイスが二百円、紅茶が四百五十円。これを二倍すると……、三千七百円! 一人前で千八百五十円!?)

 先ほども言ったけれど、愛美は現在金欠である。「自分の分だけでも払おう」と思っていたけれど、この金額ではそれもムリだ。

「純也さん……。ちょっと頼みすぎじゃないですか?」

「大丈夫だよ。支払いは僕が持つって言っただろう? それに、僕は甘いものが好きでね。いつもこれくらいの量は平らげちゃうんだ」

「はあ、そうですか。――じゃあせめて、珠莉ちゃん呼びましょう。そろそろ補習も終わる頃だと思うんで」

 愛美がポケットからスマホを取り出し、珠莉に連絡を取ろうとすると、純也に止められた。

「いや、いいよ。高校生がカフェインりすぎるのはよくないし、あまりめいには気を遣わせたくないんだ」

「あの……、それ言ったらわたしも同じ高校生なんですけど」

 今日知り合ったばかりの相手なのに、ついツッコミを入れてしまう愛美だった。

「……ああ、そうだったね。でも、それは建前たてまえで、本当は僕、あの子が苦手でね」

「えっ、そうなんですか? 身内なのに?」

 純也の思わぬ言葉に、愛美は目を丸くした。仮にも姪の友人に対して、何というカミングアウトだろう。

「うん。珠莉は小さい頃からワガママで、僕の顔を見るなり小遣いの催促をしてきて。その頃から『可愛くない子だな』と思ってたんだ」

(……やりそう。あの珠莉ちゃんなら)

 入寮の日の一件を目の当たりにしていた愛美である。自分の部屋が一人部屋ではないことが気に入らないと、学校職員にかみついていた彼女なら、幼い頃からワガママだったと聞いても納得できる。

 ……けれど。

「そんなこと、わたしに言っちゃっていいんですか?」

 愛美の口から、珠莉の耳に入るかもしれないのに。

「ハハハッ! マズいかな、やっぱり。珠莉にはこのこと内緒で頼むよ」

「はい、分かってます」

 純也は話していると楽しい人物のようだ。愛美も自然と笑顔になった。
 そして何故か、愛美は彼に対して妙な懐かしさのような感情をおぼえた。

「――でも、いいなあ。その年でもうやりたいことがあるなんて。正直羨ましいよ。僕は経営者の一族に生まれたせいで、夢なんて持たせてもらえなかったからね」

 注文したものがテーブルに届き、紅茶をストレートで飲みながら、純也がしみじみと言った。

「えっ? じゃあ純也さんも社長さんなんですか? そんなにお若いのにスゴいですね」

 〈辺唐院グループ〉の一員ということは、当然そうなるだろう。――もっとも、ここにいる彼は一見そう見えないのだけれど。

「いやあ、僕はそんなに大したもんじゃないよ。グループの一社の経営を任されてるだけでね。でも、僕の好きなようにはさせてもらってるよ。身内はうるさいけどね」

 彼は淡々たんたんと語っているけれど、それって他の親族たちから浮いているということじゃないだろうか? 疎外そがい感を感じたりしないのだろうか? ――愛美はそう考えた。

(ある意味、この人もわたしと同じなのかも)

「そもそも、ウチの親族は僕のことをあんまりよく思ってないみたいなんだ。でも愛美ちゃんは、亡くなったご両親からちゃんと愛されてたみたいだね」

「……えっ? どうして分かるんですか?」

 思いがけないことを言われ、愛美は目を瞠った。
 彼に自分の亡き両親と面識があったとは、とても思えないのだけれど。

「珠莉から教えてもらったんだけど、愛美ちゃんの名前って〝愛されて美しい〟って書くんだよね? そんなキレイな名前、君のことを大事に思ってなければ付けられないよ、きっと」

「……はあ」

「ほら、『名前は両親が我が子に与える最初の愛情だ』っていうだろう? 〝愛美〟って名前、すごくステキだね。僕は好きだな」

「あ…………、ありがとうございます」

(なんか……すごく嬉しい。お父さんとお母さんのこと、こんなに褒めてもらえて)

 それに……、愛美は純也に初めて会った時から、心が妙にザワザワするのを感じていた。
 まだ名前も分からないこの感情は、一体何なんだろう――? と。

「こんなに可愛い一人娘を遺して亡くなってしまって。ご両親はさぞ無念だったろうなあ……」

「…………可愛いだなんて、そんな。でも嬉しいです」

(――あ、まただ。何だか胸がキュンって。コレって何? わたし、どうなっちゃってるの?)

 彼に優しい言葉をかけられるたび、笑いかけられるたびに、愛美の心はザワつく。
 でも、それは決して不快ではなくて。むしろ心地よい感覚だった。
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