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第1章・高校一年生

バイバイ、ネガティブ。 ①

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 ――三学期が始まって、一週間ほどが過ぎた。

「見てみて、愛美! 短編小説コンテストの結果が貼り出されてるよ!」

 一日の授業を終えて寮に戻る途中、文芸部の部室の前を通りかかるとさやかが愛美を手招きして呼んだ。

「今日だったんだね、発表って。――ウソぉ……」

 珠莉も一緒になって掲示板を見上げると、愛美は自分の目を疑った。

「スゴいじゃん、愛美! 大賞だって!」

「…………マジで? 信じらんない」

 思わず二度見をしても、頬をつねってみても、その光景は現実だった。

【大賞:『少年の夏』 一年三組 相川愛美 〈部外〉】
 
「確かに愛美さんの小説のタイトルね。あとの入選者はみんな文芸部の部員さんみたいですわよ?」

「ホントだ。ってことは、部員外で入選したの、わたしだけ?」

 まだ現実を受け止めきれない愛美が呆然ぼうぜんとしていると、部室のスライドドアが開いた。

「相川さん、おめでとう! あなたってホントにすごいわ。部外からの入選者はあなただけよ。しかも、大賞とっちゃうなんて!」

「あー……、はい。そうみたいですね」

 興奮気味に部長がまくし立てても、愛美はボンヤリしてそう言うのが精いっぱいだった。

「表彰式は明日の全校朝礼の時に行われるんだけど。あなたには才能がある。文芸部に入ってみない?」

「え……。一応考えておきます」

「できるだけ早い方がいいわ。あなたが二年生になってからじゃ、私はもう卒業した後だから」

「……はあ」

 愛美は部長が部室に引き上げるまで、終始しゅうし彼女の勢いに押されっぱなしだった。

「――で、どうするの?」

「う~ん……、そんなすぐには決めらんないよ。誘ってもらえたのは嬉しいけど」

「まあ、そうだよねえ」

 今はまだ、大賞をもらえたことに実感が湧かないけれど。気持ちの整理がついたら、文芸部に入ってもいいかな……とは思っている。

「そうだ愛美。このこと、おじさまに報告しなくていいの?」

 さやかに言われるまで、そのことを忘れかけていた愛美はハッとした。

「そっか、そうだよね。わたし、そこまで考えてなかった。ありがと、さやかちゃん!」

 愛美の夢に一番期待してくれているのは、〝あしながおじさん〟かもしれないのだ。だとしたら、この喜ばしい出来事を真っ先に彼に報告するのがスジというものである。

「きっとおじさまも、愛美さんの入選を喜んで下さいますわよ。私も純也叔父さまにお知らせしておきますわ」

「……ありがと、珠莉ちゃん」

 純也さんに知らせると聞いて、愛美は照れた。彼ならきっと、手放しに大喜びして飛んでくるだろう。

(いやいやいやいや! そんなの純也さんに申し訳ないよ。忙しい人みたいだもん)

 ちょっと遠慮がちに思う愛美だった。飛んできて「おめでとう」を言われるなら、純也さんよりも〝あしながおじさん〟の方がいい。……まだ顔も本名も知らないけれど。

(……そうだ。今回の手紙には、さすがのおじさまも「おめでとう」ってお返事下さるよね)

 普段は自分で返事の一通も書かず、必要な時には秘書の久留島氏にパソコンで返事を書かせる彼も、自分が目をかけた女の子が夢への大きな一歩を歩みだしたとなれば、何かしらのアクションを起こすだろう。

(どうしても手紙書きたくないなら、スマホにメール送ってくれればいいんだし)

 いくら忙しい身でも、メールの一通くらいは送信できるだろう。――それにしても、便利な世の中になったものである。

 ――というわけで、部屋に戻って着替えた愛美は夕食前のひと時、座卓の上にレターパッドを広げてペンを執った。

****

『拝啓、大好きなおじさま。

 お元気ですか? わたしは今日も元気です。
 それはさておき、聞いて下さい! 秋に応募した文芸部の短編小説コンテストで、わたしの小説が入選したんです! しかも大賞!
 今日の放課後、部室の前に貼り出されてる自分の名前を見ても、信じられませんでした。だって、入選した人の中で一年生はわたしだけ。しかも、他の人はみんな文芸部の部員さんだったんですよ。
 そして、部長さんにベタ褒めされて、文芸部への入部を勧められました。部長さんはもうすぐ卒業されるので、早めに返事がほしいみたいでしたけど、わたしはひとまず保留にしました。もしかしたら、二年生に上がってから入るかもしれませんけど。
 どうですか、おじさま? わたしは小説家になるっていう夢へ向けて、大きな一歩を歩み始めました。それはおじさまの夢でもあるはずですよね? 喜んで下さいますか? 
 もしよかったら、「入選おめでとう」っていうお返事を書いて下さる気にはなりませんか? もし「手紙を書くのが面倒くさい」っていうなら、わたしのスマホにメールを下さい。この手紙の最後にアドレスも書いておきますね。
 以上、初入選の報告でした☆ ではまた。    かしこ

                 一月十五日    愛美    』

****

「いくら忙しくたって、メール送るヒマもないなんてことないもんね♪」

 愛美はメールアドレスまで書き終えると、フフッと笑った。
 それでも何の反応も示さなければ、わざと無視していることになる。自分の娘も同然の存在に対して、そこまで薄情はくじょうふるいはできないと思う。

 ――その手紙を出してから一週間が経ち、二週間が経ち……。愛美がいくら待てど暮らせど、〝あしながおじさん〟からの手紙はおろか、メールすら一通も来ない。

「――はあ……」

 愛美は今日も、スマホの画面を見てはため息をつく。

「愛美、おじさまからは一向におと沙汰さたナシ?」

「うん……。手紙来ないのはいつものことだけど、メールも来ないなんて」

 さやかに訊かれて愛美は、一段と大きなため息とともにグチった。

「……ねえ、さやかちゃん。いくら忙しくても、仕事の合間にメール一通送信するくらいはできるよね? わたし、手紙にメアドまで書いたんだよ」

「うん、そうだね。愛美からの手紙には目を通してるはずだし」

 果たしてどうだろうか? さやかは〝あしながおじさん〟が絶対に愛美からの手紙を読んでいるはずだと思っているようだけれど、愛美は彼のことを信じきれなくなっていた。

「それでもさあ、意地でも返事しないってことは、わたしのことわざと無視してるってことじゃないの? 人ってそんなに平然と相手のこと無視できるもんなのかな?」

 自分が嬉しかったことを、〝あしながおじさん〟にも一緒に喜んでもらいたいと思うのはワガママなんだろうか? 
 いくら甘えたくても、相手に知らん顔されていたらどうしようもない。

「愛美、それは考えすぎだよ。愛美のこと大事に思ってくれてるから、おじさまは助けてくれてんでしょ? 無視なんかするワケないじゃん。きっと体調崩してるとか、そんなことだと思うけどな」

「……さあ、どうだろ。わたし、もう分かんない。おじさまが何考えてるのか。わたしのことどう思ってるのか」

 吐き捨てるように、愛美は言った。一旦入ってしまったネガティブスイッチは、なかなか元に戻らない。

「もしかしたら、わたしのことウザいとか面倒くさいとか思ってるかも。私の手紙に迷惑がってるとか」

「そんなことないよ。絶対ないから!」

 さやかが諭すように、愛美を励ます。

「……ありがと、さやかちゃん。でもね――」

「ほらほら! 眉間にスゴいシワできてる! あんまり深刻に考えないで、ドッシリ構えてなよ。――ほら、もうすぐ学年末テストもあるしさ。それでいい報告できたら、おじさまもなんか返事くれるかもよ?」

 さやかに励まされ、愛美は少しだけやさぐれかけていた気持ちが解れた気がした。

「……うん、そうだね。ありがと」

 向こうの事情もまだ分からないのに、一人でウダウダ悩んでいても仕方ない。あとはひたすら待つしかないのだ。

「さて、今日はウチの部屋で一緒にテスト勉強する?」

「うん。とか言って、ホントはわたしに教えてもらいたいだけなんでしょ?」

「……うっ、バレたか。ねー愛美ぃ、お願い! 珠莉も愛美に教わりたいって。ねっ、珠莉?」

「……えっ? ええ……」

 突如巻き込まれた珠莉は一瞬戸惑ったけれど、実はさやかの言った通りだったらしい。

「もう。しょうがないなあ、二人とも。じゃあ、寮に帰ろう。着替えたらすぐ行くから」

 やり方は不器用ながら、二人は懸命に自分を励まそうとしてくれている。それが分かった愛美は、二人の親友の提案に乗ることにしたのだった。

****

 ――それから一週間が過ぎ、学年末テストも無事に終わった。
 けれど、愛美の体調は無事ではなく、テスト期間中からのどをやられているのかゴホゴホと咳込んでいた。

「大丈夫、愛美? カゼでも引いた?」

「ううん、大したことないよ。ちょっと喉の調子が悪いだけ」

 ムリしてさやかに笑いかける愛美だけれど、実は喉の痛みだけでなく頭痛にも悩まされていた。

「そう? だといいんだけどさ。――それにしても、愛美はやっぱスゴいわ。今回はとうとう学年でトップファイブに入っちゃったもんね」

「……まあね」

 今度こそ、〝あしながおじさん〟に自分の頑張りを褒めてもらいたくて、愛美は必死に頑張ったのだ。たとえ、少々体調がすぐれなくても。

 ただ――、体調が悪い時、人とは得てしてネガティブになるもので。

(もし、これでもおじさまに褒めてもらえなかったら……? もしかしてわたし、やっぱりおじさまに迷惑がられてる?)

 少なからず、愛美には自覚があった。
 考えてみたら、勉強に関することはほとんど手紙に書いたことがない。身の回りに嬉しい出来事や何かの変化があるたびに、手紙を出しては彼を困らせているのかもしれない。
 最初に「返事はもらえない」と、聡美園長から聞かされていたのに……。

(わたしって、おじさまにとっては迷惑な〝構ってちゃん〟なのかも)

「――愛美、どした? 具合悪いの?」

 一人で黙って考え込んでいたら、さやかが心配そうに顔色を覗き込んでいる。

「ううん、平気……でもないか。わたし、ちょっと思ったんだよね」

「ん? 何を?」

「おじさまは、いつもわたしの出した手紙、ちゃんと読んでくれてるのかな……って。もしかしたらうっとうしくて、読みもしないでゴミ箱に直行してるんじゃないか、って」

 こういう時には、最悪の展開しか思い浮かばなくなる。

「秘書の人からは返事来てたけど、おじさまからは一回も来てないんだよ? もしかしたら、秘書の人は読んでくれてても、おじさまは読もうともしてないとか――」

「……愛美、怒るよ」

 愛美のあまりのネガティブさに、さすがのさやかも見かねたらしい。眉を吊り上げ、静かに愛美のネガティブ発言を遮った。

「おじさまは、あんたの一番の味方のはずでしょ? あんたが信じてあげなくてどうすんのよ? 大丈夫だって! おじさまはちゃんと、愛美の手紙読んでくれてるよ! んでもって、一通ももれなくファイルしてあるよ、きっと!」

「ファイル……って」

 最後の一言に、愛美は唖然あぜんとした。いくら小説家志望の彼女も、そこまでの発想はなかったらしい。

(……そういえば、園長先生もさやかちゃんとおんなじようなことおっしゃってたっけ)

 このデジタル全盛期の時代にあって、〝あしながおじさん〟が愛美にメールではなく、手紙を書くことを求めた理由。それは、愛美の成長ぶりを目に見える形で残しておきたいからだと。

「まあ、それは発想が飛躍しすぎてるかもしんないけど。とにかくあんまり一人で深刻になんないことだね。グチだったらあたし、いっくらでも聞いてあげるからさ。あたしになら好きなだけ甘えていいよ」

「……うん、ありがと」

 愛美はためらいながらも頷く。けれど、心の中では密かにある決意を固めていた。

(さやかちゃんの気持ちはすごく嬉しいけど、わたしは誰にも甘えちゃいけないんだ。だから、もう決めた! こうなったら、とことんまで〝構ってちゃん〟になってやる! おじさまが根負けして返事を下さるまで!)

 〝構ってちゃん〟で結構。――愛美はもう開き直っていた。向こうがそう思っているならなおさら、それで押し通すつもりでいた。

(おじさまも血の通った人間なら、さすがに最後はをあげるでしょ)

 ――それはともかく、愛美はまた咳込んだ。

「愛美、あんまりムリしちゃダメだよ? ただのカゼじゃないかもしんないし、明日は学校休んで病院でちゃんと診てもらった方がいいよ」

「うん、分かった。ありがとね」

 ――寮に帰った愛美は、今日も郵便受けに何も来ていないのを確認してから、どうすれば〝あしながおじさん〟がアクションを起こすのか考えた。

(コレなら、おじさまだって無視はできないよね♪)

 彼がロボットでもない限り、何かしらの反応があるはず。
 怒るかもしれないし、愛美に愛想あいそを尽かすかもしれない。――でも、この時の愛美はそんなことを考えもしなかった。体調が悪いせいで、思考回路まで不調をきたしていたのかもしれない。

****

『拝啓、田中太郎様

 もしかして、あなたはわたしのことを迷惑だと思っていませんか? 「女の子なんて面倒くさい」って、相手をするのもばからしいって無視してるんじゃないですか?
 わたしがあなたをニックネームで呼ぶのも、本当はイヤなんですよね?
 そうでなかったら、あなたは何の感情も持たないロボットと同じです。名前さえ教えてくれないような、冷たい人に手紙を書いたって、わたしには張り合いがありません。
 わたしの手紙はきっと、あなたには読まれていない。秘書さん止まりで、あなたは読みもしないでゴミ箱に放り込んでるに決まってます。
 もしも勉強のことにしか興味がないのなら、今後はそうします。
 学年末テストは無事に終わりました。わたしは学年で五位以内に入って、二年生に進級できることになりました。    かしこ

                二月二十日    相川愛美    』 

****

 ――こんなバチ当たりな手紙を出したむくいだろうか。愛美はこの手紙が投函された翌日、四十度の高熱を出して倒れ、付属病院に入院することになってしまった。

****

 
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