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第2章 高校2年生
恋する表参道♪ ①
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――それから数週間が過ぎ、G.W.が間近に迫った頃。
「相川さん、お疲れさま。もう部活には慣れた?」
文芸部の活動を終えて、部室を出ていこうとしていた愛美は、三年生の部長に声をかけられた。
彼女は前部長が卒業するまでは副部長をしていて、三年生に進級したと同時に部長に昇格した。お下げの黒髪がよく似合い、シャレた眼鏡をかけているいかにもな〝文学少女〟である。名前は後藤絵美という。
「あ、お疲れさまです。――はい、すっかり。すごく楽しいです」
「よかった。あたしも冬のコンテストの大賞作読んだよー。すごく面白かった。さすが、千香先輩が見込んだだけのことはあるわ」
「いえ……、そんな。ありがとうございます」
愛美は何だか恐縮して、控えめにお礼を言った。――ちなみに、前部長の名前は北原千香というらしい。
一年生の新入部員の子たちと一緒に入部した愛美は、最初の頃こそ「相川先輩」「愛美先輩」と呼ばれ、一年生たちから少し距離を置かれていたし、愛美自身も一年下の〝同期〟にどう接していいのか分からずにいたけれど。
最近では一歳くらいの年の差なんてないも同然で、一年生の子も気軽に声をかけてくれるようになった。敬語は使われるけれど、同じ小説や文芸作品を愛する仲間だ。
「来月に出す部誌は、新入部員特集号だから。巻頭は相川さんの作品を載せることにしたんだよ」
「えっ、ホントですか!? ありがとうございます!」
愛美も今度は、思わず大きな声でお礼を述べた。
新入部員とはいえ、自分は二年生だから、一年生の子に花を持たせてやりたいと思っていたのだ。
「うん。あの作品、みんなから評判よくてね。満場一致で巻頭に載せるって決まったの」
「そうなんですか……。なんか、一年生の子たちに申し訳ないですけど、でもやっぱり嬉しいです。――じゃあ、失礼します」
後藤部長に会釈して、愛美は親友であるさやかと珠莉の待つ寮の部屋に帰った。
それぞれ陸上部と茶道部に入った二人(さやかは陸上部・珠莉は茶道部)は、今日は部活が休みだと言っていたのだ。
「――ただいまー」
「あ、愛美。お帰りー」
部屋に入ると、すでに長袖パーカーとデニムパンツに着替えていたさやかが出迎えてくれた。
珠莉はスマホを手に、誰かと電話している様子。
「部活はどう? 楽しい? ――はい、コーラどうぞ」
スクールバッグを床に置き、勉強スペースの椅子に腰を下ろした愛美に、さやかは炭酸飲料の入ったグラスを差し出す。
「ありがと。――うん、楽しいよ。一年生の子たちとも、だいぶ打ち解けてきたかな。さやかちゃんの方は?」
「楽しいよ。まあ、練習はしんどいけど、走ってるとスカッとするんだ。記録も縮まってきてるし、うまくすれば来月の大会に出られるかも☆」
「へえ、スゴ~い! わたし、その時は絶対応援しに行くよ☆ ……ところで珠莉ちゃん、誰と話してるの?」
愛美は電話中の珠莉をチラッと見ながら、さやかに訊ねた。
「ああ。なんかねえ、ほんのちょっと前に純也さんから電話かかってきてさ。もう、ホントについさっき」
「純也さんから?」
彼の名前が出た途端、愛美の胸がザワつく。
この部屋で、四人でお茶を飲んでからまだ数週間。こんなにすぐに、また彼の名前を聞くことになるなんて思ってもみなかった。
(……純也さん、わたしに「電話代わって」って言ってくれたりしないかな……なんて)
こっそり、淡い期待を抱いてみる。自分から「珠莉ちゃん、電話代わって?」と言うのも、何だか厚かましい気がするし……。
「――えっ、愛美さんに代わってほしい? ……ええ、今帰ってきたみたいですけど」
その期待が、純也さんにも伝わったんだろうか? 彼と電話中だった珠莉が急に驚いた様子で、愛美の方を振り返った。
(……えっ? ウソ……)
愛美の胸が高鳴った。早く純也さんと話したくて、待っている時間がもどかしい。
「ええ、今代わりますわ。――愛美さん、純也叔父さまがあなたとお話ししたいそうよ」
「……あ、うん」
彼からの指示だろうか、珠莉がスピーカーフォンにした自身のスマホを愛美の前に置いた。
「もしもし、純也さんですか? わたし、愛美です」
『やあ、愛美ちゃん。純也です。こないだはありがとう。元気にしてる?』
「はい、元気です。――今日はどうされたんですか? お電話、わざわざわたしに代わってほしいなんて」
大好きな純也さんの声に胸がいっぱいになりながら、愛美はこの電話の用件を彼に訊ねた。
『うん、愛美ちゃんとまた話したくなったから』
「え…………」
『……っていうのも、もちろんあるんだけど。実はね、連休中に東京で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたんだ。四枚あるから、よかったら一緒に観に行けないかな、と思って。珠莉も、さやかちゃんも一緒に』
「ミュージカル……。っていうか、東京!? いいんですか!?」
純也さんのお誘いに、愛美は目をみはった(テレビ電話ではないので、純也さんには見えないけれど)。
『うん。ついでにみんなで美味しいものでも食べて、買いものがてら街を散策するのもいいね。横浜からなら日帰りで来られるだろうし。――そうだな……、五月の三日あたり。どうかな?』
「えーっと……、ちょっと待って下さいね。二人にも都合訊かないと。――どうする?」
〝相談する〟といっても、スピーカーフォンなので愛美たちの会話の内容は純也さんに筒抜けである。
「あたし、久しぶりに東京で遊びたい! 冬休みには、ウチの実家に帰る途中で品川でゴハン食べただけだもんね」
「私にとっては、東京は庭みたいなものですけど。大事なのは愛美さんの意思ですわ。あなたはどうしたいの?」
二人はどうやら行く気満々らしい。――もしも純也さんと二人きりで会うとなったら、愛美は躊躇していたかもしれない。
(でも、さやかちゃんたちも一緒に行けるなら……)
「わたし、東京に行きたいです。来月三日、よろしくお願いします」
『分かった。ミュージカルの開演時刻とかは、また珠莉のスマホにメールで送っておくから。当日、気をつけておいで』
「はい!」
『僕も楽しみに待ってるよ。二人にもよろしく。じゃあ、また』
「――あ、待って純也さん。珠莉ちゃんに代わりましょうか?」
『う~~ん、……いいや。じゃ』
ツー、ツー、ツー……。――呆気なく通話が切れた。
「切れちゃった……」
「もう、叔父さまったら何ですの!? 私の携帯にかけてきておいて、愛美さんと話し終えたら私に代わることなく切ってしまわれるなんて!」
なんとなくバツの悪い愛美。珠莉はプリプリ怒っている。――ただし、怒りの矛先は愛美ではなく、叔父の純也さんらしいけれど。
「もしかして、ホントは愛美に直で連絡したかったんじゃないの? でも連絡先知らなかったから、珠莉にかけたとか」
「そうなのかなぁ?」
そういえば、愛美はまだ純也さんと連絡先を交換していない。愛美は純也さんのアドレスを知らないし(珠莉も教えてくれないだろうし)、当然彼の方も愛美の連絡先を知らないわけだ。
「…………そうかもしれませんわね」
さっきまでの怒りはどこへやら、珠莉はあっさり納得した。
「……? 珠莉ちゃん、どうしたんだろ? 純也さんが遊びに来てから、なんかずっとヘンだよね」
あの日から、珠莉は絶対何かを隠している。そして、急に愛美に対して親切になった気がする。
「まあねぇ、あたしもちょっと気にはなってた。でも、あのプライドの高い珠莉のことだから、訊いても教えてくんないと思うよ」
「そうだねぇ……。まあいいか」
相手が話しにくいこと、話したがらないことをムリヤリ聞き出すのは、愛美の性分じゃない。話したがらないなら、本人が話したくなるのを待つしかないのだ。
「それよりさ、愛美。早く着替えなよ。晩ゴハンの前に、早いとこ英語のグループ学習の課題やっちゃお」
「うん」
愛美は勉強スペースの隅にあるクローゼットに向かい、私服のブラウスとデニムスカートを出して制服を脱ぎ始めた。
* * * *
――その日の夜。夕食も入浴も済ませ、まだ消灯時間には早いので、三人は部屋の共用スペースで思い思いにのんびり過ごしていた。
「――あ、そうだ。わたし、おじさまに手紙書こうかな。純也さんに『東京においで』って誘われたこと、おじさまに知らせたいの」
愛美はそう言って、テーブルの上にレターセットを広げた。
最近はただ手紙を出すだけではなく、レターセットにも凝るようになってきた。シンプルなものよりも、季節感のあるものを好んで使うようになったのだ。
「うん、いいんじゃない? あたしたちはジャマにならないように、静かにしてるから」
「あ、ううん。そんなに気を遣わないで。普通にしてて大丈夫だよ」
「そう? オッケー、分かった。――ねえねえ珠莉、東京に行くときの服なんだけどさ、こんなのとかどう?」
さやかは珠莉を手招きし、手にしていたティーン向けのファッション誌のページをめくって彼女と話し始める。
愛美は普段通りの二人の様子にホッとして、改めてペンをとった。
****
『拝啓、あしながおじさん。
お元気ですか? わたしは今日も元気です。
二年生になってから、もうすぐ一ヶ月。去年の今ごろはまだ、わたしはこの学校に慣れてなくて、自分は浮いてるんじゃないかと思ってました。
でも今は、ごく普通にこの学校の雰囲気になじんでいる気がします。
文芸部の活動にも慣れてきました。一年生の新入部員の子たちとも仲良くしてます。学年は違っても、おんなじ新入部員ですから。
来月に出る部誌の新入部員特集号には、わたしの小説が巻頭に載るそうです! おじさまにも読んで頂きたいな……。
話は変わりますけど、今日の夕方、純也さんから珠莉ちゃんのスマホに電話がかかってきました。「来月の三日、珠莉ちゃんとさやかちゃんと三人で東京においでよ」って。
なんでも、東京の大きな劇場で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたから、一緒に観たいってことだそうです。で、そのついでに美味しいものを食べたり、ショッピングしながら街を散策するのはどうかって。
珠莉ちゃんはもちろん東京出身だし、さやかちゃんもお家は埼玉で東京はお隣だから、中学時代はよく東京で遊んでたらしいんですけど。わたしは本格的に東京の街を歩くのは初めてです。そして舞台鑑賞も初めて! すごくワクワクしてます。
そして何より、純也さんとお出かけできるのがわたしには嬉しくて。その分、ドキドキもしてますけど……。
もちろん泊りじゃなくて、日帰りですけど。連休中だから、帰りが遅くなっても大丈夫だし。もちろん外出届は出します。
そういえば、さやかちゃんが言ってたんですけど。純也さんは本当はわたしに直接連絡を取りたかったけど、連絡先を知らないから珠莉ちゃん経由で連絡してきたんじゃないか、って。もしそうだったら、これって立派なデートのお誘いですよね? でも二人きりじゃないから、わたしの考えすぎ?
とにかく、来月三日、楽しんできます♪ 帰ってきたら、また報告しますね。ではまた。
四月二十七日 愛美 』
****
――書き終えた手紙を封筒に入れて宛て名を書き終えると、あと十分ほどで消灯時間だった。
「愛美、終わった? そろそろ寝よ?」
「私、先にやすみますわ……」
「うん、今書き終わったよ。じゃあ電気消すね。さやかちゃん、珠莉ちゃん、おやすみ」
共用スペースの明かりを消し、愛美も就寝準備を整えて寝室のベッドに入った。
「――三日はどんなの着て行こうかな……」
* * * *
――そして、待ちに待った五月三日。お天気にも恵まれ、絶好のお出かけ日和。
「叔父さまー! お待たせいたしました」
「やあ、みんな。よく来てくれたね」
東京は渋谷区・JR原宿駅前。愛美・さやか・珠莉の三人は、そこで純也さんに迎えられた。
三人とも、今日は張り切ってオシャレしてきた(珠莉はいつもファッションに気を遣っているけれど)。普段着よりはファッショナブルで、それでいて〝原宿〟というこの街にも溶け込めそうな服を選んだのだ。
愛美は胸元に控えめのフリルがあしらわれた白のカットソーに、大胆な花柄のミモレ丈のフレアースカート。そこにデニムジャケットを羽織り、靴は赤のハイカットスニーカー。髪形もさやかにアレンジしてもらい、編み込みの入ったハーフアップにしてある。
さやかは白い半袖Tシャツの上に赤のタータンチェックのシャツ、デニムの膝上スカートに黄色の厚底スニーカー。
珠莉は肩の部分に切り込みの入った淡いパープルの七分袖ニットに千鳥格子の膝丈スカート、クリーム色のパンプス。髪には緩くウェーブがかかっている。
「こんにちは、純也さん。今日はお招きありがとうございます」
純也さんにお礼を言った後、愛美は彼の服装に見入っていた。
(わ……! 私服姿の純也さんもカッコいい……!)
愛美の知っている限り、いつもはキチっとしたスーツを着ている彼も、今日は何だかカジュアルな格好をしている。
清潔感のある白無地のカットソーにカーキ色のジャケット、黒のデニムパンツに茶色の編み上げショートブーツ姿だ。
「あら、叔父さま。今日は何だかカジュアルダウンしすぎじゃありません?」
「あのなぁ……。原宿歩くのに、スーツじゃいくら何でも浮くだろ?」
いつもは紳士的な口調の純也さんも、姪の珠莉が相手だと砕けた物言いになるらしい。
「それにしたって、ちょっと若づくりしすぎじゃございません?」
「失礼な。俺はまだ若いっつうの。今日び、三十なんてまだまだ若者だって」
(〝俺〟……? こんな打ち解けた純也さん、初めて見たかも)
愛美は今まで知らなかった純也さんの一面を知り、嬉しくなった。
「愛美ちゃん、今日はいつもと髪形違うね」
「あ、分かっちゃいました? さやかちゃんがやってくれたんですけど、どう……ですか?」
純也さんは女性不信らしいと聞いたけれど、女性のちょっとした変化には気がつくらしい。気づいてもらえた愛美は、さっそくできた彼との会話のキッカケに食らいつく。
「さやかちゃんが? そっか。可愛いね。よく似合ってるよ」
「あ……、ありがとうございます」
女性をストレートに褒められる男性が減ってきているこの時代に、純也さんはどストレートに褒めてくれた。男性にまだ免疫のない愛美は、今にも顔から火を噴きそうな気持になった。
「まあまあ、叔父さまったら。キザなんだから!」
珠莉が呆れているような、面白がっているような(愛美の気のせいかもしれないけれど)口ぶりで、叔父をそう評した。
「さやかちゃん、ヘアメイク上手だね。美容師目指してるのかい?」
「いえ。ウチに小さい妹いるんで、実家ではよく妹の髪やってあげてるんですよ」
さやかは数週間前のチョコレートケーキが効いているのか、まだ会うのが二度目なのにもう純也さんと打ち解けている。
彼女曰く、「チョコ好きに悪い人はいない」らしいのだ。
(いいなぁ……。わたしも二人みたいに、純也さんともっと打ち解けてお話できたらいいのに……)
親戚である珠莉はともかく、さやかまでもがもの怖じせずに純也さんと話せていることが、愛美は羨ましかった。
というか、ロクに男性と話す機会に恵まれなかった、高校入学までの十五年のブランクが恨めしかった。
「――さてと、そろそろ行こうか。ミュージカルは二時開演だから、それまでに昼食を済ませて、ちょっと街をブラブラしよう」
「「はーいっ!」」
純也さんの言葉に、愛美とさやかがまるで小学生みたいに元気よく返事をした。
「……この二人、ホントに高校生かしら?」
珠莉ひとり、呆れてボソッとツッコむ。――彼女には、叔父と愛美たちが「遠足中の小学生とその引率の先生」に見えたのかもしれない。
――それはさておき、四人は駅前のオシャレなカフェでランチを済ませた後、竹下通りを散策し始めた。
「――あっ、ねえねえ! このスマホカバー、可愛くない? 三人おソロで買おうよ! 友情のしるしにさ」
とある雑貨屋さんの店内で、さやかがはしゃいで言った。
「わぁ、ホントだ。可愛い! 買おう買おう♪ ……待って待って。いくらだろ、コレ?」
あまり高価なものだと、愛美は買うのをやめようと思っていた。
所持金は十分にある。〝あしながおじさん〟からクリスマスに送られてきたお小遣いも、さやかのお父さんからお正月にもらったお年玉(中身は一万円だった!)も、短編小説コンテストの賞金もまだ残っているし、そのうえ四月の末にまたお小遣いをもらったばかりだ。
でも金額の問題ではなく、愛美は一年前に金欠を経験してから、節約するようになっていたのだ。〝あしながおじさん〟から援助してもらったお金は、いつか独り立ちできたら全額返そうと決めていたから。
「そんなに高くないよ、コレ。二千円くらい」
「じゃあ買っちゃおっかな」
「私はいいわよ。スマホのカバーなら、高級ブランドのいい品を持ってますから」
「いいじゃん、珠莉。買えば。こんな経験できるの、今のうちだけだぞ」
自慢をまじえて拒もうとする姪に、唯一の男性で大人の純也さんが口を挟んだ。
「大人になってからは、友達とお揃いで何か買うの恥ずかしくなったりするから。今のうちにやっとけば、後々いい思い出になるってモンだ」
純也さんの言い方には、妙な説得力がある。珠莉はピンときた。
「……もしかして、叔父さまにも経験が?」
「そりゃそうだろ。俺にだって、学生時代の思い出くらいあるさ。――あ、そうだ。それ、俺からプレゼントさせてくれないかな?」
「「「えっ?」」」
思いがけない純也さんの提案に、三人の女子高生たちは一同面食らった。
「そんな! いいですよ、純也さん! コレくらい、自分で買えますから」
「そうですよ。そこまで気を遣わせちゃ悪いし」
「いいからいいから。ここは唯一の大人に花を持たせなさい♪ じゃあ、会計してくる」
そう言って、品物を受け取った彼が手帳型のスマホケースから取り出したのは、一枚の黒光りするカード――。
「ブラックカード……」
愛美は驚きのあまり、思考が止まってしまう。
ブラックカードは確か、年収が千五百万円だか二千万円だかある人にしか持てないカード。存在すること自体、都市伝説だと思っていたのに……。
「純也さんって、とんでもないお金持ちなんだね……」
今更ながら、愛美が感心すれば。
「当然でしょう? この私の親戚なんですものっ」
珠莉がなぜか、自分のことのようにふんぞり返る。……まあ、確かにその通りなんだけれど。
「ハイハイ。誰もアンタの自慢なんか聞いてないから」
すかさず、さやかから鋭いツッコミが入った。
「――はい、お待たせ。買ってきたよ」
しばらくして、会計を済ませた純也さんが、三つの小さな包みを持って、三人のもとに戻ってきた。
「一つずつラッピングしてもらってたら、時間かかっちまった。――はい、愛美ちゃん」
彼は一人ずつに手渡していき、最後に愛美にも差し出した。
「わぁ……。ありがとうございます!」
受け取った愛美は、顔を綻ばせた。これは、彼女が好きな人から初めてもらったプレゼントだ。――ただし、〝あしながおじさん〟から送られたお見舞いのフラワーボックスは別として。
「わたし、男の人からプレゼントもらうの初めてで……。ちょうど先月お誕生日だったし」
「そうだったんだ? 何日?」
「四日です」
「そっか。遅くなったけど、おめでとう。前もって知ってたら、こないだ寮に遊びに行った時、何かプレゼントを用意してたんだけどな」
純也さんが寮を訪れたのは、愛美の誕生日の後だった。
「いえいえ、そんな! わたしは、純也さんが来て下さっただけで十分嬉しかったですよ。あと、ケーキの差し入れも」
「っていうかさ、男の人からのプレゼントって初めてじゃなくない? ほら、おじさまから色々もらってるじゃん。お花とか」
「おじさまは別格だよ。だって、わたしのお父さん代わりだもん」
いくら血の繋がりがないとはいえ、親代わりの人を〝異性〟のカテゴリーに入れてはいけない。
「あー……、そっか」
その理屈にさやかが納得する一方で、珠莉は何だか複雑そうな表情を浮かべている。
この半月ほど――純也さんが寮を訪れた日から後、彼女のこんな表情を、愛美は何度も見ていた。
――四人が再び、竹下通りを散策していると……。
「――あれ? さやかじゃん! それに愛美ちゃんも。こんなとこで何してんだ?」
やたらハイテンションな、若い男性の声がした。それも、珠莉と純也さんはともかく、あとの二人にはものすごく聞き覚えのある……。
「おっ……、お兄ちゃん!」
「治樹さん! お久しぶりです」
「ようよう、お二人さん! だから、なんでここにいるんだっての。――あれ? そのコは初めて見る顔だな。さやかの友達?」
声の主はやっぱり、さやかの兄・治樹だった。
(……そういえば治樹さんも、東京で一人暮らししてるって言ってたっけ)
愛美はふと思い出す。――それにしたって、何もこんなところで純也さんと鉢合わせしなくてもいいじゃない、と思った。
(……まあ、偶然なんだろうけど)
「まあ! さやかさんのお兄さまでいらっしゃいますの? 私はさやかさんと愛美さんの友人で、辺唐院珠莉と申します」
「へえ、君が珠莉ちゃんかぁ。さやかから話は聞いてるよ。……で? そのオッサンは誰?」
「あたしたちは今日、この珠莉の叔父さんに招待されて、東京に遊びに来たの。これからミュージカル観に行って、ショッピングするんだ」
さやかはそう言いながら、右手で純也さんを差した。
「……どうも。珠莉の叔父の、辺唐院純也です」
純也さんはなぜか、ブスッとしながら治樹さんに自己紹介した。〝オッサン〟呼ばわりされたことにカチンときているらしい。
「へえ……、珠莉ちゃんの叔父さん? 歳いくつっすか?」
「来月で三十だよ。つうか誰がオッサンだ」
(純也さん、それ言っちゃったら大人げないです……)
ムキになって治樹さんに食ってかかる純也さんに、愛美は心の中でこっそりツッコんだ。
そして、治樹さんは治樹さんで、愛美がチラチラ純也さんを見ていてピンときたらしい。愛美の好きな人が、一体誰なのか。
(お願いだから治樹さん、ここで言わないで!)
愛美の想いなどお構いなしに、治樹さんと純也さんはしばし睨みあう。けれど、身長の高さと目力の強さに圧倒されてか、すぐに治樹さんの方が睨むのを諦めた。
「……すんません」
「いや、こっちこそ大人げなかったね。すまない」
とりあえず、火花バチバチの事態はすぐに収まり、さやかがまた兄に同じ質問を繰り返す。
「ところで、お兄ちゃんはなんでここにいんのよ? 住んでんのこの辺じゃなかったよね?」
「なんで、って。服買いに来たんだよ。この辺の古着屋ってさ、けっこういいのが揃ってんだ」
原宿といえば、古着店が多いことでも有名らしい。新しい服を買うよりは、古着の方が価格も安いしわりと掘り出し物があったりもして楽しのかもしれない。
「ああー、ナルホドね。だからお兄ちゃんの服、けっこう奇抜なヤツ多いんだ」
「さやか、そこは個性的って言ってほしいな」
「でも、治樹さんにはよく似合ってると思います。わたしは」
「おおっ!? 愛美ちゃんは分かってくれるんだ? さすがはオレが惚れた女の子だぜ。お前とは大違いだな」
「はぁっ!? お兄ちゃん、まだ愛美に未練あんの? 冬に秒でフラれたくせにさぁ」
「うっさいわ」
街中で牧村兄妹の漫才が始まりかけたけれど、そこで終了の合図よろしく純也さんの咳払いが聞こえてきた。
「……取り込み中、申し訳ないんだけど。もうすぐ開演時刻だし、そろそろ行こうか」
「……あ、はーい……。とにかく! お兄ちゃん、もう愛美にちょっかい出さないでよねっ! 珠莉、愛美、行こっ」
「うん。治樹さん、じゃあまた」
「またね~、愛美ちゃん」
「治樹さん、またどこかでお会いしましょうね」
兄に対して冷たいさやか、あくまで礼儀正しい愛美、なぜか治樹さんに対して愛想のいい珠莉の三人娘は、純也さんに連れられてミュージカルが上演される劇場まで歩いて行った。
* * * *
「――ゴメンねー、愛美。お兄ちゃん、まだ愛美のこと引きずってるみたいで……。みっともないよねー」
劇場のロビーで純也さんが受付を済ませている間に、さやかが愛美に謝った。
珠莉は受付カウンター横の売店で飲み物を買っているらしい。――ついでに気を利かせて、愛美たちの分も買ってきてくれるといいんだけれど。
「ううん、いいよ。わたしも、あんなフり方して申し訳ないなって思ってたの。あんなにいい人なのに」
「愛美……」
「もちろん、わたしが好きなのは純也さん一人だけだよ。治樹さんは、わたしにとってはお兄ちゃんみたいなものかな」
純也さんは幸い離れたところにいるので、聞こえる心配はないだろうけれど。愛美はさやかだけに聞こえる小さな声で言った。
「……そっかぁ。コレでお兄ちゃんが、キッパリ愛美のこと諦めてくれたらいいんだけどねー」
「うん……。――あ、戻ってきた」
愛美とさやかが顔を上げると、純也さんと珠莉が二人揃って戻ってきた。珠莉は自分の分だけではなく、ちゃんと人数分の飲み物を持って。
「お待たせ! もう中に入れるけど、どうする?」
「叔父さま、コレ飲んでからでも遅くないんじゃありません? ――はい、どうぞ。全部オレンジジュースにしましたけど」
「サンキュ。アンタもたまには気が利くじゃん?」
「ありがと、珠莉ちゃん」
「どういたしまして。ちょっと、さやかさん? 〝たまには〟ってどういうことですの?」
「まあまあ、珠莉。落ち着けって」
さやかに食ってかかった姪を、純也さんはなだめた。
――四人で仲良くオレンジジュースを飲みほした後、お目当ての演目が上演されるシアターに入り、座席に座った。
「この作品は、過去に何回も再演されてる人気作でね。なかなかチケットが買えないことでも有名なんだ」
「まさか純也さん、お金にもの言わせてチケット手に入れたんじゃ……?」
「さやかちゃん! 純也さんはそんなことする人じゃないよ。そういうこと、一番嫌う人なんだから。ね、純也さん?」
お金持ち特権を濫用したんじゃないかと言うさやかを、愛美が小さな声でたしなめた。
「もちろん、そんなことするワケないさ。ちゃんと正規のルートで買ったともさ」
「ええ。叔父さまはウソがつけない人だもの、信じていいと思いますわ」
「……分かった。姪のアンタがそう言うんなら」
ブーツ ……。
「――あ、始まるよ」
愛美は初めて観るミュージカルにワクワクした。舞台上で繰り広げられるお芝居、歌、音楽。そして、キラキラした舞台装置……。
カーテンコールの時にはもう感動して、笑顔で大きな拍手を送っていた――。
* * * *
「――さっきの舞台、スゴかったねー」
終演後、劇場の外に出た愛美は、一緒に歩いていたさやかとミュージカル鑑賞の感想を話していた。
珠莉はと言うと、愛美たちに聞こえないくらいのヒソヒソ声で、何やら叔父の純也さんと打ち合わせ中の様子。
「うん。あたし、あの作品の原作読んだことあるけど、ああいう解釈もあるんだなぁって思った。やっぱり、ナマの演技は迫力違うよね」
「原作あるんだ? わたし、読んだことないなぁ。この後買って帰ろうかな」
今日の舞台の原作は、偶然にも愛美が好きな作家の書いた長編小説らしい。――もしかしたら、純也さんはそれが理由でこの舞台に誘ったのかもしれない。
(……なんてね。そう考えるのはちょっと都合よすぎかな)
「――さて、お買いものタイムと参りましょうか」
いつの間にか、純也さんたちも二人に追いついていて、珠莉がやたら張り切って声を上げた。
お買いものといえば、毎回テンションが変わるのが彼女なのだ。お金に不自由していないせいか、根っからのショッピング狂のようである。
「ハイハ~イ☆ とりあえず、古着屋さん回ってみる?」
とはいえ、さやかもショッピングはキライじゃないので、愛美が気後れしない提案をしてくれた。
「うん! わたしもそろそろ、夏物の洋服とか靴が見たかったんだ。いいのが見つかるといいな」
古着店なら、たとえ流行遅れでもいいものが安く買える可能性が高い。愛美は流行とかは気にしない性質なので、それくらいでちょうどいいのだ。
「じゃあみなさん、参りますわよ!」
「おいおい。まさか珠莉、俺を荷物持ちでこき使うつもりじゃないだろうな?」
姪のあまりの張り切りように、この中で唯一の男性である純也さんがげんなりして訊ねる。
「あら、私がそんなこと、叔父さまにさせると思って? ――ちょっとお耳を拝借します」
珠莉が叔父に歩み寄り、何やらゴショゴショと耳打ちし始めた。純也さんも「うん、うん」としきりに頷いている。
(……? あの二人、何の相談してるんだろ?)
愛美は首を傾げる。思えばここ数週間、珠莉の様子がヘンだ。今日だってそう。何だかずっと、純也さんと二人でコソコソしている。
「愛美、どしたの? ほら行くよ」
「あ……、うん」
――かくして、四人は竹下通りから表参道までを巡り、ショッピングを楽しんだ。……いや、楽しんでいたのは女子三人だけで、純也さんはほとんど何も買っていなかったけれど。
「ふぅ……。いっぱい買っちゃったねー」
愛美も数軒の古着店を回り、夏物のワンピースやカットソー・スカートにデニムパンツ・スニーカーやサンダルなどを買いまくっていた。でもすべて中古品なので、新品を買うよりも格安で済んだ。
さやかも同じくらいの買いものをして、二人はすでに満足していたのだけれど……。
「まだまだよ! 次はあそこのセレクトショップへ参りますわよ」
それ以上にドッサリ買いまくって、もう両手にいっぱいの荷物を持ち、それでも間に合わないので純也さんにまで紙袋を持たせている珠莉が、まだ買う気でいる。
「「え~~~~~~~~っ!?」」
これには愛美とさやか、二人揃ってブーイングした。純也さんもウンザリ顔をしている。
「アンタ、まだ買うつもり!? いい加減にしなよぉ」
「そうだよ。もうやめとけって」
「わたしはいいよ。こんな高そうなお店、入る勇気ないし」
「いいえ! さやかさん、参りましょう!」
「え~~~~? あたし、ブランドものなんか興味ない――」
珠莉は迷惑がっているさやかをムリヤリ引っぱっていく。そしてなぜか、そのまま彼女にも耳打ちした。
「ふんふん。な~る☆ オッケー、そういうことなら協力しましょ」
(……? なに?)
事態がうまく呑み込めない愛美に、さやかがウィンクした。
「じゃあ、あたしたち二人だけで行ってくるから。愛美は純也さんと好きなとこ回っといでよ」
「純也叔父さま、愛美さんのことお願いしますね」
「……え!? え!? 二人とも、ちょっと待ってよ!」
「ああ、分かった」
(…………えっ? 純也さんまで!? どうなってるの!?)
ますますワケが分からなくなり、愛美は一人混乱している間に、純也さんと二人きりになった。
「…………あっ、あの……?」
珠莉ちゃんと何か打ち合わせした? 純也さんはどうして当たり前のように残った? ――彼に訊きたいことはいくつもあるけれど、二人きりになってしまうと緊張してうまく言葉が出てこない。
「さてと。愛美ちゃん、どこか行きたいところある?」
「え……? えっと」
そんな愛美の心を知ってか知らずか、純也さんがしれっと質問してきた。……何だか、うまくはぐらかされた気がしなくもないけれど。
それでもとりあえず一生懸命考えを巡らせて、つい数十分前に思いついたことを言ってみる。
「あ……、じゃあ……本屋さんに付き合ってもらえますか? 今日観てきたミュージカルの原作の小説があるらしいんで」
「オッケー。じゃ、行こうか」
「はいっ!」
二人はそのまま表参道を下り、東京メトロ表参道駅近くのビルの地下にある大型書店へ。
(なんか、こうしてると恋人同士みたいだな……)
愛美はこっそりそう思う。ただ、まだ本当の恋人同士ではないので、手を繋いでいるだけで心臓の鼓動が早くなっているけれど。
何はともあれ、愛美はお目当ての小説の単行本をゲットし、二人は近くのベンチで休憩することにした。
「相川さん、お疲れさま。もう部活には慣れた?」
文芸部の活動を終えて、部室を出ていこうとしていた愛美は、三年生の部長に声をかけられた。
彼女は前部長が卒業するまでは副部長をしていて、三年生に進級したと同時に部長に昇格した。お下げの黒髪がよく似合い、シャレた眼鏡をかけているいかにもな〝文学少女〟である。名前は後藤絵美という。
「あ、お疲れさまです。――はい、すっかり。すごく楽しいです」
「よかった。あたしも冬のコンテストの大賞作読んだよー。すごく面白かった。さすが、千香先輩が見込んだだけのことはあるわ」
「いえ……、そんな。ありがとうございます」
愛美は何だか恐縮して、控えめにお礼を言った。――ちなみに、前部長の名前は北原千香というらしい。
一年生の新入部員の子たちと一緒に入部した愛美は、最初の頃こそ「相川先輩」「愛美先輩」と呼ばれ、一年生たちから少し距離を置かれていたし、愛美自身も一年下の〝同期〟にどう接していいのか分からずにいたけれど。
最近では一歳くらいの年の差なんてないも同然で、一年生の子も気軽に声をかけてくれるようになった。敬語は使われるけれど、同じ小説や文芸作品を愛する仲間だ。
「来月に出す部誌は、新入部員特集号だから。巻頭は相川さんの作品を載せることにしたんだよ」
「えっ、ホントですか!? ありがとうございます!」
愛美も今度は、思わず大きな声でお礼を述べた。
新入部員とはいえ、自分は二年生だから、一年生の子に花を持たせてやりたいと思っていたのだ。
「うん。あの作品、みんなから評判よくてね。満場一致で巻頭に載せるって決まったの」
「そうなんですか……。なんか、一年生の子たちに申し訳ないですけど、でもやっぱり嬉しいです。――じゃあ、失礼します」
後藤部長に会釈して、愛美は親友であるさやかと珠莉の待つ寮の部屋に帰った。
それぞれ陸上部と茶道部に入った二人(さやかは陸上部・珠莉は茶道部)は、今日は部活が休みだと言っていたのだ。
「――ただいまー」
「あ、愛美。お帰りー」
部屋に入ると、すでに長袖パーカーとデニムパンツに着替えていたさやかが出迎えてくれた。
珠莉はスマホを手に、誰かと電話している様子。
「部活はどう? 楽しい? ――はい、コーラどうぞ」
スクールバッグを床に置き、勉強スペースの椅子に腰を下ろした愛美に、さやかは炭酸飲料の入ったグラスを差し出す。
「ありがと。――うん、楽しいよ。一年生の子たちとも、だいぶ打ち解けてきたかな。さやかちゃんの方は?」
「楽しいよ。まあ、練習はしんどいけど、走ってるとスカッとするんだ。記録も縮まってきてるし、うまくすれば来月の大会に出られるかも☆」
「へえ、スゴ~い! わたし、その時は絶対応援しに行くよ☆ ……ところで珠莉ちゃん、誰と話してるの?」
愛美は電話中の珠莉をチラッと見ながら、さやかに訊ねた。
「ああ。なんかねえ、ほんのちょっと前に純也さんから電話かかってきてさ。もう、ホントについさっき」
「純也さんから?」
彼の名前が出た途端、愛美の胸がザワつく。
この部屋で、四人でお茶を飲んでからまだ数週間。こんなにすぐに、また彼の名前を聞くことになるなんて思ってもみなかった。
(……純也さん、わたしに「電話代わって」って言ってくれたりしないかな……なんて)
こっそり、淡い期待を抱いてみる。自分から「珠莉ちゃん、電話代わって?」と言うのも、何だか厚かましい気がするし……。
「――えっ、愛美さんに代わってほしい? ……ええ、今帰ってきたみたいですけど」
その期待が、純也さんにも伝わったんだろうか? 彼と電話中だった珠莉が急に驚いた様子で、愛美の方を振り返った。
(……えっ? ウソ……)
愛美の胸が高鳴った。早く純也さんと話したくて、待っている時間がもどかしい。
「ええ、今代わりますわ。――愛美さん、純也叔父さまがあなたとお話ししたいそうよ」
「……あ、うん」
彼からの指示だろうか、珠莉がスピーカーフォンにした自身のスマホを愛美の前に置いた。
「もしもし、純也さんですか? わたし、愛美です」
『やあ、愛美ちゃん。純也です。こないだはありがとう。元気にしてる?』
「はい、元気です。――今日はどうされたんですか? お電話、わざわざわたしに代わってほしいなんて」
大好きな純也さんの声に胸がいっぱいになりながら、愛美はこの電話の用件を彼に訊ねた。
『うん、愛美ちゃんとまた話したくなったから』
「え…………」
『……っていうのも、もちろんあるんだけど。実はね、連休中に東京で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたんだ。四枚あるから、よかったら一緒に観に行けないかな、と思って。珠莉も、さやかちゃんも一緒に』
「ミュージカル……。っていうか、東京!? いいんですか!?」
純也さんのお誘いに、愛美は目をみはった(テレビ電話ではないので、純也さんには見えないけれど)。
『うん。ついでにみんなで美味しいものでも食べて、買いものがてら街を散策するのもいいね。横浜からなら日帰りで来られるだろうし。――そうだな……、五月の三日あたり。どうかな?』
「えーっと……、ちょっと待って下さいね。二人にも都合訊かないと。――どうする?」
〝相談する〟といっても、スピーカーフォンなので愛美たちの会話の内容は純也さんに筒抜けである。
「あたし、久しぶりに東京で遊びたい! 冬休みには、ウチの実家に帰る途中で品川でゴハン食べただけだもんね」
「私にとっては、東京は庭みたいなものですけど。大事なのは愛美さんの意思ですわ。あなたはどうしたいの?」
二人はどうやら行く気満々らしい。――もしも純也さんと二人きりで会うとなったら、愛美は躊躇していたかもしれない。
(でも、さやかちゃんたちも一緒に行けるなら……)
「わたし、東京に行きたいです。来月三日、よろしくお願いします」
『分かった。ミュージカルの開演時刻とかは、また珠莉のスマホにメールで送っておくから。当日、気をつけておいで』
「はい!」
『僕も楽しみに待ってるよ。二人にもよろしく。じゃあ、また』
「――あ、待って純也さん。珠莉ちゃんに代わりましょうか?」
『う~~ん、……いいや。じゃ』
ツー、ツー、ツー……。――呆気なく通話が切れた。
「切れちゃった……」
「もう、叔父さまったら何ですの!? 私の携帯にかけてきておいて、愛美さんと話し終えたら私に代わることなく切ってしまわれるなんて!」
なんとなくバツの悪い愛美。珠莉はプリプリ怒っている。――ただし、怒りの矛先は愛美ではなく、叔父の純也さんらしいけれど。
「もしかして、ホントは愛美に直で連絡したかったんじゃないの? でも連絡先知らなかったから、珠莉にかけたとか」
「そうなのかなぁ?」
そういえば、愛美はまだ純也さんと連絡先を交換していない。愛美は純也さんのアドレスを知らないし(珠莉も教えてくれないだろうし)、当然彼の方も愛美の連絡先を知らないわけだ。
「…………そうかもしれませんわね」
さっきまでの怒りはどこへやら、珠莉はあっさり納得した。
「……? 珠莉ちゃん、どうしたんだろ? 純也さんが遊びに来てから、なんかずっとヘンだよね」
あの日から、珠莉は絶対何かを隠している。そして、急に愛美に対して親切になった気がする。
「まあねぇ、あたしもちょっと気にはなってた。でも、あのプライドの高い珠莉のことだから、訊いても教えてくんないと思うよ」
「そうだねぇ……。まあいいか」
相手が話しにくいこと、話したがらないことをムリヤリ聞き出すのは、愛美の性分じゃない。話したがらないなら、本人が話したくなるのを待つしかないのだ。
「それよりさ、愛美。早く着替えなよ。晩ゴハンの前に、早いとこ英語のグループ学習の課題やっちゃお」
「うん」
愛美は勉強スペースの隅にあるクローゼットに向かい、私服のブラウスとデニムスカートを出して制服を脱ぎ始めた。
* * * *
――その日の夜。夕食も入浴も済ませ、まだ消灯時間には早いので、三人は部屋の共用スペースで思い思いにのんびり過ごしていた。
「――あ、そうだ。わたし、おじさまに手紙書こうかな。純也さんに『東京においで』って誘われたこと、おじさまに知らせたいの」
愛美はそう言って、テーブルの上にレターセットを広げた。
最近はただ手紙を出すだけではなく、レターセットにも凝るようになってきた。シンプルなものよりも、季節感のあるものを好んで使うようになったのだ。
「うん、いいんじゃない? あたしたちはジャマにならないように、静かにしてるから」
「あ、ううん。そんなに気を遣わないで。普通にしてて大丈夫だよ」
「そう? オッケー、分かった。――ねえねえ珠莉、東京に行くときの服なんだけどさ、こんなのとかどう?」
さやかは珠莉を手招きし、手にしていたティーン向けのファッション誌のページをめくって彼女と話し始める。
愛美は普段通りの二人の様子にホッとして、改めてペンをとった。
****
『拝啓、あしながおじさん。
お元気ですか? わたしは今日も元気です。
二年生になってから、もうすぐ一ヶ月。去年の今ごろはまだ、わたしはこの学校に慣れてなくて、自分は浮いてるんじゃないかと思ってました。
でも今は、ごく普通にこの学校の雰囲気になじんでいる気がします。
文芸部の活動にも慣れてきました。一年生の新入部員の子たちとも仲良くしてます。学年は違っても、おんなじ新入部員ですから。
来月に出る部誌の新入部員特集号には、わたしの小説が巻頭に載るそうです! おじさまにも読んで頂きたいな……。
話は変わりますけど、今日の夕方、純也さんから珠莉ちゃんのスマホに電話がかかってきました。「来月の三日、珠莉ちゃんとさやかちゃんと三人で東京においでよ」って。
なんでも、東京の大きな劇場で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたから、一緒に観たいってことだそうです。で、そのついでに美味しいものを食べたり、ショッピングしながら街を散策するのはどうかって。
珠莉ちゃんはもちろん東京出身だし、さやかちゃんもお家は埼玉で東京はお隣だから、中学時代はよく東京で遊んでたらしいんですけど。わたしは本格的に東京の街を歩くのは初めてです。そして舞台鑑賞も初めて! すごくワクワクしてます。
そして何より、純也さんとお出かけできるのがわたしには嬉しくて。その分、ドキドキもしてますけど……。
もちろん泊りじゃなくて、日帰りですけど。連休中だから、帰りが遅くなっても大丈夫だし。もちろん外出届は出します。
そういえば、さやかちゃんが言ってたんですけど。純也さんは本当はわたしに直接連絡を取りたかったけど、連絡先を知らないから珠莉ちゃん経由で連絡してきたんじゃないか、って。もしそうだったら、これって立派なデートのお誘いですよね? でも二人きりじゃないから、わたしの考えすぎ?
とにかく、来月三日、楽しんできます♪ 帰ってきたら、また報告しますね。ではまた。
四月二十七日 愛美 』
****
――書き終えた手紙を封筒に入れて宛て名を書き終えると、あと十分ほどで消灯時間だった。
「愛美、終わった? そろそろ寝よ?」
「私、先にやすみますわ……」
「うん、今書き終わったよ。じゃあ電気消すね。さやかちゃん、珠莉ちゃん、おやすみ」
共用スペースの明かりを消し、愛美も就寝準備を整えて寝室のベッドに入った。
「――三日はどんなの着て行こうかな……」
* * * *
――そして、待ちに待った五月三日。お天気にも恵まれ、絶好のお出かけ日和。
「叔父さまー! お待たせいたしました」
「やあ、みんな。よく来てくれたね」
東京は渋谷区・JR原宿駅前。愛美・さやか・珠莉の三人は、そこで純也さんに迎えられた。
三人とも、今日は張り切ってオシャレしてきた(珠莉はいつもファッションに気を遣っているけれど)。普段着よりはファッショナブルで、それでいて〝原宿〟というこの街にも溶け込めそうな服を選んだのだ。
愛美は胸元に控えめのフリルがあしらわれた白のカットソーに、大胆な花柄のミモレ丈のフレアースカート。そこにデニムジャケットを羽織り、靴は赤のハイカットスニーカー。髪形もさやかにアレンジしてもらい、編み込みの入ったハーフアップにしてある。
さやかは白い半袖Tシャツの上に赤のタータンチェックのシャツ、デニムの膝上スカートに黄色の厚底スニーカー。
珠莉は肩の部分に切り込みの入った淡いパープルの七分袖ニットに千鳥格子の膝丈スカート、クリーム色のパンプス。髪には緩くウェーブがかかっている。
「こんにちは、純也さん。今日はお招きありがとうございます」
純也さんにお礼を言った後、愛美は彼の服装に見入っていた。
(わ……! 私服姿の純也さんもカッコいい……!)
愛美の知っている限り、いつもはキチっとしたスーツを着ている彼も、今日は何だかカジュアルな格好をしている。
清潔感のある白無地のカットソーにカーキ色のジャケット、黒のデニムパンツに茶色の編み上げショートブーツ姿だ。
「あら、叔父さま。今日は何だかカジュアルダウンしすぎじゃありません?」
「あのなぁ……。原宿歩くのに、スーツじゃいくら何でも浮くだろ?」
いつもは紳士的な口調の純也さんも、姪の珠莉が相手だと砕けた物言いになるらしい。
「それにしたって、ちょっと若づくりしすぎじゃございません?」
「失礼な。俺はまだ若いっつうの。今日び、三十なんてまだまだ若者だって」
(〝俺〟……? こんな打ち解けた純也さん、初めて見たかも)
愛美は今まで知らなかった純也さんの一面を知り、嬉しくなった。
「愛美ちゃん、今日はいつもと髪形違うね」
「あ、分かっちゃいました? さやかちゃんがやってくれたんですけど、どう……ですか?」
純也さんは女性不信らしいと聞いたけれど、女性のちょっとした変化には気がつくらしい。気づいてもらえた愛美は、さっそくできた彼との会話のキッカケに食らいつく。
「さやかちゃんが? そっか。可愛いね。よく似合ってるよ」
「あ……、ありがとうございます」
女性をストレートに褒められる男性が減ってきているこの時代に、純也さんはどストレートに褒めてくれた。男性にまだ免疫のない愛美は、今にも顔から火を噴きそうな気持になった。
「まあまあ、叔父さまったら。キザなんだから!」
珠莉が呆れているような、面白がっているような(愛美の気のせいかもしれないけれど)口ぶりで、叔父をそう評した。
「さやかちゃん、ヘアメイク上手だね。美容師目指してるのかい?」
「いえ。ウチに小さい妹いるんで、実家ではよく妹の髪やってあげてるんですよ」
さやかは数週間前のチョコレートケーキが効いているのか、まだ会うのが二度目なのにもう純也さんと打ち解けている。
彼女曰く、「チョコ好きに悪い人はいない」らしいのだ。
(いいなぁ……。わたしも二人みたいに、純也さんともっと打ち解けてお話できたらいいのに……)
親戚である珠莉はともかく、さやかまでもがもの怖じせずに純也さんと話せていることが、愛美は羨ましかった。
というか、ロクに男性と話す機会に恵まれなかった、高校入学までの十五年のブランクが恨めしかった。
「――さてと、そろそろ行こうか。ミュージカルは二時開演だから、それまでに昼食を済ませて、ちょっと街をブラブラしよう」
「「はーいっ!」」
純也さんの言葉に、愛美とさやかがまるで小学生みたいに元気よく返事をした。
「……この二人、ホントに高校生かしら?」
珠莉ひとり、呆れてボソッとツッコむ。――彼女には、叔父と愛美たちが「遠足中の小学生とその引率の先生」に見えたのかもしれない。
――それはさておき、四人は駅前のオシャレなカフェでランチを済ませた後、竹下通りを散策し始めた。
「――あっ、ねえねえ! このスマホカバー、可愛くない? 三人おソロで買おうよ! 友情のしるしにさ」
とある雑貨屋さんの店内で、さやかがはしゃいで言った。
「わぁ、ホントだ。可愛い! 買おう買おう♪ ……待って待って。いくらだろ、コレ?」
あまり高価なものだと、愛美は買うのをやめようと思っていた。
所持金は十分にある。〝あしながおじさん〟からクリスマスに送られてきたお小遣いも、さやかのお父さんからお正月にもらったお年玉(中身は一万円だった!)も、短編小説コンテストの賞金もまだ残っているし、そのうえ四月の末にまたお小遣いをもらったばかりだ。
でも金額の問題ではなく、愛美は一年前に金欠を経験してから、節約するようになっていたのだ。〝あしながおじさん〟から援助してもらったお金は、いつか独り立ちできたら全額返そうと決めていたから。
「そんなに高くないよ、コレ。二千円くらい」
「じゃあ買っちゃおっかな」
「私はいいわよ。スマホのカバーなら、高級ブランドのいい品を持ってますから」
「いいじゃん、珠莉。買えば。こんな経験できるの、今のうちだけだぞ」
自慢をまじえて拒もうとする姪に、唯一の男性で大人の純也さんが口を挟んだ。
「大人になってからは、友達とお揃いで何か買うの恥ずかしくなったりするから。今のうちにやっとけば、後々いい思い出になるってモンだ」
純也さんの言い方には、妙な説得力がある。珠莉はピンときた。
「……もしかして、叔父さまにも経験が?」
「そりゃそうだろ。俺にだって、学生時代の思い出くらいあるさ。――あ、そうだ。それ、俺からプレゼントさせてくれないかな?」
「「「えっ?」」」
思いがけない純也さんの提案に、三人の女子高生たちは一同面食らった。
「そんな! いいですよ、純也さん! コレくらい、自分で買えますから」
「そうですよ。そこまで気を遣わせちゃ悪いし」
「いいからいいから。ここは唯一の大人に花を持たせなさい♪ じゃあ、会計してくる」
そう言って、品物を受け取った彼が手帳型のスマホケースから取り出したのは、一枚の黒光りするカード――。
「ブラックカード……」
愛美は驚きのあまり、思考が止まってしまう。
ブラックカードは確か、年収が千五百万円だか二千万円だかある人にしか持てないカード。存在すること自体、都市伝説だと思っていたのに……。
「純也さんって、とんでもないお金持ちなんだね……」
今更ながら、愛美が感心すれば。
「当然でしょう? この私の親戚なんですものっ」
珠莉がなぜか、自分のことのようにふんぞり返る。……まあ、確かにその通りなんだけれど。
「ハイハイ。誰もアンタの自慢なんか聞いてないから」
すかさず、さやかから鋭いツッコミが入った。
「――はい、お待たせ。買ってきたよ」
しばらくして、会計を済ませた純也さんが、三つの小さな包みを持って、三人のもとに戻ってきた。
「一つずつラッピングしてもらってたら、時間かかっちまった。――はい、愛美ちゃん」
彼は一人ずつに手渡していき、最後に愛美にも差し出した。
「わぁ……。ありがとうございます!」
受け取った愛美は、顔を綻ばせた。これは、彼女が好きな人から初めてもらったプレゼントだ。――ただし、〝あしながおじさん〟から送られたお見舞いのフラワーボックスは別として。
「わたし、男の人からプレゼントもらうの初めてで……。ちょうど先月お誕生日だったし」
「そうだったんだ? 何日?」
「四日です」
「そっか。遅くなったけど、おめでとう。前もって知ってたら、こないだ寮に遊びに行った時、何かプレゼントを用意してたんだけどな」
純也さんが寮を訪れたのは、愛美の誕生日の後だった。
「いえいえ、そんな! わたしは、純也さんが来て下さっただけで十分嬉しかったですよ。あと、ケーキの差し入れも」
「っていうかさ、男の人からのプレゼントって初めてじゃなくない? ほら、おじさまから色々もらってるじゃん。お花とか」
「おじさまは別格だよ。だって、わたしのお父さん代わりだもん」
いくら血の繋がりがないとはいえ、親代わりの人を〝異性〟のカテゴリーに入れてはいけない。
「あー……、そっか」
その理屈にさやかが納得する一方で、珠莉は何だか複雑そうな表情を浮かべている。
この半月ほど――純也さんが寮を訪れた日から後、彼女のこんな表情を、愛美は何度も見ていた。
――四人が再び、竹下通りを散策していると……。
「――あれ? さやかじゃん! それに愛美ちゃんも。こんなとこで何してんだ?」
やたらハイテンションな、若い男性の声がした。それも、珠莉と純也さんはともかく、あとの二人にはものすごく聞き覚えのある……。
「おっ……、お兄ちゃん!」
「治樹さん! お久しぶりです」
「ようよう、お二人さん! だから、なんでここにいるんだっての。――あれ? そのコは初めて見る顔だな。さやかの友達?」
声の主はやっぱり、さやかの兄・治樹だった。
(……そういえば治樹さんも、東京で一人暮らししてるって言ってたっけ)
愛美はふと思い出す。――それにしたって、何もこんなところで純也さんと鉢合わせしなくてもいいじゃない、と思った。
(……まあ、偶然なんだろうけど)
「まあ! さやかさんのお兄さまでいらっしゃいますの? 私はさやかさんと愛美さんの友人で、辺唐院珠莉と申します」
「へえ、君が珠莉ちゃんかぁ。さやかから話は聞いてるよ。……で? そのオッサンは誰?」
「あたしたちは今日、この珠莉の叔父さんに招待されて、東京に遊びに来たの。これからミュージカル観に行って、ショッピングするんだ」
さやかはそう言いながら、右手で純也さんを差した。
「……どうも。珠莉の叔父の、辺唐院純也です」
純也さんはなぜか、ブスッとしながら治樹さんに自己紹介した。〝オッサン〟呼ばわりされたことにカチンときているらしい。
「へえ……、珠莉ちゃんの叔父さん? 歳いくつっすか?」
「来月で三十だよ。つうか誰がオッサンだ」
(純也さん、それ言っちゃったら大人げないです……)
ムキになって治樹さんに食ってかかる純也さんに、愛美は心の中でこっそりツッコんだ。
そして、治樹さんは治樹さんで、愛美がチラチラ純也さんを見ていてピンときたらしい。愛美の好きな人が、一体誰なのか。
(お願いだから治樹さん、ここで言わないで!)
愛美の想いなどお構いなしに、治樹さんと純也さんはしばし睨みあう。けれど、身長の高さと目力の強さに圧倒されてか、すぐに治樹さんの方が睨むのを諦めた。
「……すんません」
「いや、こっちこそ大人げなかったね。すまない」
とりあえず、火花バチバチの事態はすぐに収まり、さやかがまた兄に同じ質問を繰り返す。
「ところで、お兄ちゃんはなんでここにいんのよ? 住んでんのこの辺じゃなかったよね?」
「なんで、って。服買いに来たんだよ。この辺の古着屋ってさ、けっこういいのが揃ってんだ」
原宿といえば、古着店が多いことでも有名らしい。新しい服を買うよりは、古着の方が価格も安いしわりと掘り出し物があったりもして楽しのかもしれない。
「ああー、ナルホドね。だからお兄ちゃんの服、けっこう奇抜なヤツ多いんだ」
「さやか、そこは個性的って言ってほしいな」
「でも、治樹さんにはよく似合ってると思います。わたしは」
「おおっ!? 愛美ちゃんは分かってくれるんだ? さすがはオレが惚れた女の子だぜ。お前とは大違いだな」
「はぁっ!? お兄ちゃん、まだ愛美に未練あんの? 冬に秒でフラれたくせにさぁ」
「うっさいわ」
街中で牧村兄妹の漫才が始まりかけたけれど、そこで終了の合図よろしく純也さんの咳払いが聞こえてきた。
「……取り込み中、申し訳ないんだけど。もうすぐ開演時刻だし、そろそろ行こうか」
「……あ、はーい……。とにかく! お兄ちゃん、もう愛美にちょっかい出さないでよねっ! 珠莉、愛美、行こっ」
「うん。治樹さん、じゃあまた」
「またね~、愛美ちゃん」
「治樹さん、またどこかでお会いしましょうね」
兄に対して冷たいさやか、あくまで礼儀正しい愛美、なぜか治樹さんに対して愛想のいい珠莉の三人娘は、純也さんに連れられてミュージカルが上演される劇場まで歩いて行った。
* * * *
「――ゴメンねー、愛美。お兄ちゃん、まだ愛美のこと引きずってるみたいで……。みっともないよねー」
劇場のロビーで純也さんが受付を済ませている間に、さやかが愛美に謝った。
珠莉は受付カウンター横の売店で飲み物を買っているらしい。――ついでに気を利かせて、愛美たちの分も買ってきてくれるといいんだけれど。
「ううん、いいよ。わたしも、あんなフり方して申し訳ないなって思ってたの。あんなにいい人なのに」
「愛美……」
「もちろん、わたしが好きなのは純也さん一人だけだよ。治樹さんは、わたしにとってはお兄ちゃんみたいなものかな」
純也さんは幸い離れたところにいるので、聞こえる心配はないだろうけれど。愛美はさやかだけに聞こえる小さな声で言った。
「……そっかぁ。コレでお兄ちゃんが、キッパリ愛美のこと諦めてくれたらいいんだけどねー」
「うん……。――あ、戻ってきた」
愛美とさやかが顔を上げると、純也さんと珠莉が二人揃って戻ってきた。珠莉は自分の分だけではなく、ちゃんと人数分の飲み物を持って。
「お待たせ! もう中に入れるけど、どうする?」
「叔父さま、コレ飲んでからでも遅くないんじゃありません? ――はい、どうぞ。全部オレンジジュースにしましたけど」
「サンキュ。アンタもたまには気が利くじゃん?」
「ありがと、珠莉ちゃん」
「どういたしまして。ちょっと、さやかさん? 〝たまには〟ってどういうことですの?」
「まあまあ、珠莉。落ち着けって」
さやかに食ってかかった姪を、純也さんはなだめた。
――四人で仲良くオレンジジュースを飲みほした後、お目当ての演目が上演されるシアターに入り、座席に座った。
「この作品は、過去に何回も再演されてる人気作でね。なかなかチケットが買えないことでも有名なんだ」
「まさか純也さん、お金にもの言わせてチケット手に入れたんじゃ……?」
「さやかちゃん! 純也さんはそんなことする人じゃないよ。そういうこと、一番嫌う人なんだから。ね、純也さん?」
お金持ち特権を濫用したんじゃないかと言うさやかを、愛美が小さな声でたしなめた。
「もちろん、そんなことするワケないさ。ちゃんと正規のルートで買ったともさ」
「ええ。叔父さまはウソがつけない人だもの、信じていいと思いますわ」
「……分かった。姪のアンタがそう言うんなら」
ブーツ ……。
「――あ、始まるよ」
愛美は初めて観るミュージカルにワクワクした。舞台上で繰り広げられるお芝居、歌、音楽。そして、キラキラした舞台装置……。
カーテンコールの時にはもう感動して、笑顔で大きな拍手を送っていた――。
* * * *
「――さっきの舞台、スゴかったねー」
終演後、劇場の外に出た愛美は、一緒に歩いていたさやかとミュージカル鑑賞の感想を話していた。
珠莉はと言うと、愛美たちに聞こえないくらいのヒソヒソ声で、何やら叔父の純也さんと打ち合わせ中の様子。
「うん。あたし、あの作品の原作読んだことあるけど、ああいう解釈もあるんだなぁって思った。やっぱり、ナマの演技は迫力違うよね」
「原作あるんだ? わたし、読んだことないなぁ。この後買って帰ろうかな」
今日の舞台の原作は、偶然にも愛美が好きな作家の書いた長編小説らしい。――もしかしたら、純也さんはそれが理由でこの舞台に誘ったのかもしれない。
(……なんてね。そう考えるのはちょっと都合よすぎかな)
「――さて、お買いものタイムと参りましょうか」
いつの間にか、純也さんたちも二人に追いついていて、珠莉がやたら張り切って声を上げた。
お買いものといえば、毎回テンションが変わるのが彼女なのだ。お金に不自由していないせいか、根っからのショッピング狂のようである。
「ハイハ~イ☆ とりあえず、古着屋さん回ってみる?」
とはいえ、さやかもショッピングはキライじゃないので、愛美が気後れしない提案をしてくれた。
「うん! わたしもそろそろ、夏物の洋服とか靴が見たかったんだ。いいのが見つかるといいな」
古着店なら、たとえ流行遅れでもいいものが安く買える可能性が高い。愛美は流行とかは気にしない性質なので、それくらいでちょうどいいのだ。
「じゃあみなさん、参りますわよ!」
「おいおい。まさか珠莉、俺を荷物持ちでこき使うつもりじゃないだろうな?」
姪のあまりの張り切りように、この中で唯一の男性である純也さんがげんなりして訊ねる。
「あら、私がそんなこと、叔父さまにさせると思って? ――ちょっとお耳を拝借します」
珠莉が叔父に歩み寄り、何やらゴショゴショと耳打ちし始めた。純也さんも「うん、うん」としきりに頷いている。
(……? あの二人、何の相談してるんだろ?)
愛美は首を傾げる。思えばここ数週間、珠莉の様子がヘンだ。今日だってそう。何だかずっと、純也さんと二人でコソコソしている。
「愛美、どしたの? ほら行くよ」
「あ……、うん」
――かくして、四人は竹下通りから表参道までを巡り、ショッピングを楽しんだ。……いや、楽しんでいたのは女子三人だけで、純也さんはほとんど何も買っていなかったけれど。
「ふぅ……。いっぱい買っちゃったねー」
愛美も数軒の古着店を回り、夏物のワンピースやカットソー・スカートにデニムパンツ・スニーカーやサンダルなどを買いまくっていた。でもすべて中古品なので、新品を買うよりも格安で済んだ。
さやかも同じくらいの買いものをして、二人はすでに満足していたのだけれど……。
「まだまだよ! 次はあそこのセレクトショップへ参りますわよ」
それ以上にドッサリ買いまくって、もう両手にいっぱいの荷物を持ち、それでも間に合わないので純也さんにまで紙袋を持たせている珠莉が、まだ買う気でいる。
「「え~~~~~~~~っ!?」」
これには愛美とさやか、二人揃ってブーイングした。純也さんもウンザリ顔をしている。
「アンタ、まだ買うつもり!? いい加減にしなよぉ」
「そうだよ。もうやめとけって」
「わたしはいいよ。こんな高そうなお店、入る勇気ないし」
「いいえ! さやかさん、参りましょう!」
「え~~~~? あたし、ブランドものなんか興味ない――」
珠莉は迷惑がっているさやかをムリヤリ引っぱっていく。そしてなぜか、そのまま彼女にも耳打ちした。
「ふんふん。な~る☆ オッケー、そういうことなら協力しましょ」
(……? なに?)
事態がうまく呑み込めない愛美に、さやかがウィンクした。
「じゃあ、あたしたち二人だけで行ってくるから。愛美は純也さんと好きなとこ回っといでよ」
「純也叔父さま、愛美さんのことお願いしますね」
「……え!? え!? 二人とも、ちょっと待ってよ!」
「ああ、分かった」
(…………えっ? 純也さんまで!? どうなってるの!?)
ますますワケが分からなくなり、愛美は一人混乱している間に、純也さんと二人きりになった。
「…………あっ、あの……?」
珠莉ちゃんと何か打ち合わせした? 純也さんはどうして当たり前のように残った? ――彼に訊きたいことはいくつもあるけれど、二人きりになってしまうと緊張してうまく言葉が出てこない。
「さてと。愛美ちゃん、どこか行きたいところある?」
「え……? えっと」
そんな愛美の心を知ってか知らずか、純也さんがしれっと質問してきた。……何だか、うまくはぐらかされた気がしなくもないけれど。
それでもとりあえず一生懸命考えを巡らせて、つい数十分前に思いついたことを言ってみる。
「あ……、じゃあ……本屋さんに付き合ってもらえますか? 今日観てきたミュージカルの原作の小説があるらしいんで」
「オッケー。じゃ、行こうか」
「はいっ!」
二人はそのまま表参道を下り、東京メトロ表参道駅近くのビルの地下にある大型書店へ。
(なんか、こうしてると恋人同士みたいだな……)
愛美はこっそりそう思う。ただ、まだ本当の恋人同士ではないので、手を繋いでいるだけで心臓の鼓動が早くなっているけれど。
何はともあれ、愛美はお目当ての小説の単行本をゲットし、二人は近くのベンチで休憩することにした。
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ephemeral house -エフェメラルハウス-
れあちあ
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