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第1部 父との別れとわたしが進むべき道
涙の決意表明 ③
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――午前の、他には誰もいない斎場で父に最期のお別れをした後、黒塗りの社用車やハイヤーなどでズラズラとついてきていた親族一同とわたし・母・貢の三人を除く役員や幹部の人たちは帰っていった。……村上豪社長のご一家と一緒のクルマに同乗してきていた小川さんも。
「――奥さま、絢乃さん。私は本日付で会長秘書の任を離れ、村上社長に付くことになりました。これまで本当にお世話になりました。秘書の業務につきましては、桐島くんに引き継いでおりますので彼のこと、よろしくお願いします」
「ええ、聞いてるわ。あの人が直々に指名したんでしょう? あなたも夫によく尽くしてくれてありがとう」
「……はい、ありがとうございます。会社を辞めるわけではないので、絢乃さんが会長に就任されたらまたお会いすることもあると思います。――絢乃さん、私もあなたが会長になって下さることを願う者の一人です。頑張って下さいね」
「はい。小川さん、父のために色々とありがとう。わたしも貴女が父の秘書でいてくれてよかったと思ってます。これからもよろしく」
「はい……! では、私もここで失礼致します」
小川さんは社長ご一家とは別に帰るらしく、スマホのアプリでタクシーを一台手配していた。その時に涙を浮かべていたのは、やっぱり父のことが好きったからだろうと思う。
父の棺が火葬炉に入れられると、わたしたちは待合ロビーではなく奥の座敷へと移動した。ここからが、振舞いの席という名の親族戦争第二ラウンドの始まりだった。
お座敷にはこの日のために発注された美味しそうな仕出し料理が並んでいたけれど、好き放題に父やわたしの悪口を言う親族たちにイライラして、味なんてほとんど分からなかった。
「――加奈子さん、あんたの婿さんもとんでもないことをしてくれたもんだ。死んだ人のことを悪く言いたかぁないが、グループの伝統を思いっきり引っかきまわしてくれた挙句、こんな小娘を後継者に指名するとはな。まったく、よそ者のくせに何を考えてたんだか」
「そうだそうだ! 元々このグループは、篠沢一族が回していたっていうのに。それをあの婿さんが、一人残らず末端企業の閑職なんかに追いやっちまいやがって。会長の権力を笠に着て偉そうに!」
わたしは機械的に箸を動かしていたけれど、だんだん聞くに堪えなくなっていた。わたしのことを「頼りない」とか「まだ子供のくせに」とか言うのはまだいい。それは事実だし、自分でもそう思っていたから。でも、最後の最後までグループのためを思っていた父のことを悪く言われるのは我慢がならなかった。
「……………………うるさい」
「絢乃?」
「絢乃さん?」
「うるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
ずっと溜めに溜め込んでいた感情が、とうとうマグマのように噴き出し、思いっきり叫んだ後過呼吸を起こしそうになった。わたしの異変に気づいた貢が、わたしの背中を軽くさすりながら母に声をかけた。
「……加奈子さん、絢乃さんの具合があまりよくないみたいなので、ちょっと外へお連れします。よろしいですか?」
「ええ。桐島くん、ありがとう。お願いね」
「何なんだ君は! 赤の他人が出しゃばるんじゃない!」
「彼はこの子の秘書なんだけど、何か問題ある?」
母が食ってかかってきた親族を睨みつけながら、貢に「早く行きなさい」と手で合図を送っているのがわたしにも分かった。
――わたしはコートとバッグを持ち、彼に連れられて待合ロビーに来た。ドリンクの自動販売機二台と、ソファーとローテーブル数セットが並ぶロビーには化粧室もあり、座敷ほどではないけれどちゃんと暖房も効いていた。
「――絢乃さん、もしかしてお父さまが亡くなられてから一度も泣かれていないんじゃないですか?」
わたしをソファーに座らせ、自分も隣に腰かけた彼が、優しく問いかけてきた。
「うん……。だって、ママの方が絶対悲しいはずだもん。ママが先に泣いちゃったら、わたしは我慢するしかなかったの」
これはやっと吐き出すことができたわたしの悲しい本音であり、きっと貢が相手だったから打ち明けられたんだと思う。
「それだけじゃなくて、あの人たちひどいよ! なんであんな死者に鞭打つようなこと、平気で言えるんだろう? 信じられない!」
ずっと溜め込んでいたマイナスの言葉が、一度口をついたら止まらなくなった。彼はそれもすべて受け止めたうえで、わたしの背中を優しくさすりながらこんな提案をしてくれた。
「絢乃さん、ここなら僕以外に誰もいませんから、思いっきり泣いてもいいですよ。この際、思い切って心のデトックスしちゃいましょう。僕はあなたの秘書ですから、すべて受け止めますよ」
「……………………う~~~~……っ」
彼の大きな手のひらの温もりでわたしのフリーズしていた心が溶けて、ボタボタと大粒の涙がこぼれた。わたしはそのまま大きな声を上げ、背中を丸めて泣きじゃくった。
「わたしだって、パパが死んじゃって悲しいよ……。でも……っ、ママが先に泣いちゃうからわたしが泣くわけにいかないじゃない……。ママはずるいよ。悲しいのはわたしだっておんなじなのに……っ」
彼はその間ずっと、優しく背中をさすり続けてくれていた。わたしには兄弟がいないから、兄がいたらちょうどこんな感じなのかなとも思い、ホッと心が安らいでいった。
でも、彼はわたしにとって兄のような人ではなく、好きな人。初めて好きになった人。だから、この安らぎはきっと兄弟によってもたらされるものではなく、もっと別の……。
「――絢乃さん、少し落ち着かれました? そろそろ顔を上げませんか?」
「…………やだ。だってわたしの今の顔、多分すごくブスだから」
お葬式の日だからもちろんノーメイクだったけれど、思いっきり泣いた後だからきっと顔がグチャグチャで、そんなブス顔を彼に見られるくらいなら死んだ方がマシだと思った。
「そんなことないですよ。大切な人を思って流された涙はキレイだと僕は思います」
「え……?」
「ほら、全然ブスなんかじゃないです。泣いた後の絢乃さんも十分キレイですよ。だって僕、あなたの泣き顔は前にも見ていますから」
「ああ……、そういえばそうだった」
父の余命宣告を受けた日にも、わたしは彼のクルマの助手席で泣いていたのだ。
「――さて、心がスッキリしたら喉渇いたんじゃないですか? 何か飲まれます?」
「あー、うん。じゃあカフェオレ。あったかい方がいいな」
「分かりました」
彼はホットのカフェオレ缶と、彼自身が飲むと思われる微糖の缶コーヒーを買ってすぐに戻ってきた。
「――絢乃、もう落ち着いた?」
二人で缶コーヒーをすすっていると、母もロビーにやってきた。
「うん、もう大丈夫……と言いたいところだけど、わたしママにもちょっと怒ってるの」
「……え?」
「パパが死んだとき、わたしだって悲しかった。なのにママが先に泣いちゃうから、泣けなくなっちゃったんだよ!」
わたしは「怒っている」と言いながら、言っているうちにまた涙がこぼれてきた。
貢はわたしの言うに任せて、止めなかった。ちゃんと言いたいことは言うべきだと、わたしに伝えたかったんだと思う。
「ごめんね、絢乃。気づいてあげられなくて。だからもう泣かないで」
「うん……。ママ、わたし決めたよ。もう言いたいこと我慢するのはやめる。ありのままのわたしで、パパを超える篠沢のリーダーになる。わたしが責任を持って篠沢グループを引っ張っていく。だから……、ママと桐島さんにも力を貸してほしい。お願いします」
「もちろんよ」
「僕でよければお力になりましょう。よろしくお願いします、絢乃会長」
「うん!」
わたしは頼もしい二人の前で、涙を流しながら決意表明をしたのだった。
「――奥さま、絢乃さん。私は本日付で会長秘書の任を離れ、村上社長に付くことになりました。これまで本当にお世話になりました。秘書の業務につきましては、桐島くんに引き継いでおりますので彼のこと、よろしくお願いします」
「ええ、聞いてるわ。あの人が直々に指名したんでしょう? あなたも夫によく尽くしてくれてありがとう」
「……はい、ありがとうございます。会社を辞めるわけではないので、絢乃さんが会長に就任されたらまたお会いすることもあると思います。――絢乃さん、私もあなたが会長になって下さることを願う者の一人です。頑張って下さいね」
「はい。小川さん、父のために色々とありがとう。わたしも貴女が父の秘書でいてくれてよかったと思ってます。これからもよろしく」
「はい……! では、私もここで失礼致します」
小川さんは社長ご一家とは別に帰るらしく、スマホのアプリでタクシーを一台手配していた。その時に涙を浮かべていたのは、やっぱり父のことが好きったからだろうと思う。
父の棺が火葬炉に入れられると、わたしたちは待合ロビーではなく奥の座敷へと移動した。ここからが、振舞いの席という名の親族戦争第二ラウンドの始まりだった。
お座敷にはこの日のために発注された美味しそうな仕出し料理が並んでいたけれど、好き放題に父やわたしの悪口を言う親族たちにイライラして、味なんてほとんど分からなかった。
「――加奈子さん、あんたの婿さんもとんでもないことをしてくれたもんだ。死んだ人のことを悪く言いたかぁないが、グループの伝統を思いっきり引っかきまわしてくれた挙句、こんな小娘を後継者に指名するとはな。まったく、よそ者のくせに何を考えてたんだか」
「そうだそうだ! 元々このグループは、篠沢一族が回していたっていうのに。それをあの婿さんが、一人残らず末端企業の閑職なんかに追いやっちまいやがって。会長の権力を笠に着て偉そうに!」
わたしは機械的に箸を動かしていたけれど、だんだん聞くに堪えなくなっていた。わたしのことを「頼りない」とか「まだ子供のくせに」とか言うのはまだいい。それは事実だし、自分でもそう思っていたから。でも、最後の最後までグループのためを思っていた父のことを悪く言われるのは我慢がならなかった。
「……………………うるさい」
「絢乃?」
「絢乃さん?」
「うるさいうるさいうるさいうるさいっ!」
ずっと溜めに溜め込んでいた感情が、とうとうマグマのように噴き出し、思いっきり叫んだ後過呼吸を起こしそうになった。わたしの異変に気づいた貢が、わたしの背中を軽くさすりながら母に声をかけた。
「……加奈子さん、絢乃さんの具合があまりよくないみたいなので、ちょっと外へお連れします。よろしいですか?」
「ええ。桐島くん、ありがとう。お願いね」
「何なんだ君は! 赤の他人が出しゃばるんじゃない!」
「彼はこの子の秘書なんだけど、何か問題ある?」
母が食ってかかってきた親族を睨みつけながら、貢に「早く行きなさい」と手で合図を送っているのがわたしにも分かった。
――わたしはコートとバッグを持ち、彼に連れられて待合ロビーに来た。ドリンクの自動販売機二台と、ソファーとローテーブル数セットが並ぶロビーには化粧室もあり、座敷ほどではないけれどちゃんと暖房も効いていた。
「――絢乃さん、もしかしてお父さまが亡くなられてから一度も泣かれていないんじゃないですか?」
わたしをソファーに座らせ、自分も隣に腰かけた彼が、優しく問いかけてきた。
「うん……。だって、ママの方が絶対悲しいはずだもん。ママが先に泣いちゃったら、わたしは我慢するしかなかったの」
これはやっと吐き出すことができたわたしの悲しい本音であり、きっと貢が相手だったから打ち明けられたんだと思う。
「それだけじゃなくて、あの人たちひどいよ! なんであんな死者に鞭打つようなこと、平気で言えるんだろう? 信じられない!」
ずっと溜め込んでいたマイナスの言葉が、一度口をついたら止まらなくなった。彼はそれもすべて受け止めたうえで、わたしの背中を優しくさすりながらこんな提案をしてくれた。
「絢乃さん、ここなら僕以外に誰もいませんから、思いっきり泣いてもいいですよ。この際、思い切って心のデトックスしちゃいましょう。僕はあなたの秘書ですから、すべて受け止めますよ」
「……………………う~~~~……っ」
彼の大きな手のひらの温もりでわたしのフリーズしていた心が溶けて、ボタボタと大粒の涙がこぼれた。わたしはそのまま大きな声を上げ、背中を丸めて泣きじゃくった。
「わたしだって、パパが死んじゃって悲しいよ……。でも……っ、ママが先に泣いちゃうからわたしが泣くわけにいかないじゃない……。ママはずるいよ。悲しいのはわたしだっておんなじなのに……っ」
彼はその間ずっと、優しく背中をさすり続けてくれていた。わたしには兄弟がいないから、兄がいたらちょうどこんな感じなのかなとも思い、ホッと心が安らいでいった。
でも、彼はわたしにとって兄のような人ではなく、好きな人。初めて好きになった人。だから、この安らぎはきっと兄弟によってもたらされるものではなく、もっと別の……。
「――絢乃さん、少し落ち着かれました? そろそろ顔を上げませんか?」
「…………やだ。だってわたしの今の顔、多分すごくブスだから」
お葬式の日だからもちろんノーメイクだったけれど、思いっきり泣いた後だからきっと顔がグチャグチャで、そんなブス顔を彼に見られるくらいなら死んだ方がマシだと思った。
「そんなことないですよ。大切な人を思って流された涙はキレイだと僕は思います」
「え……?」
「ほら、全然ブスなんかじゃないです。泣いた後の絢乃さんも十分キレイですよ。だって僕、あなたの泣き顔は前にも見ていますから」
「ああ……、そういえばそうだった」
父の余命宣告を受けた日にも、わたしは彼のクルマの助手席で泣いていたのだ。
「――さて、心がスッキリしたら喉渇いたんじゃないですか? 何か飲まれます?」
「あー、うん。じゃあカフェオレ。あったかい方がいいな」
「分かりました」
彼はホットのカフェオレ缶と、彼自身が飲むと思われる微糖の缶コーヒーを買ってすぐに戻ってきた。
「――絢乃、もう落ち着いた?」
二人で缶コーヒーをすすっていると、母もロビーにやってきた。
「うん、もう大丈夫……と言いたいところだけど、わたしママにもちょっと怒ってるの」
「……え?」
「パパが死んだとき、わたしだって悲しかった。なのにママが先に泣いちゃうから、泣けなくなっちゃったんだよ!」
わたしは「怒っている」と言いながら、言っているうちにまた涙がこぼれてきた。
貢はわたしの言うに任せて、止めなかった。ちゃんと言いたいことは言うべきだと、わたしに伝えたかったんだと思う。
「ごめんね、絢乃。気づいてあげられなくて。だからもう泣かないで」
「うん……。ママ、わたし決めたよ。もう言いたいこと我慢するのはやめる。ありのままのわたしで、パパを超える篠沢のリーダーになる。わたしが責任を持って篠沢グループを引っ張っていく。だから……、ママと桐島さんにも力を貸してほしい。お願いします」
「もちろんよ」
「僕でよければお力になりましょう。よろしくお願いします、絢乃会長」
「うん!」
わたしは頼もしい二人の前で、涙を流しながら決意表明をしたのだった。
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