ある日王子は国を出ることにした

ゆみ

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迷走

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 トロメリン国王は騎士団幹部からの報告書に目を通しながら顔を曇らせた。視線を上げるとそこには畏まった団長の姿がある。そしてその横にはミレーヌの公爵も控えていた。

「……それで?公爵はこの件に関して侯爵をどう処分する事を望んでいる?」

 公爵は隣にいる騎士団団長にチラッと視線を送ると戸惑った様な声で続けた。

「……陛下もご存知の通り、侯爵家は王妃様に連なる一族です。処分を下すとなれば──」
「だが今回の件では王妃の指示で侯爵が動いたという確固たる証拠はないのだろう?捕まったこの男の妻が侯爵家の使用人だったというただそれだけの話だ。」
「もちろんです、ですが陛下──」

 公爵は国王に向かって団長が邪魔だと言う様に視線で訴えたが、国王はその意味が分かった上で敢えて団長をその場に留まらせることを選んだ。

「どうした?言いたいことがあるのならば遠慮せずにはっきりと申してみよ。」
「……。」

 国王は一旦公爵から団長に視線を動かすと、確認するように報告書の一点を手で示した。

「被害者であるという者に直接害は及ばなかった、団長、そうだな?」
「はい。身辺を警護している騎士が身を呈して庇ったとの報告です。」

 国王はゆっくりと頷くと無表情のまま再び公爵に視線を移した。

「実行犯は既に捕らえられておる。指示をしたのがそなたではなく侯爵だというのならば侯爵を処分するのは妥当な判断だ。何をためらっておる?団長、直ぐに侯爵を捕らえよ。」
「へ、陛下、本当によろしいのでしょうか?」
「構わぬ、行け。」

 団長は公爵を横目でチラッと見ながら低く頭を垂れると慌ててその場を後にした。
 後に残された公爵は国王の近くまでにじり寄ると抑えた声で訴えかけた。

「陛下、侯爵を捕らえてその後一体どうなさるおつもりですか?もしかして王妃様を──」
「王妃もろとも罪に問えと……お前はそう言いたいのだろう?」
「……いえ、決してそのような意味では。ですが陛下、仮に王妃様を処分されることになったとしても、どうか王太子様だけは……」
「それはお前が心配する事ではない。」

 国王はその場で立ち上がると、低い位置に控えている公爵を見下ろしながら薄く笑った。

「後5年だ。後5年私が在位すればそれで全ての片がつく。」

 公爵は身動ぎもせず国王の言葉を聞いていた。

「片がつく?もしかして陛下はマルセル様に全てを譲られるおつもりですか?マルセル様には陛下の跡を継ぐおつもりは全くと言っていいほどありません。その事は陛下もよくご存知のはずです。」
「誰が彼奴あやつに継がせると言った?」

 公爵はハッと顔を上げると国王の顔を見つめた。しかしその表情からは一切の感情を読み取ることは出来ない。

「陛下、いけません!」

 国王は公爵に背を向けると何も答えることなく部屋を後にした。
 公爵はその場で崩れ落ちると冷たい床に膝をついた。

「まさか陛下は5年後に国をザールに併合させるおつもりなのか?」

 公爵はロベールが夢見るような面持ちで語っていたザールの未来予想図を思い出すと一人頭を抱えた。

──不味い、このままでは王妃諸共この国までなくなってしまう。恐らくはマルセル様率いるザールではトロメリンの爵位など何の意味も持たない。陛下はそれで満足なのかもしれないが、トロメリンの高位貴族は一体どうなるというんだ?

 公爵はふらりと立ち上がると、扉の前に立つ騎士を睨みつけながら部屋を後にした。
 王との謁見に使われるこの部屋から王妃たちの私室までは厳重な警護がなされているものの公爵程の身分があれば差程苦労することなく辿り着くことができる。
 公爵は困惑の目を向けてくる騎士たちを後目に王宮の奥にズンズンと進んで行った。
 目指すはただ一つ──王妃の部屋だ。

 公爵は引き止めるべきか戸惑っている騎士を払い除けるように前へ出ると、乱暴に部屋の扉を叩いた。

「居るんだろう?私だ!」

 間もなく扉の鍵が外される音がすると、侍女が警戒の面持ちで姿を見せた。

「公爵様でしたか……。申し訳ありませんが今は──。」
「謝るようなら初めから扉を開けるな!」

 公爵は侍女に向けて大きな声を出すと苛立ったように王妃の部屋へ足を踏み入れた。
 部屋には甘い花の香りが漂い、それは生ぬるく密度の高い空気とともに公爵にまとわりついて来るように思えた。

「あら、誰かと思えば。長く声を聞いていなかったせいで、貴方だと分からなかったわ。」

 部屋のソファーで驚いた様子もなくくつろいでいるのは金髪碧眼の王妃だった。そしてその膝に頭を乗せて気持ちよさそうに眠っているのはこの国の王太子だ。
 公爵はその様子を目にすると露骨に不快な表情を見せた。

「また寝ているのか?そんな暇があったら本の一冊でも読めとあれ程言ったはずだ!」
「あら、そうでしたか。それは困った子ですわね。」

 王妃は膝の上の頭を優しく撫でると公爵には目も向けずに微笑んだ。

「陛下が侯爵を捕らえるよう指示を出された。ここへ騎士が来るのも時間の問題だろう。」
「そうですか……。」
「その子を起こせ。私が密かに逃がす。」

 王妃は王太子の髪を撫でていた手を止めると、それまでと変わらぬ穏やかな調子で続けた。

「密かに逃がして機を待ちますか?それともこのまま命を奪うおつもりで?」
「馬鹿な。そのどちらでもない。」
「ではどうなさるの?」

 王妃は起きる様子のない王太子の頬をするりと撫でると王太子の手に嵌った王家の紋章入りの黄金の指輪をそっと撫でた。

「……逃がして、その先でひっそりと暮らせる様に手配をする。私がこの子の為に出来るのはただそれだけだ。」
「──嘘。」

 王妃は膝の上で王太子が動き始めた事に気が付くと、再び表情を緩めてその手を握った。

「この子は国に唯一の王子。陛下は王太子を廃することまではなさらない。」
「陛下はあと5年だと、そうおっしゃった。5年後、この子の正体が周りにバレてみろ、そうなってからではもう手遅れだ。」
「大丈夫。それまでにこの子には優秀な妃を見つけて来ますわ。」
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