上 下
45 / 45
6

消えゆく記憶と過去

しおりを挟む
『アオイ、もういい。お前の顔も見たくない。今すぐ私の前から消えろ。』
『フィリップ殿下!』
『ディー、連れて行け!』
 琥珀色の瞳がこちらを冷たく見下ろすとその瞳には怯える少女の顔が映った──。


「凛花?」

 はっとして見上げたダニエルの心配そうなその瞳に映るのは、まぎれもない自分の顔だ。

「あ…ごめん。ぼーっとしてた。」
「フィルが休みをくれたから明日にでも領地に行こうか?」
「オルランド領に?いいの?」
「妹にも会えるよ。」
「そっか。楽しみ…。」

──今のは一体…。ヒロインが王太子殿下に断罪される場面だよね?ディーの瞳に映ってたのは確かにの顔だった。でも…。

 凛花は鳥肌が立つのが分かり自分を抱きしめるように腕を回した。

「リンカどうした?顔が青いぞ?」

 心配してこちらを窺ってくるフィリップの顔をおずおずと見上げるがその顔は当然いつもと同じフィリップだ。ダニエルを見てもその瞳に映るのは凛花の怯えた顔。

「ごめん、寝不足かな…。」
「リンカ、お、お前まさか!」
「俺のせいだな。じゃあもう今日はこれで帰ろう。」

 ダニエルは何も言えずに固まっているフィリップを横目に、凛花を立ち上がらせるとフィリップに軽く手を挙げてそのまま部屋を後にした。

「歩けそう?」
「うん…。ごめん。なんか…いろいろと。」
「うん。」

 ダニエルはそれ以降何も聞かずに凛花の腰に手を回したままゆっくりと王宮の中を歩いた。

──まただ…。黙って二人でこうやって歩いたこと、前にもあった。

 凛花は視界にダニエルの姿が入らないようにそっと手を額にあてた。前とはいつの事だったか、つい考えを巡らせてしまう。ダニエルと初めて会った日の騎士団本部でのことだっただろうか?それともフィリップに会うために王宮に初めて来た日だっただろうか…。

──違う。ダニエルはいつも私の事を気遣ってくれてて…。二人とも黙ったまま歩いたことなんてなかった。

 歩く速度がゆっくりになり、やがて凛花が完全に立ち止まると、ダニエルは何も言わずに凛花を横向きに抱き上げた。

「あ!ごめん、歩けるから──」
「知ってる、それに逃げないんだろ?」
「ダニエル……」
「降ろさないよ。」
「知ってる……前にも言われたもん。」

 凛花はダニエルの首に抱き着くとそのまま顔を隠すように静かに泣き出した。

「ごめん、本当に。」
「また何かどうでもいいことを考えていたんだろう?」
「何で分かるの?本当に…。思い出さなくていいことだけ思い出しちゃうなんて。こんなのもう嫌だ…。」
「逃げないで、ここで生きていくって決めたんだろう?」
「……そうだけど。」

 ダニエルは凛花を抱える腕に力を込めると頭にそっと口付けた。

「なら大丈夫。すぐに忘れるよ、必要ない記憶は。」
「何で何も聞かないの?」
「俺は何も知らない凛花の事が好きなんだ、何回も言わせるな。」
「…ヤバい。鼻水じゃなくて鼻血出るわ…。」
「……」
「ありがとう、ダニエル。私も大好き。」

 顔を赤くした騎士がすれ違いざまにダニエルを凝視していたがそんなことはもはやどうでも良かった。凛花にとってみればあの騎士なんてただのモブだ。もちろんダニエルが攻略対象者。自分は現世での髪の色は黒だが間違いなくこの物語のヒロイン──アオイだったのだから。

──もう思い出さなくていい、前世の記憶なんて全部忘れよう。アオイは隣国に逃げたんだ。だから私は凛花としてここで生きる。ダニエルの傍で。


「ダニエル!待ちなさい!まだそんな女を相手にしているの?」
「カテリーナ殿下?」

 ヒステリックな声に顔を上げると馬車の目の前に立ちふさがる紫紺の塊が見えた。ダニエルの横顔が微妙にいら立っているのが分かる。

「せっかくいい所だったのにまた邪魔しやがって…。」
「あら…フィルも相当口悪いけど、ダニエルも結構……。」
「ねぇ凛花?」

 立ち止まったダニエルは腕の中の凛花を見下ろすと、いつかのように艶やかに笑った。

「俺が今何て言いたいか分かる?」
「……その笑顔不吉な予感しかしないんだけど。」

 チラッと盗み見たカテリーナ殿下は今にも凛花に掴みかからんばかりの勢いでこちらを睨みつけている。

「愛してるよ。だからもう、俺の前から突然消えたりしないで、ずっと傍にいて欲しい。」
「……」

 ダニエルは怒りで燃えそうに赤くなったカテリーナ王女をちらりと横目で確認すると、こちらもまた燃えそうに赤くなった凛花を見下ろし、そっと耳元で囁いた。
 
「キスしたいとこだけど鼻血出たら困るから帰ってからにする。」
「か、帰っても出るもんは出るから!」
「だったらここで試してみる?」
「いい!」

 ダニエルは赤くなった凛花の頬に軽く口付けると何事もなかったかのようにカテリーナ王女に会釈し、そのまま隣をすり抜け馬車に乗り込んだ。
 待機していた騎士たちが少し遅れてどっと騒めいたのが馬車の中にまで聞こえてきた。

「ねぇダニエル、一つ聞きたいんだけど?」
「うん?」
「何で他の人がいる所ではあんな風に私に甘い言葉を囁けるの?絶対わざとだよね?」
「わざと……なのかな?」
「そうでしょ!」
「仕方ない。自慢したいんだよ、凛花はもう俺のものだって。」
「それは、ピアスがあれば充分だから…。」
「あ、それで思い出した。注文したピアス出来上がったんだった。取りに行こうか、今すぐ!」
「今すぐ?」
「そう。指輪も注文したいし。」
「婚約指輪?」
「今度は凛花がちゃんと選んでくれるだろう?」

 凛花は珍しく上機嫌なダニエルを見上げると笑顔で頷いた。

「……ねぇ凛花、一度でいいからディーって、呼んでみて?」
「何?今度はおねだり?」
「……」
「ディー…愛してる。」
「…駄目だ、やっぱり真っ直ぐ邸に戻ろう。俺にはとても10年なんて待てない。」
しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

みずのと
2020.08.09 みずのと

ダニエル、ツンのはいった好青年ですね。りんねが一目惚れにいつ気づくか楽しみです。

解除

あなたにおすすめの小説

【完結】番である私の旦那様

桜もふ
恋愛
異世界であるミーストの世界最強なのが黒竜族! 黒竜族の第一皇子、オパール・ブラック・オニキス(愛称:オール)の番をミースト神が異世界転移させた、それが『私』だ。 バールナ公爵の元へ養女として出向く事になるのだが、1人娘であった義妹が最後まで『自分』が黒竜族の番だと思い込み、魅了の力を使って男性を味方に付け、なにかと嫌味や嫌がらせをして来る。 オールは政務が忙しい身ではあるが、溺愛している私の送り迎えだけは必須事項みたい。 気が抜けるほど甘々なのに、義妹に邪魔されっぱなし。 でも神様からは特別なチートを貰い、世界最強の黒竜族の番に相応しい子になろうと頑張るのだが、なぜかディロ-ルの侯爵子息に学園主催の舞踏会で「お前との婚約を破棄する!」なんて訳の分からない事を言われるし、義妹は最後の最後まで頭お花畑状態で、オールを手に入れようと男の元を転々としながら、絡んで来ます!(鬱陶しいくらい来ます!) 大好きな乙女ゲームや異世界の漫画に出てくる「私がヒロインよ!」な頭の変な……じゃなかった、変わった義妹もいるし、何と言っても、この世界の料理はマズイ、不味すぎるのです! 神様から貰った、特別なスキルを使って異世界の皆と地球へ行き来したり、地球での家族と異世界へ行き来しながら、日本で得た知識や得意な家事(食事)などを、この世界でオールと一緒に自由にのんびりと生きて行こうと思います。 前半は転移する前の私生活から始まります。

ヒロイン気質がゼロなので攻略はお断りします! ~塩対応しているのに何で好感度が上がるんですか?!~

浅海 景
恋愛
幼い頃に誘拐されたことがきっかけで、サーシャは自分の前世を思い出す。その知識によりこの世界が乙女ゲームの舞台で、自分がヒロイン役である可能性に思い至ってしまう。貴族のしきたりなんて面倒くさいし、侍女として働くほうがよっぽど楽しいと思うサーシャは平穏な未来を手にいれるため、攻略対象たちと距離を取ろうとするのだが、彼らは何故かサーシャに興味を持ち関わろうとしてくるのだ。 「これってゲームの強制力?!」 周囲の人間関係をハッピーエンドに収めつつ、普通の生活を手に入れようとするヒロイン気質ゼロのサーシャが奮闘する物語。 ※2024.8.4 おまけ②とおまけ③を追加しました。

【完結】殺されたくないので好みじゃないイケメン冷徹騎士と結婚します

大森 樹
恋愛
女子高生の大石杏奈は、上田健斗にストーカーのように付き纏われている。 「私あなたみたいな男性好みじゃないの」 「僕から逃げられると思っているの?」 そのまま階段から健斗に突き落とされて命を落としてしまう。 すると女神が現れて『このままでは何度人生をやり直しても、その世界のケントに殺される』と聞いた私は最強の騎士であり魔法使いでもある男に命を守ってもらうため異世界転生をした。 これで生き残れる…!なんて喜んでいたら最強の騎士は女嫌いの冷徹騎士ジルヴェスターだった!イケメンだが好みじゃないし、意地悪で口が悪い彼とは仲良くなれそうにない! 「アンナ、やはり君は私の妻に一番向いている女だ」 嫌いだと言っているのに、彼は『自分を好きにならない女』を妻にしたいと契約結婚を持ちかけて来た。 私は命を守るため。 彼は偽物の妻を得るため。 お互いの利益のための婚約生活。喧嘩ばかりしていた二人だが…少しずつ距離が近付いていく。そこに健斗ことケントが現れアンナに興味を持ってしまう。 「この命に代えても絶対にアンナを守ると誓おう」 アンナは無事生き残り、幸せになれるのか。 転生した恋を知らない女子高生×女嫌いのイケメン冷徹騎士のラブストーリー!? ハッピーエンド保証します。

旦那様、愛人を作ってもいいですか?

ひろか
恋愛
私には前世の記憶があります。ニホンでの四六年という。 「君の役目は魔力を多く持つ子供を産むこと。その後で君も自由にすればいい」 これ、旦那様から、初夜での言葉です。 んん?美筋肉イケオジな愛人を持っても良いと? ’18/10/21…おまけ小話追加

こわいかおの獣人騎士が、仕事大好きトリマーに秒で堕とされた結果

てへぺろ
恋愛
仕事大好きトリマーである黒木優子(クロキ)が召喚されたのは、毛並みの手入れが行き届いていない、犬系獣人たちの国だった。 とりあえず、護衛兼監視役として来たのは、ハスキー系獣人であるルーサー。不機嫌そうににらんでくるものの、ハスキー大好きなクロキにはそんなの関係なかった。 「とりあえずブラッシングさせてくれません?」 毎日、獣人たちのお手入れに精を出しては、ルーサーを(犬的に)愛でる日々。 そのうち、ルーサーはクロキを女性として意識するようになるものの、クロキは彼を犬としかみていなくて……。 ※獣人のケモ度が高い世界での恋愛話ですが、ケモナー向けではないです。ズーフィリア向けでもないです。

【完結】せっかくモブに転生したのに、まわりが濃すぎて逆に目立つんですけど

monaca
恋愛
前世で目立って嫌だったわたしは、女神に「モブに転生させて」とお願いした。 でも、なんだか周りの人間がおかしい。 どいつもこいつも、妙にキャラの濃いのが揃っている。 これ、普通にしているわたしのほうが、逆に目立ってるんじゃない?

王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!

奏音 美都
恋愛
 ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。  そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。  あぁ、なんてことでしょう……  こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。