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話の中の世界
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凛花は机に向かうと目の前の紙に意識を集中した。手には初めて使うペンが握られている。先程侍女に教えてもらった通り、インク瓶にペンの先端をそっと浸し、そのまま紙に持って行き素早く文字を書く。
紙の上には英語で綴った名前がずらりと並ぶ。綴りが正確かどうかはこの際どうでもよかった。とりあえずは今までダニエルや他の人から得た情報を一枚の紙に書き出して頭の中を整理してみる。
「あ、ダニエルの妹の名前聞いてない…。」
少し考えた後でダニエルの下に開けた余白には小さくsisterと書いておく。
「…こうしてみると結構名前分かんないな。フィルって王族だよね?家名分かんないってどういうこと?」
「フィルはフィリップ・ステーリアだよ?」
「っ!」
いきなり背後から声がしたので驚きの余り紙の上にインクの大きなシミが出来る。
「そんなに驚かなくても…。」
「ダニエル、心臓に悪いから…ほんとにやめてよ…。」
「ごめん、部屋で待ってたんだけどリンカがなかなか来ないから。」
そう言いながらダニエルはソファーの近くにあった椅子を凛花の隣まで運んで来て座った。
「それ、名前を書いてるの?」
「うん。ちょっといっぺんに覚えるには人数が増えすぎた気がして。頭の中を整理してるの。」
「ザール語……何て言ったかな?」
「英語よ。あ、ディーってこの字のことだよ?」
凛花が新しい紙を出してそこにアルファベットのDを書くとダニエルが横から覗き込んできた。ついでにその隣にスラスラとDearと書いてみせる。
「それは?」
「ディア、かな?親愛なるとか大切な人って意味の言葉。手紙の始まりに使ったりする英語。」
「ニホン語は?リンカの名前をニホン語で書いて見せてよ?」
「あ~。私の名前は日本語で書くと難しいのよ?」
相馬凛花──今まで何百回何千回と書いてきたその名前をペンで書く。
「本当だ。全然読めない。図形みたいだ。」
凛花は黙ったままその下に今度はローマ字でSoma Rinkaと書く。
「こういうペンって、私初めて使うの。インクが直ぐに途切れちゃうのね?」
「ペンで書かないならどうやって字を書くの?」
「私が使ってたペンはね、中にもうインクが入ってるのよ?ペン先には金属の小さなボールが入ってて、それが転がる時にインクが少しずつ出てくるみたいな仕組み…。あ、ごめん。こんな話がしたいんじゃなかった。」
「謝ることじゃない。俺は凛花の話もっと聞きたい。」
「……そうだよね。私もダニエルも、まだまだ話さないといけない事沢山あるんだと思う。」
「それで、大切な話って何?」
ペンを置くと手に付いたインクのシミが目に入ってきた。それを何となくこすりながら凛花は話し出した。
「この世界の事。」
「……壮大な話だね。」
「ふざけてる訳じゃないの。真面目な話しだよ?」
ダニエルはソファーに深く座り直すと完全に聞く体制に入った。
「私、日本で色々なお話を読んでたの。長い話も短い話も、書いた人もいろいろな話。その中のひとつの話の舞台がこの世界なんじゃないかって…。そう思ってた。」
「話の舞台?」
「そう。日本から、私はお話の世界に何故だか飛び込んできたんだって。服装も髪の色も目の色も、文字も違う世界。でも初めそれがどの話の中なのか分からなかった。」
「……」
「グランディ伯爵夫妻に会っても、ダニエルの名前を聞いても分からない。それが、カテリーナ殿下の一言でどの話なのか分かった。」
「ディー?」
「そう。私の知ってる話の主要人物の一人の名前。影の騎士ディー。」
「影の騎士?」
「影の騎士は王太子殿下と顔がそっくりだから影武者をつとめていた。そしてある日王太子と影武者の前に前世の記憶を持つというピンク色の髪の女の子が現れる。」
「アオイか…。」
「お話の中のアオイはね、この世界での人生を何度もやり直しているの。そしてやり直す度に自分の思い通りの人生を送ることが出来るようになる。」
「…そんな事、現実には有り得ない。」
「そうなんだよね。そうなの。でもね、ダニエル?私はもう有り得ない所に来ちゃってるんだよ?お話の中の世界に自分が入っちゃうなんて……とても現実だなんて……」
凛花は何か思い詰めた様子で立ち上がるとそのまま窓の近くまで歩み寄った。窓の外はもうすっかり日が沈み、ガラスにうつった凛花の背後に、ダニエルが寄り添う姿が見えた。
「それで?そのアオイの話の続きは?」
「アオイの一回目の人生は、フィルと婚約をしてたのに学園の卒業パーティーの席で婚約破棄をされて国外に追放される事で終わるの。」
「一回目か。二回目は?」
「二回目アオイは王太子殿下と婚約をしない代わりに別の婚約者ができる。それなのにその相手にもまた婚約破棄をされて今度は修道院へ送られるの。ディーの領地にある修道院よ。」
「領地の修道院か…。」
ここまで話をしてしまうともう凛花は口から溢れるように出てくる言葉を止めることは出来なかった。興奮したように一気に話し出すと自然に涙が目に浮かんでくるのが分かった。
「ディーは心に闇を抱える孤独な騎士だった。修道院にアオイの様子を見に行った時にふとしたことがきっかけで……彼女に初めて心を開くようになる。そしてアオイを連れて修道院を逃げ出し、国外に逃亡する。」
「フィルが言っていたのはその事なのか?」
「ダニエル、この話にはまだ続きがあるのよ?二人は逃げる時に大雨に遭って馬車ごと崖崩れに巻き込まれるの。それで──」
「リンカ、もういい、分かった。」
「アオイだけが岩の下敷きになって死んでしまうの。」
ダニエルはボロボロと涙を流しながらも話を止めようとしない凛花を強く抱き締めた。
「止めるんだ。」
「ダニエル、あなたは冷たくなったアオイを見つけて絶望のあまり自ら命を絶つのよ!」
「リンカ、それは話の中の出来事だ!」
紙の上には英語で綴った名前がずらりと並ぶ。綴りが正確かどうかはこの際どうでもよかった。とりあえずは今までダニエルや他の人から得た情報を一枚の紙に書き出して頭の中を整理してみる。
「あ、ダニエルの妹の名前聞いてない…。」
少し考えた後でダニエルの下に開けた余白には小さくsisterと書いておく。
「…こうしてみると結構名前分かんないな。フィルって王族だよね?家名分かんないってどういうこと?」
「フィルはフィリップ・ステーリアだよ?」
「っ!」
いきなり背後から声がしたので驚きの余り紙の上にインクの大きなシミが出来る。
「そんなに驚かなくても…。」
「ダニエル、心臓に悪いから…ほんとにやめてよ…。」
「ごめん、部屋で待ってたんだけどリンカがなかなか来ないから。」
そう言いながらダニエルはソファーの近くにあった椅子を凛花の隣まで運んで来て座った。
「それ、名前を書いてるの?」
「うん。ちょっといっぺんに覚えるには人数が増えすぎた気がして。頭の中を整理してるの。」
「ザール語……何て言ったかな?」
「英語よ。あ、ディーってこの字のことだよ?」
凛花が新しい紙を出してそこにアルファベットのDを書くとダニエルが横から覗き込んできた。ついでにその隣にスラスラとDearと書いてみせる。
「それは?」
「ディア、かな?親愛なるとか大切な人って意味の言葉。手紙の始まりに使ったりする英語。」
「ニホン語は?リンカの名前をニホン語で書いて見せてよ?」
「あ~。私の名前は日本語で書くと難しいのよ?」
相馬凛花──今まで何百回何千回と書いてきたその名前をペンで書く。
「本当だ。全然読めない。図形みたいだ。」
凛花は黙ったままその下に今度はローマ字でSoma Rinkaと書く。
「こういうペンって、私初めて使うの。インクが直ぐに途切れちゃうのね?」
「ペンで書かないならどうやって字を書くの?」
「私が使ってたペンはね、中にもうインクが入ってるのよ?ペン先には金属の小さなボールが入ってて、それが転がる時にインクが少しずつ出てくるみたいな仕組み…。あ、ごめん。こんな話がしたいんじゃなかった。」
「謝ることじゃない。俺は凛花の話もっと聞きたい。」
「……そうだよね。私もダニエルも、まだまだ話さないといけない事沢山あるんだと思う。」
「それで、大切な話って何?」
ペンを置くと手に付いたインクのシミが目に入ってきた。それを何となくこすりながら凛花は話し出した。
「この世界の事。」
「……壮大な話だね。」
「ふざけてる訳じゃないの。真面目な話しだよ?」
ダニエルはソファーに深く座り直すと完全に聞く体制に入った。
「私、日本で色々なお話を読んでたの。長い話も短い話も、書いた人もいろいろな話。その中のひとつの話の舞台がこの世界なんじゃないかって…。そう思ってた。」
「話の舞台?」
「そう。日本から、私はお話の世界に何故だか飛び込んできたんだって。服装も髪の色も目の色も、文字も違う世界。でも初めそれがどの話の中なのか分からなかった。」
「……」
「グランディ伯爵夫妻に会っても、ダニエルの名前を聞いても分からない。それが、カテリーナ殿下の一言でどの話なのか分かった。」
「ディー?」
「そう。私の知ってる話の主要人物の一人の名前。影の騎士ディー。」
「影の騎士?」
「影の騎士は王太子殿下と顔がそっくりだから影武者をつとめていた。そしてある日王太子と影武者の前に前世の記憶を持つというピンク色の髪の女の子が現れる。」
「アオイか…。」
「お話の中のアオイはね、この世界での人生を何度もやり直しているの。そしてやり直す度に自分の思い通りの人生を送ることが出来るようになる。」
「…そんな事、現実には有り得ない。」
「そうなんだよね。そうなの。でもね、ダニエル?私はもう有り得ない所に来ちゃってるんだよ?お話の中の世界に自分が入っちゃうなんて……とても現実だなんて……」
凛花は何か思い詰めた様子で立ち上がるとそのまま窓の近くまで歩み寄った。窓の外はもうすっかり日が沈み、ガラスにうつった凛花の背後に、ダニエルが寄り添う姿が見えた。
「それで?そのアオイの話の続きは?」
「アオイの一回目の人生は、フィルと婚約をしてたのに学園の卒業パーティーの席で婚約破棄をされて国外に追放される事で終わるの。」
「一回目か。二回目は?」
「二回目アオイは王太子殿下と婚約をしない代わりに別の婚約者ができる。それなのにその相手にもまた婚約破棄をされて今度は修道院へ送られるの。ディーの領地にある修道院よ。」
「領地の修道院か…。」
ここまで話をしてしまうともう凛花は口から溢れるように出てくる言葉を止めることは出来なかった。興奮したように一気に話し出すと自然に涙が目に浮かんでくるのが分かった。
「ディーは心に闇を抱える孤独な騎士だった。修道院にアオイの様子を見に行った時にふとしたことがきっかけで……彼女に初めて心を開くようになる。そしてアオイを連れて修道院を逃げ出し、国外に逃亡する。」
「フィルが言っていたのはその事なのか?」
「ダニエル、この話にはまだ続きがあるのよ?二人は逃げる時に大雨に遭って馬車ごと崖崩れに巻き込まれるの。それで──」
「リンカ、もういい、分かった。」
「アオイだけが岩の下敷きになって死んでしまうの。」
ダニエルはボロボロと涙を流しながらも話を止めようとしない凛花を強く抱き締めた。
「止めるんだ。」
「ダニエル、あなたは冷たくなったアオイを見つけて絶望のあまり自ら命を絶つのよ!」
「リンカ、それは話の中の出来事だ!」
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