30 / 69
第30話 暗雲立ちこめる~金崎という女 弐
しおりを挟む
――今日は金崎殿との番だったか。
どっと肩に重さを感じるが、
「よろしくお願いいたしまする」とひとこと言って、隣に座った。
金崎はチラと高遠を一瞥するだけで返事はない。
全身から『関わるな』といわんばかりのオーラが吹き出ている。
仕方がないと諦め、問題を報告しにくる女中がこないものかと、あらぬ考えを抱きつつ、世間話もないまま時間だけが過ぎていった。
――仲良くしたいわけではないが、そこまで毛嫌いしなくともよいではないか……。
と、思う。
大奥総取締役、塩沢がいる衆議では、話し合いのために意見を出し合うが、個人的に向き合うと途端にこれだ。
今日も隙のない装いで、御年寄としての品格を保っている。
――次期大奥総取締役を望んでいない自分には、考えもよらない思いがあるのかもしれない。――多分。
ふたり揃って前方の壁を見ていると、ようやく金崎が口を開いた。
「のう、高遠殿。男色本を出すと知れてから、御中臈たちばかりか、他の者までこぞって男色本を購入しておりますなぁ」
「――はい」
「そのせいか、夜遅くまで読みふけり、油や蝋燭の消費が多くなっておるそうですよ? 金がないというに困ったことですなぁ」
「――…………そうでございますな」
――口を開けば嫌味か。しかも、そんなささいなことで。ご自分は二月下旬、代参帰りに芝居見物をして、ついでに役者と酒を飲んで憂さ晴らしをしたというのに?
と、突っ込みを入れたいのをグッと耐えた。
代参とは御台所に替わり、歴代の将軍を祀る寛永寺や増上寺で祈りを捧げることで、大手を振って外に出られるチャンスなのだ。
お付きの者も、そのおこぼれに預かれるので、建前上は禁止とされている代参帰りの寄り道について、なにも言わないのが暗黙のルールとなっている。大奥は闇が深い場所だ。
『生きていたいのならば黙っていよ』
が、浸透しており、滅多なことは言わない方が身のためなのだ。
高遠も、出版が叶うまで足を引っ張られないようにと代参が終わり次第、茶屋で団子を食べることさえせず御城へ直帰していた。
「それに……」
と、金崎が続ける。
まだなにかあるのか? とうんざりしながら「はい」と答える。
「あんな微々たる金のために、沢渡主殿頭に逆らうことが懸命な判断であると思われるますか? 少なくともそのせいで、塩沢さまは注意をうけ、結果的に逆らう形となったのですぞ」
――すべて、わたくしのせいですか……。
金崎は出版について、いまだに反対の姿勢を貫いている。上様のご威光を示す大奥から男色本を出版することが許せないのだ。
その気持ちは理解できる。自分だって健全な方法で稼ぐ手立てがあるのなら、そちらを選びたい。だが、他に方法がないのだ。
身バレしてまで頑張っているのは、
『大奥を救いたい』
その一心からだ。
金崎と形は違えど、大奥を大切に思う気持ちは同じなのだ。
「……そうですな。金崎殿の仰るように、塩沢さまにはご負担をかけてしまい、心苦しい限りです。ですが、今は大奥が滞りなくあることが肝要かと存じます。塩沢さまもそれを理解され、出版のお許しをなさった。わたくしはそう考えております。ならば、わたくしはわたくしのお役目を果たすだけにございます」
「――…………」
金崎はそれ以上なにも言わず、この話は終わった。
しかし、金崎と同じ考えの人間は一定数存在する。高遠は祈るような思いだ。
――ああ、どうか無事に出版が叶いますように。
どっと肩に重さを感じるが、
「よろしくお願いいたしまする」とひとこと言って、隣に座った。
金崎はチラと高遠を一瞥するだけで返事はない。
全身から『関わるな』といわんばかりのオーラが吹き出ている。
仕方がないと諦め、問題を報告しにくる女中がこないものかと、あらぬ考えを抱きつつ、世間話もないまま時間だけが過ぎていった。
――仲良くしたいわけではないが、そこまで毛嫌いしなくともよいではないか……。
と、思う。
大奥総取締役、塩沢がいる衆議では、話し合いのために意見を出し合うが、個人的に向き合うと途端にこれだ。
今日も隙のない装いで、御年寄としての品格を保っている。
――次期大奥総取締役を望んでいない自分には、考えもよらない思いがあるのかもしれない。――多分。
ふたり揃って前方の壁を見ていると、ようやく金崎が口を開いた。
「のう、高遠殿。男色本を出すと知れてから、御中臈たちばかりか、他の者までこぞって男色本を購入しておりますなぁ」
「――はい」
「そのせいか、夜遅くまで読みふけり、油や蝋燭の消費が多くなっておるそうですよ? 金がないというに困ったことですなぁ」
「――…………そうでございますな」
――口を開けば嫌味か。しかも、そんなささいなことで。ご自分は二月下旬、代参帰りに芝居見物をして、ついでに役者と酒を飲んで憂さ晴らしをしたというのに?
と、突っ込みを入れたいのをグッと耐えた。
代参とは御台所に替わり、歴代の将軍を祀る寛永寺や増上寺で祈りを捧げることで、大手を振って外に出られるチャンスなのだ。
お付きの者も、そのおこぼれに預かれるので、建前上は禁止とされている代参帰りの寄り道について、なにも言わないのが暗黙のルールとなっている。大奥は闇が深い場所だ。
『生きていたいのならば黙っていよ』
が、浸透しており、滅多なことは言わない方が身のためなのだ。
高遠も、出版が叶うまで足を引っ張られないようにと代参が終わり次第、茶屋で団子を食べることさえせず御城へ直帰していた。
「それに……」
と、金崎が続ける。
まだなにかあるのか? とうんざりしながら「はい」と答える。
「あんな微々たる金のために、沢渡主殿頭に逆らうことが懸命な判断であると思われるますか? 少なくともそのせいで、塩沢さまは注意をうけ、結果的に逆らう形となったのですぞ」
――すべて、わたくしのせいですか……。
金崎は出版について、いまだに反対の姿勢を貫いている。上様のご威光を示す大奥から男色本を出版することが許せないのだ。
その気持ちは理解できる。自分だって健全な方法で稼ぐ手立てがあるのなら、そちらを選びたい。だが、他に方法がないのだ。
身バレしてまで頑張っているのは、
『大奥を救いたい』
その一心からだ。
金崎と形は違えど、大奥を大切に思う気持ちは同じなのだ。
「……そうですな。金崎殿の仰るように、塩沢さまにはご負担をかけてしまい、心苦しい限りです。ですが、今は大奥が滞りなくあることが肝要かと存じます。塩沢さまもそれを理解され、出版のお許しをなさった。わたくしはそう考えております。ならば、わたくしはわたくしのお役目を果たすだけにございます」
「――…………」
金崎はそれ以上なにも言わず、この話は終わった。
しかし、金崎と同じ考えの人間は一定数存在する。高遠は祈るような思いだ。
――ああ、どうか無事に出版が叶いますように。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
大奥~牡丹の綻び~
翔子
歴史・時代
*この話は、もしも江戸幕府が永久に続き、幕末の流血の争いが起こらず、平和な時代が続いたら……と想定して書かれたフィクションとなっております。
大正時代・昭和時代を省き、元号が「平成」になる前に候補とされてた元号を使用しています。
映像化された数ある大奥関連作品を敬愛し、踏襲して書いております。
リアルな大奥を再現するため、性的描写を用いております。苦手な方はご注意ください。
時は17代将軍の治世。
公家・鷹司家の姫宮、藤子は大奥に入り御台所となった。
京の都から、慣れない江戸での生活は驚き続きだったが、夫となった徳川家正とは仲睦まじく、百鬼繚乱な大奥において幸せな生活を送る。
ところが、時が経つにつれ、藤子に様々な困難が襲い掛かる。
祖母の死
鷹司家の断絶
実父の突然の死
嫁姑争い
姉妹間の軋轢
壮絶で波乱な人生が藤子に待ち構えていたのであった。
2023.01.13
修正加筆のため一括非公開
2023.04.20
修正加筆 完成
2023.04.23
推敲完成 再公開
2023.08.09
「小説家になろう」にも投稿開始。
【淀屋橋心中】公儀御用瓦師・おとき事件帖 豪商 VS おとき VS 幕府隠密!三つ巴の闘いを制するのは誰?
海善紙葉
歴史・時代
●青春真っ盛り・話題てんこ盛り時代小説
現在、アルファポリスのみで公開中。
*️⃣表紙イラスト︰武藤 径 さん。ありがとうございます、感謝です🤗
武藤径さん https://estar.jp/users/157026694
タイトル等は紙葉が挿入しました😊
●おとき。17歳。「世直しおとき」の異名を持つ。
●おときの幼馴染のお民が殺された。役人は、心中事件として処理しようとするが、おときはどうしても納得できない。
お民は、大坂の豪商・淀屋辰五郎の妾になっていたという。おときは、この淀辰が怪しいとにらんで、捜査を開始。
●一方、幕閣の柳沢吉保も、淀屋失脚を画策。実在(史実)の淀屋辰五郎没落の謎をも巻き込みながら、おときは、モン様こと「近松門左衛門」と二人で、事の真相に迫っていく。
✳おおさか
江戸時代は「大坂」の表記。明治以降「大阪」表記に。物語では、「大坂」で統一しています。
□主な登場人物□
おとき︰主人公
お民︰おときの幼馴染
伊左次(いさじ)︰寺島家の職人頭。おときの用心棒、元武士
寺島惣右衛門︰公儀御用瓦師・寺島家の当主。おときの父。
モン様︰近松門左衛門。おときは「モン様」と呼んでいる。
久富大志郎︰23歳。大坂西町奉行所同心
分部宗一郎︰大坂城代土岐家の家臣。城代直属の市中探索目附
淀屋辰五郎︰なにわ長者と呼ばれた淀屋の五代目。淀辰と呼ばれる。
大曽根兵庫︰分部とは因縁のある武士。
福島源蔵︰江戸からやってきた侍。伊左次を仇と付け狙う。
西海屋徳右衛門︰
清兵衛︰墨屋の職人
ゴロさん︰近松門左衛門がよく口にする謎の人物
お駒︰淀辰の妾
永き夜の遠の睡りの皆目醒め
七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。
新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。
しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。
近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。
首はどこにあるのか。
そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。
※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい
狐侍こんこんちき
月芝
歴史・時代
母は出戻り幽霊。居候はしゃべる猫。
父は何の因果か輪廻の輪からはずされて、地獄の官吏についている。
そんな九坂家は由緒正しいおんぼろ道場を営んでいるが、
門弟なんぞはひとりもいやしない。
寄りつくのはもっぱら妙ちきりんな連中ばかり。
かような家を継いでしまった藤士郎は、狐面にていつも背を丸めている青瓢箪。
のんびりした性格にて、覇気に乏しく、およそ武士らしくない。
おかげでせっかくの剣の腕も宝の持ち腐れ。
もっぱら魚をさばいたり、薪を割るのに役立っているが、そんな暮らしも案外悪くない。
けれどもある日のこと。
自宅兼道場の前にて倒れている子どもを拾ったことから、奇妙な縁が動きだす。
脇差しの付喪神を助けたことから、世にも奇妙な仇討ち騒動に関わることになった藤士郎。
こんこんちきちき、こんちきちん。
家内安全、無病息災、心願成就にて妖縁奇縁が来来。
巻き起こる騒動の数々。
これを解決するために奔走する狐侍の奇々怪々なお江戸物語。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
雲母虫漫筆 ~江戸のあれこれ~
糺ノ杜 胡瓜堂
エッセイ・ノンフィクション
「耳嚢」や「兎園小説」「新著聞集」「甲子夜話」など、江戸時代の書物から、面白いと思ったものをピックアップしてゆく短いエッセイ。
怪談や奇談、感動話、しょ~もない話までその時の気分次第。
「雲母虫」とは紙につく虫「シミ」の異名、小さくて可愛らしい(?)虫です。
本の虫になったつもりで色々な江戸時代に書かれた話をご紹介してゆきたいと思っています。
ネット上で気軽に様々な情報が拾える昨今、自分自身で「オリジナル」を読むという行為はなかなか手間がかかりますが、その分色々と新しい発見があります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる