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第22話 出版に向かって~須磨の事情 玖

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『絵のため』

 須磨はそう言うが、女としてではなく、遊興の意味でのお召しだったことは傷ついたはずだ。望まず平凡ではない世界に放り込まれ、それでも身を預けたのならば子供を欲しいと思う気持ちも抱いただろう。

 女たちが対立し、誰に気を許すのも難しい場所で唯一信じ、己よりも守りたいものがあるとすれば我が子だけだ。
 御中老おちゅうろうとして大奥ここいる意味も上様の子を、血を守り、受け継がせていくためだ。
 子供が望めず、飽きられ、捨て置かれた女たちは存在する意味を失ってしまう。

 望まれず、与えられず、ただただ将軍家のお飾りとして存在し続ける。
 
 まだ世渡り上手であれば、あるいは身分ある生まれであれば周りも華やいでいるだおうが、女中あがりでは旨味はないと寄ってくる人間はいない。
 現に須磨はひとりぼっちだ。
 高遠だって数多い側室のひとりとしてとしか認識していなかった。初めてここを訪れたときも静かな部屋だった。雇っているのも、部屋方ひとりのみ。誰にも気にされず、褒められることもなく、唯一認めてもらえた絵だけを抱えて筆を取り、今以上にもっと上手くなろうと、ひとり描き続けてきたのだろう。

 須磨の絵は断じて才能だけで描かれるものではなく、長い時間をかけて研鑽を積んだ技術なのだ。

 高遠はそっと須磨の手を取った。

「お須磨の方さま。大奥は上様のためにある場所でございますから、女の悲しさを含む場所であることは否めませぬ。ですが、こう申してはなんですが、寂しいからと気持ちをごまかすために、目新しいものを追っている限り、人は真に幸せとは呼べず、幸福は遠ざかるのではないか――。わたくしはそう思うのです」

 須磨は高遠を見つめた。

「ですが、お須磨の方さまは自ら生み出す喜びを、苦しみを知っておられる。そして投げ出さず続けてゆく力がおありになる。ですから大丈夫にございますよ。この、高遠めが付いております。決しておひとりにはいたしませぬ。どうぞ自信を持って描き続けてくだされ」

 須磨は驚きを持って高遠を見つめ、やがて泣きそうな笑顔で言った。

「はい……。高遠さまがいらっしゃいますものね」

 微笑むことはできなかったが握った手から伝わるものがあればいいと高遠は祈りたい気持ちだった。


 ***


 須磨の告白を聞いてから、高遠はより一層、出版にむけて集中した。

『財政難を救う』

 その一念だったが、そこに人の思い――願いを感じるようになったのだ。須磨にとって絵だけが心の支えだったのならば、せめて、その努力を形にしたい。あなたの努力は無駄ではなかったのだと伝えたい。
 御年寄りとして甘い考えだろう。大奥で働くすべての女たちに同じことはしてやれない。しかし、己も一人部屋を得て小説を書くために血の滲む思いで努力してきた結果、今の地位があるの。ならば須磨の努力が報われることがあってもいいはずだ。
 
 慌ただしい年末が過ぎ、一月四日の弾初ひきはじめの翌日の五日。鶴屋の女将、佐枝が登城した。
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