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7話 大奥は金欠です~絶望 肆
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「面白い、だと……?! 子を儲けぬ不毛な関係のなにが面白いのだ。上様にお仕えする身でありながら不埒極まる趣味じゃ。このような穢れたものを読むものではない!」
「誠に申し訳ございません……」
須磨は頭を垂れて詫びた。
地味な須磨の意外な一面に、皆、一様に驚きを隠せなかったが、やはり書いた犯人ではないと視線は語っている。
「下がってよい」
塩沢のひと言に須磨は逃げるように退室した。
詮議は子のいない三十~四十代の御中臈と続き、お部屋さまやお腹さまへと移ったが、「子の教育に相応しからぬものは持たぬ」ともっともな言い分で、彼女たちも除外された。
「結局、御中臈たちのなかに犯人はいなかったのう」
塩沢は扇子をパチンパチンと鳴らしながら、ふうとため息を吐いた。
「そうですな。本を見せたときの表情や、中身を改めている際の態度を注意して見ておりましたが、動揺の色もなく、疑わしい者はおりませんでした」
金崎の言葉に叶や中野、そして忘れずに高遠も相槌を打つ。
「となると、一体誰が書いたのか……」
中野がぽつりと呟く。その言葉に塩沢は反応する。
「犯人は見つからなかったが、男色本に興味を示す御中臈の多かったことは事実じゃ。まったく、大奥をなんと考えておるのか。実に嘆かわしいことよ」
叶は、すかさず、
「そうですわね。大奥の品位が落ちている証拠です。本当に嘆かわしいことですわ」と同調する。金崎も、
「大奥で男色本を嗜むなどとんでもないこと。厳しく罰する規則を作りませぬと」と頷いている。
どちらかと言えば、男色本などというニッチな趣味を持つ者は、周囲に知られないように、さも、そんな趣味などありませんよと振る舞いながら働き、夜ひっそりと本を読んでウハウハとする生き物なので、周囲の品位を落とす真似などしないのだが。
と、言いたいが、うん、きっと理解されない。
高遠はその後も、したり顔で、ふむ、そうでございますなと相槌を打ちながら過ごし、塩沢の決断を待った。
「これ以上、話し合っても犯人はわかるまい。それより風紀の乱れが問題じゃ。今後、買う本は中身を改め、好色本や男色本を購入したものは処罰すると定める」
「――御意」
その決断は速やかに大奥全員に申し渡されることになった。
大奥から滅多に出ることのできない女たちにとって、読書は大きな娯楽だ。そこに規制がかかることは残念に思うだろう。
特に須磨にとっては大きな痛手に違いない。しかし、高遠は無事、犯人探しから逃げ切ることができた。
――本当にバレなくてよかった。
ホッとして退室し、部屋へ戻ろうとした。――と、
「高遠殿、少しよろしいか」
叶が呼び止めた。
「はい、なんでございましょう」
「こちらへ」
叶は廊下の奥に向かって歩を進める。仕方ないので着いていく。ようやく立ち止まると辺りを窺い、高遠の耳元でささやくように問うた。
「あの本のことなのですが……書いたのは高遠殿ではありませぬか?」
一瞬息を呑む。
どこでバレたのだ?
が、鉄面皮の異名を取る顔は表情を崩さなかった。できる限り感情を込めないように返事する。
「――いいえ。まさか」
「乱筆でしたが、ところどころの字は、高遠殿の筆跡に似ておりましたよ?」
さすが時期大奥総取締役候補。よく観察している。
――ここで嘘を吐いても、叶殿からは逃げられまい。ああ、やはり神から見捨てられたのだ。しかし、最後に読者に出会えたことは幸いであった。さようなら。ありがとう。
観念した高遠は沈黙したまま首肯した。
「やはり、高遠殿でしたか。まさかとは思っていましたが……」
鎌を掛けられたのか。しまった。なんという痛恨の極み。
しかし、後悔しても後の祭りだ。
叶は塩沢に話すだろう。もう己の命運は尽きたのだ――。
「黙っていなさい」
「……え?」
叶を見つめる。
「先ほども聞いたとおり、塩沢さまは大奥の品位が落ちていることを嘆いておられます。まして、御年寄である、高遠殿が犯人であったと知ればどうなるか。書くことは咎めませぬが、決してバレないようにしなされ。よろしいですね?」
「……はい」
辛うじて返事をすると、叶はなんとも言えない微かな笑みを残して、静かに立ち去っていった。
遅れてドッと汗が噴き出し、心臓はドクドクと痛いほど音を立てる。
――た、助かったのか……?
胸元に手を当てて浅い呼吸を繰り返す。
叶の本心はわからないが、ギリギリのところで生き延びたことは確かだ。しかし、今後、叶に頼みごとをされれば頷くしかなくなった。嫌でも叶の派閥寄りにならざるを得ない。
――ううむ、なんという策士か。
これが大奥総取締役を狙う者の手腕なのだ。
美貌の裏には、権力を争う狡猾さが潜んでいる。背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、高遠も急いでその場を離れた。
「誠に申し訳ございません……」
須磨は頭を垂れて詫びた。
地味な須磨の意外な一面に、皆、一様に驚きを隠せなかったが、やはり書いた犯人ではないと視線は語っている。
「下がってよい」
塩沢のひと言に須磨は逃げるように退室した。
詮議は子のいない三十~四十代の御中臈と続き、お部屋さまやお腹さまへと移ったが、「子の教育に相応しからぬものは持たぬ」ともっともな言い分で、彼女たちも除外された。
「結局、御中臈たちのなかに犯人はいなかったのう」
塩沢は扇子をパチンパチンと鳴らしながら、ふうとため息を吐いた。
「そうですな。本を見せたときの表情や、中身を改めている際の態度を注意して見ておりましたが、動揺の色もなく、疑わしい者はおりませんでした」
金崎の言葉に叶や中野、そして忘れずに高遠も相槌を打つ。
「となると、一体誰が書いたのか……」
中野がぽつりと呟く。その言葉に塩沢は反応する。
「犯人は見つからなかったが、男色本に興味を示す御中臈の多かったことは事実じゃ。まったく、大奥をなんと考えておるのか。実に嘆かわしいことよ」
叶は、すかさず、
「そうですわね。大奥の品位が落ちている証拠です。本当に嘆かわしいことですわ」と同調する。金崎も、
「大奥で男色本を嗜むなどとんでもないこと。厳しく罰する規則を作りませぬと」と頷いている。
どちらかと言えば、男色本などというニッチな趣味を持つ者は、周囲に知られないように、さも、そんな趣味などありませんよと振る舞いながら働き、夜ひっそりと本を読んでウハウハとする生き物なので、周囲の品位を落とす真似などしないのだが。
と、言いたいが、うん、きっと理解されない。
高遠はその後も、したり顔で、ふむ、そうでございますなと相槌を打ちながら過ごし、塩沢の決断を待った。
「これ以上、話し合っても犯人はわかるまい。それより風紀の乱れが問題じゃ。今後、買う本は中身を改め、好色本や男色本を購入したものは処罰すると定める」
「――御意」
その決断は速やかに大奥全員に申し渡されることになった。
大奥から滅多に出ることのできない女たちにとって、読書は大きな娯楽だ。そこに規制がかかることは残念に思うだろう。
特に須磨にとっては大きな痛手に違いない。しかし、高遠は無事、犯人探しから逃げ切ることができた。
――本当にバレなくてよかった。
ホッとして退室し、部屋へ戻ろうとした。――と、
「高遠殿、少しよろしいか」
叶が呼び止めた。
「はい、なんでございましょう」
「こちらへ」
叶は廊下の奥に向かって歩を進める。仕方ないので着いていく。ようやく立ち止まると辺りを窺い、高遠の耳元でささやくように問うた。
「あの本のことなのですが……書いたのは高遠殿ではありませぬか?」
一瞬息を呑む。
どこでバレたのだ?
が、鉄面皮の異名を取る顔は表情を崩さなかった。できる限り感情を込めないように返事する。
「――いいえ。まさか」
「乱筆でしたが、ところどころの字は、高遠殿の筆跡に似ておりましたよ?」
さすが時期大奥総取締役候補。よく観察している。
――ここで嘘を吐いても、叶殿からは逃げられまい。ああ、やはり神から見捨てられたのだ。しかし、最後に読者に出会えたことは幸いであった。さようなら。ありがとう。
観念した高遠は沈黙したまま首肯した。
「やはり、高遠殿でしたか。まさかとは思っていましたが……」
鎌を掛けられたのか。しまった。なんという痛恨の極み。
しかし、後悔しても後の祭りだ。
叶は塩沢に話すだろう。もう己の命運は尽きたのだ――。
「黙っていなさい」
「……え?」
叶を見つめる。
「先ほども聞いたとおり、塩沢さまは大奥の品位が落ちていることを嘆いておられます。まして、御年寄である、高遠殿が犯人であったと知ればどうなるか。書くことは咎めませぬが、決してバレないようにしなされ。よろしいですね?」
「……はい」
辛うじて返事をすると、叶はなんとも言えない微かな笑みを残して、静かに立ち去っていった。
遅れてドッと汗が噴き出し、心臓はドクドクと痛いほど音を立てる。
――た、助かったのか……?
胸元に手を当てて浅い呼吸を繰り返す。
叶の本心はわからないが、ギリギリのところで生き延びたことは確かだ。しかし、今後、叶に頼みごとをされれば頷くしかなくなった。嫌でも叶の派閥寄りにならざるを得ない。
――ううむ、なんという策士か。
これが大奥総取締役を狙う者の手腕なのだ。
美貌の裏には、権力を争う狡猾さが潜んでいる。背中に冷たい汗が流れるのを感じながら、高遠も急いでその場を離れた。
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