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5話 大奥は金欠です~絶望 弐

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 気分がすぐれないどころか、地獄へ片足を踏み入れた事実に絶望のどん底だ。

「……いや、よい。少々ひとりにしてくれ……」

 そう頼み、ひとりきりになった部屋にぽつねんと座りこんだ。

 ――どうしよう……。一体どうしたらいいのだろう。なにか、なにか策はないか? 誰にも知られず九冊を取り戻す方法は。

 必死に考えるが、考えても考えても、どうにもならない結論しか出てこない。

 ――ああ、金崎殿が喧嘩の仲裁に入ってくれていたら。なぜ自分で本を渡さなかった。いや、油断して出しっぱなしにした自分が悪い。しかし、しかし……。これは酷すぎませぬか神よ!

 作者が自分だとバレたら身の破滅だ。間違いなくお役御免となり大奥を去らねばならない。
 悠々自適の老後は今まさに崩れようとしていた。
 高遠はのたうち回り、畳をかきむしり、文机に突っ伏し、必死になって考え抜いて、ようやくひとつの回答を得た。

 ――よし。知らぬ存ぜぬを貫こう。

 まさか自分が書いたなどと誰も思わないはずだ。これを逆手に取るのだ。皆と同じく『どこの誰が?』という騒ぎに乗っていればいい。

 ――下手に口を開かず、黙って動向を見守る。

 高遠は生まれて初めて、表情筋が死んでいる自分の顔に感謝した。


 ***


 翌日、大奥総取締役、塩沢から招集がかかった。
 高遠が危惧きぐしたとおり男色本の件だった。塩沢がおもむろに口を開く。

「先日、表使おもてつかいが回収した本のなかに由々しき本が紛れ込んでおった」
「由々しき本とは、どのようなものにございますか」

 早速、叶が問いかける。

「うむ。……それが男色本だったのじゃ」
「だっ、男色本!?」

 叶だけでなく、皆も驚く。もちろん高遠もそれに乗る。
 金崎など、穢らわしさに耐えられないとばかりに口を覆っている。
 その様子を窺いつつ塩沢は続ける。

「全九巻で構成されており、出版の出所でどころが明記されておらず、消したり、書き足したりと、明らかに個人が書いたものとわかるものであった。字は乱れており、筆跡から特定することは難しい」

 御年寄四名に本が回される。
 間違いなく高遠が書いたものだ。皆はパラパラとページをめくっていく。
 高遠もそれに乗る。

 ――書いておいてなんだが酷い字だな……。

 訂正した箇所や、注釈など、高遠でなければ解読できない文字も多い。乗っているときは勢いで書いてしまうので、文字が『芸術は爆発だ』をかましている。

「……おそろしく汚い字ですな……」
「ええ。ここら辺りはまるで読めませぬ」
「このページなど真っ黒ですぞ」

 ――すみません。

 いたたまれなくて内心謝罪する。しかし一度で正解の文章など、書けないのですと付け加えたかった。
 だが、自分が作者だと知られないことを第一に考えなくてはならない。

「まったく、そうですな」

 と、同調することに専念した。
 最終ページまでたどり着いた金崎がポツリと呟く。

「しかし衆道しゅうどうを書くなど……。品性を、いえ、人格を疑いまする。このような悪しき書物などこの世から無くなればよいのに」

 そこまで言わなくてもいいでしょう、と少し凹む。
 世の中の表現すべてが、自分の好みに添うなどあり得ないと金崎には理解できないのかもしれない。気に入らなければ見ない選択肢は与えられているのだから、踏み込まなければいいだけのことだ。
 自分が許せないものを消してしまうというのは、とても身勝手で傲慢な考え方だ。

「高遠。顔が張り詰めておるぞ。読んでいて気分が悪くなったのか?」

 塩沢の声に、「いいえ」と答える。

 ――本当に感情が出ない鉄面皮でよかった。

 声をかけた塩沢はため息を吐き、続けて言った。

「見てのとおり、誰かが趣味で書いたものじゃ。しかし、男色本であろうと最後まで書き上げておる。少なくとも教養がある者でなければ無理じゃ。誰が書いたか取り調べるにあたり、どこから手を付けたらよいか決めたいと思い、皆を呼んだ」

 ――調べるのか……。

 一気に気が滅入った。

『今後、購入する本は内容を改める』

 で、終わればと薄い望みを掛けていたが、犯人探しをするつもりだ。

 ――今まで書いてきた三作は早急にここ大奥から脱出させなければならぬ。機密文書だと偽り、実家に避難させよう。

 高遠が自作品の避難場所を考えていると、金崎がしかめっ面で言った。

「このような穢れたものを書くなど、暇を持て余している者でしょう。れっきとしたお役目を果たしている者は除外してもよろしいかと存じます」

 他の御年寄たちは「うーん」と唸っている。
 高遠も唸ってみる。そこへ叶が、

「しかし、お目見めみえ以下の者たちは仕事が多く、書く余裕がありましょうか? それに紙は高こうございます。ふんだんに買える銭は持っておらぬでしょう。それに女中とて、身元確かな者であり、大奥奉公ほうこうにあがるための教養は身につけております。一作を書きあげる者がいたとしても不思議ではないかと」と見解を述べた。

 金崎や叶ほど前に出ない中野も、

「そうなると、お目見え以上の者たちも対象に加えなければなりませぬな」と同意した。

 叶は塩沢に向き合い、

「疑いたくはございませぬが……御中臈おちゅうろうたちのなかにいる可能性が高いかと考えます。おしとねすべりをした者や、お声がかからぬ者らは二十名以上おりますし、皆、暇を持て余し、刺激を求めております」
御中臈おちゅうろうか……」

 塩沢は考え込む。
 皆が固唾を呑んで見守った。塩沢は全員を見渡し、決断を述べた。

「では、まず、御中臈から詮議せんぎいたすとしよう。それで見つからなければ、改めて衆議しゅうぎを開くこととする」
「――御意ぎょい

 全員が手を突いて頭を垂れる。
 こうして、御中臈たち三十名の聞き取り調査が決まった。
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