だから今夜は眠れない

東雲紫雨

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姫君には鍵をかけて

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       ⅩⅠ

「あんなカラクリがあったとはね」
 夕暮れの迫る海浜公園で、遊具にまたがっていた祐介が呟いた。
「ああ。だが、これならフランス人が躍起やっきになるのもわかる。―――連中は、ナチが大嫌いだからな」
 浩平がうまそうに煙草ダンヒルを吹かしながら応えた。
「ネオ・ナチかぁ」
「諜報局が関与しているわりに、その理由が死んだ王妃のため、というのがどうも感傷的すぎて今一つピンとこなかったんだが、これで納得がいく」
 気持ちよく紫煙を吐き出した浩平は、ふと祐介を一瞥いちべつした。
「…おまえこそ、あの人形に秘密があると、よくわかったな」
「ああ、あれな。カマかけたんだ。カオルさんが、いわくのありそうな値打ちもんだって言ってたから」
 悪びれた様子もなく、しれっとした顔で応える祐介に、浩平はクッと笑った。
「動物並みだな、おまえの勘は」
 少女は砂場で人形を相手にままごと・ ・ ・ ・に興じている。頬杖をついた祐介が、その姿を遠目に見ながら低く言った。
「母親の代わりなんだぜ、きっと」
 浩平が怪訝けげんそうに祐介を見返すと、彼は肩を竦めた。
「あれって、フランス製だろ?」
「ああ、それで片時も離さずに…」
 頷いて煙草を口に運びかけた浩平が、不意に手を止めた。頭の中に何かが引っ掛かったのだ。
 ビスクドールは、フランス人の王妃を自然と連想させる。恐らく、この件に深く関わる者ならば誰もが躊躇ちゅうちょなくそう思うだろう。
 それが、公国の人間であれば尚更である。
「―――国王に準じる者…か」
「ああ?」
 今度は祐介がいぶかしそうに顔を上げた。
「王妃のことだ。地位も権力も、国内では王に準じている。人形に秘密があるとしたら、たぶんその辺りだろう。そうでなければ王女のほかに、人形も・ ・ ・奴らの狙いに入っているという説明がつかん」
「けど、いくら値打ちもんでもアンティークドールはせいぜい数百万ってとこだぜ。権威の象徴にしちゃ安くねーか? 王家には財産があるんだろ」
 祐介の言葉に、浩平は腕組みをした。
「さあな。口振りからいって、奴らも実際に見たというわけではないようだったが…」
 その視線が、一人遊びに熱中している少女のほうに流れた。
「…リトル・プリンセス、と言っていたな」
 サングラスの下で、浩平は目を細めた。
「てっきり王女のことだと思っていたが…」
「なんだよ、わかるように話せ」
 祐介がじれったそうに体を揺すった。浩平は、じっと視線を固定したまま口を開いた。
「―――絵に描いた餅・ ・ ・ ・ ・ ・を、信じるに足る何かがあるんだ」
「第三帝国がどーのってやつか?」
「ああ。それと、王家の財宝だ」
 浩平は大股で砂場に歩み寄ると、いきなり人形を摑み上げた。びっくりしている少女をすかさず祐介が抱き上げる。
 やがて、人形を丹念に調べていた浩平が、薄く笑って祐介に目を移した。
「見ろ、ユースケ。これが、その見せ金・ ・ ・だ」
 そう言って、彼はレースのえり飾りを指した。
 真ん中に、グリーンのきれいなブローチをめた上等な襟飾りカラーである。少女も同じデザインの服を着ていたが、ブローチはめていなかった。
「エメラルドだ。見えているのは4分の1程度だが、恐らく最高級のものだろう」
「ええっ⁉ マジかよ!」
「ああ。ただし、これはイミテーション・ ・ ・ ・ ・ ・ ・だ」
「はあ?」
 祐介が拍子抜けしたような声を出した。
「おまえんとこの家主も、それに気付いたんだろう」
「そ…か、だから気をつけろって…」
「これだけ精巧な模造品イミテーションがあるってことは、本物が存在するってことだからな」
 浩平は、ふと皮肉っぽく口元を歪めた。
「大きさからいっても、時価で百万ドル・ ・ ・ ・は下らないだろう」
「い―――いちおくえん⁉」
「こんなものがゴロゴロしていると囁かれたら、誰だってその気になる。…嘘か本当かは別にしてもな」
 すると、祐介がパチンと指を鳴らした。
「それを、誰が吹き込んだかだ」
「…そうだな」
 浩平は薄く笑って煙草をくわえた。
 潮風が夕凪ゆうなぎを蹴って吹き抜けた。
 薄暗くなりはじめた波打ち際が白く泡立っている。水平線は真っ赤に染まり、南天から群青色が海に向かってグラデーションに溶けだしていた。
 夜の闇がすべてを覆い尽くす時刻ときは、すぐそこに迫っていた。

 木立の陰に止めたワンボックスカーの中で、ローゼンシュタイン公国の若者たちがさざめいた。
「今なら、あの二人を射殺して、王女を奪い返せます」
「我々に今一度チャンスを!」
「少佐‼」
 だが、同乗の銀髪の男は冷ややかだった。
「恥の上塗りだな」
 彼は、はやる部下たちを見下すように顎を上げた。
「軍にも、諜報機関にも属していない、ただの民間人・ ・ ・を狙撃するのか?」
 そして、苛立いらだちを押し殺したような仕草で髪を掻き揚げ、ふんと鼻を鳴らした。
「後世の語りぐさになるだけだ。公国きってのエリートが無能ぶりを露呈したとな」
 部下たちは息を呑んでうなだれた。
「雪辱の機会はくれてやる。だが、彼らにも敬意を表する・ ・ ・ ・ ・ ・べきだろう。選ばれた者であるおまえたちと互角に…いや、それ以上に渡り合ったのだからな」
 彼らのプライドは充分に傷ついていた。その傷口をえぐるように言った銀髪の男は、冷淡に目を細めた。
「―――悔しければ、二度と同じ過ちを犯さぬことだ」
 部下たちの死んでいた瞳に力がみなぎってきた。それを見届けた彼は、おもむろに口を開いた。
「たった二人を相手に、大勢で対峙たいじするのも物笑いだ。………ハインツ、エーリヒ。私と一緒にこい。ほかの者たちは散開して周囲を包囲しろ。またSDECEスデスに邪魔をされてはかなわん」
 その言葉に部下たちは顔をこわばらせたが、彼は構わず、さらに冷たく言い放った。
「裏切り者の詮索は、ここが片付いてからにするとしよう」
 疑いの視線が飛び交う中、銀髪の男は黒髪の若者ともう一人を連れて車の外に出た。

 いつしか辺りは、白々とした街灯の明かりが目立つようになった。
 潮騒しおさいに混じって、砂を踏む靴音が聞こえはじめた。その音は次第に近づいてくる。
 浜辺におりて波とたわむれていた祐介は、海を背にして少女をかばうと、薄暮はくぼの闇にじっと目を凝らした。
 見覚えのある黒髪の若い外国人の男が、銀髪の紳士を伴ってやってきた。
「色男が、台無しだな」
 祐介はクスッと小さく笑って言った。彼らのまぶたはまだれぼったく、小鼻はうっすらと赤みを帯びている。
 催涙ガスの後遺症だった。
「もう一人はどうした」
 英語の問いに、澱んだ薄暗がりから応える渋い声がした。
「おれなら、ここにいる」
 波消しブロックにもたれていた浩平が、悠然と煙草に火をつけた。
 相変わらず人を食ったような二人の態度に、外国人たちは苦々しい表情を浮かべ、懐中に手を差し込んだ。
「水族館での礼をさせてもらうぞ」
「まだやんのかよ、凝りねーな」
 祐介が不敵な笑みを見せた。
 銀髪の男が、一歩も動かず煙草をくゆらせる浩平を返り見た。
「手を貸さんのか?」
「…必要ないからな」
 淡々と紫煙が吐き出された。
 銀髪の男はその言葉を確かめるべく、彼から目を離した。
「ここでは催涙ガスは使えんぞ」
 黒髪の若者が、おもむろに懐中ふところの手を抜き出そうとしたときだった。一瞬、祐介が片膝を折るような格好をした次の瞬間、外国人たちは派手に砂を浴びせられていた。
「この…ッ!」
 もう一人が砂を振り払い、銃を引き抜く。
 祐介は服の下からスリングショットを抜くと、銃を構えたその手めがけて鉄の弾丸を正確に放った。同時に砂浜を駆けあがり、黒髪の若者に足払いをかけると、倒れた体を組み敷き、銃を持った右手を踏みつけて、再び鉄球を仕込んだスリングショットを構えた。
 ものの数秒のことだった。
 銃をち落とされた男が、しびれる手で咄嗟とっさに足元の銃を拾おうとする。
 だが、それは小さな砂煙にはばまれた。
「…やめときな。おれはここから、あんたの目玉をり貫くこともできる。その顔が二目と見られないシロモノになったら、総統閣下のそばにも寄せてもらえなくなるぜ」
 成り行きを見定めていた銀髪の男が、溜め息混じりに口を開いた。
「もういい、エーリヒ。無駄に血を流すこともなかろう」
 ドイツ語で部下を制したあと、彼は浩平に向かって英語で言った。
「ずいぶん喧嘩けんか慣れしているな」
 浩平は黙って肩を竦めた。銀髪の男は部下に向き直ると、厳しい口調で叱責しっせきした。
「立て、ハインツ。いつまで不様に寝そべっている」
 黒髪の若者は、祐介の足の下で戦意を喪失した。力の抜けた指から銃を取り上げた祐介は、もう一人のほうに銃口を向けながら彼を解放し、二人を退ける素振そぶりをした。
「近衛部隊の精鋭が、こうもあっさりあしらわれるとはな」
 アイスブルーの瞳を注がれた祐介は、二丁の銃から弾倉マガジンを抜くと、からの銃を外国人たちの足元に投げ返した。
 銀髪の男が、静かに銃を抜いた。
 薄暮に霞んだせいもあっただろうが、それとわからぬほどの、さり気ない流麗な仕草であった。そして、その照準はぴたりと浩平の左胸に据えられた。
 祐介が反射的に身構える。
「やめておけ。その弾弓を構えるのと、私が引き金を引くのとどちらが早いと思う。この距離なら狙いは外さん」
 銀髪の男は英語で言ったが、警告の意図は伝わった。
(役者が違うな。殺気をまったく感じさせずに銃を抜きやがった…)
 祐介は、ちらりと浩平を見た。
 浩平は波消しブロックに寄りかかったまま、煙草を燻らせていた。
「…ガバメントか。よく手入れしてある」
 渋い美声が低く響いた。
 銀髪の男は冷ややかに目を細めた。
「あのとき、私の忠告・ ・に従っておくべきだったな。―――運が悪かった・ ・ ・ ・ ・ ・か?」
「そうでもないさ」
「…まあいい。彼に、王女を連れてくるように言いたまえ」
 浩平は、黙って短くなった煙草から手を離した。すると、その吸い殻が足元でぱっと火の粉を散らして粉々になった。
「私は、お願いしているのではない」
 サイレンサーのついた銃口から、細い硝煙しょうえんが立ち昇っている。
「二度目はないぞ」
 凍りつくような眼差しに、浩平が溜め息をついたときだった。
「そこまでにしてもらいましょうか」
 砂浜に、りんとした若い女の声が響いた。
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