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V.I.Pにご用心
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Ⅶ
由樹彦は窓際に歩み寄った。
見下ろすと、ホテルの前の幹線道路はすでにびっしりと朝の渋滞に埋まっている。少し曇った窓枠の端から、信号に押し出された傘の花が交差点の向こうにゆらゆらと波打っていた。
鏑木浩平も秘書の京極冴子も思わず動きを止め、飄々とした少年の静かな背中をじっと見つめた。
「……どういうヤツなんだ、おまえの兄貴って」
呆気に取られていた浩平がようやく絞りだすように訊ねると、由樹彦は降りしきる雨を眺めながら溜め息混じりに応えた。
「困った人です。他人の持っているものがなんでも素晴らしい値打ち物に見えるんです。そのくせ、奪い取って自分のものにしてしまうと、途端に飽きて放り出してしまうような人なんです」
「―――思いっきり厭なヤツだな…」
うっかり口に出してしまってから、浩平はすぐに小さく「失礼」と付け足した。
「本当に、子供みたいな人です」
由樹彦は冷ややかに笑って目を細めた。
(…17のガキからこう言われちまったら、立場がないだろう)
浩平は煙草に火をつけながら、由樹彦の兄という人物に同情していた。
「だが、なぜ兄貴が関わっていると思うんだ?」
「事実は疑いようがありません。すべてが、裏に兄の存在を示しているんです」
由樹彦は確信を持って断定的に言い放った。
「鏑木さんは、昨日の連中の一人が言った言葉を覚えていますか? あのとき、あなたの動きを封じるためには、僕を人質に取るのが一番の方法だったはずだ。現にそうしようとした者が確かにいた。なのに…」
「そいつにかまうな、とか言ってたな」
「ええ。あれは、明らかに僕が何者であるか知っている口振りでした。きっと事前に何か吹き込まれていたんでしょう。普通ならああいう反応はしませんからね」
淡々と語る由樹彦の声は、彼がまだ十代の少年であることを忘れさせるほど冷徹だった。
浩平は呆れたように肩を竦めた。
(やっぱり並みの神経じゃない…。あの状況で事態をこう冷静に分析していられるとは)
それに…と、由樹彦が不意に言い継いだので、浩平は慌てて煙草をくわえた。
「実家に戻ったとき、次兄はやけにあなた方に興味を示していたんです。いつものことなので適当にあしらっておきましたが、あの人はとても執拗で、執念深い人ですから」
由樹彦は、クスッと小さく吹き出した。
「昔からそうでした。人が新しいものを手に入れると、すぐに興味を持って……よほど、あなた方のことが気になったんでしょうね」
口を噤んだ彼は微かに肩を揺すり、そしてゆっくりと振り返った。
「―――次兄は、親しくしている人間に命じてあなた方を狙わせた。…僕を脅迫してきたのは恐らくその人物でしょう」
口元の微笑みが三日月のように裂けていた。背筋を凍りつかせる、ぞっとするような妖しい笑みだった。
さすがの浩平も、それには思わず呻き声をあげそうになった。由樹彦が自ら称する悪党の血の為せる業だろうか、気の小さい人間なら卒倒しかねない迫力がその表情には滲んでいたのである。
浩平は、胸につかえた吐息を紫煙と一緒に吐き出した。
このままでは済みそうもない―――。
彼はしみじみ、由樹彦を脅迫している人物を気の毒に思った。
ふと時計を見ると、もうじき9時半になる。
「おまえ、試験じゃなかったのか?」
浩平が思い出したように言うと、由樹彦はどうでもよさそうに応えた。
「……いいんです、どうせ雨が降ってますから」
視界の隅で、ソファに腰掛けている冴子が慣れたように目を伏せていた。
由樹彦の横着ぶりに改めて呆れ返った浩平は溜め息をついて、くわえた煙草をじっくりと燻らせた。
そのころ有栖川祐介は、監禁場所の廃屋から連れ出され、車で移動中だった。
目隠しをされ、後部座席に押し込まれた彼は、それをいいことに高いびきを決め込んでぐっすりと眠っていた。
手足は針金で縛られたままだったが、それを気にする様子もない。
そのあまりのふてぶてしさと緊張感のなさに、強面の一人が苛立った様子で祐介の頭を激しく小突いた。
「いいかげんにしろ、このガキ」
祐介は大あくびをかまして悠長に笑った。
「…だって眠いんだもん。ゆーべのクスリがまだ残っててさ」
傍らで忌ま忌ましげな舌打ちが聞こえた。祐介はククッと喉を鳴らした。
「ところで、おたくの親分は?」
さっと険悪なムードが広がったが、祐介は気にも留めなかった。
「…おたくの親分さぁ、おれの携帯電話持ってっちゃったみたいなんだよな。困るんだよなー、あれないと…。女の子の名前いっぱい入ってるし、メールも来てるかもしんないしさ」
すると、運転席のほうから「ふん」と嘲笑うような鼻息が洩れた。
「そんな心配は、無事に取り引きが済んでからするんだな。もっとも、取り引きが済めばおまえは用済みだが…」
目一杯凄味をきかせた声だったが、祐介はけろりとした調子で言い返した。
「へえ…おたくの親分、おれにコンクリートの靴でも履かせる気なのかな」
「うちの社長は、そんなつまらんことはしないさ。せいぜい楽しみにしているんだな」
ふうん、と短く呟いた祐介は、取り立ててうろたえることもなく、再び生あくびを噛み殺したような風情で言った。
「ま、どーでもいいけど、あんまり退屈させないでくれよな。ただでさえゴツイにーさんたちとドライブなんて色気ねーんだから」
「こいつ…ッ」
「放っとけ、意気がっていられるのも今のうちだ」
男たちはむっとしたように口を閉ざした。そんな彼らを尻目に祐介は車のドアにもたれ、車体をたたく雨の音に耳を傾けていた。
(スピードはそんなに出てねえな。…せいぜい50~60㎞/hってとこか。これならいつでもなんとかなる―――)
その脳裏に、ふとある予感がよぎった。
(なんにもしねーと、あとでなに言われるかわかんねーもんなぁ……。だいたい、由樹彦は金なんか絶対に払わねえだろーし、それどころか…)
彼の口から、この世の終わりのような絶望的な溜め息がこぼれた。
(―――オッサンにおれの携帯電話使わせたから、おれが拉致されてるのはバレバレだしな~…)
祐介がじっと押し黙ったまま時折吐息を洩らしているのを見て、何を勘違いしたのか傍らの男が不意にせせら笑った。
「急におとなしくなりやがって。今ごろ怖くなってきたか」
一瞬顔を上げた祐介は、蔑むような深い溜め息をついた。
(バーカ、本当に怖いのは由樹彦のほうだ)
祐介はふと薄く笑った。
(―――今にわかるぜ、おまえらにも)
由樹彦は窓際に歩み寄った。
見下ろすと、ホテルの前の幹線道路はすでにびっしりと朝の渋滞に埋まっている。少し曇った窓枠の端から、信号に押し出された傘の花が交差点の向こうにゆらゆらと波打っていた。
鏑木浩平も秘書の京極冴子も思わず動きを止め、飄々とした少年の静かな背中をじっと見つめた。
「……どういうヤツなんだ、おまえの兄貴って」
呆気に取られていた浩平がようやく絞りだすように訊ねると、由樹彦は降りしきる雨を眺めながら溜め息混じりに応えた。
「困った人です。他人の持っているものがなんでも素晴らしい値打ち物に見えるんです。そのくせ、奪い取って自分のものにしてしまうと、途端に飽きて放り出してしまうような人なんです」
「―――思いっきり厭なヤツだな…」
うっかり口に出してしまってから、浩平はすぐに小さく「失礼」と付け足した。
「本当に、子供みたいな人です」
由樹彦は冷ややかに笑って目を細めた。
(…17のガキからこう言われちまったら、立場がないだろう)
浩平は煙草に火をつけながら、由樹彦の兄という人物に同情していた。
「だが、なぜ兄貴が関わっていると思うんだ?」
「事実は疑いようがありません。すべてが、裏に兄の存在を示しているんです」
由樹彦は確信を持って断定的に言い放った。
「鏑木さんは、昨日の連中の一人が言った言葉を覚えていますか? あのとき、あなたの動きを封じるためには、僕を人質に取るのが一番の方法だったはずだ。現にそうしようとした者が確かにいた。なのに…」
「そいつにかまうな、とか言ってたな」
「ええ。あれは、明らかに僕が何者であるか知っている口振りでした。きっと事前に何か吹き込まれていたんでしょう。普通ならああいう反応はしませんからね」
淡々と語る由樹彦の声は、彼がまだ十代の少年であることを忘れさせるほど冷徹だった。
浩平は呆れたように肩を竦めた。
(やっぱり並みの神経じゃない…。あの状況で事態をこう冷静に分析していられるとは)
それに…と、由樹彦が不意に言い継いだので、浩平は慌てて煙草をくわえた。
「実家に戻ったとき、次兄はやけにあなた方に興味を示していたんです。いつものことなので適当にあしらっておきましたが、あの人はとても執拗で、執念深い人ですから」
由樹彦は、クスッと小さく吹き出した。
「昔からそうでした。人が新しいものを手に入れると、すぐに興味を持って……よほど、あなた方のことが気になったんでしょうね」
口を噤んだ彼は微かに肩を揺すり、そしてゆっくりと振り返った。
「―――次兄は、親しくしている人間に命じてあなた方を狙わせた。…僕を脅迫してきたのは恐らくその人物でしょう」
口元の微笑みが三日月のように裂けていた。背筋を凍りつかせる、ぞっとするような妖しい笑みだった。
さすがの浩平も、それには思わず呻き声をあげそうになった。由樹彦が自ら称する悪党の血の為せる業だろうか、気の小さい人間なら卒倒しかねない迫力がその表情には滲んでいたのである。
浩平は、胸につかえた吐息を紫煙と一緒に吐き出した。
このままでは済みそうもない―――。
彼はしみじみ、由樹彦を脅迫している人物を気の毒に思った。
ふと時計を見ると、もうじき9時半になる。
「おまえ、試験じゃなかったのか?」
浩平が思い出したように言うと、由樹彦はどうでもよさそうに応えた。
「……いいんです、どうせ雨が降ってますから」
視界の隅で、ソファに腰掛けている冴子が慣れたように目を伏せていた。
由樹彦の横着ぶりに改めて呆れ返った浩平は溜め息をついて、くわえた煙草をじっくりと燻らせた。
そのころ有栖川祐介は、監禁場所の廃屋から連れ出され、車で移動中だった。
目隠しをされ、後部座席に押し込まれた彼は、それをいいことに高いびきを決め込んでぐっすりと眠っていた。
手足は針金で縛られたままだったが、それを気にする様子もない。
そのあまりのふてぶてしさと緊張感のなさに、強面の一人が苛立った様子で祐介の頭を激しく小突いた。
「いいかげんにしろ、このガキ」
祐介は大あくびをかまして悠長に笑った。
「…だって眠いんだもん。ゆーべのクスリがまだ残っててさ」
傍らで忌ま忌ましげな舌打ちが聞こえた。祐介はククッと喉を鳴らした。
「ところで、おたくの親分は?」
さっと険悪なムードが広がったが、祐介は気にも留めなかった。
「…おたくの親分さぁ、おれの携帯電話持ってっちゃったみたいなんだよな。困るんだよなー、あれないと…。女の子の名前いっぱい入ってるし、メールも来てるかもしんないしさ」
すると、運転席のほうから「ふん」と嘲笑うような鼻息が洩れた。
「そんな心配は、無事に取り引きが済んでからするんだな。もっとも、取り引きが済めばおまえは用済みだが…」
目一杯凄味をきかせた声だったが、祐介はけろりとした調子で言い返した。
「へえ…おたくの親分、おれにコンクリートの靴でも履かせる気なのかな」
「うちの社長は、そんなつまらんことはしないさ。せいぜい楽しみにしているんだな」
ふうん、と短く呟いた祐介は、取り立ててうろたえることもなく、再び生あくびを噛み殺したような風情で言った。
「ま、どーでもいいけど、あんまり退屈させないでくれよな。ただでさえゴツイにーさんたちとドライブなんて色気ねーんだから」
「こいつ…ッ」
「放っとけ、意気がっていられるのも今のうちだ」
男たちはむっとしたように口を閉ざした。そんな彼らを尻目に祐介は車のドアにもたれ、車体をたたく雨の音に耳を傾けていた。
(スピードはそんなに出てねえな。…せいぜい50~60㎞/hってとこか。これならいつでもなんとかなる―――)
その脳裏に、ふとある予感がよぎった。
(なんにもしねーと、あとでなに言われるかわかんねーもんなぁ……。だいたい、由樹彦は金なんか絶対に払わねえだろーし、それどころか…)
彼の口から、この世の終わりのような絶望的な溜め息がこぼれた。
(―――オッサンにおれの携帯電話使わせたから、おれが拉致されてるのはバレバレだしな~…)
祐介がじっと押し黙ったまま時折吐息を洩らしているのを見て、何を勘違いしたのか傍らの男が不意にせせら笑った。
「急におとなしくなりやがって。今ごろ怖くなってきたか」
一瞬顔を上げた祐介は、蔑むような深い溜め息をついた。
(バーカ、本当に怖いのは由樹彦のほうだ)
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