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V.I.Pにご用心
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Ⅴ
眠りから覚めた祐介を最初に襲ったのは、ひどい頭痛とめまい、それにしたたかな吐き気だった。
(ゆーべは…クラブで踊って、ショットバーで飲んで、ホテル入って、それから……それから………?)
ぐったりしたまま必死に頭を働かせたが、なぜか肝心の記憶がなかった。
(げっ…そこから先の記憶が…。なんてもったいない―――…)
溜め息をついた祐介は、だるくて重い体を無理矢理よじって、なんとか吐き気だけはやり過ごした。
(まあ、どっちみち―――こういう結末じゃ、あんまりイイ思いはしてねーだろうけど)
彼は、冷たくて硬い床に頭を預けた。
(あ~あ、またコーヘイにイヤミいわれるんだろーなぁ…)
げんなりと肩を落とした祐介の体は、実はほとんど自由の利かない状態だった。後ろに回された両方の手首も、足首も、かたく針金で縛りあげられていたのである。
あたりは薄暗く、全体に埃っぽい空気が漂っていた。音の響き具合から天井の高い建物の中のようだが、この寒々とした荒れ放題の有様は間違いなく廃屋であろう。
考えてみれば、昨夜は何もかもがうまく行き過ぎていた。これが調子にのって浮かれすぎた報いであれば、もう腹を括るしかない。
(ま、こんなところに招待したってことは、命まで取る気はないってことだよな)
祐介はおもむろに縛られている足を伸ばすと、そばにあったガラクタを力一杯けとばし、片っ端から薙ぎ倒した。
悪酔いしている頭にはガンガン響いたが、しばらくしてそのけたたましい物音に反応を示すドスのきいた声が飛んできた。
「やかましいぞ、静かにしろ!」
祐介は、ふやけた声で言い返した。
「あのー…明かりつけてもらえます? 暗いのコワイんですけど」
「ふざけやがってッ」
響き渡る罵声が頭痛に堪えた。だが、少なくとも見張りが一人いる。それを確かめたとき、突然、さっと白く眩しい光が彼を包んだ。
前触れもなく強烈なライトを浴びせられた祐介は、不愉快そうに目を細めた。
「どうだ? これでもう怖くないだろう」
凄みのある、嗄れた中年の太い声が背後で響いた。祐介が体をひねって顔を上げると、鋭いライトを背負った逆光の中に、人相のはっきりしない人影が立っていた。
「さすがに、お偉いさんは言うことが違うね」
祐介は転がったまま不敵に笑った。
「気分はどうだね」
「いいわけないっしょー…頭は痛いし、目は回るし、気持ち悪くて吐きそうだ」
中年の男はククッと喉を鳴らした。
「おもしろい小僧だ。見かけによらず度胸がいい。もちろん自分が今どういう状況にあるのか、わかっていて言っているのだろうな」
目を伏せた祐介は小さく肩を竦めた。
「こんな扱い、受ける謂れはないんだけど。クラブで抜群に目立ってた、ちょーイイ感じのビュリホのねーちゃん、ホテルにやっと連れ込んだのに―――ったく…こんな目に遭うなら、ヤる前にカンパイなんかしなきゃよかったぜ」
「世の中には毒入りの据え膳もあるってことがよくわかっただろう?」
「たいへんベンキョーになりました」
減らず口をたたいたあと、祐介は上目遣いにちらりと相手を見やった。
「美人局とはね。まあ、ぼったくりの後ろに黒服が控えてるご時世だ、別に驚きゃしないけど…ガラじゃないっしょ、おれらみたいなのから小金まきあげて簀巻きにするって」
目の前の人物には相応の雰囲気が備わっている。
これは三下のしのぎではない。考えられるとすれば、別の可能性だ。
「…どーやら、人違いってわけでもなさそうだな」
男は再び低く笑った。
「無論、人違いなどではないさ。だが、いささか買い被っていたようだ。もっとてこずるものと期待していたのに、こう呆気ないとはな」
その侮蔑に満ちた言い草に、祐介は憚らず大きな溜め息をついた。
「失望させて悪ィけど、見当ハズレだったんならさっさと解放してくんないかなぁ。おれ、もう手が痺れちゃって…」
「残念だが、そういうわけにはいかない」
男の声が薄暗い建物の中に冷酷に響いた。
「価値がなければ処分しろと言われているが、こちらも見込み違いで随分な散財をさせられたからな」
そして男は顎に手を当て、勿体つけるように間を置いてから、ゆっくりと言った。
「せっかくだから、買い取ってもらうことにしたよ。君の―――飼い主にな」
そのせりふに目を見開いた祐介は、息を呑んで相手を見返した。
「……いくらふっかける気だよ」
「米ドルで百万。安いもんだろう?」
男の応えに、祐介はとうとう我慢できずに吹き出した。
「そいつぁ豪気だ!」
彼は大声で笑い転げた。だが、やがて目の奥をキラリと光らせ、鋭く言い放った。
「…たかが犬一匹にそんな金、あいつが出すわけねーだろう。おれ以外に子飼いの人間がどれくらいいると思ってんだよ。代わりはいくらでもいるんだぜ?」
しかし、男は否定的に首を振った。
「いや…大道寺家の御曹司ならば、たとえ半値にまけたとしても払えない額じゃない。十倍の掛け値など実益を得るための常套だ。相手はしょせん子供、切り札の使い方もちゃんと考えてある」
祐介は「ふうん」と鼻を鳴らした。
男は、そのまま踵を返した。交渉相手に諮るのは容易に想像がつく。一計を案じた祐介は、その背に向かって素早く声をかけた。
「そうだ、電話ならおれのを使えよ。あっちはセキュリティーが厳しくて、着信表示で怪しまれたらすぐに通報されるのがオチだぜ。おれの携帯電話なら、アドレス入ってるから間違いなくあいつにつながるし」
抜け目のない祐介の言葉に立ち止まった男は、少し考えたあと、わずかに顎を上げた。
男の指示で、強面の二人の配下が縛りあげられている祐介に近づき、服のポケットから携帯電話を取り上げた。
「この私を出し抜こうなどと、思わないほうが身のためだぞ」
凄みのある嗄れ声で男が低く呟いた。
祐介はふと笑って、傲慢な目つきで相手を見据えた。
「そんなつまんねー心配があんたの長生きの秘訣なら、さっさと組なんか畳んじまうんだな」
すると、そばにいた強面が乱暴に彼の髪を鷲摑みにして凄んだ。
「このガキ、二代目に向かって…」
「よせ、小僧の戯言だ」
強面を制した男は、不愉快そうに顔をしかめている祐介を見下ろすと、落ち着き払った口調でこう言った。
「…私も、できるだけ穏便に話をつけたいと思っていたところだ」
(―――かかった)
祐介はニヤリと笑った。
男が、配下から渡された携帯電話を無言で操作しだすと、まもなく電話口から微かな呼び出し音が聞こえてきた。
(呼び出してるってことは、通話圏外じゃなさそうだな)
祐介は目を閉じ、ほくそ笑んだ。
(あいつをあんまり見縊ると、痛い目にあうぜ、オッサン)
その日、由樹彦の携帯電話が珍しく鳴り響いたのは、前夜からの雨が音もなく降り続く朝8時過ぎのことだった。
眠りから覚めた祐介を最初に襲ったのは、ひどい頭痛とめまい、それにしたたかな吐き気だった。
(ゆーべは…クラブで踊って、ショットバーで飲んで、ホテル入って、それから……それから………?)
ぐったりしたまま必死に頭を働かせたが、なぜか肝心の記憶がなかった。
(げっ…そこから先の記憶が…。なんてもったいない―――…)
溜め息をついた祐介は、だるくて重い体を無理矢理よじって、なんとか吐き気だけはやり過ごした。
(まあ、どっちみち―――こういう結末じゃ、あんまりイイ思いはしてねーだろうけど)
彼は、冷たくて硬い床に頭を預けた。
(あ~あ、またコーヘイにイヤミいわれるんだろーなぁ…)
げんなりと肩を落とした祐介の体は、実はほとんど自由の利かない状態だった。後ろに回された両方の手首も、足首も、かたく針金で縛りあげられていたのである。
あたりは薄暗く、全体に埃っぽい空気が漂っていた。音の響き具合から天井の高い建物の中のようだが、この寒々とした荒れ放題の有様は間違いなく廃屋であろう。
考えてみれば、昨夜は何もかもがうまく行き過ぎていた。これが調子にのって浮かれすぎた報いであれば、もう腹を括るしかない。
(ま、こんなところに招待したってことは、命まで取る気はないってことだよな)
祐介はおもむろに縛られている足を伸ばすと、そばにあったガラクタを力一杯けとばし、片っ端から薙ぎ倒した。
悪酔いしている頭にはガンガン響いたが、しばらくしてそのけたたましい物音に反応を示すドスのきいた声が飛んできた。
「やかましいぞ、静かにしろ!」
祐介は、ふやけた声で言い返した。
「あのー…明かりつけてもらえます? 暗いのコワイんですけど」
「ふざけやがってッ」
響き渡る罵声が頭痛に堪えた。だが、少なくとも見張りが一人いる。それを確かめたとき、突然、さっと白く眩しい光が彼を包んだ。
前触れもなく強烈なライトを浴びせられた祐介は、不愉快そうに目を細めた。
「どうだ? これでもう怖くないだろう」
凄みのある、嗄れた中年の太い声が背後で響いた。祐介が体をひねって顔を上げると、鋭いライトを背負った逆光の中に、人相のはっきりしない人影が立っていた。
「さすがに、お偉いさんは言うことが違うね」
祐介は転がったまま不敵に笑った。
「気分はどうだね」
「いいわけないっしょー…頭は痛いし、目は回るし、気持ち悪くて吐きそうだ」
中年の男はククッと喉を鳴らした。
「おもしろい小僧だ。見かけによらず度胸がいい。もちろん自分が今どういう状況にあるのか、わかっていて言っているのだろうな」
目を伏せた祐介は小さく肩を竦めた。
「こんな扱い、受ける謂れはないんだけど。クラブで抜群に目立ってた、ちょーイイ感じのビュリホのねーちゃん、ホテルにやっと連れ込んだのに―――ったく…こんな目に遭うなら、ヤる前にカンパイなんかしなきゃよかったぜ」
「世の中には毒入りの据え膳もあるってことがよくわかっただろう?」
「たいへんベンキョーになりました」
減らず口をたたいたあと、祐介は上目遣いにちらりと相手を見やった。
「美人局とはね。まあ、ぼったくりの後ろに黒服が控えてるご時世だ、別に驚きゃしないけど…ガラじゃないっしょ、おれらみたいなのから小金まきあげて簀巻きにするって」
目の前の人物には相応の雰囲気が備わっている。
これは三下のしのぎではない。考えられるとすれば、別の可能性だ。
「…どーやら、人違いってわけでもなさそうだな」
男は再び低く笑った。
「無論、人違いなどではないさ。だが、いささか買い被っていたようだ。もっとてこずるものと期待していたのに、こう呆気ないとはな」
その侮蔑に満ちた言い草に、祐介は憚らず大きな溜め息をついた。
「失望させて悪ィけど、見当ハズレだったんならさっさと解放してくんないかなぁ。おれ、もう手が痺れちゃって…」
「残念だが、そういうわけにはいかない」
男の声が薄暗い建物の中に冷酷に響いた。
「価値がなければ処分しろと言われているが、こちらも見込み違いで随分な散財をさせられたからな」
そして男は顎に手を当て、勿体つけるように間を置いてから、ゆっくりと言った。
「せっかくだから、買い取ってもらうことにしたよ。君の―――飼い主にな」
そのせりふに目を見開いた祐介は、息を呑んで相手を見返した。
「……いくらふっかける気だよ」
「米ドルで百万。安いもんだろう?」
男の応えに、祐介はとうとう我慢できずに吹き出した。
「そいつぁ豪気だ!」
彼は大声で笑い転げた。だが、やがて目の奥をキラリと光らせ、鋭く言い放った。
「…たかが犬一匹にそんな金、あいつが出すわけねーだろう。おれ以外に子飼いの人間がどれくらいいると思ってんだよ。代わりはいくらでもいるんだぜ?」
しかし、男は否定的に首を振った。
「いや…大道寺家の御曹司ならば、たとえ半値にまけたとしても払えない額じゃない。十倍の掛け値など実益を得るための常套だ。相手はしょせん子供、切り札の使い方もちゃんと考えてある」
祐介は「ふうん」と鼻を鳴らした。
男は、そのまま踵を返した。交渉相手に諮るのは容易に想像がつく。一計を案じた祐介は、その背に向かって素早く声をかけた。
「そうだ、電話ならおれのを使えよ。あっちはセキュリティーが厳しくて、着信表示で怪しまれたらすぐに通報されるのがオチだぜ。おれの携帯電話なら、アドレス入ってるから間違いなくあいつにつながるし」
抜け目のない祐介の言葉に立ち止まった男は、少し考えたあと、わずかに顎を上げた。
男の指示で、強面の二人の配下が縛りあげられている祐介に近づき、服のポケットから携帯電話を取り上げた。
「この私を出し抜こうなどと、思わないほうが身のためだぞ」
凄みのある嗄れ声で男が低く呟いた。
祐介はふと笑って、傲慢な目つきで相手を見据えた。
「そんなつまんねー心配があんたの長生きの秘訣なら、さっさと組なんか畳んじまうんだな」
すると、そばにいた強面が乱暴に彼の髪を鷲摑みにして凄んだ。
「このガキ、二代目に向かって…」
「よせ、小僧の戯言だ」
強面を制した男は、不愉快そうに顔をしかめている祐介を見下ろすと、落ち着き払った口調でこう言った。
「…私も、できるだけ穏便に話をつけたいと思っていたところだ」
(―――かかった)
祐介はニヤリと笑った。
男が、配下から渡された携帯電話を無言で操作しだすと、まもなく電話口から微かな呼び出し音が聞こえてきた。
(呼び出してるってことは、通話圏外じゃなさそうだな)
祐介は目を閉じ、ほくそ笑んだ。
(あいつをあんまり見縊ると、痛い目にあうぜ、オッサン)
その日、由樹彦の携帯電話が珍しく鳴り響いたのは、前夜からの雨が音もなく降り続く朝8時過ぎのことだった。
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