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V.I.Pにご用心
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Ⅰ
いにしえの都として名高い京都市の郊外。嵯峨野の奥深く、峠越えの旧街道から古都の町並みをはるかに望む高雄の山中に「菖蒲谷の御殿」と囁かれる豪邸があった。
屋敷へと続く石畳の誘導路が、寂然とした竹林に覆われている。
最新のセキュリティーシステムを完備した門をくぐり、丁寧に刈り込まれた植え込みの間をしばらく行くと、不意に視界が開け、そこに息を呑む壮観な眺めが現われた。
見渡す限りのすべてが私有地という広大な敷地と、中世の古城を思わせる重厚な洋館のたたずまい。正面には周囲の景色に調和しながらも気品と風格を醸す手入れの行き届いたイギリス様式の庭園を配している。
また、木立の向こうには書院造りの旧家の見事な瓦屋根と数奇屋(茶寮)のしつらえも見て取れ、絢爛な和洋折衷の様はさながら御所の迎賓館を彷彿とさせた。
この閑静な森にふさわしい格式と趣のある邸宅こそ、総資産数千億にものぼるという財界屈指の資産家・大道寺家の本宅であった。
その日、邸内はいつになく忙しない空気に満たされていた。
普段は家人が留守がちで、人気もなくひっそりとしている洋館のポーチの前には黒光りする数台のリムジンが並び、揃いの背広を身に着けた白手袋の運転手たちが、それぞれの車を丁寧に磨き上げている。
前夜、大道寺家の当主が洋行先から数日の予定で一時帰国したのだ。そのため、急遽、三人の息子が本宅へ呼び戻されたのである。
長男の亜樹彦は32歳。次期当主と目され、財団幹部や大手都市銀行の頭取といった要職を複数兼任している。
次男の美樹彦は24歳。関係企業グループの重役のほかに、画廊と輸入家具、古美術品を扱う店のオーナーも務めている。
三男の由樹彦は17歳。都内の有名私立高校で気楽なエスカレーターに乗っていた。
平素、この三兄弟が一堂に会するのは極めて珍しく、加えて邸内での地位が実質ほぼ互角なだけに、執事も含め側近たちはみな、いつも以上に神経を尖らせている様子だった。
そんな中、列車の都合で少し遅れて屋敷に着いた末弟の由樹彦が当主のもとへ挨拶に赴くと、ちょうど長兄の亜樹彦が部屋から出てくるところだった。
弟を一瞥した長兄は、扉を閉めながら抑揚のない声でこう言った。
「お父さんはお疲れのご様子だから、手短にな」
口振りこそ穏やかだったが、その口調は無愛想で、ひどく横柄だった。
由樹彦は微笑んだ。
「5分で済みます」
長兄は、にこりともせず弟に背を向けた。
由樹彦は立ち去る兄の背中を見送り、冷笑を浮かべた。
「どうせ、居眠りでもされてるんでしょう」
それから、ゆっくりと目の前の扉を叩いた彼は、「由樹彦です」と声をかけ、室内へ消えた。
5分後、挨拶を済ませた由樹彦が日の当たる吹き抜けの廊下へ出ると、入れ違いに向こうから、次兄の美樹彦が背後にいかつい黒服を従えてやってきた。
「由樹、親父のご機嫌取りは終わったか?」
「ええ、まあ」
次兄の皮肉っぽい言葉に、由樹彦はにっこりと笑った。
「僕は、学業以外にこれといって報告するほどのことはありませんから」
すると美樹彦はふんと鼻を鳴らし、やおら鬱陶しそうに手を振った。
「亜樹彦は得意げだっただろう」
「さあ…? 僕が来たときはもう亜樹兄さんは退席されたあとだったので」
「亜樹彦のやつ、今夜、祇園に一席設ける気だぞ。あいつは昔から、親父に取り入るのが巧かったからな」
唇を歪めた美樹彦は、気短に舌打ちした。
「表面上は平静を装って取り澄ましてやがるが、実は内心、うずうずしてたんだろうよ。投資したIT開発が成功って、打ってつけの手土産になったしな」
その、吐き捨てるような口調に薄く笑った由樹彦は、黒服が大事そうに捧げ持っている更紗包みの桐箱の中身を見透かすように目を細めた。
「美樹兄さんの手土産は、九谷ですか、唐津ですか?」
「…古伊万里だ」
美樹彦は不愉快そうに顔をしかめた。
「それはまた、張り込みましたね」
由樹彦の声に失笑が混じった。
「そういえば、以前の色絵も唐三彩も、随分苦心して手に入れたようでしたね。…いつかの萩焼の茶碗は名品でしたし、リモージュやバカラもなかなか秀逸でした」
童顔に人を食ったような笑みを浮かべる弟の態度に、美樹彦は眉を吊り上げた。
「そういうおまえこそ、最近、毛並みのいい犬を手に入れたそうじゃないか」
由樹彦は、顔色ひとつ変えずに飄々と肩を竦めた。
「ものぐさなおまえが、わざわざ自分で吟味したと聞いてる。たいした入れ込みようじゃないか。……一度見てみたいもんだな、その犬を―――」
感情を極力押し殺してはいたが、美樹彦のせりふは明らかにささくれだっていた。
由樹彦は、平然と笑みを湛えて言った。
「残念ですが、お披露目をする予定はありませんよ。それでなくても美樹兄さんは、人の持っているものをなんでも欲しがる悪い癖がありますからね」
すると、こわばった美樹彦の顔からさっと血の気が引き、頬骨のあたりが小刻みに痙攣しだした。
「おまえがそこまで勿体つけるとは、よほど優秀な番犬らしいな」
「以前からドーベルマンやシェパードのような大型犬を飼ってみたかったんです。僕には、身辺に強面を侍らせるような醜悪な趣味はないので」
そう言い放って、不遜な微笑みを浮かべる由樹彦に対し、奥歯を軋らせた美樹彦は、青ざめた顔で呻くように言った。
「―――…あまりいい気になるなよ、由樹。おまえは烏丸の隠居に気に入られているようだから親父も多少のことには目をつぶっているが、大きな顔をしていられるのも今のうちだけだ。……次期の座を狙ってるのは亜樹彦だけじゃない。権利はおれにもある。親父におれを認めさせたら、おれはおまえも亜樹彦も叩き潰して、この家も、何もかも、すべておれのものにする。そのときになって後悔しないようにしておくんだな」
目を血走らせ、額に青筋を立てて凄む兄の形相には殺気がみなぎっていた。だが、由樹彦はそんな兄に向かって淡々と応えた。
「お気遣いなく。僕はこんな相続税と維持費のかかる家にも、次期の座とやらにも、一向に興味ありませんから」
由樹彦は激昂する兄にかまわず、さっさと踵を返した。しかし、不意に思い出したように振り返り、ついでのようにこう言った。
「ああ、そうだ。亜樹兄さんに伝えてください。僕は明日から試験があるので、これで東京へ帰りますから、今夜の酒席はこ辞退します、と。あとはお二人でよろしいように」
愛想笑いを浮かべた由樹彦は、再び踵を返して立ち去った。
その場に残された美樹彦は拳を震わせ、怒りをあらわにした。
「―――人をバカにしやがって……興味ないだと⁉ ふざけるなッ!」
彼は黒服が持っていた桐箱をいきなり奪い取ると、力任せに廊下に叩きつけた。
箱は、中の高価な品もろともバラバラになり、乾いた音が長い廊下に陰鬱なこだまを響かせた。
いにしえの都として名高い京都市の郊外。嵯峨野の奥深く、峠越えの旧街道から古都の町並みをはるかに望む高雄の山中に「菖蒲谷の御殿」と囁かれる豪邸があった。
屋敷へと続く石畳の誘導路が、寂然とした竹林に覆われている。
最新のセキュリティーシステムを完備した門をくぐり、丁寧に刈り込まれた植え込みの間をしばらく行くと、不意に視界が開け、そこに息を呑む壮観な眺めが現われた。
見渡す限りのすべてが私有地という広大な敷地と、中世の古城を思わせる重厚な洋館のたたずまい。正面には周囲の景色に調和しながらも気品と風格を醸す手入れの行き届いたイギリス様式の庭園を配している。
また、木立の向こうには書院造りの旧家の見事な瓦屋根と数奇屋(茶寮)のしつらえも見て取れ、絢爛な和洋折衷の様はさながら御所の迎賓館を彷彿とさせた。
この閑静な森にふさわしい格式と趣のある邸宅こそ、総資産数千億にものぼるという財界屈指の資産家・大道寺家の本宅であった。
その日、邸内はいつになく忙しない空気に満たされていた。
普段は家人が留守がちで、人気もなくひっそりとしている洋館のポーチの前には黒光りする数台のリムジンが並び、揃いの背広を身に着けた白手袋の運転手たちが、それぞれの車を丁寧に磨き上げている。
前夜、大道寺家の当主が洋行先から数日の予定で一時帰国したのだ。そのため、急遽、三人の息子が本宅へ呼び戻されたのである。
長男の亜樹彦は32歳。次期当主と目され、財団幹部や大手都市銀行の頭取といった要職を複数兼任している。
次男の美樹彦は24歳。関係企業グループの重役のほかに、画廊と輸入家具、古美術品を扱う店のオーナーも務めている。
三男の由樹彦は17歳。都内の有名私立高校で気楽なエスカレーターに乗っていた。
平素、この三兄弟が一堂に会するのは極めて珍しく、加えて邸内での地位が実質ほぼ互角なだけに、執事も含め側近たちはみな、いつも以上に神経を尖らせている様子だった。
そんな中、列車の都合で少し遅れて屋敷に着いた末弟の由樹彦が当主のもとへ挨拶に赴くと、ちょうど長兄の亜樹彦が部屋から出てくるところだった。
弟を一瞥した長兄は、扉を閉めながら抑揚のない声でこう言った。
「お父さんはお疲れのご様子だから、手短にな」
口振りこそ穏やかだったが、その口調は無愛想で、ひどく横柄だった。
由樹彦は微笑んだ。
「5分で済みます」
長兄は、にこりともせず弟に背を向けた。
由樹彦は立ち去る兄の背中を見送り、冷笑を浮かべた。
「どうせ、居眠りでもされてるんでしょう」
それから、ゆっくりと目の前の扉を叩いた彼は、「由樹彦です」と声をかけ、室内へ消えた。
5分後、挨拶を済ませた由樹彦が日の当たる吹き抜けの廊下へ出ると、入れ違いに向こうから、次兄の美樹彦が背後にいかつい黒服を従えてやってきた。
「由樹、親父のご機嫌取りは終わったか?」
「ええ、まあ」
次兄の皮肉っぽい言葉に、由樹彦はにっこりと笑った。
「僕は、学業以外にこれといって報告するほどのことはありませんから」
すると美樹彦はふんと鼻を鳴らし、やおら鬱陶しそうに手を振った。
「亜樹彦は得意げだっただろう」
「さあ…? 僕が来たときはもう亜樹兄さんは退席されたあとだったので」
「亜樹彦のやつ、今夜、祇園に一席設ける気だぞ。あいつは昔から、親父に取り入るのが巧かったからな」
唇を歪めた美樹彦は、気短に舌打ちした。
「表面上は平静を装って取り澄ましてやがるが、実は内心、うずうずしてたんだろうよ。投資したIT開発が成功って、打ってつけの手土産になったしな」
その、吐き捨てるような口調に薄く笑った由樹彦は、黒服が大事そうに捧げ持っている更紗包みの桐箱の中身を見透かすように目を細めた。
「美樹兄さんの手土産は、九谷ですか、唐津ですか?」
「…古伊万里だ」
美樹彦は不愉快そうに顔をしかめた。
「それはまた、張り込みましたね」
由樹彦の声に失笑が混じった。
「そういえば、以前の色絵も唐三彩も、随分苦心して手に入れたようでしたね。…いつかの萩焼の茶碗は名品でしたし、リモージュやバカラもなかなか秀逸でした」
童顔に人を食ったような笑みを浮かべる弟の態度に、美樹彦は眉を吊り上げた。
「そういうおまえこそ、最近、毛並みのいい犬を手に入れたそうじゃないか」
由樹彦は、顔色ひとつ変えずに飄々と肩を竦めた。
「ものぐさなおまえが、わざわざ自分で吟味したと聞いてる。たいした入れ込みようじゃないか。……一度見てみたいもんだな、その犬を―――」
感情を極力押し殺してはいたが、美樹彦のせりふは明らかにささくれだっていた。
由樹彦は、平然と笑みを湛えて言った。
「残念ですが、お披露目をする予定はありませんよ。それでなくても美樹兄さんは、人の持っているものをなんでも欲しがる悪い癖がありますからね」
すると、こわばった美樹彦の顔からさっと血の気が引き、頬骨のあたりが小刻みに痙攣しだした。
「おまえがそこまで勿体つけるとは、よほど優秀な番犬らしいな」
「以前からドーベルマンやシェパードのような大型犬を飼ってみたかったんです。僕には、身辺に強面を侍らせるような醜悪な趣味はないので」
そう言い放って、不遜な微笑みを浮かべる由樹彦に対し、奥歯を軋らせた美樹彦は、青ざめた顔で呻くように言った。
「―――…あまりいい気になるなよ、由樹。おまえは烏丸の隠居に気に入られているようだから親父も多少のことには目をつぶっているが、大きな顔をしていられるのも今のうちだけだ。……次期の座を狙ってるのは亜樹彦だけじゃない。権利はおれにもある。親父におれを認めさせたら、おれはおまえも亜樹彦も叩き潰して、この家も、何もかも、すべておれのものにする。そのときになって後悔しないようにしておくんだな」
目を血走らせ、額に青筋を立てて凄む兄の形相には殺気がみなぎっていた。だが、由樹彦はそんな兄に向かって淡々と応えた。
「お気遣いなく。僕はこんな相続税と維持費のかかる家にも、次期の座とやらにも、一向に興味ありませんから」
由樹彦は激昂する兄にかまわず、さっさと踵を返した。しかし、不意に思い出したように振り返り、ついでのようにこう言った。
「ああ、そうだ。亜樹兄さんに伝えてください。僕は明日から試験があるので、これで東京へ帰りますから、今夜の酒席はこ辞退します、と。あとはお二人でよろしいように」
愛想笑いを浮かべた由樹彦は、再び踵を返して立ち去った。
その場に残された美樹彦は拳を震わせ、怒りをあらわにした。
「―――人をバカにしやがって……興味ないだと⁉ ふざけるなッ!」
彼は黒服が持っていた桐箱をいきなり奪い取ると、力任せに廊下に叩きつけた。
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