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だから今夜は眠れない
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Ⅰ
メタリックシルバーのポルシェが、独特の低い排気音を殺しながら滑るように並木の陰に停まった。
流線形の美しい車体は、隅々まで手入れが行き届いている。しかし、窓にはすべてシールドがかかっていて中の様子を窺い知ることはできない。まるで、外部のあらゆる視線を拒絶しているかのようである。
その少し狭い車内で、左の運転席の女がガラス越しに外を見やって言った。
「あそこですわ、ご覧になれます?」
流行色のルージュに縁取られた形のいい唇からこぼれた声は、理知的で耳障りしない。
彼女は、膝の上に広げたノート型の端末に目を落とすと、丁寧な口調でさらに続けた。
「手前が有栖川祐介、奥が鏑木浩平です」
すると、笑い声とともに助手席から伸びた手が、その青く光る液晶画面を指差した。
「…これ、本当ですか? 趣味がバービー人形の服集めと、レース編みって」
「ええ、間違いありませんわ。有栖川祐介は生活費を切り詰めて人形の衣裳代につぎ込んでいますし、鏑木浩平のレース編みに至っては達人級で、大使館夫人の間では、いわゆるカリスマ的な存在だそうですから」
「ふうん……カリスマ、ね。ふざけた趣味にしては意外というか…」
そういえば、近頃の手芸界には愛好家の支持を集める男性の「カリスマ講師」が出現している。性別的住み分けの境界がなくなりつつある昨今であれば、あながち奇抜なこととも言い切れない。
液晶を覗きながら、楽しげに微笑している傍らの人物に、運転席の女は用意した双眼鏡を手渡した。
相手は、彼女がダッシュボードから取り出した小振りの双眼鏡を目に当てて、クスッと小さく笑った。
「それにしても目立つなぁ。もっとも、それ以外、見た目は全然共通点がないけど」
助手席の人物は、レンズの向こうに見える光景がよほど愉快らしく、いつまでも可笑しそうに笑っている。
「どちらも、無類のプレーボーイでしてよ」
淡々と言いながら女はマニキュアを施したきれいな指でキーボードを叩いた。
「それに…この悪運の強さが、立派な共通点ですわ」
彼女の細い眼鏡の上に、冷ややかな端末の画面が瞬いている。助手席の人物はやがて、双眼鏡に目を当てたまま、口元に薄い笑みを浮かべた。
「…気に入ったな、あの二人。強運なんて、金や努力では絶対に手に入らないものですからね」
「では早速、契約の手配を」
キーボードをハンドルに持ち替えた女は、助手席の人物にシートベルトを促すと、静かに車を発進させた。
唸りをあげた排気音が、低く通りにこだました。
Ⅱ
「おおっ! ポルシェだ、ポルシェ」
「ビンボー人が。用がないなら、おれは帰るぞ」
木立の中のベンチに並んで座っていた男の片方が、口元で燻らせていた煙草を揉み消して立ち上がった。
仕立てのいい三つ揃いのスーツが、肩幅の広いかっちりとした長身の体格によく似合っている。容貌は、濃いサングラスにほとんど遮られているが、響くような落ち着いた渋い声色は魅力的だった。
「おまえはいいよな。高級外車の一つや二つ金持ちのマダムから貢がせるなんて、お手のもんだろーし…」
もう一方の男は口を尖らせ、不貞腐れたように背中を丸めて膝を抱えた。
セピア色の髪をなびかせ、細身の艶やかなシルクのチャイナ服を纏っているが、整った顔立ちのおかげで違和感がない。モデルか、TVタレントといっても充分通用しそうな美形である。
この二人こそ、例のポルシェの中で話題になっていた鏑木浩平と有栖川祐介だった。
運命は、彼らの預かり知らぬところでとんでもない方向へ転がりはじめていたが、当の二人はまだそれを知る由もなかった。
「人聞きの悪いことを言うな。皮肉を言うためにわざわざ呼び出したのか、おまえは」
「おまえがいま乗ってるコンバーチブルのBMWも、その前のベンツもフェラーリも、30回のローンじゃとても買えないだろ」
「何が言いたい?」
「―――あやからせて。5万でいいから」
「ふざけるな」
浩平が、渋い美声を特別荒げることもなくばっさりと言い捨てた。
「今どき担保もない奴に無償で融資ができるか。そのくらい自力で稼げ、自力で」
「自力でって…コーヘイおまえ、おれに援助交際しろってのか⁉」
「したいなら止めないけどな、おれは別に」
彼は飄々と肩を竦めた。
「おれはおまえにビタ1文貸す気はないが、歌舞伎町あたりなら、おまえのカオとカラダに5万ぐらい出すって女や男が引っ掛かるかもしれないしな」
唇に冷笑を浮かべる彼を見て、祐介は端整な顔をあからさまに歪めた。
「おまえみたいになぁ、貢がせるばっかりで貢ぐオンナもいないようなヤツが、金なんかため込んでどーすんだよ。金ってのはなぁ、使うためにあるんだ。持ってるだけじゃ意味ねーだろーが」
「なに言ってやがる、ビンボー人が。その金を人にたかってるのはどこのどいつだ。女を喜ばせてやりたければ、自分の稼ぎで喜ばせてやるんだな」
「……くっそー……」
くやしいが正論である。
借金のクチを断たれ、むくれて押し黙った祐介をよそに、薄く笑った浩平は、すっかりへこんだ彼を残して踵を返した。
「ビンボー人のたわごとは聞き飽きた。おまえのオンナによろしくな、ユースケ」
「おーきなお世話だ」
こうなると、落ち込んだ彼の口からは愚痴しか出てこなかった。
「ったく…ツイてねーよな、このごろ。ネットオークションじゃ競り負けるし、逆ナンパ仕掛けてきた女には逃げられるし、ボーソー族にゃインネンつけられるし……コンビニに行きゃ車が突っ込んでくるし、ビルの工事現場からは鉄骨が降ってくるし、無人トラックにゃ轢かれそうになるし」
そんな祐介のとりとめもない呟きに、二・三歩行きかけた浩平が振り返った。
「おまえ、今なんて言った?」
「…ああ? ツイてねーって言ったんだよ。どっかのドケチは金も貸してくんねーし」
「いや、そうじゃなく…」
「なんだよ、くろうとのヤーさんにもからまれたし、車道にも突き飛ばされたし、これがツイてなくてなんだってんだ」
「―――フツーなら3回は死んでるな」
「くそったれ。もー、こーなったらホントに援助交際するっきゃねーぜ」
と言うなり、すっくと立ち上がった祐介は、思案顔で佇んでいる浩平に詰め寄った。
「なに固まってんだよ、行くぞ!」
「ああ? 行くって、どこへ」
「そのへんのコンビニか薬局まで乗せてけ。まむしドリンク、しこたま仕入れちゃる」
祐介は、妙な意気込みに燃えている。
浩平は一瞬何か言いかけたが、頭を掻いてその言葉を呑み込んだ。
(…まあ、いいか。実際なんともないんだし)
だが、それが、これから彼らの身に起こる運命の、ほんの序章にすぎなかったことをのちに彼らは知ることになる。
メタリックシルバーのポルシェが、独特の低い排気音を殺しながら滑るように並木の陰に停まった。
流線形の美しい車体は、隅々まで手入れが行き届いている。しかし、窓にはすべてシールドがかかっていて中の様子を窺い知ることはできない。まるで、外部のあらゆる視線を拒絶しているかのようである。
その少し狭い車内で、左の運転席の女がガラス越しに外を見やって言った。
「あそこですわ、ご覧になれます?」
流行色のルージュに縁取られた形のいい唇からこぼれた声は、理知的で耳障りしない。
彼女は、膝の上に広げたノート型の端末に目を落とすと、丁寧な口調でさらに続けた。
「手前が有栖川祐介、奥が鏑木浩平です」
すると、笑い声とともに助手席から伸びた手が、その青く光る液晶画面を指差した。
「…これ、本当ですか? 趣味がバービー人形の服集めと、レース編みって」
「ええ、間違いありませんわ。有栖川祐介は生活費を切り詰めて人形の衣裳代につぎ込んでいますし、鏑木浩平のレース編みに至っては達人級で、大使館夫人の間では、いわゆるカリスマ的な存在だそうですから」
「ふうん……カリスマ、ね。ふざけた趣味にしては意外というか…」
そういえば、近頃の手芸界には愛好家の支持を集める男性の「カリスマ講師」が出現している。性別的住み分けの境界がなくなりつつある昨今であれば、あながち奇抜なこととも言い切れない。
液晶を覗きながら、楽しげに微笑している傍らの人物に、運転席の女は用意した双眼鏡を手渡した。
相手は、彼女がダッシュボードから取り出した小振りの双眼鏡を目に当てて、クスッと小さく笑った。
「それにしても目立つなぁ。もっとも、それ以外、見た目は全然共通点がないけど」
助手席の人物は、レンズの向こうに見える光景がよほど愉快らしく、いつまでも可笑しそうに笑っている。
「どちらも、無類のプレーボーイでしてよ」
淡々と言いながら女はマニキュアを施したきれいな指でキーボードを叩いた。
「それに…この悪運の強さが、立派な共通点ですわ」
彼女の細い眼鏡の上に、冷ややかな端末の画面が瞬いている。助手席の人物はやがて、双眼鏡に目を当てたまま、口元に薄い笑みを浮かべた。
「…気に入ったな、あの二人。強運なんて、金や努力では絶対に手に入らないものですからね」
「では早速、契約の手配を」
キーボードをハンドルに持ち替えた女は、助手席の人物にシートベルトを促すと、静かに車を発進させた。
唸りをあげた排気音が、低く通りにこだました。
Ⅱ
「おおっ! ポルシェだ、ポルシェ」
「ビンボー人が。用がないなら、おれは帰るぞ」
木立の中のベンチに並んで座っていた男の片方が、口元で燻らせていた煙草を揉み消して立ち上がった。
仕立てのいい三つ揃いのスーツが、肩幅の広いかっちりとした長身の体格によく似合っている。容貌は、濃いサングラスにほとんど遮られているが、響くような落ち着いた渋い声色は魅力的だった。
「おまえはいいよな。高級外車の一つや二つ金持ちのマダムから貢がせるなんて、お手のもんだろーし…」
もう一方の男は口を尖らせ、不貞腐れたように背中を丸めて膝を抱えた。
セピア色の髪をなびかせ、細身の艶やかなシルクのチャイナ服を纏っているが、整った顔立ちのおかげで違和感がない。モデルか、TVタレントといっても充分通用しそうな美形である。
この二人こそ、例のポルシェの中で話題になっていた鏑木浩平と有栖川祐介だった。
運命は、彼らの預かり知らぬところでとんでもない方向へ転がりはじめていたが、当の二人はまだそれを知る由もなかった。
「人聞きの悪いことを言うな。皮肉を言うためにわざわざ呼び出したのか、おまえは」
「おまえがいま乗ってるコンバーチブルのBMWも、その前のベンツもフェラーリも、30回のローンじゃとても買えないだろ」
「何が言いたい?」
「―――あやからせて。5万でいいから」
「ふざけるな」
浩平が、渋い美声を特別荒げることもなくばっさりと言い捨てた。
「今どき担保もない奴に無償で融資ができるか。そのくらい自力で稼げ、自力で」
「自力でって…コーヘイおまえ、おれに援助交際しろってのか⁉」
「したいなら止めないけどな、おれは別に」
彼は飄々と肩を竦めた。
「おれはおまえにビタ1文貸す気はないが、歌舞伎町あたりなら、おまえのカオとカラダに5万ぐらい出すって女や男が引っ掛かるかもしれないしな」
唇に冷笑を浮かべる彼を見て、祐介は端整な顔をあからさまに歪めた。
「おまえみたいになぁ、貢がせるばっかりで貢ぐオンナもいないようなヤツが、金なんかため込んでどーすんだよ。金ってのはなぁ、使うためにあるんだ。持ってるだけじゃ意味ねーだろーが」
「なに言ってやがる、ビンボー人が。その金を人にたかってるのはどこのどいつだ。女を喜ばせてやりたければ、自分の稼ぎで喜ばせてやるんだな」
「……くっそー……」
くやしいが正論である。
借金のクチを断たれ、むくれて押し黙った祐介をよそに、薄く笑った浩平は、すっかりへこんだ彼を残して踵を返した。
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「おーきなお世話だ」
こうなると、落ち込んだ彼の口からは愚痴しか出てこなかった。
「ったく…ツイてねーよな、このごろ。ネットオークションじゃ競り負けるし、逆ナンパ仕掛けてきた女には逃げられるし、ボーソー族にゃインネンつけられるし……コンビニに行きゃ車が突っ込んでくるし、ビルの工事現場からは鉄骨が降ってくるし、無人トラックにゃ轢かれそうになるし」
そんな祐介のとりとめもない呟きに、二・三歩行きかけた浩平が振り返った。
「おまえ、今なんて言った?」
「…ああ? ツイてねーって言ったんだよ。どっかのドケチは金も貸してくんねーし」
「いや、そうじゃなく…」
「なんだよ、くろうとのヤーさんにもからまれたし、車道にも突き飛ばされたし、これがツイてなくてなんだってんだ」
「―――フツーなら3回は死んでるな」
「くそったれ。もー、こーなったらホントに援助交際するっきゃねーぜ」
と言うなり、すっくと立ち上がった祐介は、思案顔で佇んでいる浩平に詰め寄った。
「なに固まってんだよ、行くぞ!」
「ああ? 行くって、どこへ」
「そのへんのコンビニか薬局まで乗せてけ。まむしドリンク、しこたま仕入れちゃる」
祐介は、妙な意気込みに燃えている。
浩平は一瞬何か言いかけたが、頭を掻いてその言葉を呑み込んだ。
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