彼を忘れるためのクスリ

一色とうい

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 掌の上に二粒の錠剤。
一つは発情抑制剤で、もう一つはフェロモン抑制剤。
服用を始めて早三ヶ月。
効き目の強い高価な薬を処方してもらったお陰で、発情期を完璧に抑え込んで半年目に突入していた。

 近頃は副作用の影響で頭痛に見舞われることも増えたが、まだやめるわけにはいかない。
岩佐棗は錠剤を口に放り込み、勢いよく水を煽った。



  *  *  *



「棗、ただいま」

 玄関の扉を開ける音が聞こえ、キッチンから飛び出すと、よそ行きのスーツを着た男が疲労の滲んだ顔でネクタイを緩めていた。

「遅かったな」
「講演の打ち合わせがあってな」

 僅かに香り立つ大人の色気に当てられ、ほんのりと体の内側に熱が灯る。
今すぐ高そうなジャケットを剥ぎ取って、逞しい背中に腕を回し、抱いてくれと縋りたい。
動物めいた欲望を諌めるかのようにズキンとこめかみが傷んだ。
はっと我に返り、慌てて頭の中で打ち消す。

 なんのために抑制剤を飲んでると思ってるんだ。
この人に欲情するなんて、もうあってはならないことだ。

「アンタ飯は? 食ってきた?」
「軽く。あれ、でもなんかいい匂いがする。まさか……」

 背広を腕に引っ掛け、男らしい切れ長の瞳を大きくした男がまじまじと棗の顔を覗き込んだ。
無性に気恥ずかしくなって拗ねた仕草でそっぽを向く。

「あれは明日の俺の朝ごはん!」

 投げつけるように言って大股でリビングに引き返した。
それを追い越す勢いで、大きな背中が小走りにキッチンへと向かう。

「おっ、シチュー。美味っそ。食ってもいいか」

 遠ざけようと思ったのに見つかった。
殴りたくなるほどニヤついた顔で瞳を輝かせた男が振り返る。

「もう外で食ったんだろ! それは明日の俺の――」
「はいはい俺のために作ってくれたんだよな。ありがとな」

 意地っ張りな棗に構わず「あ~うちの子最高」と声をはずませながら、男はスーツをハンガーにかけ、スウェットに身を包んだ。
上機嫌でスプーンとグラスをテーブルにセットする姿は、まるでお父さんだ。

 棗はため息をこぼし、温めた器にシチューを注ぐ。
崩れて不格好なじゃがいもの群れが鍋の底に沈んでいた。

料理なんてほとんど作ったこともないのに、まずそうなシチューを見て喜ぶ男の姿を目の当たりにすると、まったく相手にされていないのだと思い知る。

きっと大きな子どもができたとでも思っているのだろう。
男はことあるごとに「うちの子は可愛い。うちの子は最高」と宣うのである。

 それでも傍にいられるなら構わないと思っていた。
彼に忘れられない女性がいることを知るまでは。

「うまいぞ棗。上手に作ったなあ」
「……るせー。黙って食え」

 溺れたじゃがいもを救っては飲み込む鬼畜をギロリと睨めつけた。
自分もそのじゃがいもと同じだ。
いや、彼の一部になれるだけじゃがいもの方が幸せかもしれない。

「先生花丸あげちゃう」
「だから黙って食え!」


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