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chapter02 紅蓮の魔女【ジャスティス】

scene01 新学期

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 秋葉台の街に残暑の熱気を連れた風が吹いていた。今日から九月、二学期が始まる。制服を身に纏った同世代の学生が朝の市内に溢れかえり、夏休みを満喫した証であるきつね色に日焼けした肌を晒しながら自転車にまたがり登校する。市外からやって来る学生はすし詰めの満員電車の中で久しぶりの友人と楽しく談笑したり、残された時間で必死に夏休みの課題と向き合ったりしていた。
 かくいう私はこのどれにも当てはまらない。まず自宅は学校から徒歩5分、そのあまりの通学時間の短さ故に一緒に登校する友人はいない、そもそも私にそんなにたくさん友人はいない。そして夏休みの間は専ら室内に閉じ籠り、イラスト作成やsuperfaceに新しく追加する魔方陣の研究に明け暮れていたので私の肌は真っ白だ。数少ない外出先といえば、魔術の実験を兼ねた秋葉台でのヒーローもどきの活動と、そして数日前に本物の魔女、悪魔デビルを名乗る女との壮絶な殺し合いだった。おかげで日焼け跡ではなく太股に生々しい傷痕を残していたのだが、幸いなことにこの怪我を理由に夏休みの課題を一部免除してもらうことに成功した。怪我の完治はまだ先だろうが、制服のスカートの丈を少し長くするだけで傷痕もうまく隠すことができたので、現時点でも私は割りと機嫌良く学舎に向かうことができていた。

 私が通うのは私立桐札高等学園。全校生徒は500人程度の比較的小さな高校で、偏差値は全国平均以下で知る人ぞ知る滑り止め校という不名誉な二つ名を頂戴している。それでも校舎の中の設備は整っていて清潔であり、何より電子デバイスにとても寛容であるのが好ましかった。授業中の使用禁止と常時マナーモードという規則を守ればほとんど何でも自前で持ち込めてしまえるので、私は堂々と学生鞄にsuperfaceを仕込み、ポケットにはスマホを入れておけるのだ。
 「おはよう~」
 「絵美ちゃんおはようっ」
 私は2年B組の教室のドアを開けると、入り口付近の席で読書をしている数少ない友達の【山本 有希】に軽く挨拶を済ませた。彼女はいつも通り、にこやかな顔をして返事をした。有希が読んでいるのは紙の文庫本などではなく電子書籍端末だ、勿論持ち込み可能なので誰の目も気にせず読むことができる。
 「ねぇねぇ絵美ちゃん、ちょっとこれ見てよ」
 「どしたの?」
 席に座った私に、有希はポケットからスマホを取り出し嬉しそうにアプリを立ち上げた。彼女が開いたのは、今大人気の写真を投稿するSNSアプリ、【NON STYLE GRAPHIC】だった。最近これにハマってユーザーから「いいね」を付けてもらうための【ノンスタ映え】する写真を撮ることに異常なまでの執念を燃やす奇特な女子が多いと聞き、私はネガティブなイメージを抱いている代物だ。
 有希がそこで見せびらかしたのは、海岸線の美しい砂浜で友達と記念撮影した時の画像だった。有希は私とは比較にならないほど社交的なので、私ではとても打ち解けられそうになさそうな、可愛らしい水着が眩しい女の子達とも交友があった。
 「夏休みの思い出に、無人島に行ってきたんだよー、やっぱ海は人のいないところに限るねっ」
 「へぇー…」
 彼女はひと夏の青春を私にも分かち合いたかったのだろうけれど、興味の無い私にはこれ以上の言葉が見当たらなかった。
 「しかも見てよここ、めっちゃ「いいね」をもらったんだよ、すごくない?」
 「…有希もすっかりノンスタ女子と化したんだね…」
 自信満々に見せびらかす有希のスマホの画面上に映し出されていた「いいね」の数は、9。全世界で9人しか魅力が伝わらない写真ということになる。それでも彼女にとっては大きな前進なのだろうが、喉の奥から溢れ出る溜息を出さないわけにはいかなかった。白けきった表情で私が答えていると、思い出したかのように有希は話題を変えた。
 「そうそう、例のコンテストの進捗状況を…」
 彼女の言葉に私の心臓は釣竿か何かで引っ張り上げられたかのように引き攣った。コンテストと言えば思い当たるのは一つ、キャラクターデザインコンテストへの応募作品の話だ。この夏は人を模したキャラクターよりも幾何学模様ばかりを魔方陣に描き続けていた私は、全国のイラストレーターと張り合えるような作品を今のところ手元に何一つないことを刹那に思い出した。
 「あ…あぁあれね、応募期限は今月だもんね~…」
 若干表情が歪んだ私の顔を見て、有希はすかさず机から身を乗り出して問い詰めてきた。
 「…進捗は何パーセント?」
 「…ゼロって感じ…」
 「はぁ~~っ…」
 有希は落胆に満ちた大きな溜息を吐いた。今ここで「いやいや私も忘れてたわけじゃないんだけど、魔女と命懸けで戦ったんだから大目に見てよっ!!」と反論できるものならしたいものだが、言い訳が下手すぎると失笑をかうだけなのでぐっと踏みとどまった。
 「わ、分かった!! 放課後に自習室に集合しよっ。今から全力で作成すれば何キャラかは間に合うからっ!!」
 「仕方ないなぁ…忘れないでよ~?」
 まだ私を信用していない様子の有希はどっしりと頬杖をついてそう言った。これは夏休みの課題のように易々と逃れられる案件ではないので、この直後から私の脳裏で複数のキャラクタービジュアルの原案が目まぐるしく飛び交っていた。顔を考えて、髪型を考えて、服装や性格を考えて、そして似たようなものばかりしか思い浮かばない自分の発想力の無さに絶望して、考案したキャラビジュアルは具体的な形になるまでもなく霧散していった。
 私が一人で四苦八苦していると、どこからともなく湿気た空気と共に汗臭い香りが漂ってくるのを感じた。だがもう既に私にはこの匂いの正体が分かっていた。一ヶ月ぶりの懐かしい感覚に自然と笑みが零れてくる。
 「あっ、累ちゃん来たんじゃない?」
 その直後、教室のドアが少し手荒に開け放たれると、全身から薄い湯気が出るほどの熱気を帯びている少女、【竹内 累】が入ってきた。涼しげな表情をしているものの呼吸を乱し気味に現れた彼女は、制服のシャツを肩まで捲り上げ、額から水飛沫でもかけられたような汗を流していた。
 「竹内さんおはよう、二学期初日からがっつり朝練? 気合い入ってるねぇ~」
 「おはようございます…試合も近いので、朝の5時から学校の道場を借りて自主練をしていました」
 有希の言葉に累は淡白な返事をすると、教室後ろの荷物置きに紫色の袋に入れられた竹刀を立て掛けていた。彼女は桐札高等学園剣道部のエースで、普段はとても大人しく礼儀正しい性格なのだが、ひとたび竹刀を握ると男子をも圧倒する気迫で対戦相手を薙ぎ倒す様子から、他校剣道部員からは【桐高の鬼神】と恐れられているらしい。今日も誰もいない早朝の道場で、一人素振りや基礎トレーニングで汗を流したのだろうと、私は彼女の背中を見て思った。
 「それにしても累ちゃんの剣道への情熱はすごいね、何だか他人事なのに同じクラスに累ちゃんが居ると思うと誇らしい、気分になる」
 「そうですか…私はただ、これ以外に差し当たって自慢できることが何もないですし…」
 一人で勝手に感心している私を余所に、累はそう言って首を横に振りながら謙遜してみせた。世の中周りの人に流されたり無駄にやさぐれたりする痛い女子が増えている中で、生真面目で努力家で一本筋が通った累は私のお気に入りでもあり憧れでもあったのだ。
 「いやいや、可愛いし勉強できるし剣道超強いとか、私みたいな人から見たらそりゃもうあこがれちゃうよっ」
 「むしろ私は、昔から絵心がないので絵美ちゃんのように絵が上手な人がとても羨ましいです…」
 私が女性として尊敬する累にそんな事を言われると、自然と口角が上がるのを抑えることができなくなってしまう。そうして私がにんまりしていると、累は突然改まった表情で口を開いた。
 「それでなんですが、ちょっと相談に乗ってほしいことが、あるんです…」
 「んっ? 私に相談?」
 「どしたの竹内さん? 私も話聞かせてもらおうかね~」
 ひょっこり有希もこの場に混じり、私と共に累の言葉に耳を傾けた。人と向き合っても口が達者というような明るい性格ではない彼女は緊張しているのか、どこか口に出すのをはばかっているようにもじもじした仕草を見せながら話を続けた。
 「…好きな人が、できてしまいました…」
 「おぉ~~~っ」
 「それは気になるねぇ…まぁまぁこの有希ちゃんに竹内さんの想い人はどなたか、教えてくださいなっ」
 赤面させて累は言った。初心なリアクションがまたたまらなく可愛かったので、そんなお堅い彼女の思い切った相談に私と有希は揃って席から身を乗り出していた。
 「三年生の火野先輩は、ご存知ですか?」
 「えっ? あぁ、陸上部の人だっけ…って、あの火野先輩のこと好きになっちゃったの?!」
 累の口から発せられた名前に私は驚きのあまりつい声が大きくなってしまった。陸上部の火野先輩と言えば、桐高男子生徒でも一二を争うモテ男として名を馳せている【火野 翔真】先輩のことだ。清楚なイケメン王子と言うより日本男児めいた目鼻立ちの濃い方なルックスだが、短距離走で鍛えた肉体と相まっていい意味で暑苦しい快活さと大胆さが年齢問わず女子達を魅了しているのだ。
 控えめな性格の累とは正反対の道を突き進む火野先輩は、私の知る限り付き合っている彼女はいないらしいが、数多くの女子がアプローチを試みては、異性には奥手なのか陸上に専念したいのか悉く失敗に終わっていると専らの噂だ。現に私のクラスにも何人か火野先輩に告白した子が、翌日魂の抜けたかのように呆然と戻ってきたこともあった。
 「あの人はなかなか攻略難しいと思うよ~? でも、スポーツマン同士で意外とお似合いカップルかもよ?」
 有希は累の肩を指でツンツンしながら笑顔でそう言った。
 「山本さん、私の力になってくれますか?」
 「そりゃもう!! 竹内さんの相談とか色々乗ってあげ…あっ」
 そこまで言い出して、急に有希の口が止まった。累と私がきょとんとしていると、みるみる顔色が暗くなっていった。そして、申し訳なさそうに次の言葉を発した。
 「竹内さん、ごめん…ひとつ思い出したことがあるの。今の竹内さんにとってはかなりバッドニュース…」
 「えっ?! どうしたんですか?!」
 「ちょっとちょっとまさか、火野先輩彼女ができてたの?」
 この瞬間で思い出すバッドニュースなどそれ以外考えられなかった。私が有紀の目を見てこう問いただすと、有希はしかめっ面になりながら話を続けた。
 「彼女ができたとまでは聞かないんだけど、夏休み前くらいから誰かとデートしているらしいって噂があるそうで…しかも友達の目撃情報によると、かなり年上の女の人らしいよ。少なくとも20歳後半の…」
 「え~~、イメージないわぁ~~…火野先輩って年上好きなのかなぁ?」
 モテるのに女性と縁がない印象が強かった私にとってはかなり衝撃的なニュースだった。人付き合いも希薄でこの手の恋愛沙汰には当分は無関係ともいえる私だが、校内の男女関係を聞くと様々な憶測が脳内を渦巻いて独特の興奮を覚えるのは思春期の女子の性なのだろうか。だが当然の事ながら蚊帳の外である私よりも累が受けた衝撃は大きいものだったようで、口を押えてしばらくの間言葉を失っていた。
 「…火野先輩、そんな大人の人と、付き合っていたんですね…」
 「まぁかくいう私も実際に見たわけじゃないんだけどね?」
 うるうると瞳の中に涙を溜めこむ累に心ばかりの励ましの言葉を投げかける有希であったが、効果はいま一つのようだった。私自身何も悪いことはしていないんだけれど、影から累を応援する身としてはいたいけな彼女が辛い思いをしているのを申し訳なく思ってしまった。
 こういうところで私のお人好しで困っている人を放っておけない心根が、本来日陰者の性格である私に行動的な言動へと導いていく。私を殺そうとした魔女の願いを叶えるために協力すると約束したあの日の夜のように。
 「そんなの、実際に見てみないと分かんないじゃない。累ちゃん、ちょっと確かめてみない?」
 「えっ? 確かめるって…」
 きょとんとする累に私は肩をポンと叩いて言った。
 「火野先輩、尾行しちゃうってのはどーよ…?」
 「び、尾行…ですか…?」
 私の迫真の表情から飛び出た提案に累もさぞ怯んでいることだろうが、勿論私は本気だった。たとえどんな現実が待っていようと、せめて累にやきもきした心苦しさを抱いている時間が少しでも短くなれば私にとっては幸いだし、尾行を成功させる絶対の自信を秘めていたからだ。何せ私は秋葉台の魔女を一人で自称する、そして正真正銘のアルカナの魔術師、【運命の輪ホイール・オブ・フェイト】であるのだ。いざとなればsuperfaceの力を使えば、こっそり火野先輩を監視することなんて造作もない。
 「本気なの絵美ちゃん?」
 「うん、次の週末にでも火野先輩の動向を探ってみるよ」
 有希が不安そうに尋ねるも私の決意は変わらなかった。その迷いの無い返事に私の揺るぎなさを感じたのか、有希はゆっくりと席に座り直すと、落ち着いた口調で忠言してきた。
 「まぁそのつもりなら、多分今週末の陸上部の練習は三年生最後の大会前の軽めの調整だろうから午前中に切り上げると思う、ってだけ言っとこうか。でも、絵美にもやってもらわなきゃいけない事があるのだけは忘れないでよ?」
 「了解、ありがとう有希ちゃん」
 にこりと笑って私は彼女に応えた、これで今週の土日の予定は決まりだ。朝からキャラクターデザインを練り、昼からは練習を終えた火野先輩の動向を探ることになる。そして忘れてはならないのが、今のところあの夜以来秋葉台の何処かに身を潜めているデビルにも接触を図る必要がある。スマホどころか連絡手段も持っていないであろうが、適当な魔術を使えば向こうから近寄ってくるだろう。

 新学期早々忙しくなりそうだ。これを忙殺と呼ぶのだろうか。恐ろしい魔女に身体を八つ裂きにされて殺されるなら、【忙しさ】に殺される方がまだマシだろうが…
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