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マフィー

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chapter00 電子の魔術書

scene02 時の流れに逆らう

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 ≪絵美ちゃん、今度のイラストコンテストに出す作品は仕上がったの?≫
 私のスマホのSNSにメッセージが入る。でも既読を付けてあげようとする気も起きない。そんな事より、夏休みに散々街のヒーローごっこを興じたツケを払う必要があるからだ。つまるところ夏休みの課題をするために勉強机から離れられないのでベッドに転がっているスマホを取りに行く時間すら惜しいのだ。
 内容もおおよそ見当はついている。数日前から学校のデザインサークル仲間である【山本 有希】が9月中旬に控えるゲームキャラクターをデザインするイラストコンテストに向けた作成の進捗が芳しくない私を気にかけてくれているんだ。
 2学期が始まってから製作を始めても十分間に合うだろうというこれといって根拠のない自信があったものだからろくにアイデアも浮かんでいない状態だとも言えないから、お人よしな有希に返事を返すのも少し億劫になっていた。ベッドのスマホを一瞥したものの、スマホの見忘れを装って、私はがむしゃらに課題に取り組むことにした。
 「ん~、微分と積分はもうついていけないんだってば~…」
 手に持つのはタブレット用スタイラスペンではなくごく普通のシャープペンシルで、少し黄色いプリント用紙に羅列された数学の問題と格闘していた。2日前秋葉台を騒然とさせた北交差点付近で道路に大穴を開けてみせた張本人でもあるsuperfaceも、この日はノートPCのスタイルで机の片隅に置かれ、インターネットに転がる数学の情報を検索する至って普通のPCと成り果てていた。
 珍しく早起きして朝の7:30から課題に取り組み始め、汗をかかないようにめいっぱいエアコンの設定温度を下げて、ほぼ不休でこなしていくも数学の課題でつまずき早3時間、時計の針は18:30となり夕日が秋葉台の街を包み込んでいた。
 ふとプリント全体を見渡して、問題総数の半分以上が埋まっていない現実に遂に心の折れた私はずるずると机に吸い付けられるように力無く突っ伏してしまった。
 「嘘でしょ~、数学苦手な私に対してこの問題のボリュームは拷問だってのにぃぃ~っ…」
 背中にのしかかる疲労感にシャーペンを再び握る握力を絞り出せなかった。気晴らしにエナジードリンクをぐいっと一缶飲み干した私は、シャーペンからスタイラスペンに持ち替え、superfaceのキーボードを背面に回してタブレットPCのスタイルに切り替えると、イラスト作成ソフトを立ち上げて真っ白の画面上にペンを滑らせた。気晴らしの落書きだ。
 画面上にざっくりとした人の顔のシルエットを描き上げると、今度は全体のビジュアルを整えるように丁寧にペンを走らせ、キャラクターの輪郭や髪の造形を描き上げていった。しかし特にコンテストへの出品を狙ったものではない、これはあくまで落書きで、頭の中がとっ散らかっている状態を整理するためにとりあえず集中できる「何か」をやって再度苦痛な数学の課題に向き合える精神状態を取り戻す作業だ。
 が、ひとしきり人物の姿が鮮明になったところでまた喉が渇いてきた。
 「あっ、もう冷蔵庫には何もないんだっけ…」
 何もないことはない、お母さんがいつも常備してくれている冷たい麦茶が冷蔵庫にはあるのだけれど、やっぱり刺激的な炭酸と目が覚める甘さが欲しくなるのだ。
 「…ま、こういうときはこの手しかないよねぇ~…」
 誰もいない部屋の中でそう呟いた私は、イラストソフトを消した代わりに、ホーム画面右下にある時計アイコンをタップした。Superfaceは時計ソフトを使うと画面いっぱいにデジタル時計が表示される、この状態であのクラウドアイコンをタップした。
 ≪暗証番号認証…OK 指紋認証…OK 虹彩認証…OK ようこそEMIさん≫
 クラウド内の無数の魔方陣の画像を数度スワイプして、アナログ時計を模したような模様のものを選択すると、デジタル時計の表示の上へと前回と同じように持って行った。魔法陣がデジタル時計の中央にくるように合わせて画像を押さえていたペンを離すと、デジタル時計の秒数のカウントがぴたりと止まった。それだけではない、部屋の壁に賭けられていた普通のアナログ時計も、今まさにビルの谷間に落ちていきそうになっていた夕日も、窓の外を飛んでいたカラスも、首振り運転していたエアコンも、その全てが動きを止めたのだ。
 一切の喧騒の消えた空間の中で、私は画面上で光る魔方陣の中に描かれたアナログ時計の長針をタップして、それを3分前の位置へとスライドさせると、魔方陣の長針とリンクしてデジタル時計の時間も3分巻き戻った。それを見届けた私は、空になったエナジードリンクの缶を持ち上げながら目を閉じて静かに唱えた。
 「時空制御術よ…時の流れを反転せよ」
 唱えきった次の瞬間には、ちゃぽん、という液体の動く音と共に、缶を手にする手に重みを感じた。いつの間にか缶のプルタブも元に戻っている。私は時間を巻き戻すというとんでもなく大それた魔術を、ドリンクをもう一杯飲むという小さなことに使ったのだ。
 またいつもの時を刻み始めた世界で、そんな世界中の時間を巻き戻してまで蘇らせたドリンクをもう一度喉に流し込んだ。
 「ふふっ、さっきと全く同じ味だっ」
 ほんの少し前に飲んだものをもう一回飲んでいるのだから味わう感覚は体が覚えているそれと一切の狂いなく同じだ。この馬鹿馬鹿しさに自分で少し笑いが込み上げてしまっていた。
 喉は潤したがなかなか課題に取り組もうという意志が沸いてこないので、ベッドに寝転がってほったらかしのスマホを手に取り、有希のメッセージに返事をしてあげようとした瞬間だった。当の有希から新しいメッセージが届いた。
 《すごいよ絵美ちゃん!! 季節外れの桜が咲いてるよ!!》
 そんな一言と一緒に送られてきた写真には、日が暮れてライトアップされる秋葉台の街路樹のソメイヨシノが、まさに4月にタイムスリップしたかのように咲き誇っている様子が写されていたのだ。勿論私が覚えている限り、ここの桜の木は青々とした葉を蓄えていて、この時期に花が開く要素など皆無だ。
 「ほ、ホントだ…すごーい、一体どうして…?」
 スマホの画面を見つめる私は一瞬だけ季節外れの桜の姿に感動してしまったが、間髪入れずに額からは一筋の汗が流れた。冷や汗だ。こんな事態がこのタイミングで起こる理由に思い付く可能性などひとつしかないからだ。それは、エナジードリンクを再生した時空制御術が私のコントロールを越えて町中の時間を逆行させている可能性だ。でも、この魔術は過去に数回やったことがあるが、時空制御術が時間を巻き戻させるのは私が認知しているものだけのはずだった。
 私は慌てて有希ちゃんに返信を送った。
 《不思議だねぇ、ちょっと怖いねぇ。有希ちゃんの周りで他に何かおかしな事は起きてない?》
 精一杯の誤魔化しの言葉を送って様子を探ることにした。幸い有希ちゃんはスマホをずっと見てくれているようで、すぐに既読が付き、1分もしないうちに返事が届いた。
 《確かに変だよねぇ、まぁ私の周りでは別に何も無いから心配しなくていいよー( ・∀・)何かイベントでもやってるんじゃない?》
 私もそう思いたいけど、平行して確認しているSNSのタイムラインには次々とこの桜のことが話題になっていた。しかも元から植えられている秋葉台の街路樹だけでなく、何もない家の庭や公園、果ては工場の敷地のど真ん中まで突然桜が姿を表しているようなのだ。
 《僕の家の前にまさかの桜の木が生えていて中には入れないという…これは鍵じゃなくてチェーンソーが必要ってか?》
 《幼稚園へ○○ちゃんを迎えに行ったらお庭に大きな桜が咲いていた。○○ちゃんもお友達も大はしゃぎしているけど、誰がこんな木を植えたんだろう…園長先生?》
 《コインパーキングにアスファルトぶち破って桜が生えとんねんけど、俺はどないして車停めたらえーねん(^_^;)》
 タイムラインはどんどん拡散していくが、その内容はとても街ぐるみのイベントとは思えない、人にできる内容に思えない。
 「ヤバいヤバいヤバいっ!! とにかく様子を見に行かないとっ!!」
 いてもたってもいられなくなった私はsuperfaceを鞄に押し込み、着の身着のまま部屋を飛び出した。家の玄関から出るやいなや、向かいの家の塀をなぎ倒して立派な桜が伸びている光景が目に飛び込んできた。
 「冗談きついってぇ、街の方はどうなっちゃってるのよぉ!!」
 額から流れる冷や汗の量はどっと増えてきた。実物を目の当たりにして、嫌な予感は確信に近いものに変わっていく。私の足ははやる気持ちについて行けずに、駆け足が何度も前のめりに乱れてしまった。
 その後も家の敷地や道路に無秩序に伸びる桜の木を何本もすれ違い、その異様な光景に驚きと不安を隠せない様子で立ち尽くす人々を勢い余って何人かぶつかってしまいながら、夢中で中心街へと向かった。そして中心街へと近づくにつれて、桜の木は閑静な住宅街にある自宅の周囲よりも明らかに密度が高まってきていた。

 「ご覧ください、八月の終わりというこの時期に、ソメイヨシノが満開の花を咲かせています!! 道行く皆さんは写真を撮ったり、何とお花見に興じる方まで集まって凄まじい混雑となっております!!」
 私が辿り着いた時、ニュースレポーターの女性が現場の様子を迫真の表情で伝えているのが見えた。既に道路のど真ん中に侵食した桜によって車は立ち入れず、歩行者天国と化したメインストリートには最早人の頭と桜の木しか確認することができないほどの騒ぎとなっていた。
 ごった返す人波からsuperfaceが押し潰されないように庇いながら、私は奥へ奥へと突き進んでいった。今のところこの事態の収拾をつけるという発想まで頭が働いてくれなくて、込み上げる焦燥感からとにかく自分の魔術がどれだけの影響を与えてしまったのかを知りたいという意識に飲み込まれていた。
 「どうしよう、私の魔術のせいでこんなことになっちゃったなん…痛っ!!」
 慌てるあまり、立ち止まる女性の背中に顔から突っ込んでしまった。じんじん痛む鼻の頭を擦っていると、その女性は優しそうな声で語りかけてきた。
 「何を心配しているの? まさか、この桜は自分のせいだとでも思ってる?」
 まるで私の心を見透かしたような言葉に、ハッと顔を見上げた。そこに立っていたのはやはり一人の女性だ。でも、ゆっくりと振り向くその佇まいから異様な気配しか感じない。背丈と顔立ちから年齢は私とそう離れていないようにも見えるけど、顔の半分くらいはあろうかという大きなバラを模したヘアアクセサリーを頭に付け、大人びた雰囲気を纏っている彼女は、赤と青が混沌と混ざり合った瞳をしていた。皆が一様に騒ぐ中で一人冷静に語りかける姿には、恐怖すら感じてしまった。
 「ど、どういう事ですか…?」
 「お前がどんな魔術を使っていたのかは知らないけど、この街を埋め尽くす桜達を生み出したのはお前の魔術なんかじゃないから安心して、ってことを言いたいのさ」
 その女性はせせら笑いながら言った。その言いぐさは完全に私を小馬鹿にしたようだった。
 「ま、魔術ってそんな…私は…」
 「誤魔化す必要はないよ? 二日前の騒ぎだって私は道にぽっかり穴を開けて見せたその一部始終を近くで見ていたんだから」
 「えっ!?」
 彼女の指摘に、まるで心臓に針でも突き刺さったかのように私の胸がぎくしゃくした鼓動を鳴らし始める。表情がひきつり始める私を見たその女は一歩こちらに歩み寄ると、不敵な笑みを浮かべながら言った。

 「自己紹介が遅れちゃったね、私の名は【デビル】、草木を支配する魔女さ。そう、お前と同じように魔術を心得る同業者なのよぉ?」
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