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2章 小さな手

2章 小さな手 6/8

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「‥‥いててて」

「あたたた‥‥。
――ヌシ、本気で殴りおったな」

「そりゃこっちのセリフだバカ」

「バカと言うたか」

「‥‥言ったよバカ!
なんで学舎に来るだけでこんな怪我してんだよ僕は!」

「そりゃ、ヌシがオチャメばかり言うんじゃから折檻も必要になろう」

「‥‥オチャメ。かわいい評価だな」

「礼には及ばん」

軽いケンカの後、二人で学舎に入った。
生徒たちは懲りたと見え、かなり遠巻きに――でも気にはなるらしく、恐る恐ると様子を窺っている。

‥‥これ今日一日で僕の評判ってすごい下がる気がするんですけど、伊藤さん。

――僕の通う学舎は木造二階建ての立派な建物だ。通う学生は多い日だと300人程にもなる。
文字の読み書き、論語、農学、算術に医術と他幅広い学問を教えてくれる。支払う授業料は生徒によってまちまちだ。藩士や商家、医者の親などが寄進をするから農民の子らでもわずかな銭で通うことが可能だ。
僕や伊藤さん‥‥それにこれからは善鬼もだけど、僕が学舎の部道場で一刀流を教えているからもちろん授業料は免除になる。むしろ謝礼として幾ばくかの補助費も出ている。

「そういや君、字は読めるのか?」

二階に続く階段を登りながら善鬼に聞いてみた。

「‥‥ワシ、字、読める。バッチリ」

「‥‥‥‥。
ならよかった。うちの学舎はけっこうちゃんとした教書があるから。明日にもそれを用意させとくよ」

「バッチリ、読める」

「‥‥‥本当に読めるのか?」

善鬼は学舎から窓の外に見える甘味処ののれんを指さすと元気よく言った

「だ・ん・ご!」

「‥‥か・ん・み・ど・こ・ろ」

「‥‥ぬう‥‥」

今度はその隣の店に架かってる立派な木製看板を指さし、また元気よく叫ぶ。

「う・ど・ん!」

「惜しい。そ・ば。
――つかお前、店の雰囲気だけで言ってるだろ」

「あれは読める!その隣のは読めるぞ。
 お‥‥!
お、お‥‥、
お・み・そ・し・る!」

「お食事処だ!味噌汁専門店なんてねえよ!
‥‥言われてみるとこの学舎の前って食べ物屋が多かったんだなぁ。結局お前、ひらがなが限界かよ」

「ひらがななら半分ぐらいは読める」

「‥‥はぁ‥‥。
アレだろうな。僕、授業中もお前の面倒見なきゃいけないんだろうな‥‥」

やれやれ、と僕は長いため息をつく。そ
のため息は僕の手で開けられた教室の引き戸が立てるガララララっという音と同じぐらい長かった。

「おはようございます、神子上さん」

「おはようございます」

「うん、おはよう」

みんなが一斉に声をかけてくれる。

「本当に皆の気持ちがわから」

「わからんでいいよ、別に。わからんでいいから、ほら、みんなに挨拶しろよ」

「は?なんでじゃ」

「‥‥え?そこから説明するのか」

うちの級の生徒はおよそ20人。ほぼ全員が僕の部道場に所属している。
学舎の7割ほどが一刀流拳術部員だ。五つある部道場の、言うまでもなく最大派閥になる。
元々多数派だった一刀流だが、伊藤さんがやってきた二年前から一気に増えた。そりゃあそうだろう。日ノ本で一、ニを争う拳術家が居るんだから。その伊藤さんが居る道場に通っていたというだけで将来の肩書きにすらなり、職を探す上でも役に立つんだろう。
‥‥純粋に強くなるために一刀流を学んで欲しい僕としては正直微妙な気持ちだがそれも世の風潮だから仕方がない。

――昨日の遅い時間にその一刀流拳術部道場へと現れた道場破り、善鬼。だからこの教室にいる生徒の何割かはすでに彼女の顔を知っているわけだ。その強さも知っている。他の生徒も恐らく噂を聞いているだろう‥‥
と思っていたが。

「神子上さん、この子誰っすか?転校生っすか?」

「ん?ああ。まぁ、そうだ」

「へぇ‥‥。かわいい子ッスね!」

三浦という男子生徒は興奮気味に浮かれた小声で僕に言った。
‥‥いやぁ、うん、まぁいいけど。
そのまま善鬼に向き直ると‥‥。

「よろしく。俺、三浦。あの三浦流柔術の三浦先生の遠縁なんだぜ!よろしくね」

‥‥やばい、吹きそうだ。
三浦は善鬼にめっちゃいい笑顔で手を突き出している。

「‥‥ぬう」

「君、何て名前なの?」

「ぬう‥‥」

‥‥やばいやばい。善鬼が押されてる。こりゃ見物だ。
伊藤さんも来ればよかったのに。
あの人絶対こーゆうの好きだし。

「何?無口な子だね。
神子上さんと一緒に来たってことはもしかして、神子上さんのイトコ?」

「ぶふっ!」

「‥‥何をマジ吹きしとるか典膳ッ!!
貴様も何じゃ!虫かお前は!!」

「あっははははは!!
誰がイトコだよ三浦!ゼンゼン似てねえよ!」

こらえ切れずに噴き出す僕。
思わず突っ込むが、彼には聞こえない。
可哀想に、三浦は善鬼の顔面突きで教室後ろの壁まで吹き飛ばされていた。
‥‥いつも女子の尻ばかり追いかけてるし、自業自得だろう。

「‥‥おのれ」

「あっはははははは!」

「‥‥くそう。
――ほれ典膳。いつものように言わんか。「ぼくのいっとうりゅうを習ってれば避けられたのにね!月謝は月々500文から!さあみんなもおいでよ!」とな」

「だから人聞きの悪いウソをつくな!
さっきからなんでそんな僕の評判落としたがってんだよ!」

はっと、教室を見回すと生徒達がみんなどよどよと遠巻きに僕らを見ている。
‥‥はぁ‥‥。またこの構図か。

「いや‥‥。うん、手を出さなければ噛まないから、こいつ。大丈夫大丈夫」

「うむ、噛まない」

「自分で言うのか」

級友達がクスクスと笑い出す。
安心したのか、次第に空気も普段のものに戻り始めた。保健委員が気絶してる三浦を運び出す。
――あれじゃあ当分登校できないだろうな。可哀想に。

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